第2話『二人の男』
第2話『二人の男性』
足を負傷した彼女は、運転手の男性に抱き上げられ車の後部座席乗せられた。
落ち着きなく座り、発車して走行音を聞いているうちに、彼女はどんどん頭が覚めてくるのを感じた。
今、自分が置かれている現状を確かめるように、運転席に向かって口を開く。
「あの……ホントにすみません。とばっちりもいいところですよね!? それなのに、ご親切に病院にまで連れて行って下さるなんて……」
さすがに助手席の方の男性も、同調したように無言のまま、ひょこっと頭を下げた。
「いいんだよ。実はね、僕もちょうどその病院に行くところなんだ」
「え!? そうなんですか? あ! ひょっとして……あの病院の先生だったりします?」
そう彼女が質問すると、運転席の男性はにっこりと笑って頷く。
「やっぱり! お医者さんなんじゃないかなって思ってたんです!」
「あはは、そっか。僕は外科の天海といいます」
「え? 天海って……」
彼女の呟きには答えずに、天海はミラー越しに話を続けた。
「あのね、さっき君が居たあの場所は、何故かわからないけど、ここしばらく自殺が立て続けにあった所なんだよ」
「えっ?!」
「裏道だからだろうね、ダンプカーがよく通る道でさ。うちの病院に運ばれてきたこともあって、中には助けられなかったケースもあった。彼もきっとそれを知ってたから、君が自殺しようとしてるのかもしれないって、勘違いしたんじゃないかな。そうだろ?」
突然話を振られて、たじろぎながらも、助手席の男性は頷いた。
「ええ、まあ……」
「ね? 彼は親切な人なんだから、君もそんなに怒らないで」
「あ、はい……わかりました」
助手席の男性がちらりと後部座席を振り返って小さく呟く。
「最初からそんなふうに素直だったらいいのにな」
「な、なんですって!」
またもや天海が割って入る。
「あははは、君たち本当に初対面?! 何だか仲のいい兄妹みたいだね」
「あの! 〝仲の悪い〟の間違いじゃないでしょうか!?」
「あははは」
憤然とする二人にドクターは愉快そうに笑った。
「あの……お医者さんって、こんな時間から出勤するんですか?」
「そうなんだよ、今日は当直でね。医者ってさ、ホント楽じゃない仕事だよ」
天海は肩をすくめて言った。
「で? 君たちはこの辺の人? 家は近く?」
「ええ、川沿いの……森ノ口の交差点のすぐ南なんです」
またミラー越しに、天海はパッと明るい表情を見せる。
「あ! あそこさ、角に『RUDE Bar』っていう洒落たバーがあるよね? 僕もたまに行くんだけど」
「そうなんですか?! 私も近所なので、よく行きますよ『RUDE Bar』!」
「そうなんだ!」
「ええ。お会いしたことないですよね? 私の家はそのすぐ南の、川沿いにある白い……」
前に乗り出すように話を弾ませるすぐ隣の助手席から声がした。
「あー、もしかしてあの妙にゴージャスな白亜のマンションなんじゃねーの?」
「え……まあ……そうですけど」
「ふーん、そうなんだ?」
「なんですか? その含みのある言い方は!」
天海が笑いながら男性の方に話を振る。
「君もこの近く?」
「ええ。あのbarから川沿いに北に上がったところの、オンボロアパートなんですけど」
え? あんな高級住宅街なのに
オンボロアパート?!
そんなのあるはずないけど……
そう思いながら、彼女はスッと後部シートにもたれた。
ほどなくして病院に到着し、ドクターが彼女に手を貸して、三人はゆっくりと受付までやって来た。
「ちょっとここで待っててね」
「はい、ありがとうございます」
彼女が丁寧に頭を下げると、しらっと横目でそれを見ている男性にドクターが声をかける。
「君、何の症状も出てない?」
「まあ……」
「じゃあさ。彼女のこと、君が支えてあげてもらえないかな。処置室まで来てもらわないといけないんでね」
「え……あ、はい。わかりました」
彼は彼女に視線を移す。
手を貸そうとすると、おもむろに身構える彼女を見て、思わず口に出しそうになる言葉をグッとのみ込んだ。
なんだその態度は?!
先生には思いきり身を委ねてたぞ
そうか!
相手が医者だからか?!
ったく……女ってヤツは!
その時、彼女がすっと向きを変えて彼をとらえた。
「あの」
「な、なんだ? まだ文句があるのか?」
「そうじゃなくて」
「なんだよ」
「助けてくれた……のよね? 私、紛らわしい事しちゃったみたい。ごめんなさい」
「は、はぁ!? なんだ……謝れるんじゃん。ホント、どうかしてんじゃねぇかって思って焦ったよ。思いつめてたようにも見えたし」
「思いつめたように?」
「ああ。なんか、無表情っつーか……どこ見てんのかわかんねぇような目つきでさ。なぁ、一体何してたんだ?」
「あ……大事なものをね、落としちゃったから、拾おうとしただけなんだけど」
「大事なもの?」
カバンに目をやる彼女の視線を追う。
「うん。このキーチェーンなんだけど」
「は? このド派手なキーホルダーを!? なんで? オトコからもらったとか?」
「違うわよ! そのキーホルダーに一緒に付けてるこの小さなチェーンの方」
「え? あ、この細い星の形した?」
「そう。小さい頃からずっと持ってるんだけど、すごく大切だ、って思いだけがあって。でも……それが何故だかは……わからないの」
「はぁ? なんだそれ? 全然わかんねぇ」
「そうよね。でも今まで色々な局面で私にラッキーをもたらしてくれた。いつもこれに願掛けして、うまくいってたし」
彼は改めて彼女を見つめた。
「なんだか信心深いタイプなんだな。まあ、それならなおさら、これからは気を付けろよ」
「ええ……」
彼女はそんな彼を見つめた。
ちょっと上から目線なのは
気に入らないけど……
ホントは優しい人みたい。
「おまたせ」
白衣を羽織ったドクターが登場した。
「おお!」
同じ表情の二人を交互に見ながら天海は笑った。
「〝おお〟ってなんだよ?」
「似合ってる……って言うか?」
「らしいって言うか?」
「はは。そりゃどうも。さあ、こっちに来て」
処置室まで彼が彼女を支えると、優しそうな看護婦さんが出てきて、彼からバトンを繋ぐように彼女の肩を支えた。
隣の部屋に呼ばれた彼と分かれて、足を少し引きずりながら奥の処置室へ入ると、天海は笑顔で椅子を差し出す。
「もう一度、足を見せてね」
天海は彼女の足首を優しく指で押さえながら丁寧に診断していく。
「うん……この腫れは、じきに引くだろう。ここ、固定してあげて」
看護婦さんがテープを巻いてくれている間、説明が続く。
「レントゲンを見ても骨は折れてないし、捻挫で済んだみたいだ。ちょっと痛みは続くかもしれないから、シップ出しとくね」
ドクターの視線が下りる。
「ああ、これは……」
彼女の足元に手を伸ばし、そこに無造作におかれた彼女のヒールを持ち上げた。
「こっちは重症だな……」
そう言って天海は看護婦さんからテーピング用のテープを受け取る。
「ちょっと待ってて、応急処置をしてやろう」
まるでいたずらっ子のような笑顔を見せたドクターは、手際よく折れたヒールを固定しはじめた。
テーピングテープでぐるぐる巻きにした後は、デスクからマジックペンを取り出し、ぎゅうぎゅうと塗っていく。
「はい出来上がり!」
にこにこしながらそれを手渡してくるドクターに、彼女はため息をついて見せる。
「ずいぶん斬新なデザインですね」
「気に入った? それなら折れてないほうも巻いてあげようか?」
「あの、遊んでますよね?」
「へへ、バレた?」
あどけない表情で、天海は微笑んだ。
「とはいえ、この直した靴を履いて帰るわけにはいかないね、ちょっと腫れが出てきているし。デザインはよくないけど、こっちを履いて帰ってね」
そう言って彼女にサンダルを差し出した。
「なんか盛り上がってません?」
処置を終えた彼が皮肉な表情でやって来た。
ドクターは、彼の包帯を巻いた右手に視線を向ける。
「君もなんともなくて良かったよ。あ、でももし、何か異変を感じたらすぐに連絡して」
「わかりました」
ドクターが彼女の足元に目をやりながら言った。
「彼女の処置も済んだよ。じゃあ……」
「ああ……俺がこの人、タクシーで送りますんで」
「え、そんな……」
驚いた彼女の言葉も聞き入れられず、二人の話は進んでいく。
「そっか! ご近所さんだって言ってたしね。二人とも異常はなかったわけだけど、まあ一緒に帰ってもらった方が、僕も安心だけどなぁ?」
そう言いながら笑顔で覗き込んでくるドクターに、彼女は首をたてに振った。
「何かあったらいつでも連絡してきてね」
天海はそれぞれに名刺を渡した。
二人は頭を下げて処置室を出る。
彼女は彼に支えてもらいながら受付まで行き、並んで手続きを済ませると、病院の前のタクシーに乗り込んだ。
「国道から、桜川沿いの道を北に上がって下さい」
慣れた口調でそう言う彼の横顔を、彼女はまじまじと見る。
「なんだよ? 違った?」
「あ……いいえ」
「じゃ、お願いします」
ドアが閉まり、二人を乗せたタクシーが走り出した。
第2話『二人の男』- 終 -