第6話
――なら、なる……。
あン――?
――ベイクみたいなユーシャに、なる。
「――はんっ、だったらのんびり遊んで過ごせると思ってんじゃねえぞ……!」
「いっ、イヤだぁぁぁあっ」
「イヤだじゃ……ねぇぇえっ」
巨大な飛沫を上げ、益々の速度で海面を駆けるセキレイは突如として現れたベイクを前に戦々恐々、脱兎の如く。
何故なら今日は遊ばせてくれると言った筈だからだ。
ベイクはセキレイにそう言った。ただ少し、ほんの少しだけ大事な所の互いの認識が違っただけである。
せっかくの海なのだ。
海でしか出来ないような特訓の数々を、それは楽しく遊びの延長で施してやろう。
勇者としてベイクはそう思っていた。もちろん半端なことにはしたくないという親切からだし、ほんのちょっとだけ意地悪もあったが、殆どはれっきとした親切からだ。間違いない。
離れんとするセキレイに対しベイクはその場から微動だにしない。しかし彼の海面に浮かぶ右足が僅かに動いたか、波が逃れて凪いでいるそこに小さな波紋が走った。
すると突如として海がうねり、あたかも巨大な何かが潜航しているかのように海面が盛り上がるとそれはセキレイを追跡した。
それは高速でセキレイへと追い付き、その足元に潜り込むと不思議がって視線を落とした彼女を仰天させる。
「びゃぁぁんっ!?」
海面を突き破り現れたのは無数の牙。
転身すべく背後を見たセキレイであったが、そこにもギザギザとしたノコギリの様な歯が生えてくる。
挟撃――引くも進むも迫りくる牙に遮られたセキレイは咄嗟に右へと飛び退くことでその凶器の囲いから抜け出すことに成功する。
トラバサミかと逃れながらセキレイがそれの正体を知るべく振り返る。
「さっ――魚……」
サメじゃ――浜辺でフレイを椅子にする少女が告げる。
そして沖合、驚嘆を上げるセキレイの目の前でその大顎を勢い良く閉ざしたのは、一見確かに魚のようであるが立派な背びれと特異なエラを備えたそれは少女の言う通りサメ――青く透き通った、海水で出来たサメであった。
「どうした、セキレイ。呑気に泳いでちゃ食われちまうぞ」
ざぶんと海中に落下しては完全に海水と一体化し姿を眩ませてしまうサメ。波のせいで海流から動きを察知することもままならない。
半ばベイクの声に反応する形でセキレイは両手を海面へと押し付けた。かつて習った、地水火風、四大魔力の内の水の力を彼女は行使する。
するとベイクがしているようにセキレイも海面に手を浮かせることに成功し、後は陸に上がるのと同じように両腕の力で海中から沈んでいた体を引きずり出して海上へと今度は両足をつけた。
「ふむ……あの二人は水の使い手かの」
「いえ、お二人は四大全てを扱えるんです」
「なんとなんと、精々が二つ、三つですら歴史的じゃろ?」
「だから伝説なんですよ、ベイク殿は……」
「なんじゃ、世の偉ぶっておる魔法使い共が霞むのう。流石は勇者ベイクといった所か……む、ではあの女子は?」
「勇者の愛弟子……いつかは師匠も超える――らしいです」
「ほほ~……面白いヤツらじゃの」
「ところで、降りません?」
「其方には椅子の才能があるな! 妾の尻はメロメロじゃぞ」
四つん這いを維持したまま、背の上で上機嫌に笑う少女にがくりと頭を垂れて溜め息を吐くフレイ。どうやら椅子としてではあるが気に入られたらしく降りてはもらえなさそうで、彼はこの場にソレイユが居ない事のみを幸運に思うのだった。
仕方がないと気持ちを切り替え、砂浜をのんびり横断する小さなカニから視線を海へ。ベイクとセキレイへと戻すフレイ。
海では海面に立ったセキレイがサメの襲撃を飛んだり跳ねたりとして踊るように躱し続けている。
踊らされているようだとフレイは思い、ベイクへと注目するとそこではやはりベイクが愉快そうに肩を上下させ笑っていた。
「はは……まぁまぁ、悪くないな。さて、じゃあお次は……」
海を制し、足場としながら消えては現れ飛び掛かってくるサメの顎から身を翻し、時に跳び退り、身を屈めて防戦一方のセキレイ。全く楽しくないと彼女が僅かな襲撃の合間に笑うベイクを睨む。そして気付く、彼が僅かに右足を動かしたことに。
「し、シショーッ」
何をした――そう彼女が思った時、その背後で海中から飛び出したサメが宙空でその姿形を変化させる。
そして彼女の耳に届いたのは歌うような笑声。今度はそれに引っ張られてセキレイは振り返ろうとした。
「――ッ!」
しかしそうするよりも早く、セキレイの頬になにか冷たいものが触れた。彼女の瞳が傾き、己の頬を見るとそこには青く透き通った人の指があった。
直後に爆ぜるような勢いで跳躍をし、両腕をなげうち髪を踊らせながら宙返りして転身したセキレが見たのは、人らしい四肢を持ち水が流れるが如き髪を漂わせた麗人。
宙空に浮揚するそれを前に何が何なのか分からないとばかりに呆然とし困惑するセキレイとは裏腹に、フレイと彼に座る少女の表情はその麗人を目にすると明らかな驚愕を描いていた。
そしてフレイの視線がベイクの良く発達して獣の形相を描きそうな背筋へと向かう。
するとベイクの横顔が、その青い瞳がフレイに一瞥した。
「……ヴィティーヌ、かの」
「ベイク殿が召喚したんです、間違いありません。アレは――」
海の化身――水の属性の頂天にあり、それ以外は全て彼女の力の一端、片鱗に過ぎない。
水の正体そのものを召来することの出来るものなど、この世の何処を捜してもただの一人しか在りはしない。
そしてその唯一が今目の前に居る。
今にして改めて実感するその事実にフレイの胸は抑えることの出来ない高鳴りに苛まれ、その身体は熱を孕む。
それは「ケツがあちちじゃ」と少女が苦言を呈するほどであり、フレイがそれほどまでに感動する理由はもう一つ、ヴィティーヌをその目で見たからである。
偽りなき真の勇者と、何よりも信頼する魔法の権化。
それぞれを前にフレイの目から一筋の涙が零れ落ちようとしていた。だが彼の頬を伝う一滴が顎先から滴り落ち、宙空に漂った時、それは突如浮揚し海の方へと飛んでいった。
それを目で追うフレイ。
すると彼の涙はやがてヴィティーヌの元へと到達し、彼女が差し伸べた右手の人差し指へと纏わり付いてその周りを星のように踊り始めた。
ヴィティーヌはすればフレイへとウインクを飛ばした後、彼の涙へと文字通り潤った唇で口付けをする。
そして彼女は涙の回る右手を振るう。
舞い散った涙は煌めきとなり、ヴィティーヌの周囲を彩り輝かせる。直後彼女の両サイドから水飛沫が上がり、二頭のイルカが飛び出すと互いに宙空で交錯し、その奇跡が虹を描く。
開かれたヴィティーヌの口から発せられるのは“歌”。
とても軽やかで華やか、愛らしくキャッチーなそれは、この世の人々は知らぬであろう、別世界に於いて“アイドルソング”と呼ばれる類いのものである。
そんなシロモノが突如流れ出し今度呆然とするのはフレイと少女を始めとした一連の騒動を見る人々だ。ヴィティーヌを呼び出した当のベイクですら困ったように頭を掻いている始末。
曲のワンコーラスを歌い終え、感想の合間、振り付けを止めたヴィティーヌが何やら身振り手振りでベイクへと要求した。
彼女は歌を紡ぐ以外の声を持たないのである。
はいはいとベイクは小さな溜め息を吐きつつも、右手首の腕輪からリボンで着飾られたマイクを一つ取り出し、そしてそれをヴィティーヌへと向けて放り投げた。
その時である、一層巨大な、半ば爆発のような勢いで噴水が上がりそれに乗ってヴィティーヌが空へと舞い上がる。
そうして宙空を漂うマイクを彼女は掴み止め、長く伸びたリボンをなびかせながら再び着水。それと同時に曲の二番が始まる。
ヴィティーヌは正に水を得た魚のように受け止めたマイクを両手に握り口元に寄せて歌声を響かせた。
全身を使った振り付けと、水や水泡、虹とイルカ達などを使った演出も曲に合わせて派手さを増し、その極限として彼女が踊る海域に異変が生じ始めそこに海で出来た立体的なステージが完成した。
そこでそれはもう活き活きと歌い踊るヴィティーヌを前に、対峙するセキレイは呆然と佇むばかり――かと思えば縦に揺れて無意識に曲にノッている。
丸くしていた目も縦横無尽に舞い踊るヴィティーヌの姿を追っており、口元には笑みもあった。
そんな彼女をヴィティーヌの目が見詰める。
そして曲がサビに入る盛り上がりどころで生じたのは、気が付けばセキレイを取り囲んでいた水泡の爆発であった。
突如己を襲った衝撃に彼女の身体は勢い良く後方に弾き飛ばされてしまう。
セキレイは錐揉みして水面に何度も叩き付けられる身体を抑え込むべく、手を伸ばし海面を掴む。そこからもう片手も、そして両足をついて四肢で踏ん張ることでなんとか勢いを殺すことに成功するのだった。
「ッ~~……油断したっ」
「セキレイッ!!」
獣と同等の姿勢から、再び二本の足で立ち上がろうとするセキレイにベイクが声を掛けた。
勢い良く、大きな声で名を呼ばれた彼女は彼の方へと振り返る。見えたのは腕組みをし、不敵な笑みを浮かべたベイク。
そして彼は言う。
「油断しすぎだ」
「……あっ」
罠である――それにセキレイが気付いた時には遅かった。
再び彼女の周囲を水泡が取り囲む。
歌うヴィティーヌが伸ばした左手を徐に下から上へ持ち上げて行き、辿り着いた頂天で手のひらを握り締めた瞬間に水泡達が爆発を起こす。
セキレイが上げようとした声は爆発音に飲み込まれ、生じた真っ白な飛沫で辺り一面が覆い隠されてしまう。
見えるのはその飛沫による光の屈折を利用し大空に投影されたヴィティーヌの舞う姿のみ。
だが――
「……っのォッ!」
身体強化のために全身に循環させていた魔力を暴発させ生じさせた衝撃により水泡の爆発の衝撃を緩和したセキレイが無事な姿で飛沫の中から飛び出す。
彼女は突き出した右手の親指から中指までの三本を拳から伸ばし、銃のような形をそこに作ると、指先に集約させた魔力をヴィティーヌへと向けて放出。
稲妻を纏う魔力の礫はヴィティーヌへと迫るものの、身を翻しながら薙いだ彼女の左腕に連動して噴き上がった水柱に阻まれてしまう。
「だったら接近戦だ……っ!」
悔しげではあるが、セキレイの闘志は萎えていない。
ベイクがあの時見せた笑み、あれは確かに彼女を油断させるためのものであったが、もう一つの意味を持つことをセキレイは知っていた。
あの笑みには戦いを促す彼の意思がこめられているのだ。
ヴィティーヌと戦うこと。
それがベイクの意思であると知ったセキレイは小手先が通用しないと分かるとすぐに己の得意へと戦法を切り替える。
海面を迅速に駆けるセキレイを追って、歌のリズムと共に放たれる水滴の弾丸が彼女の軌跡をなぞって海面に命中。水柱を乱立させる。
追い付けていない――そう思いほくそ笑むセキレイはぐんぐんとヴィティーヌとの間合いを詰め、そして遂にステージを眼前に収めた。
そしてヴィティーヌ自身を間合いに収めるべく彼女は跳ぶ。その脚力により最後の水柱が立った。
笑みを浮かべる――ヴィティーヌ。
セキレイは知る。
彼女は己の速度について来られなかったのではないと。
人々は知る。
上空に投影された映像に大きく描かれた水柱によるハートマークを。それの最後のピースを先ほどセキレイが埋めたことを。
今まさに拳を握り締め己に飛び掛からんとしているセキレイを前に、しかしヴィティーヌは歌唱を続行しウインクすらする余裕を見せ付ける。
そして彼女は左人差し指で以てハートを描き、それをマイクを持つ右手でセキレイへと送り出す。
その図形がセキレイを直撃した直後、海上に描かれた巨大なハートは光の屈折で桜色に色付き、そして特大の水柱となってセキレイを飲み込んだ。
それと共にヴィティーヌの歌が終わりを迎える。




