第14話『Mission Complete! 』
第14話『Mission complete! 』
健斗にまた強引に手を引かれ、かれんは戸惑いながらも、点滅し始めた横断歩道を走りきった。
「よし、渡れた! ほら行くぞ!」
「行くぞって! ちょっと! 離しなさいよ!」
かれんはつかまれている手首を振りほどく。
「ああ……悪りぃ」
「また走らせたわね! やめてって言ったのに! ねぇ、あなたの家は北でしょ? あのコンビニからすぐだったのに、なんで南に渡っちゃうのよ!」
「だってお前の家、こっちじゃん?」
「そうだけど、もう見えてるんだから送ってくれなくていいわよ」
「いいから、いいから。〝ストーカーが怖い〟って、前に言ってただろ?」
「は? あれは、あなたのことよ」
「俺? なんで俺が?! それより、お前こそなんで俺の家を知ってるんだ? ストーカーはお前の方じゃねえの?」
かれんは健斗に突っかかる。
「失礼ね、違うわよ! あなたが落としたカードケースを届けてあげようと……あ!」
かれんは思い立ったように目を見開く。
「そうよ! カードケース! 黒の。あなたのよね?」
マンションの真ん前で慌ててカバンを探ると、黒のカードケースを取り出して彼の前にかざす。
「それ……」
「私、あなたが落としたこのカードケースを返そうと思って、それであなたの家を……」
その言葉は遮られ、かれんは一瞬にして視界を失った。
「えっ?」
気が付けば彼にぎゅっと抱き締められていた。
「ち、ちょっと! なにするの……」
彼の胸に頬を押し当てたまま、身動きがとれないほど強く締めつけられ、息も出来ない。
更に健斗は、かれんの頭に大きな手を置いて、慈しむように髪を撫でる。
「ふ、藤田……健斗……?」
思ったより遥か頭上のにある、その彼の顔の方向から、溜め息のような声が聞こえてきた。
「ありがとう……」
同時にその声は彼の胸を伝ってかれんの耳に響いてくる。
「あ……」
スッと力が抜けたように解放されたかれんは、あまりの驚きにしばらく硬直状態のまま立ち尽くしていた。
黒のカードケースを受け取った健斗は一番最後のページを開き、その写真をしばらくじっと見つめながら、また〝ありがとう〟と言った。
子供みたいにほんのり微笑むその表情に、何故か懐かしいような気持ちがわいた。
ようやく落ち着いたかれんは、深呼吸しながら身なりを整える。
「だ、大事なものだったみたいね……よかった」
その言葉が聞こえているのかどうかもわからない、彼の表情を覗き込む。
やっぱりだいぶん酔ってるみたいね。
藤田健斗はスッと顔をあげたかと思うと〝じゃあ〟と言ってくるっと背を向ける。
「え? あ、ああ……じゃあ」
手をゆらゆらと振りながら北へと上がっていくその姿が、初めて会ったあの日と重なった。
「ホント、へんなヤツ!」
そう言いながらも、ずっと気にしながら持ち歩いていたカードケースが、無事に持ち主に戻ったことが妙に嬉しかった。
『カサブラン・カレジデンス』
〝妙にゴージャスな白亜のマンション〟と藤田健斗にバカにされたことを思い出す。
「なによ! あーあ、なんだかずっと振り回されてるような気がするんだけど!」
少し乱暴に『7』のボタンを押してエレベーターに乗り込み、最上階でいつものように降りると、バッグから鍵を出す。
「え?」
玄関ドアを開けると、珍しくリビングに明かりが見えた。
「あれ? ママ、帰ってるのかな?」
廊下を早足で歩く。
「かれん、お帰り!」
いかにもイタリア帰りと言わんばかりのビビッドなスーツに身を包んでいる、かれんの母が笑顔で出迎えた。
「ママもお帰り! いつ帰ったの?」
「つい一時間前よ、帰国してから食事に行ってたから」
「なるほどね」
リビングにはスーツケースが無造作に置かれている。
「かれん、食事は?」
そう聞かれても、さすがにコンビニで肉まんを食べたとは言えなかった。
「あ……少しだけ。でも今夜はもういいわ」
「お酒飲んでるんでしょ? 少し顔が赤いわよ」
「いや、お酒は……」
そう口にすると、さっきのシーンが甦ってきそうになって慌ててかき消す。
ヤダ……顔、赤いのかな?
「お風呂沸かしてるから、入っちゃいなさい」
「うん、そうする」
ダマスクローズの甘い香りに包まれながら、鼻の下まで湯船に浸かる。
今日はとにかく、目まぐるしい一日だった。
イベントは例年にないほどの大盛況で、本当ならそれだけでも充分にいいお酒が飲めるはずなのに、色々な事があり過ぎて、まだ頭が混乱している。
まさかのシラフで帰ってくるなんて……
今度は鮮明にさっきのシーンが甦って来た。
息が出来ないくらい抱き締められたのって……
ああ、もう!
私ったら、なに考えてるのよ!
藤田健斗は紛失物が見つかって喜んだだけ!
深い意味はないんだから!
ヤツはかなり酔ってたわけだし……
思い出すと、また頬が熱くなるのを感じた。
「もう!」
ザバーンと湯船から立ち上がったかれんは、パジャマ姿に髪をタオルでぐるぐる巻きにした出で立ちで、冷蔵庫を開けたままミネラルウォーターをあおった。
「暑ーい!」
「長かったわね、もう遅いから早く寝なさい。明日ゆっくり話しましょう。お土産もあるしね!」
「やった! ママ、おやすみ」
部屋に戻って携帯を見てみると、由夏から謝罪のラインが届いていた。
「勝手にハルとコンタクト取っちゃってごめん!」
それを見て、ようやく気が付く。
あ、そういえば今日、ハルに会ったんだった!
三年ぶりに。
それをすっかり忘れていたことに、自分でも驚いた。
藤田健斗のお陰?
それは、店を連れ出されたからか?
うーん、それとも……
家の前で……
また頬の血流が上がってきそうになったので、頭を振ってかき消した。
由夏に返信する。
「大丈夫。私にはもうしっかり過去の人になってたみたい。だから心配しないでね!」
そう返信したら『平謝り』のスタンプが送られてきたので、『心配ご無用』のスタンプを返しておいた。
他にも来ていたラインをチェックする。
レイラからも来ていた。
「お話しできなくて残念です。次回のイベントについての相談もあるので近々時間をつくってほしいです」
また藤田健斗の顔を思い出す。
今日のこと、きっと彼女は知らないよね?
さすがに知り合いだったとは話せないし……
っていうか、最初に藤田健斗が、彼女の前で
「はじめまして」ナンテ言うからややこしくなるのよ!
会ったときに、どう話せば?
そう思うと少し気が重い。
今日のお礼と、二次会にいけなかったことを詫びて〝近々会いましょう〟と返す。
「あ! そういえば……」
慌ててパソコンを開く。
「やっぱり……」
そこには大量のメールが来ていた。
今日のイベントの成功のお祝いから、労いの言葉、今後の仕事のオファーに繋がるものまでも、びっしりと……
かれんは頭を抱える。
「ああ、今夜はまだまだ寝られそうにないわ!」
ひたすらキーボードを叩きながら、こんな大切なことまでもすっ飛んでしまうほど、自分が腑抜けになっていたことを、我ながら情けなく、恥ずかしくも思った。
飲酒こそしていないが、すっかり酔いも覚め、もくもくとメール返信と報告書の作成をする。
「もう! 藤田健斗め!」
部屋にはただただキーボードを弾く音だけが、静かに響いていた。
第14話 『Mission Complete! 』 - 終 -