第13話『深夜の逃避行』
第13話『深夜の逃避行』
健斗に手首をつかまれ、Bar『Blue Stone』から引きずり出されるように階段を上りきる。
かれんは息も切れ切れに、その手を振り払った。
「ちょっ……藤田……健斗……」
「あのな! なんでいつもフルネームなんだ?! 俺を何だと思ってる!」
かれんは大きく息をつきながら、服を払い、威圧的に顔を上げた。
「なにって……藤田健斗でしかないでしょ! なのに……なんで准教授だったりモデルだったりするんだか……」
「は? なんて?」
「なんでもないわよ! っていうか、どうして走るわけ?!」
「だってお前……」
そう言いかけた健斗は、急に表情を変える。
「いやぁ、その……階段見てたら急にかけ上がりたくなってさ。あるだろ? そういうこと」
「は?! あるわけないでしょ! ふざけないで!」
あきれて顔を背けながら、またしばらく息を整えた。
車の行き交う音だけがする静かな歩道では、自分の呼吸がやたら大きく聞こえる。
「……さっきの話、聞いてたのよね?」
「え? あ……別に盗み聞きしようなんて思ってたわけじゃないけどさ、聞くつもりのない話でも、あんな所であんたらカップルに道を塞がれてちゃあ……」
「カップルじゃないわよ!」
「あ、わりぃ。別にそこは……」
かれんは『Blue Stone』と書かれた立て看板をじっと見つめていた。
「ここ、知ってる店? 常連だったとか?」
「どうして?」
「あんなややこしいトイレの場所を知ってたからさ。お前も、あの元カレも」
かれんがキッと睨む。
「あ、わりぃ」
「大学生の時は……毎日のように来てたわ。由香も、葉月もね」
「ふーん、懐かし場所ってわけか……思い出に耽りたいんなら、もう一度入ってもいいけど……帰るんじゃないのか?」
かれんはもう一度睨み付ける。
「そりゃ、帰るでしょ? ここまで引っ張り出しといて、今更聞く!?」
健斗はふふっと笑う。
「そっか、そうだな! じゃあ俺も帰ろ」
「なんであなたも帰るわけ?!」
「疲れんだよ大所帯は。もう充分貢献したんだし、解放してもらってもいいだろ」
「レイラちゃんを置いくわけ? ダメじゃない!」
「は? 俺はアイツの保護者じゃないんだから。さ! 戻らないならさっさと行こうぜ!」
健斗は再びかれんの手首をつかんで、勢いよく大通りに向かった。
「ちょっと待ってよ、危ないって!」
通りに出た瞬間、春の予感のする風がさぁっと吹きぬけた。
思わず目を細める。
「酔い醒ましにはいい風だな」
「それは良かったわね。どうでもいいけど、この手! 放してもらえます?!」
「あ……オーケー」
健斗はばつが悪そうな表情で笑った。
「もう! むやみに引っ張らないでよ! ホント乱暴なんだから」
「はい……すいません」
しばらくずんずんと無言で歩いていたかれんが口火を切った。
「あの! いろいろ疑問があるんだけど」
「だろうね」
「聞かせてもらえるのかしら?」
「まあ…それは追々でもいいんじゃね? それより、とりあえず……」
「何?」
「腹ごしらえだろ!」
「は?」
「だって食べそこなったでしょ」
「あ……でももうお腹空いてないわ。それより、なんかクタクタ……そうよ! ねえ、なんで走ったの?!」
膨れっ面のかれんに、健斗は真っ直ぐ顔を向けた。
「足、すっかり治ったんだな」
「え、足? ああ、あの時の? 軽い捻挫だもん、すぐに治るわよ」
「そりゃよかった」
それから前方に視線を向ける。
「早くあの店から出た方がいいかなって……早く想いを断ち切りたいのかなって思ったからさ」
「え?」
かれんが彼を見た。
「なんで走ったのかって、聞いたろ?」
「ああ」
かれんは少し視線を落とした。
「そんな必要ないわ……そもそも別に私は…」
「ホントに平気ならいいんだけどさ。ただ、あんたらが話してる時、ちょっと不穏な空気が流れただろ? 助けるべきかどうか迷ってさ。結局そのままにしちまったけど」
「別に……大丈夫」
「そうは見えなかったけどな。あそこで『Misty』に酔いしれてた時のお前見てたら、〝時空〟越えそうになってたし」
「時空?」
「そう、タイムスリップ。ホントは時空を越えたかったとか? 元カレと?」
「ううん、全然。その逆だった」
「ならよかった」
わりと結構な距離を歩かされ、連れてこられた店の前で、かれんは憤然と腕組みをして抗議する。
「ねぇ! お腹すいたって話から、なんでいつものコンビニに来る事になるわけ?!」
健斗は悪びれもせず、屈託なく笑う。
「だってコンビニ好きなんでしょ?『彼氏よりも優しいコンビニ』だっけ?」
由夏のやつ…、余計なことを喋ったな!
「あなた、もしかして結構飲んでるんじゃない?」
「そりゃそうさ! 打ち上げ二件目だったんだから。しかも全力疾走したしな」
「どうりで……」
「何が?」
「人の手を引っ張って店から引きずり出すなんて、酔っぱらってなきゃできないわよ」
「そんなの普通だろ?」
「普通なわけないじゃない、ホントに今日はあなたのせいで一日中、変な気分だったんだから!」
「何が変なんだ? 全く、文句の多いオンナだな」
「なんですって!」
「はいはい、もうわかったから!『彼氏のコンビニ』に入るぞ!」
「もう! 大きな声で変なこと言わないでよ!」
彼は笑いながらコンビニに入っていく。
「じゃあ、今日は俺がおごってやるよ。待ってろ」
「なぁ、風、気持ちいいな」
川沿いの桟に肘をついて、かれんは手に持った〝肉まん〟をじっと眺めている。
「あのさ、確かに風は気持ちいいかもしれないけど……大の大人が橋げたで立ったまま肉まん食べるわけ?」
「あ? 座ってもいいぞ」
「そういうことじゃなくて! 中学生じゃあるまいし」
「そう! 俺たちはもう中学生じゃない! 自由で不自由な大人になっちまった」
「あ……ダメだ、酔っぱらいになにを言っても無駄よね」
「酔ってなんかねぇぞ、いいから早く食えって! 冷めちまうだろ!」
「はいはい、わかったわよ!」
「どうだ、ウマイだろ?」
「うん……まぁ、おいしい……」
「だろ? ホントに、女ってやつは!」
「どういう意味よ!」
「何でもねぇよ。あ、月が綺麗だ!」
「ごまかしたわね!」
「いや、ほんとに綺麗だよ。見てみ」
顔を上げると、輝きを放つ大きな月に照らされている。
「ホントだ、満月かな?」
「明日は晴れそうだな」
「うん。そうね」
しばらく、雲ひとつかからない月を見上げ、その光を全身に受けた。
「食ったか?」
「ええ」
「じゃあ帰るぞ、あ、信号が変わりそうだ! 走るぞ!」
そう言ってまた、かれんの手首をつかんで走り出した。
「わぁっ! もう! また……」
第13話『深夜の逃避行』- 終 -