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第3話


 慈悲を――そう叫びながら男は目覚めた。

 その拍子に無数の藁と羽根を撒き散らし、飛べない肥えた鳥たちが彼の周囲を跳ね回る。


 藁に塗れた男は己の状況が理解出来ない。

 光に満ち、清涼とした空気の中に混じる家畜の臭い。

 遠離っていたはずのかつての幸せが、今彼を包んでいた。


 男が見渡すとそこは確かに小屋だった。

 鳥を囲っておくための小屋だ。


 床材の藁に桶の水、小さな粒のような穀物が敷き詰められた巨大な器。いくつかの鳥は逃げ惑った挙げ句にその中に入って散らかしていた。


 男は乱れた呼吸を次第に整えて行く。

 すると体中に滲んだ汗が彼を冷やした。おかげで落ち着くことが出来る。


 警戒してよそよそしく己を見ている鳥たちを男もまた尻目にしながら、立ち上がり小屋の出入り口としての扉の前に近寄った。


 中がよく見えるようにだろう網目の格子が木組に張り巡らされた扉の向こうには、二階建てのそれなりに立派な家の後ろ姿が見えた。屋根には土が敷かれ、雨避けに植えられた草木が良く育っている。


 しかしほとんど木造で所々にしか石材が使用されていないことを鑑みるに、作りの荒さもあって男にはそれが、家造りを生業としない者が手造りしたものだとすぐに分かった。


 男は網目に手を掛け、扉を押す。

 がしゃがしゃとうるさく鳴るばかりで開かなかった。見てみると表側に丈夫そうな鎖を咥えた錠前がぶら下がっていた。


 どうして自分はこんな所に入っているのか、彼は己の記憶を辿ろうとする。

 嫌な記憶ばかりだ――頭痛を堪え、最も近しい記憶を見る。闇に追われながらも大陸に渡り、その内陸に向かった後、森の中をまたしても闇に追われたこと。馬を失い、見付けた灯りに縋り付こうとした。


 ――では此処が?


 男は靄の中に閉ざされた己の記憶からの旅を切り上げ、誰か呼ぼうと声を挙げた――


「わおっ、起きたのか」


 そして挙げようとした声を失う。

 そこに居たのは白金の長髪をなびかせた乙女。その姿は己がひたすらに見上げ続けた、そして慈悲を乞い続けた女神そのものであった。


 男はその姿を金網越しに呆然として見詰め続けた。

 白金の髪の乙女もとい、今日はTシャツとオーバーオールを穿いたセキレイはそんな男の熱視線を受けて困惑し、訝しげな表情で彼を見ていた。


「ちょ、ちょっと……ちょっと、シショー! シショー!!」


 あまりにも見られているもので遂にいたたまれなくなったセキレイは手にしたザルで顔を隠しながら、今は庭先で日光浴しているはずのベイクを呼んだ。これだけ声を挙げても男はまだ彼女を見ている。


 遠巻きに気怠そうなベイクの声が小さく届き。取り敢えずは来てくれそうだと分かったセキレイはザルの網目越しにちらと男を見る。彼の紫色の瞳はやはり彼女に向けられていて、穴が空きそうだと思うのはこういうことかと初めて彼女は具体的にその言葉の意味を理解した。


 試しに右へ動くと、男の眼球も右へ。

 そして左に動くと、やはり男の眼球は左に動いた。


「……いったいなんだ?」


 そうこうしている内に、セキレイの所に濃紺のレンズが透明な枠に収まった丸眼鏡――つまりサングラスのこと――を掛けた、いつも通りシャツとジーンズ姿のベイクがやって来る。彼が彼女に声を開けると、彼女はひそめた声で「助けて、シショー。穴が空きそう……」そう言った。


 七百年にも及ぶ次元漂流の内、辿り着いた世界で手に入れてきたというベイクの珍品の一つであるそのサングラスを彼は傾け、セキレイの言う通り自分が現れてもお構いなしに彼女を見ている男に彼は眉をひそめると、敢えて視線を遮らぬように横から小屋に近付いて行く。


 何をするつもりかと嫌な予感を覚えつつ、セキレイが見守る前でベイクは扉の真横に立つと突如として勢い良く、その扉の金網を平手で叩いた。ちょうど男の顔がある辺りだ。


 金網の奏でるけたたましい音と、男とそして鳥の悲鳴。

 男は鳥たちの逃げ惑う小屋の中に尻餅を付いて倒れてしまった。


「ちょっと!? やり方――」


「よお、お目覚めの気分は?」


 当然批難するセキレイであったがベイクは構うことなく、まだ揺れている扉の前に男と目線を合わせるつもりで屈み込んではサングラスを取りながらその青い瞳で彼を見詰めるないし睨んだ。


 男は激しい動悸に見舞われているらしく、胸を押さえ鳥と同じように忙しなく首を左右に動かしながら、丸く見開いた両目でようやくベイクを視界に認識すると今度は彼を見詰めながら口を開いた。


「め、女神が居た!」


「アイツのことなら多分それは見間違いだと思うぞ」


 男の発言にベイクは笑いを堪えた表情をして、肩越しに親指で背後に居るセキレイを指差して告げる。「見間違いなもんか!」と彼女の投げたザルがベイクの頭に被さった。


「此処は、神の国なのか!?」


 明らかに混乱している男を前にベイクはザルを被ったまま立ち上がると、振り返りセキレイを見ながら言った。


「どうやら悪い夢を見てるらしい。家に入れて、水の一杯でも飲ませてやるとしよう」


「シショーがあんな所で寝かせるからでしょ」


 ベイクは鼻で笑って、頭のザルをセキレイへと返しながら家の方へと戻って行く。


 ボクは死んだのか――そう飛び込んできた鳥を掴まえ話し掛ける男に彼女は溜め息を落とすと、オーバーオールに設けられた大きなポケットの中から鍵を取り出した。

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