第14話
「ダメだ、ダメ」
徐々に顔を赤くして行くエンゼリカがそのもじもじする口を開いた直後と言わず刹那、発声も許さずベイクは彼女に手のひらを突き付けると断言する。
「えっ、あ……ええ!? ま、まだ何も言ってない!」
「言わなくても分かる。態度で分かる。だから、ダメだ」
かぁっと遂に顔を耳まで真っ赤に染めたエンゼリカはそんなベイクを当然批難するし、言いたいことを言わせてもらえなかったこともあり食い下がりもした。
だがやはりベイクは繰り返しかぶりを振るばかり、エンゼリカに取り付く島も与えようとしない。
「そんっ……なぁ……」
全く譲ろうとしないベイクに、どれほどの覚悟で今日この時に挑んだと言うのだろうか悔しくて堪らなくなったエンゼリカは握り締めた両手を思わず持ち上げながら何とか言ってやろうとするものの出来ず。考え無しに開いた口からはそんな力の無い言葉しか出てこない。
悔しさと恥ずかしさは頂点に達し、すると彼女は遂にポロポロと涙を双眸から零し始めてしまう。
あーぁと茶化すルシファーはこの際と無視するベイクであったが、やはり目の前でいたいけ――と言うよりは帝国の人間は皆殺しだなどと息巻いていたはずの者がこのような理由で泣き始めると困ってしまい、つい話だけでもと譲ってしまいたくなる。
そんなお人好しでちょっと意気地なしな自分を、そんな甘ちゃんだからいつも貧乏クジを引くハメになるのだともう一人のベイクが叱る。
「な、泣いたってダメだぞ。ムリだからな。オレはだって、アレだ……あの、いつまで居られるか分からないし」
もはや気取った口調も出ないで、眼前で涙する少女にベイクは口でこそ辿々しい、今思い付いたようなお粗末も過ぎる言い訳をするもののその様相は顔中に汗を浮かべおどおどとした、実に挙動不審なものであった。
そんな魔導の民たちにとってはやれ英雄だの勇者だなどと持て囃されているベイクの情け無い姿に、それを見るエンゼリカの付き人や侍女らは白々しい目を向ける。
冷たい視線や相変わらず泣くエンゼリカを前に、ベイクはぐっと怯んでしまう。ここぞと彼女の想いをせめて聞くべきだと頭の中のベイクがベイクに告げる。
「いつまでって……もう一年になるじゃない! どっか行っちゃうならもっと早くどっか行っちゃってよ! ベイクがそんなだから私……私ぃ……ぅえっ」
「だぁぁあっ! だから! だからな? 本当に分からねえんだってばよ。オレは色々あってフツーじゃないと言うか……ぁあ、クソ……フォルトゥナのヤツ……」
「誰よぉ、フォルトゥナってぇ!! 他に好きな人が居るなら言いなさいよぉ!! 卑怯じゃないのぉぉ!!」
やっぱそういう話なんじゃねぇか――とうとう慟哭を挙げ本格的に泣き始めたエンゼリカについ思わず反射的に突っ込んでしまうベイク。
その瞬間だけピタリと泣き止んだエンゼリカであったが、またすぐじわじわと瞳を涙で波立たせると「バカにしてぇ!」と却って大泣きしてしまう。この場合、ベイクが泣かせたわけであるが。
茫然自失。
おいおいと泣き声を挙げるエンゼリカの怒りやら悲しさやら恥じらいやらを乗せた、何なら魔導も乗っけて見た目以上に重く鋭い拳を腹筋に繰り返し受けるベイクの目は虚ろであった。
決して自国の民や、帝国の人間には見せられないような姿をエンゼリカに曝させてまで拒否し続けようとするベイクを、彼女の付き人たちの冷ややで責めるような視線が刺す。
もう付き合いきれねぇとベイクが甘い自分を律しようと創り上げた人格が匙を投げ消える。それはつまりベイクが折れたということであった。
自分の運命とそれを押し付けたフォルトゥナを今ほど強く恨んだことはベイクには無かった。そして待っていると言ってくれたレアの事を思い出すと、申し訳なくてホロリと一筋の涙が彼の頬を濡らした。
――良いじゃないですか、少しくらい。
無責任なルシファーの、明らかにコトを面白がっている調子の声が頭に響き渡った。彼の悪魔らしい一面である。
そんな彼のこともついでに恨んだベイクは、しかしせめて自身の“フツーじゃない”所を知ってもらってからエンゼリカには判断してもらおうと考えた。
そしてベイクの両手がそっと、拳を繰り出し続けているエンゼリカには双肩に添えられた。無論これ以上殴られると流石に腹筋が耐えられないから止めてくれという意思表示である。
思惑通り拳を止めたエンゼリカがグズグズになった顔でベイクを見上げる。彼はそんな彼女の目元にそれぞれ両手の親指を近付けると涙を拭ってやりながら言う。
「エンゼリカ……せめて一つ、知っておいてほしいことがあ――」
「良いわ」
「……何も言ってな――」
「良いって言ったのよ」
そういう事じゃない――と自業自得に襲われ敢え無く崩れ落ち、ガクリと草原に両膝と両手をつくベイク。そんな彼の前で以て自分で涙を拭ったエンゼリカは「貴方の事ならなんだって受け入れるわ」とそれは頼もしく宣言した。
「いや……だからオレは不死――」
――その時、若い侍女の一人から悲鳴が挙がった。
ベイクがそれにうつむかせていた顔を跳ね上げて様子を伺うと、侍女や付き人たちはおろかエンゼリカもまた驚愕した表情をして空を見上げている。
何だ――ただならぬ様相に、それまで情け無かったベイクの表情がらしく引き締まった。そして皆を庇うことの出来る位置を心掛けつつ立ち上がると、特になくてはならない存在であるエンゼリカを背中に隠す。
そうして彼が見上げた空に開いたのは、逆さまの竜巻――否、虚空に開いた巨大な穴であった。竜巻はそれがこの世のものを吸い込んでいるがために起きているものであった。
それを見たベイクは血相を変えてエンゼリカへと振り返り、膝をつくと彼女の肩に手を起きながら自分を見るようにと促す。彼女の白黒する瞳が彼を向くと、そして彼は言った。
「いいか、エンゼリカ。お前ならきっと世界を良い方向に導ける。お前と、ドゥームなら……きっと」
「え……ベイク……なに、言って――」
「時間は掛かるが、きっとだ。賭けても良い。だから絶対諦めるな。諦めそうになったら素直に誰かを頼れ! 友達とか作ったり、ドゥームとかでも良いし……ああっ、クソ! なんならオレでも思い出せ」
ちょっと――狼狽するエンゼリカの前でベイクの身体が浮かび上がり始める。それはまるで虚空に吸われているかのようであって、逆さの竜巻もまた彼の方を向いているのである。なのにベイクしか浮かばないし、吸われていない。
まさかとエンゼリカは慌ててベイクの手を掴まえると、侍女に付き人、兎に角この場の全員にベイクを掴まえるように声を張る。
「あとは……あと、“イイヤツ”は多分オレじゃなくても沢山いるハズだ。だから生涯独身みたいなヘンな考えは起こすなよ! オレが悪いんじゃないからな!!」
「貴方が悪いに決まってるじゃない! だって私、私……!」
「ドゥームにヨロシクな! 仲良くやれとは言わねえが、みんなのためになることをしろよ、女王サマ!!」
皆がその手を伸ばしベイクを掴まえようとした時、寸前で彼の手はエンゼリカの小さな手からすり抜けた。
瞬く間に竜巻の中へと飛ばされて行くベイクを追い掛け、制止も聞かず、転びながらも地を走るエンゼリカは必死に何かを叫んでいた。
それをぐるぐる回る視界に何とか捉えながらベイクは、少し名残惜しそうに笑うと言った。
「“あばよ”だ、エンゼリカ。好きだったぜ、お前のこと」
轟――嵐が過ぎ、静寂が暗黒と共にベイクを呑み込んだ。




