第10話
「セキレイたち、行っちまったね」
三人を見送った後、店内へと戻ったソフィはカウンターに腰を預け伏せた目で自らの手を意味も無く見下ろしているレアへと告げた。
すると彼女は顔を上げ、ソフィへと苦笑すると言う。
「仕方ない、どうせなに言っても聞きやしないわ。だってベイクだもの……」
その調子は仕方無しと諦めをつけてさっぱりとしたものであったが、ソフィには彼女が無理をしていることがすぐに分かった。
「言っとくけどね、バレてるよ」
肩を竦め、膨らませた頬の中から少しずつ、唇を鳴らして空気を吐き出したソフィ。空っぽになった口で彼女が紡いだ言葉にレアは目を白黒させながら「何が?」と問うた。
「アタシがレアならベイクのヤツのことボコ殴りにして無理矢理にでも言うこと聞かせるけどね。普通、放って行く?」
「えと……ソフィ?」
「逆ギレしてきたらこう言うんだ。女《《子供》》を殴るのかってね」
それを聞いた直後、ギョッと両目を剥いたレアは思わずカウンターから離れ、表情を引きつらせ始める。薄らと汗も滲んでいた。
「ど、どうして……?」
「はん、見てりゃ分かるよ。気付いてないのなんてフレイとセキレイのウブちゃん二人くらいじゃ……じゃあなんだい、ベイクのアホは気付いてて行っちまったのか!?」
レアの問い掛けに相変わらず肩を竦めながら答えるソフィであったが、すると今度ギョッとしたのはソフィで、彼女は自らの発言で気が付き悔しそうに地団駄した。
それを眺めながらいよいよ諦めたらしいレアが溜め息を吐いて、再びカウンターに腰を預けた。
そして落ち着いてと荒れるソフィへ言うものの「これが落ち着いていられるかい。今からでも遅くないよ、引き摺り戻してやろう」と店を出て行こうと彼女を見かね、レアは手中に出現させた小さな杖を振って扉に鍵を掛ける。
まんまと開かない扉に引っ掛かり、顔面をそこに張り付かせたソフィはガチャガチャと開かない扉のドアノブを上下させながら「なんでさ!?」と問う。
「これは、私のわがままだから。これであの人が思い留まってくれたらな、なんて思わなかったわけじゃないけれど……こうなることも、分かってた」
ドアノブから手を放したソフィはしゃべり出したレアへと向き直り、小さく彼女の名を呟く。
そして理解する。
あの時、彼女がベイクへと言った“帰ってこい”との言葉の真意。それと、ベイクが返した分かったとか、仕方ないとのあの言葉の真意を。
「……なんで、さ……分かってて、どうしてさ……」
見る間にソフィの眉間へと深い皺が刻まれて行く。納得いかない。そんな表情を隠すこと無く彼女は浮かべる。
「あの人の……ベイクの望みなんて知ってたわ。ずっと、ずっと前から。でももしかしたらって、七百年間、もしかしたらって待ち続けた」
けど――レアはそこで言葉を途切れさせると、鼻を小さく啜り、右手の人差し指で左目を擦る。そしてその手を己の腹部へと添えると、続きを話した。
「ベイクは、ベイクのままだった。嬉しかったわ。だけど……だからやっぱり、私じゃ無理なんだとも分かったの」
納得など出来るはずも無い。レアガ語る心境。それにしかしソフィの表情は晴れることは無かった。もの言いたげな唇がツンと尖り、震える。
だが彼女が何かを言う前に、レアが先に彼女に笑い掛けて言った。明るく、やはりさっぱりとした調子で。そしてそこに涙などは無かった。
「だから、せめて七百年分のツケを払ってねって、ついわがまま言っちゃったの。だから、十分――」
十分なものか――ソフィが咆えた。
しかし、レアの表情は変わらない。きっと全てを受け入れているのだろう。もはや自分が何を言ったところで意味など無いことをソフィは知る。
だから泣いた。
それが自分に出来る事だと、彼女は泣くのであった。
それを見て驚いたように、泣かないでと慌ててあやそうとするレアであったが、ソフィはその場から跳び退り、店の奥へと逃げながら「バカ言ってんじゃ無いよ、アンタのせいだからね!」言って姿を眩ませるのであった。
少なくとももう、ベイクを連れ戻そうなどとはしないはず。レアはそう思い、一息吐くとこの場に居ないソフィへと告げる。
「……ありがとう」
そしてその目を窓の向こうへと向けた。
早朝も早朝。ベイクたちを見送った朝靄は何処かへと消え去り、昇り出でた太陽が差し向ける陽光が眩しく、荒れた街の風景を照らし出す。
窓辺に寄って、差し込む光の中へと入ったレアは空を見上げながらただ祈り、願った。
――どうかその想いを、遂げられますように。
――どうかこの想いが、彼の力となりますように。
――どうかその最期が、心安らぐ瞬間でありますように。
彼女はまだ、泣かない。




