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6 お買い物は大須で

 綺羅様の爆弾はいつものように盛大に爆発して、また腹を切るとか父親が大騒ぎして、収拾をつけるのも一苦労だった。それが収まると洋一は再び買い物へと向かう羽目になった。小野家の分は想定していたが、それ以上は食材が足りなかった。

 急いで洋一の頭の中で献立が再検討される。四円の上に槙さんはこっそり十円札も渡してくれたので軍資金はある。綺羅様に出す以上、安っぽいものにはできない。しかし自分の腕で自信を持って出せるものは限られている。材料だって急に云われれば選択肢も限られる。せめてもう少し時間があれば。

 人が脳みそを煮立ちそうに考え込んでいるのに、後ろから無責任な声が聞こえてくる。

「あんまり凝ったものにしなくて良いよ。秋口らしいさっぱりしたものがいいな」

「失礼なもの出すんじゃないわよ」

 綺羅様も朱音も何故かついてきてしまった。まったく、誰のせいでこんなことになっていると思っているのか。

 欧州でいくらか覚えたが、まだ洋食は自信が無い。魚にしたってこうなるとアジはどうかと思うが、かといって鯛やヒラメがすぐに手に入るわけでもない。一体どうすれば。

 風のように槙さんがそばにやってくると、優しく囁いてくれた。

「大丈夫です。卵焼きさえ有れば、綺羅様は満足なされますよ」

 振り返ると菩薩様のような微笑みで見守ってくれる。感謝と共に意を決すると、洋一は魚屋の前に立った。

「親爺、アジまだある? あと二尾、いや三尾ちょうだい」

 この店で今日一番良かったのはアジだ。自分の目利きをこの際信じる。

「どうしたい。朱音ちゃんちの分を忘れてたんかい?」

「まあそんな感じ」

 くわしく説明するのも面倒だったので適当に誤魔化す。

 そのままの勢いで野菜と、何より卵を仕込む。さっさと帰ろうとするが後ろから余計な声が声が掛かる。

「大須の辺りはあんまり来たことがないんだ。案内してくれないかな」

 電報一本で済むことをわざわざ出向いたのも、やはり観光する気だったらしい。

「いやあの、魚も有りますし」

 余計なことはしないよう持っていこうとすると、槙さんがすっと寄ってきた。

「私がお店まで運びますよ」

 そういえばこの人はたしなめてはくれても、綺羅様の奇行そのものは止めてくれないのだった。諦めて洋一は荷物を槙さんに渡した。

「さあ行こう、大須と云えばからくり人形は見ておきたい」

 むしろ先頭に立って綺羅様は歩き始める。洋一と朱音はお供のようにその後に従った。

 人通りの多い大須観音の門前を進むが、どの人よりも、どの人形よりも美しい人物の道中に、いやでも耳目を集めてしまう。当の本人にその自覚がないのがさらにたちが悪い。

 信長公のからくり人形が南蛮無敵艦隊を打ち払う様を眺め、一行は境内の出店などを冷やかしていく。

 大須は洋一にとって地元であり、そこを綺羅様に案内するのは誇らしくもあり恥ずかしくもある。あちこち振り回されながらも振り返ると誰よりも美しい人が、秋の日差しの中で楽しそうに笑っている。それだけでもう、充分であった。

 あと隣で一緒に騒いでいる朱音も、こうしてみればそう、かわいいかもしれない。絶対に云ってやらないが。

「洋一君洋一君」

 そんなひとときを堪能している洋一に、綺羅が小物屋の前から声を掛けた。

「せっかくの休暇に街へ繰り出したのだ。見ているだけで退屈だろう」

 けしてそんなことはないのだが。

「なら、今日を記念して朱音ちゃんに何か買ってあげたまえ。これは上官命令だ」

 そう云って小物屋を指し示した。

「どうしてそうなるんですか」

「何を選ぶのかこう、興味があるじゃないか」

 選ぶも何も、男が女性向けの小物屋に入っても、右往左往するだけではないか。しかし綺羅様はその右往左往する様を眺めたいらしい。

「あんまり高くなくて良いから」

 後から入ってきた朱音が声を掛ける。軍資金はあるんだからと思ったが、並んでいる値札を見ると思ったより高い。

「そうは云ってもねぇ」

 一度振り返って朱音をしげしげと眺める。

「あまり派手なのが似合わない顔だこと」

 鋭くなった視線と乱暴になった言葉をいなしながら洋一は店内を物色する。

 ふと吸い寄せられるように視線が止まる。深みのある紅に、金糸が走っている組紐。色合いが良いな。洋一は己の直感で手を伸ばした。

「髪結いなんかに使う紐だよ。女の子への贈り物としちゃ悪くないね」

 店主のおばさんが声を掛けてくる。番台から身を乗り出すとそっと洋一のそばに顔を近づけて囁いた。

「で、どっち狙いなんだい。高嶺の花? 無難な方?」

 下世話なことに興味津々な笑みを浮かべている。

「そういうんじゃないよ」

 洋一は組紐の中から望みの色をより分ける。付いている値札は二円。まあこのぐらいならという値段だった。

「じゃあこれ一本」

「いや、二本頼むよ」

 後ろから綺羅が声を掛けた。

「何だか私も欲しくなってね」

「はあ」

 まあ綺羅様の気まぐれはいつものことだった。

「いやぁ、済まないね洋一君」

 困ったことにその気まぐれはいつもこちらの予想を越えていた。

「ど、どういうことですか?」

 今ひとつ意味が判らない。

「贈り物はいつだって嬉しいものだよ。私も部下から送られる日が来るとは。感慨深いなぁ」

 どうやら自分にも送って欲しいらしい。贈り物とは送られる方が決めるものなのだろうか。洋一はつい考え込んでしまった。

 槙さんから余分に十円貰っていて良かった。もしかしたらこうしたことを想定していたのかもしれない。二本を選り分けるとおばさんに渡した。

「別々に包んでね」

 更に四円も渡す。洋一と朱音と綺羅を眺めながらおばさんは組紐を綺麗に畳んで紙縒りで縛る。

「年寄りからの忠告だけどね」

 渡しながらおばさんはもう一度顔を近づけて囁いた。

「二兎追うものは一兎をも得ずだよ」

「だからそう云うんじゃないって」

 足早に洋一は店をでる。この様子では明日にはどんな噂が広まっていることやら。

「でははいご両人」

 極めて事務的に洋一は二人へと渡す。

「もっと風情ってものがあるだろう」

「情緒ってものが感じられないのよ」

 文句も一つずつ返ってくる。取り合わずに洋一はくるりと背を向けた。

 こういうときに余計なことは考えない方が良い。自分が朱音に贈り物をする意味とか、ましてやあの綺羅様に渡す意味とか。多分これはとんでもないことだとか。

 一方二人は往来で早速包を開けていた。

「はい朱音ちゃん背を向けて」

 手軽に朱音を半回転させると、綺羅は朱音の髪に手を伸ばしていた。

「髪の毛細いんだねぇ」

 そう云いながら綺羅の指が朱音の髪を掻き上げた。白くて細い指が頭皮に触れるたびに朱音が奇妙な声を上げる。

「はいじっとしててね」

 朱音の反応を気にも留めずに綺羅は朱音の髪を手早く結い上げた。もともと短めの髪なので後ろで纏めてもそれほど長くはならない。結び目を片側にずらしてボリューム感を出す。

「こんな感じかな。うん可愛い可愛い」

 そう云って綺羅は洋一の前に朱音をずいと押し出した。子供っぽいと莫迦にしてやろうと思って、洋一はつい言葉を飲み込んでしまった。

 見慣れた顔のはずなのに、髪を結い上げただけで違った一面が見えてくる。襟足って、あんな感じなのか。

 自分の視線が泳いでいることに気づいて、洋一は咳払いをする。

「まあ、良いんじゃない? そういうのも」

「なによそれ。これだから野暮天は」

 そういう朱音もこちらに視線を合わせられていない。自分の知らない一面に、朱音自身も戸惑っているのだろうか。

「洋一君、ちょっと持っていて」

 一方綺羅は片手で髪を押さえながらもう片方の手で今結わいている布をほどいて、洋一に渡した。

 そのまま綺羅は洋一から貰った赤い紐で髪を結い上げた。

「直します綺羅様」

 慌てて朱音が後ろに回った。綺羅は朱音の背丈に合わせて少しかがむ。指の先まで気合いを入れて朱音は結び具合を調整した。

 洋一は渡された布と結ばれた赤い紐を交互に見る。縮緬を帯状にして髪結い用に仕立てられていた。紫の布目が艶やかに輝いている。紐と布との違いはあるが、間違いなく上物であった。

「どうかね? 洋一君」

 結い上げて得意げに綺羅様は回転して見せた。端の房が誘うように波打って揺れる。

「良いと思います、はい」

 紐を見たときの直感はおそらくこれだった。誰かに似合いそうな色だなと。

「でも、こっちの方が上等な布ですよ」

 洋一は先ほどまで綺羅が結わいていた縮緬の布を渡した。

「なに、こういうものは気持が重要なんだ。君から貰ったものだと思えば、なんだか随分と上等に感じられるものだよ。よし、今日はこれで行こう」

 そう云って屈託なく笑う綺羅様は秋空に咲く大輪の菊のように美しかった。

「ただいま戻りました」

 いつの間にか傍らに槙さんが立っていた。

「あら、お似合いですよ」

「だろう?」

 そばに居るのが当たり前のように綺羅は応えた。

「洋一君からの贈り物だ。ほら、おそろいなんだ」

 綺羅様はそう云って朱音の肩を引き寄せた。赤の組紐が二つ並ぶ。

「槙さん、よく判りましたね」

 彼女が店に向かってからあちこち当てもなく回ったはずなのに。

「一番賑やかなところに綺羅様が居ると思いましたので」

 事もなげに云ってみせるが、生まれたときからの付き合いがなせる神秘の技なのだろうか。


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