第6話
「チッ、生臭ぇったらありゃしねえぜ。ダゴンのアホを思い出す」
ムカつくぜ――自宅から外に踏み出し、そう吐き捨てるベイクをたちまちに闇が取り巻き、飲み込んだ。
そうして闇にその視界の全てが埋め尽くされたかと思った次の瞬間、瞬きを終えたベイクの前に広がっていたのは見慣れた庭先もとい森では無く、薄らと水の張った、何か湖のような場所であった。
鼻先に付く磯の匂いから、湖は潮海であることをベイクは悟り、履いたブーツが傷むと嘆く。
そして同時に立ちこめる靄に磯の香りとは別に混じる生臭さ。それにより彼の脳裏に蘇るのは悪魔の軍勢が猛者の一つとされていたダゴンの存在である。
「で、この最悪な気分、どう落とし前付けてくれるんだ?」
が、少なくとも良いとは言い難い思い出に浸る趣味をベイクは持ち合わせていなかった。皮肉と共に彼は傷のある唇を歪ませ、獰猛さの垣間見える薄ら笑いを浮かべると青い瞳でそれを射貫いた。
ちゃぷちゃぷと水の上を歩く音は無数で、ベイクの四方を囲む。そして彼の正面から、靄の中よりぼんやりと姿を現したのはつい先程ベイクが頭を割ったはずの魚面であった。
しかし似てはいるが、体型がやや異なる。先ほどの魚面が肥満体なら、此度の魚面は痩せ型だ。だがその皮膚は粘液に覆われていて青白く、ぶよぶよの水死体そのものであることに変わりはない。
ベイクが尻目に己の周囲を確認すると、幾つもの魚の顔、その目が彼を注視していた。彼は溜め息を落とす。
「出来れば触りたくねえんだが、かといって得物を汚したくもねえ」
少しずつその包囲を狭めてくる魚面たちに対し、腰に手を当てうつむきがちになり体を気怠そうに揺すっていたベイクが呟く。
仕方ねえな――。
シャツの袖のボタンを外し、腕捲りを左右それぞれすると幾つもの傷が刻まれた太いベイクの逞しい腕の前腕部が露わになる。そして肩を回しながら首の骨を鳴らしたその後、それぞれの拳を鳴らした彼は、不用意にも間合いに一歩踏み込んできた正面の魚面に稲妻のような右のフックを叩き込んだ。
敢え無く錐揉みし宙を舞い、水面に叩き付けられた魚面はもんどり打って転がって行く。
「来いよ、“雑魚”ども――遊んでやる」
火の粉がちらつき、煙の尾を引きながら振り切った拳を戻したベイクが不敵に笑い、右拳よりも前に構えた左拳を解くと魚面たちに向け手招きしつつ、そして言った。
極僅かな間を空け、まるでその言葉に甘えるようにこれまでゆったりと歩み寄るばかりだった魚面たちが一斉に彼に飛び掛かる。
ベイクの口元から、その笑みが消えることはなかった。