第9話
女体の怪異は頭部から生えた幾つもの触手を規則性無く、そして猛烈な勢いと速度で以て振り回し、徒手格闘の間合いで戦うベイクを寄せ付けない。
ベイクは触手を掻い潜り、回避できないものは防ぐなり拳や蹴りで弾き返し危なげなく怪異の猛攻を凌いで行く。
しかし近づけなくては埒が明かない。そんな風にベイクは――思ってはいなかった。
腰を屈め、半身を引き、背を撓らせ、次々と迅速なる触手をベイクは躱し続けて行く。
始めはその野性的に鋭い勘から避けていたものが、彼の目は次第にその動きを追えるようになる。彼の両目は触手の動きを完全に捉えていた。
「行くぜ……?」
僅かに身を引いたベイクの鼻先数ミリを触手の先端が過ぎて行く。更に襲い掛かる触手をベイクはもはや見るまでも無しにその手で鷲掴みにした。
すぐさま絡みつき、彼の手を握り潰そうと力を加えるそれに抗うようにベイクもまた己の手に力を込めつつ、捕まえた触手をぐいと手繰り寄せた。
その動作は何の気なしで、一見軽々としていた。しかしその実、発揮された力は相当なものであって、怪異は抗う暇も無くベイクの方へと引っ張られてしまう。
どうすることも出来ず宙を舞い、己の意思とは無関係にベイクへと迫って行く怪異を前に彼は不敵な笑みのまま「意外だったろ?」とそれに告げると燃える拳を怪異の歯だらけの顔面に叩き付ける。
「ぶっ飛べぇ!!」
そしてその拳をベイクが振り抜くと、怪異は突風に吹かれた枯れ葉のような軽々しさと呆気なさで元いた場所以上に遠くまで飛ばされていった。
ベイクは止まらない。
彼は己の右腕を水平に持ち上げ「面白いモンを見せてやる」と言った――その直後であった。
――シショォォオーッ!!
「なんだと……!?」
その声にぎょっとしてベイクが己の背後を見る。
魚面たちに埋め尽くされている彼方、闇の中からけたたましい鳥のさえずりの響きが近付いてくる。
声や音だけではない、迸る青色の稲光もである。
バカな――唖然とするベイクの前に、魚面の包囲網を外側より破り突入してきたのは稲妻を纏う閃光そのものであった。
流星の如くベイク目掛け直進してくるその青い閃光は、しかし包囲を食い破った時点でその前進に急制動を掛ける。
雷ののたうち回る甲高い音色の下、水飛沫を上げながら速度を落として行くと共に纏う閃光が薄れて行き、やがてベイクのすぐ後ろまで到った時点でそれは完全に停止。そして閃光から姿を現したのはなんとセキレイであった。
「バカヤロウ! どうして来た!?」
「どうしてだって? そんなのシショーを助けに決まってる!」
開口一番に罵声を発したベイクの問い掛けにセキレイが当然とばかりに答えた。
彼女は背中を彼に預けながら、手にした細身で反りの無い片刃の剣の切っ先を魚面たちに突き付け構える。ベイクが言った。
「お守りしてろと言ったはずだ!」
「そんな風に言ってなかったろ! シショーのそういう所がテキトーなんだって私は言ったのに!」
「テメエこそ、そんな風に言っちゃいなかったろうが!」
ふんだ――と言い返す言葉が出てこなかったのか最後のベイクの指摘にはそうやって鼻を鳴らし突っぱねたセキレイに、彼は「仕様の無えヤツだな」と呆れるばかり。
しかしそれにはセキレイも「お互い様でしょ」とここぞとばかりに言い返し、今度はベイクが鼻を鳴らした。
だが彼は背中合わせのセキレイに、彼女にはどうせ見られていないからとその顔に満更でもなさそうな笑みを携えていた。大人しく聞き分けの良いただの優等生など彼は望んでいないからだ。そして告げる。
「こうなりゃ是非もねえ、雑魚処理はお前の仕事だ。任せたぞ、セキレイ。このバカ弟子が」
「了解。任せてよ、シショー!」
そうして魚面の只中に、再び稲妻を纏い閃光と化して突撃して行くセキレイを尻目に見送ったベイクは、すっかりその体勢を立て直してしまっている女体の怪異を改めて見遣る。
――それでもまだ距離はある。触手は届かない。
歯を剥いてベイクが笑う。その笑みは獣のように獰猛だった。
そして怪異へと彼は告げる。待たせたな――と。
再びベイクは右腕を持ち上げ、叫んだ。
「出番だぜ――ドラゴントゥース!!」




