5 西遊記(その4)
俺が買収した、八戒……! それが、なんだってっ?
「それがさ、実はあの直後、悟空の兄貴に言われてさ、決勝は龍のやつを出すから、おいらは出なくていいって、結局そうなっちまったんだよ」
それならそうと、俺に報告するなり、龍や悟空に毒を盛るなり、ダイヤ分の働きをしろよ……!
「おっと、表情は変えねえでおくれ……! ここからが本題だ」
ハエの姿の八戒が言う。他方、空の上からは魔法の鏡の声が聞こえてきている。
「いやはや~……! 両チーム、互いにメンバーの一部を捕まえて、手出しできずにいます。両者ともに、ここからどうするか考えているようですが~……」
八戒は俺に言った。
「悟空の兄貴はおいらを出さず……、その代わりおいらに、探ってもらいたいって言ってきたんだよ。決勝戦当日の、お城の周りの様子をね。というのも、二回戦でシンドバッドと戦った時、シンドバッドが変なことを言ってたからさ。あの人は、『ランプが盗まれた』ってしきりに言ってた。それで出場選手たちのだれも彼も、疑いの目で見てたみたいなんだ」
そのことなら、俺も知ってる。悟空たちに少しでも被害を与えてほしくて、二回戦の前にシンドバッドに会いに行ったからな。けど、そんな感じだったから話にならなかったんだ。
もともと魔法のランプは、アラブの連中自身が厳重に管理してるはずだ。打ち出の小槌を日本のみんなで管理してたり、ヨーロッパなら魔法使い系に誓いを立てさせてるみたいに。……で、それが、なんだって……?
「おいらはあんたが怪しいと思ったけどね。でも兄貴は城の方を探れと言うんだ。それで、今日……。おいらは城に忍びこんで、この決勝戦直前、大広間にいる王様を見つけた。そこでおいらは、見ちまったんだ……!」
いやな予感が……。裸の王様が、どうしたってっ……?
「王様は、ランプの魔神や魔法使いたちを従えて、アリスやドロシー、その他負けた選手たちを周りにはべらせ、酒を注がせたり踊らせたり、その他あんなことやこんなこともやらせて浮かれまくってたんだ……!」
「なっ……!」
俺は思わず声をもらした。八戒は更に言う。
「みんなまるで生気がなかった……! みんながみんな、王様の命ずるがままに動く、あやつり人形になってたんだよ……!」
あの、裸のバカが……? ランプの魔神や主人公たちを、意のままに……?
「……いや……、ありえねえ……。どうしたらそうなるって言うんだよ……」
俺はこれ以上なく声をひそめて言った。八戒は言う。
「……分からねえけど、最初にランプか魔法使いを手ごめにしたんだろうな……。それか、銀の靴も持ってたから、それかも……。分かるかい? 『オズの魔法使い』の魔法の宝……」
知ってる。ドロシーが手に入れた銀の靴は、実はすごい魔力があって、なんでもできるらしい。けど話の最後に行方不明になったから、この童話界でも、だれもありかは知らないはずだ。
「……あとは、変な形のビンを、王様は大事そうに持ってたけど……」
……ビン? ……王様が……。
あっ……。ああっ……! そうかっ!
「『ビンの悪魔』だ……!」
俺はだれにも聞こえないほど小さな声でつぶやいた。『ビンの悪魔』……! そこまで有名じゃあねえだろうが、イギリスの童話にある……! なんでも願いを叶えてくれる、悪魔の入ったビンの話だ……!
だけどただの甘い話じゃなくって、「そのビンを持ったまま死ぬと地獄行きになり、手放すには、手に入れた時より『安い』値段で売らないといけない」っつう条件が付いてる。話の最後は、これ以上存在しないっていう最低の値段で、バカが買ったはずだ。タダで渡すのは禁止。これ以上ない最低の値段だから、その後他のだれかが買うことはできない。できないはずだった……! が!
あの裸の王様は最近、『十万分の一ドル木貨』を発行しているっ……!
このためだっ! それまでの世界最低の金よりも、更に低い価値の金をでっち上げて、悪魔の入ったビンを買い取るためにっ……!
そうしておそらく、王様は悪魔に銀の靴を探させて、靴の魔力でランプや魔法使いも手に入れた! こうなりゃできないことはないっ! どいつもこいつもヤツの奴隷だっ! 「優勝したら望みを叶える」とかほざいてたのも、自信があってのセリフだったんだ……!
「あの野郎……」
俺がそうつぶやくと、俺ににぎられたままの孫悟空が小声で言った。
「……桃太郎……。分かったかい? 今すぐ試合を中止して城に行き、王様の悪事を止めなくちゃ……」
しかし、俺は鼻で笑って言った。一応、小声でな。
「フンッ……! バカめ……! 俺になんの関係がある……! 俺に被害がおよぶわけじゃない……。負けた連中は、弱って隙を見せたんだろ。俺はやられない……。俺はもう、今にもお前らを倒して、念願の英雄になれるんだからな……!」
ハエの八戒が言う。
「信じられねえっ……! だんなっ、あの連中がどうなってもいいって言うのかいっ?」
悟空も言う。
「それに王様は、あいつらだけ手ごめにすれば、満足すると思うかい……? こうしている間にも、中庭の観客たちに魔法をかけるかもしれないぜ? この童話界の住民のだれもが、あの男の奴隷にされる可能性がある。……桃太郎、あんたはこの世界に、大事な人はいないのかい……?」
「いないねっ……! こんなガキの世界に……!」
俺はすかさず答えた。……そうだ。柴刈りジジイと洗濯ババアは他人だし、金太郎のやつはすでに俺を避けてる……。犬猿雉も、もう俺を信用してねえ……。姉貴だって……。姉貴だって、俺のことを何も……。
「桃太郎……」
「桃太郎……!」
犬たちが、そう口々に言って、俺を見上げているのが分かった。
「桃太郎っ……!」
……畜生めっ! なんでだっ! なんでその名で呼ぶっ! なんで俺を、「桃太郎」と呼びやがるんだっ……!
俺はっ……! 本当は俺はっ……!
――あんたは日本人ならだれでも知ってる、日本のだれもが人生の最初に出会う、奇想天外で勇敢なヒーローなんだよっ?――
姉貴のセリフが、脳をよぎった。
俺は歯を食いしばり、吐き気のようにこみ上げる何かを、必死の思いで飲みこんだ。
そしてとうとう、低い声で、俺はこうつぶやいた。
「……王様を……、退治する」
悟空や三蔵、そして犬猿雉たちが、ぱっと目を開いて俺を見つめた。
……なんだよっ……? ええっ? 俺がそう言ったら、なんだって言うんだっ……! 俺は人をだますのは得意だがなっ、自分がだまされるのは、がまんならねえんだよっ! フンッ! それが理由だっ! それだけだっ!
「……桃太郎、恩に着るよ」
孫悟空が言う。
「じゃ、試合は中止ってことで、俺を放してくれ。そんでもって、この刺さったままの刀さえ抜けば、筋斗雲で城までひとっ飛びさ。あんたも乗せてあげ……」
「いや、試合は中止しねえ」
俺は小声で悟空に言った。悟空と八戒が声を上げようとするが、俺は続けて言う。
「試合を止めれば王様に気づかれる。このまま人質交換をして、戦いを仕切り直すふりをするんだ」
悟空がふたたび目を見開いた。俺はそのまま、小声でまくしたてる。
「それからすぐに、俺が煙幕を張る。あんたらも隠れるくらい、大量にな。全員の姿が隠れたところで、あんたの分身の術で、ここにいる全員分の身代わりを作り、試合がそのまま続いてるように思わせるんだ。その隙に、本物の俺たちはアリスのキノコや変身で、小さくなってここを脱出する。城に着いたら王様の隙をうかがって、魔法の道具を一気に全部うばうんだ……!」
孫悟空は口をぽかんと開けて俺を見ていた。八戒の声が言う。
「ははっ! こいつはすげえや! だんなの悪知恵にゃ、だれもかなわねえよ!」
「……桃太郎。信用して、いいんだよな?」
悟空が苦笑いをしつつ言った。俺はぶっきらぼうに答える。
「バカ野郎っ。学習しろっ……! 信用するから、だまされるんだろうが……! 自分たちの運命がかかってるんだぞ? 疑いすぎるくらいで、ちょうどいいんだよっ……!」
俺の表情がおかしかったのだろうか、孫悟空はにやりと笑った。
こうして、ハエとなった八戒が、西遊記と俺たちのチームの全員に作戦を伝え、間もなくそれは実行に移された。
おとぎ話の九人のヒーローたちは、煙にまぎれて城へと飛び立ったのだ。