第2話
一
揺れるハンモックの上、呼んでいた小説にも飽きたベイクはそれを顔に掛け居眠りをしていた。しながら、いつの日かの事を夢として思い出していた。
「久しぶりだな。千年とちょっとぶりか?」
真っ白な空間の中、大剣を肩に掛けた黒鉄の鎧姿の男が言う。ベイクだ。悪魔と渡り合うため、サタンから別れたルシファーにより鍛えられた、悪魔の力を宿す鎧である。
しかしそれも、ルシファーを取り込んだサタンとの戦いで今や半壊している。
割れた兜の半分から顔を覗かせたベイクは白一色の周囲を見渡しつつ言う。すると返答があった。
「よくぞ魔を打ち払いました。勇者よ」
穏やかな女性の声だ。声のした方にベイクが向く。顔を上げると白の中で更に輝く光が発生し、彼の顔を照らす。
そして眩しさに彼が目を細める中、光にはやがて白以外の色が付き、人の形を成す。次の瞬間にはそこには、白金の長髪をなびかせた、白い翼を持つ女性が居た。
宙に浮いたその女性は女神フォルトゥナという。少なくとも、ベイクは彼女から直接そう伝えられていた。
彼は彼女へと鼻を鳴らして笑う。
「それがオレの役目だろ。いい加減、飽き飽きだけどな」
鎧はベイクの意思により可動し、彼は言いながら兜を外そうとするもののひしゃげた部品のせいか上手く動作しない。彼は舌打ちをした。
「その通りです、ベイク。人々の祈り、願いを束ねた結果誕生した貴方の運命は人々と人々が住まう世界の救済。人が生まれ出でたその時より、現世に生きて行くことが運命と定められるように、貴方も勇者として、救世の英雄として戦わねばなりません」
「はっ、うんざりするぜ」
吐き捨てるように言ったベイクへと、フォルトゥナはその手を差し伸べる。彼女の体すら包む広大な半透明のヴェールが揺れ、光芒が手のひらより放たれベイクに降り注いだ。
するとベイクを包む鎧が瞬く間に修復されて行くではないか。左肩口から脇腹までを袈裟斬りに引き裂いた爪痕も、剥離し消失していた右肩の装甲も、無論兜も元通りである。
そうすると、ようやく鎧はベイクの意思を反映して兜を彼の頭から背中側へと折り畳み収納した。「なんでもありだな」皮肉を言うベイクに、フォルトゥナはいつも浮かべている微笑みのまま告げた。
「もし、もしも貴方がその運命から逃れたいとそう言うのであれば、新たな救世主を見付け育てることです。これより数百年の内に神の子は現れることでしょう。私が貴方にしてあげられることはこのくらいです」
「自分の責任を誰かに擦り付けろってワケか。大した報酬だ。フォウグやサタンをぶち倒したところで、人が生き続ける限り悲劇は無くならん」
「ええ、その通りですよ、ベイク。人の業、負の感情が持つ力は積もり積もって、いずれ強大な悪意を生み出します。例えそれがどのような形であれ……」
何が言いたい――ベイクは火傷の残る顔をフォルトゥナへと向けると、その青い瞳で睨んだ。フォルトゥナは続ける。
「サタンの率いる悪魔が次元の彼方から現れたように、人を苛む悪意は手段を選びません。悪意そのものが、そう、あの魔竜フォウグのように形を成して手を下すとは限らないのですよ、ベイク」
「……今度は何が、やって来るって言うんだ?」
ベイクの問いかけに、フォルトゥナの閉ざされていた両目がおもむろに開かれ、その奥の黄金の瞳が彼を見下ろした。そして彼女の笑みを形作る唇が告げる。
「深き場所から湧き出る、暗きものたちとその“神”」
それを聞いたベイクはついと笑ってしまいながらも、しかし冗談などとはからかうことはなく代わりに「そうきたか」と鼻から溜め息を抜きながらうつ向きがちに呟いた。
やがてフォルトゥナの体が光へと戻ろうとし出した。白い空間も全てである。ベイクの視界はそれに覆われ眩もうとしていて、目を細め闇に閉ざされようとするその視界で必死にフォルトゥナを捉えようと彼はした。
「本当に、オレがオレの運命から逃れるにはそれしかないのか!?」
「――捜しなさい、新たなる運命を。そして育みなさい、強き力に」
貴方に勝るとも劣らない力へと――ベイクの悲痛な叫びに対するフォルトゥナの返答はそれであった。そして遂にベイクの視界は闇に閉ざされる。