第18話『花びら舞う夜に』
第18話『花びら舞う夜に』
かれんと健斗は、缶ビールを片手に川沿いの橋桁にもたれる。
喧嘩腰に話していたはずが、いつのまにか仕事に対する思いを話しながら、二人ははらはらと水面に降る桜吹雪を見ていた。
「仕事に……愛着はあるな」
そう言った健斗の方に向き直ったかれんは、上から下までじっとながめる。
「な、なんだよ!」
「あなたって……」
「ん?」
「やっぱり、信じられない!」
「はぁ?!」
健斗が缶ビールを落としそうになりながら、体勢を立て直す。
「だって! 生徒がいるのよね? あなたを先生と呼んで、あなたに教えを乞う生徒が居るってことなんでしょ?!」
「そりゃいるよ、何百人もだ。お前さぁ……またそこの話かよ?!」
「絶対信じられない!」
健斗は溜め息をつきながら首を振る。
「わかったわかった。だから、そんなマヌケな顔して俺を見るな!」
「マヌケですって?!」
「ああ、マヌケだ。お前のそのカバンに付いてサルだかクマだかのぬいぐるみにそっくりだぜ」
かれんは口を尖らせる。
「このキーホルダーはイヌよ!」
「あっそ。なんでイヌ?」
「私、戌年なのよ!」
「ふーん」
興味なさげに聞いていた健斗が、改めてかれんのバッグを見つめた。
「あ! それ……」
「なに? ああ……これ?」
かれんは一緒にバッグに着けていたキーチェーンに手をかけた。
「本当に毎日付けてるんだな?」
「うん、必ず。同僚にも〝信心深い〟って笑われるんだけどね。やっぱり、変かな?」
「別にそんなことないけどさ。三連の星か。どういう意味?」
「前に調べてみたら、〝ポラリス〟っていうらしいんだけど」
「北極星か。三連なのに?」
「うん。ほら、森で迷ったら北極星を探して方向を知るって言うじゃない? あれにかけてるんだと思うんだけど、海外では〝何かに悩んだりしても、僕という北極星が導いてあげるよ〟みたいな意味で、男性が女性に贈るプレゼントとして流行ってるらしいの」
健斗が空を仰いで皮肉に笑う。
「は! じゃあ、やっぱオトコからのプレゼントなんじゃねえか?」
かれんは悪びれる素振りもなく肩をすくめる。
「でもずいぶん前から持ってるのよ? 子供の頃だし」
「まあ、確かに高価なもんではなさそうだけど……小学生のくせにめちゃめちゃキザな奴なんじゃ?!」
「えーそうなのかな? そんな小学生なんてイヤだわ!」
「でもかわいそうに! そいつ、覚えられてないのな?」
かれんは苦笑いする。
「あ……まあ。記憶はないのよね……だけど大事にしてるんだからいいじゃない! 信心深いって笑われそうだけど、願掛けもするし、毎日ちゃんと付け替えるお陰でカバンを変えても忘れ物もしないしね! 願い事も概ねうまくいってるの。だから、なんだか守られてるような気がしてね」
その時、フワーッと風が吹いた。
たくさんの桜吹雪が舞う。
「うわぁ、綺麗!」
かれんは両手を開いて、全身に花びらを纏う。
「ずっと咲いてたらいいのにね。散らないでほしい!」
「そうだな……」
華やかに笑う彼女の横顔を見ていた健斗は、その笑顔に吸い込まれそうになって、慌てて取り繕う。
「ま、まぁそうだけどさ、無限じゃないところが魅力なんだろう? 〝期間限定〟とか。〝儚さ〟? それと……〝切なさ〟とか。どれも女子の好きなワードだろ?」
「……ワード」
かれんがパッと顔をあげた。
「あっ、そうだ! 次のイベントのテーマ、それにするわ! えっと……そうね、〝二度とない夏の一ページ〟……違うなぁ、〝もう戻らない……〟ああ、これじゃ失恋かぁ。ん……〝忘れられない夏、波の音が聞こえる〟これどう?!」
健斗が目を丸くする。
「おいおい、どうしたどうした?! 急に〝お仕事モード〟に突入か?!」
「キャッチコピーが浮かびそうで……」
「それもプロデューサーの仕事なのか? よくもまあ、桜を見ながら真夏のことが考えられるな?!」
「あなたが出たイベントは〝オータムコレクション〟だったでしょ? 2シーズン先のコレクションをやるのよ」
「そっか。俺、由夏さんに言われるがままに出ただけだからなぁ。なんもわかってなかったな」
かれんが意味深な顔で、健斗の顔を覗き込んだ。
「ねぇ……由夏から連絡行ってない?」
健斗は眉を上げる。
「あ、次のイベントの出演依頼か……あったあった」
「やっぱり……それって、レイラちゃんと一緒じゃない?」
「ああ……多分な」
「まだ半信半疑だけど……でもまぁ『ファビュラス』の人間としては、ちゃんとお願いしなきゃね」
かれんは呟くように言って、健斗の方に向く。
「藤田健斗さん、ご出演、よろしくお願いします」
「は! なんだその棒読み?! 全然心がこもってないじゃねぇか!」
「だって! まだなんか騙されてるような気が……」
「なんだと?!」
詰め寄る健斗に、ごまかしながら応戦する。
「冗談よ! ただ、ここで会うあなたしか知らないから。だから実感がないだけ。次回のイベントも『ワールド・ファッション・コレクション』くらい規模が大きくて、しかも初めての分野なの。だから、正直言うと……少しナーバスになってるかもしれないわ」
腕組みした健斗が、かれんをまじまじと見た。
「お前って、以外と真面目だな」
「あら? あなたは不真面目なふりを?」
かれんがじっと健斗の目を覗き込んだ。
「……な、なんだ!? やめろよ、その顔! なんだか今日は劣勢だ。そろそろ帰るか」
「あ! 図星だから逃げるんだ?!」
健斗が呆れたように首を振る。
「面倒くせぇ、ビール一本で酔ってやがる」
「全然! なんか、藤田健斗いじるの楽しいかも!」
健斗は前を歩き出す。
「おい! さっさと行くぞ!」
「だから! あなたの家はあっちでしょ?!」
「いいから!」
コンビニの前の信号が点滅しだした。
「ほら!」
健斗がかれんの手首をつかむ。
「もう! また?!」
『|カサブランカ・レジデンス《かれんの自宅マンション》』の前で、かれんは健斗の手を振り払った。
「だから! なんで走るのよ?!」
「風が気持ちいいだろ?」
「走らなくたって風は吹いてるんだから……」
その言葉を遮るように、健斗がスッと近付いた。
「え……」
少し顔を上げながら、すうっと長い指が延びてきてかれんの髪に触れる。
「ほら」
髪に付いた花びらをそっと取って、かれんの手のひらにのせた。
「あ、待った。ついでにこれも」
健斗はマンションの塀の上に落ちていた小さな枝の付いた桜も取って、もう一度その手のひらに置く。
「じゃあな」
そう言っていつものように右手をフラフラと振り、いつものように帰っていく健斗の背中を、かれんはぼんやりと見つめた。
エレベーターの中でそっと手を開き、薄紅色の花びらをじっと眺める。
髪に手を伸ばしてきた彼の目線を思い出す。
視線が合って、ドキドキしてしまった。
ふと、カードケースを渡したときに抱き締められた記憶が蘇える。
「やだ! だから私、へんに意識しちゃったのかな? 同じ場所だったし?!」
かれんは口を押さえた。
「藤田健斗はさっきの様子じゃ、抱き締めた事なんて覚えていなさそうだし……え! なによ、私だけ?! ヤダ、まるでパブロフの犬だわ!」
かれんはエレベーターの中で、一人顔を赤らめた。
第18話『花びら舞う夜に』 - 終 -