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射撃手達の聖夜

作者: 鈴久 育

そういえばこんな手持ちもあったことを、クリスマスが終わった今思い出しました。

 


 青春の対義語は、真っ赤な秋で良いのだろうか。

 大学に入って二年目も、もう八割超が過ぎようとしている。ついでに秋も行き過ぎて、気付けば現在は十二月、紛うことなき冬だった。

 空気の篭った講義室に、不協和音なチャイムが響く。窓の向こうは重々しい曇天で、閉塞感に息が詰まりそうだ。昔から、冬の曇り空は苦手だった。

 軽い憂鬱を憶えながら、俺は手早く荷物をまとめる。鞄を背負った瞬間に、背後から声が掛かった。

「あーさーくらー!」

 ──誰だよ、面倒臭い。

 内心そうは思えど、長年の条件付けが刻み込まれた表情筋は、脊髄反射の速さで笑みを作る。

 駆け寄ってきた阿呆面は、成程良く見る顔ではあった。確か英語が一緒のクラスだ。いや、二外だったかも。ともあれ、コイツの名前は何だったか。

「おう何だよ、随分元気じゃん?」

「それがさー聞いてくれよー」

 可能ならば誠心誠意お断りしたい所だ。しかし言うまでも無く、この場合の「聞いてくれ」はお願いではなく話の枕だ。俺に選択の余地など無い。阿呆面は当然のように話を進める。

「いやな、こないだ高橋がな……」

 そうして阿呆面は愚痴染みた、何処かで聞いたような話を続ける。俺は何となくそれを聞き、何となくでそれらしい反応を返した。

「うわ何それ、マジか」

 文脈から驚いてはみたものの、問題の高橋君について、俺は一切の知識を持たない。高橋と言う苗字に聞き覚えすらなかった。

 しかし当の阿呆面は俺の反応に満足したようだ。ひでーだろー、とひとしきり笑うと、ころりと話題を変える。

「しっかし、クリスマスイブまで授業ってのも華がねぇよなー」

「ホントになー。折角クリスマスだってのに」

 相槌になっているようで、その実同じセリフを繰り返しているだけ。心理学的には正しい応対だ。

「で? 遠理(とーり)君は明日のご予定は?」

 阿呆面が、妙に下卑た笑い方で訊く。俺はそれに、求められているだろう答えを返す。自分の顔に茶化すような笑みが浮かぶのが分かった。

「バッカ、この俺が空いてる訳ないだろー?」

 まるっきりの嘘、という訳でもなかった。クリスマスは俗世から離れて家に籠って、一人でゆっくりすると決めていたのだ。久し振りの全日休、その為にバイトも空けたし女子の誘いも断った。引き籠る準備は万全だった。

 なおも話を続けようとする阿呆面を、用事があるからとあしらって、俺は一人で講義室を後にする。そのまま早歩きで講義棟の外に出た。容赦なく吹きつける冷気に、急速に頭が冴えていく。

 冷静になった途端、精神的な疲労に襲われた。実に中身の無い会話だった。ついでに興味も利益も無い。そんな話に笑いを返す俺自身には、思い返すにつけ強烈な違和感を覚える。だが、それが不自然だとは言い切れなかった。

 いつもそうだ。意に反しての言動という訳ではない、少なくともその場では、思いつくままにリアクションを取っているつもりだ。だが一度その場を離れてしまうと、そこに中身が伴っていなかったことに気付く。自然に取った筈の態度が、取り繕ったものにしか思えなくなるのだった。

 我に返るのにも似たそれは、所謂「青春らしい」楽しみを片っ端から脱色していく。俺の手元に残るのはいつも、人間関係への倦怠感と、相手に対する一抹の罪悪感だ。

 お陰様で、大学に入ってからの俺の人間関係は実にお粗末だった。しかし、それ無しには社会的に立ち行かないのもまた事実だ。

 ──ああ、生きるのって難しい。

 膨らむばかりの憂鬱に、もう帰ろうかと手首を見る。デジタルの文字盤が簡潔に情報を表示していた。十二月二十四日金曜日、四時三十五分。その曜日の表示に目が留まった。

 金曜日。俺にとっては部活の日だ。しかしあくまで自主練であり、出席の義務は特に無い。

 しばし迷って、取り敢えず顔を出す事に決めた。練習をしに、ではなく、練習をしに来る奴の顔を見にだ。部活の知人は、俺が顔と名前を一致させられる数少ない奴等だった。

 となると、地区移動をせねばならない。

 目指すは中央体育館脇、体育センター。ここから実に約一キロある。この大学は無駄に広くて敵わない。

 移動には自転車というのが定番だったが、先程の気疲れも手伝って、今日はバスに乗る事にした。

 木枯らしに晒されながら待つこと十分。五分遅れの通常運転で、学内を循環する路線バスがやって来た。有り難い事に、罪悪感無しに座席に座れる程度の混み具合だった。

 バスに揺られながら携帯のアドレス帳と睨めっこをしたが、結局あの阿呆面の名前は思い出せなかった。


  ***


 大学構内にライフルの射場なんてものがある事を、ウチの学生は殆ど知らない。だがしかし、ライフル射撃部に所属していると言えば、大抵の場合「ああ、あの!」と返される。我がライフル射撃部は、入学当初の勧誘や配布された部活案内冊子において一度は目を引いたものの結局行かなかった部活動、という微妙な立場で、そこそこの知名度を誇っていた。

 そんな部活に、勧誘もされていないのに自力で辿り着き、その日の内に入部までした物好きが俺だった。元から興味があったのに加え、練習の大半が自由参加の自主練習であるというのが性に合っていた。

 室内射場は体育センター一階にあり、銃を保管するという防犯上の理由から、普段は施錠されていた。入るには警備員に鍵を開けて貰う必要がある。

 俺は一度警備員室をスルーして、建物脇の通用口から中を覗いてみた。開け放たれた入り口からは光が漏れ、上の方には射撃中を示す小さな赤旗が掛かっている。予想通り、練習熱心な先客が居るようだった。

 部屋の前で靴を脱いで、所謂バックヤードに入る。真正面に鎮座するのは銃を保管するロッカールームだ。ルームと言っても部屋の一角に並んだロッカーを囲っただけのもので、その外壁は金属製の黒い檻である。全身で物々しさを主張するその佇まいを、俺は少し気に入っていた。

 そのロッカーを今日は素通りし、俺は入って右手の覗き窓の向こうを窺う。俺の腹のあたりから天井まで、横は軽く両手を広げた以上をくり貫いたその大きさは、窓というより引き戸に近い。部屋の使用時にはここを開け放すのが暗黙の了解だった。

 窓の向こうは所謂射撃場である。そこには見慣れた顔が二つ。とは言え、互いに会話は無いようだった。設えられた六つのレーン、その両端に陣取って、二人の射手は黙々と銃を構えている。鉛玉が鉄板に当たる小気味良い音だけが、断続的に響いていた。

「お疲れーっす」

 邪魔にならない瞬間を見計らって声を掛ける。右端の射手が、銃を置いてこちらを振り返った。窓枠に腕を置き、俺は彼女に向けてひらひらと手を振る。

「よ。景気良いねぇ、マミちゃん」

真実(まさみ)です」

 鮮やかな緑と白の射撃用スーツに身を包んだ彼女は、不服そうに口を尖らせる。媚びた風でもなく、むしろ微笑ましいものだ。俺はその様子に苦笑を零す。

「はいはい、お堅いなあマサミちゃんは」

 成世真実は同期の射撃部員で、所謂無難な子と言う奴だ。やや地味目の、落ち着いた優等生タイプ。それなりの茶目っ気や洒落っ気は持ち合わせているが、進んで発揮するという事も無い。端から見ても、心穏やかなままいられる奴だった。

 彼女はぎこちない動きでこちらに歩み寄ってくる。生地の堅い射撃スーツは、着て歩くだけでも一苦労だ。

「悪いけど朝倉君、そっちの標的取って貰えます?」

「はいよ」

 その恰好で狭い通路を歩かせるというのも気が引ける。俺は一つ頷いて、バックルームから手近な紙標的を数枚見繕ってやった。

 標的や弾丸を筆頭に、射場には必要な書類や用具のカタログ、スーツの予備など、部の備品が全て置いてある。故に相当な広さを持つ筈なのだが、体感としては正直手狭だ。恐らくロッカーの存在感と、的から射撃位置まで十メートルの実質的な立ち入り禁止区域のせいだった。

「ん、どーぞ」

 バックヤード側から窓越しに、標的の束を手渡す。

「ありがとうございます」

 成世が笑うと同時に、ぱかん、という金属音が響いた。勿論彼女ではなく、もう一人の射手だ。

 射場の左端に陣取った彼は、俺が声を掛けた瞬間にこちらを一瞥したきり、何事も無かったかのように射撃を続けていた。その背後の窓枠に使用済みの標的が積んであるのを見つけ、俺は何となく、彼の得点を数えてみる。

 ライフル射撃は立射の場合、十点満点掛ける十発、計百点満点が一シリーズだ。彼の記録は四シリーズで九十六、九十九、百、九十八。

 いっそ馬鹿じゃないかと思う。

「……こりゃ凄い」

 つい本音を零せば、一応聞こえているらしい彼が平坦な呟きを返した。

「別に。今日は調子が良い」

 そうして数秒息を詰めると、躊躇いも無く引き金を引いた。俺は備品の単眼鏡で的を確認する。十点。しかし当の本人はと言えば、点数など気にも留めないまま、標的交換機で的を回収する。

 張られたワイヤーが機械仕掛けで巻き取られ、ど真ん中に穴の開いた紙標的が返ってくる。彼は無感動にそれを取り外し、新しいものと変えた。

「流石だねー主将、頼りになるう」

 軽薄な俺の台詞に応えるように、彼が交換機のスイッチを入れる。小さな機械音と共に、標的がするすると進んで行った。

 この寡黙な魔弾の射手は、その名を芦原和生という。

 俺に言わせれば、彼は聖人のような男である。常に物静かで冷静で、おまけに素直で純粋だ。後は可愛げさえ身に付ければ、天使に昇格してやっても良い。無愛想というよりは朴訥としたその様子は、過冷却系男子として一部で脚光を浴びているそうだ。聞いた話だが。

 彼が第五シリーズを終えた。俺は彼の撃った紙標的十枚を借り、角を揃えて重ねてみる。十枚の紙束には揃って綺麗な風穴が空けられ、その向こう側がはっきり見えた。百点。本当に馬鹿なんじゃないだろうか。

「凄いですね」

 いつの間にか傍に来ていた成世が言う。シリーズを終えて、標的を置きに来たのだろう。その手にある紙束を見て、俺はからかうように訊く。

「そういう真実ちゃんはどーなのよ?」

 そうして紙標的へと手を伸ばせば、彼女は慌ててそれを背中に隠した。

「ちょ、ダメですよ! 最近サボってたんで、ちょっとこれは見せられないです。冬休みは練習しないと」

「へえ?」

 相変わらずの真面目っぷりである。だが嫌味には聞こえない。なおも俺がにやにや笑いを崩さずにいると、彼女は警戒するように後退った。成世は優等生ではあるが、俺の中では一生懸命な小動物というイメージが常に伴っていた。

「ああ、そういえば」

 不意に芦原が口を開く。決して大きな声ではないそれだが、俺も成世もすぐにそちらを見た。彼の人徳の成せる業だ。

 続く芦原の言葉は、俺にとっては凶報だった。

「塚本が後で来るとか。用事があるそうだ」

「え」

 思わず声が出た。多分俺は芦原に、苦虫を噛み潰したような顔を向けているに違いない。

「言われてみれば最近見かけませんでしたね、モトさん」

 角度的に俺の表情が見えない成世が、何とはなしに呟いた。

 この場に居ない塚本と、芦原、成世、そして俺。この四人が射撃部の同期である。だが、はっきり言って俺は塚本が苦手だ。それは周知どころか、塚本本人ですら知る事実だった。

 そんな俺の表情を見て、芦原が溜め息交じりに言う。

「何かと顔の広い奴だからな。忙しいんだろう」

 塚本の交友関係の広さは、普段の行動からも容易に察せた。慌ただしく走り回って全く部活に顔を出さないかと思うと、ひょっこりと現れて、ロボット工学における視覚情報処理のプロセスについて教えろなどと抜かし始める。心理学専攻の人間が何に使うのかと訊ねれば、やんわりと守秘義務を主張されるのだ。

 加えて彼女は射撃部の他に、本人曰くそこらのサークルより余程楽しいという、何だか分からないサークル未満の団体に心血を注いでいるらしい。一言で言えば、塚本の行動は得体が知れなかった。

 だがいずれにせよ、俺には関係の無い話だ。嫌味と冷やかしを込め、俺は投げ遣りに台詞を吐き出す。

「まあクリスマスだし、男でも出来たんじゃねーの?」

「朝倉君!」

 窘めるように言う成世にへらりと笑って見せる。我ながら、あまり気分の良い笑みではなかった。成世の眉間に、困ったような皺が寄った。

 適当に弁明しようと口を開きかけ、妙な視線を感じて芦原の方を向いた。彼は読めない表情で、じっとこちらを見詰めていた。

「……何?」

 たじろいだ俺が訊くと、彼はその顔にほんの僅かの怪訝さを滲ませた。

「いや。随分荒れていると思って」

 言葉に詰まった。荒れている──阿呆面との一件もあり、気分が良くないのは確かだった。他意のない筈の芦原の視線に苛まれるようで、俺は視線を地に落とす。

「朝倉君?」

 成世の心配そうな声で我に返った。慌てて軽薄な笑いを取り繕う。

「あー、うん。やっぱ俺、今日は帰るわ」

 挙動不審の俺にきょとんとしていた成世だが、やがてにっこりと笑って言った。

「じゃあ、モトさんにはよろしく言っておきますね」

 先程の意趣返しのつもりだろうか。俺は耐え切れずに顔をしかめた。冗談でも止めて欲しかった。

 お疲れ、と手を振って、俺は射場を後にした。体育センターの外はもう真っ暗で、明かりが無いと心許ないほどだった。夜の寒さに、俺は一つ身震いをした。

 バス停でバスを待つ間、射場での会話を思い返す。相変わらず無駄に笑っていた気はする。しかし、不思議と疲労感は無い。部活の連中は何故か、他を相手にするよりほんの少しだけ楽だった。

 やって来たバスは超満員で、俺は仕方なしにそれを見送る事にした。代わりに俺より遥かに大きなガタイの男が、身体をねじ込むようにして乗って行った。俺の後ろでバスを待っていた男だった。


  ***


 時間を気にせず微睡むと言うのは、どうしてこうも心地が良いのか。

「あー……」

 十二月二十五日。俺はかねてからの決意通りに惰眠を貪っていた。何時間か置きに浮上する意識に、睡眠欲という重りを付けて、再び眠りの海へと沈める事の繰り返し。こんなに気持ちの良い事は無い。

 だが、人間には生理的限界というものがある。次第に眠りは浅く、短くなっていく。流石にこれ以上眠れないという限界点に達し、俺は仕方なく起き上がった。ぼやける視界に眼を擦りつつ、取り敢えずで壁の時計を確認する。

 午後四時。さて、何をしたものか。

 今から出掛ける気にはならないし、パソコンを立ち上げるのも億劫な気分だ。ゲームというのも何だか違うし、課題なんてもっての外だ。こういう時に限って読みかけの本も無い。

 考えあぐねる俺の脳裏に、何故かぱかん、というあの音が響いた。

「──そうだ、射撃に行こう。」

 京都に行くよりは現実的な思い付きだった。

 万が一知人に出くわした時を考え、私服を着てジャージを持つ。これから出かける所なんだという言い訳を脳内で捏ね回しつつ、俺は射場へ向けて自転車をこぎ出した。

 部屋から大学までは大した時間はかからない。ものの数分で大学構内に入って、いよいよ友人との遭遇率が高くなる。別に会ったからどうだという訳ではないのだが、何となく後味が悪くなるのは目に見えていた。

 寒空のお蔭か、幸運にも誰とも顔を合わせずに目的地に到着した。今日は流石に先客も無いだろうと、俺は射場の前に警備員室に立ち寄る。

「すんません、射場のカギ開けて下さい」

「はーい……うん?」

 間延びした返事を寄越した警備のおっさんは、怪訝そうな声を上げる。

「あれ、もう開いてますね」

「あ、そうですか」

 どうも、と軽く会釈を返し、俺はセンターへと歩を進める。

 射場は誰かが常駐出来る時しか開けられない。クリスマスに射撃をするような暇人が、まさか俺の他に居るとは。脳内に部員の顔を思い描いていき、はたと気づく。

「ああ、カズさんかな」

 そうだ、彼なら暇云々に関係なく、純粋に練習に来ていてもおかしくない。その答えはあまりにもしっくり来て、俺はそれ以上考えるのを止めた。しかしその読みは、赤旗の出ている入り口まで来た所で裏切られる事となる。

 そこに置いてあったのは、女物の靴だった。

 残念ながら俺は女性の靴に詳しくも無ければ、部員の靴をいちいちチェックするほど几帳面でもない。ありがちなデザインのそれから所有者を特定する事はまず不可能だ。不本意ながら、入り口で暫しの立往生を強いられる事となった。

 別に、女子である事は問題ではない。女子から絡まれることは結構多いし、所謂お付き合いの経験だって無いではない。後輩なら軽く労って射撃をするし、成世辺りなら少しからかってみたって良いだろう。

 だがもし、中に居るのが塚本だったなら。

 正直、塚本とは普段からも関わり合いになりたくないのだ。増してや一対一だなんてもっての外だった。

 幸い、射撃というスポーツには集中力が要る。射手に気付かれないように射場を覗いて、それが塚本なら今日は諦めて帰れば良い。

 決意を固めた俺は、細心の注意を払ってバックヤードへと入って行った。

 荷物も降ろさずに、静かに覗き窓に近付く。身を屈めている間は、向こうから俺は見えない。どうか視界に入るのが塚本の赤い射撃スーツではありませんようにと願を掛け、俺はそっと射場を覗き込んだ。

 そこに見えたのは緑色だった。鮮やかな緑と、くすんだ白。昨日と同じレーンで、成世が銃を構えていた。

 安堵の息を吐き、俺は彼女に声を掛けようと窓から顔を出す。しかし、その顔を見た瞬間、背筋に震えが走った。

 普段の柔和そうな顔立ちが、酷く剣呑な無表情を浮かべていた。標的を射抜く視線は、普段の彼女からは想像もつかないほど鋭い。

 言葉を失った俺を後目に、ぱかん、と金属音が響き渡る。真ん中だと直感的に思った。

 構えた銃をそっと下ろし、満足げに成世は呟く。

「うん、悪くないな。悪くない」

 そこに、無難で大人しい優等生の姿は無かった。小動物だなんて冗談じゃない。アレは、野獣を狙う猟師の目だ。

「な、成世?」

 俺は及び腰になりつつ、そっと成世に声を掛けてみる。

 意外にも、成世は普通に応じた。

「ああ遠理氏。丁度良かった、申し訳ないがそこの標的を取って貰えない、か、な……」

 訂正する。明らかに普通ではなかったし、振り返った途端に動きを止めた。妙な呼称で俺を呼んだ癖に、その存在はたった今認識したという顔だった。

「……成世」

「ああ、あ、朝倉君、こんにちわ、」

「無駄だぞ」

 珍しく顔面一杯に焦燥を浮かべる成世だが、しかし今更取り繕って何になるというのか。

「お前それ、ハイ? それとも素なの」

 問いつつも、俺はソレがハイテンションの産物ではない事を確信していた。案の定、彼女は言い淀む。

「え、ええっと」

「素だな」

「いや、その」

 往生際悪く言い訳を探す成世。その腕を、俺は窓越しに掴んだ。

「良いから。ちょっと来い」

 どうやら話をする必要があるようだ。ここではなく、ゆっくり腰を落ち着けられる所で。少なくとも、俺は彼女に多くを訊かなければならないだろう。

 土日も休まない代わりに学生料金でない大学の喫茶部を、俺は初めて有り難いと思った。


  ***


 喫茶部に着くなり、成世は何故か逆上した。

「私の不覚だ、煮るなり焼くなり好きにしてくれ、気が済むまで存分に蔑み嘲笑ったら良いじゃないか!」

「いや別に」

 俺はぞんざいにそう返す。何故俺が成世を詰ると思われているのだろうか。場違いにも自分の普段の印象が心配になって来る。正直な所、成世が騒げば騒ぐだけ、俺は却って冷静になるのだった。

 有り難い事に、喫茶部の客は多くなかった。それはそうだろう、クリスマスだ。普通は外に遊びに行くに決まっている。店内には学生と思しきジャージ姿が数人いるだけで、私服に着替えた成世と俺の方が浮くくらいだった。

「取り敢えず、何で射撃場に?」

 俺が訊くと、彼女は一つ息を吐いて答えた。

「ああ、どうも私は八時間ほど撃つとベストコンディションになるらしいと、最近気付いたもので」

 八時間? まさか冗談だろうとは思いつつ、俺は彼女に訊き返す。

「お前、朝八時から撃ってたの?」

「勿論休憩は挟んでだけれど」

「そういう問題じゃなくて」

 ここにも射撃バカが居たのか。自分の眉間に皺が寄るのが分かる。成世が天然だという印象は無かったのだが、認識を改めなければならないようだ。

 俺は話題の仕切り直しを図る。

「話を戻そう、そして訂正する。何で射撃なんかしてたんだ。今日はクリスマスだぞ」

 成世は開き直る事に決めたらしい。らしからぬ不貞腐れた顔で答える。

「ウチは仏教徒だから」

「いやそうではなくだな、」

「大体!」

 どん、と成世が拳で机を叩いた。

「それを言うなら君こそ何なんだよ!」

「は? 俺?」

 思わず間抜けな声を上げた俺に、彼女は容赦なく捲し立てる。

「そもそも君はクリスマスに一人で射場に来るような人種じゃないだろう! 彼女の一人や二人いるだろうに、デートはどうした!」

「いや、二人居たら不味いだろ」

「そんなことは良い!」

 成世は遂に椅子から立ち上がった。彼女の椅子ががたん、と大きく揺れる。普段は見るからに優等生なのに、意外にも短気であるようだ。

「それに何だってさっきからそんなにテンションが低いんだよ! 引いたなら引いたって言えば良いだろうが!」

 彼女に言われ、俺も思い切り素のままだった事に気付く。普段よりずっと大人しい俺の反応に、彼女は自身の変貌振りに呆れられたと思ったらしい。ようやく一つ疑問が解けた。地の性格を否定されれば、そりゃあ怒りもするだろう。

「ああもう、そうテンパるなよ」

 取り敢えず怒りを鎮めて貰わなくては、まともに話も出来そうにない。俺は敢えて投げ遣りな態度のままで彼女に言う。

「何も猫被りがお前の専売特許って訳でもないだろ? 俺だってそうだ」

「は?」

「まあ何だ、お前と同じで作ってるみたいなモンだよ。テンションとか、そういうの」

 今度は成世が間抜け面を晒す番だった。急に大人しくなった彼女は、呆けた顔で俺を見詰めている。

「まあ座れ」

 俺が促すと、彼女はすとんと腰を下ろす。成世は毒気を抜かれた顔で、そっと俺に訊ねた。

「作ってるって、アレが?」

「ああ」

「あのチャラ男を? わざわざ?」

「わざわざじゃない」

 作っているようなもの。それは確かだが、あの性格をピンポイントで狙って作っていると思われるのは不本意だ。俺はよりしっくりくる言葉を探す。

「作るっていうか……何というか、勝手にああなるっつーか」

「天才じゃないのか君は」

 呟いた成世の目は本気だった。俺は顔をしかめる。

「嬉しくない」

「普通頑張ってもああはならないよ」

「嬉しくねぇっての」

 大体自分だって、随分精度の高い猫を被っていたくせに。嫌味の一つも言ってやろうかと、口を開きかけた時だった。

「おや、これはこれは」

 唐突に俺の背後から、嫌な声が聞こえてきた。

「見覚えのある顔が外から見えたので、まさかとは思ったのですが。どうしたんです? こんな所でお二人揃って」

 恐る恐る振り返っても、結果は何一つ変わらない。予想通りの人物が、人を食ったような笑みで立っていた。

「……塚本」

 地を這うような俺の声に、しかし正反対の明るい声が被る。

「モトさん! お久し振りです」

 ぎょっとして正面を向く。成世が──普段通りの成世が、塚本に笑顔を向けていた。

「昨日は結局いらしたんですか? 私先に帰っちゃって」

 塚本はしげしげと成世を眺めると、にっこりと笑って言う。

「相変わらず見事なもんですねぇ、ナルちゃん」

「はい?」

 曰くありげな塚本の台詞にも小首を傾げて見せる成世は、紛うことなき小動物に逆戻りしていた。こうして見ると恐ろしいスキルである。

 そんな彼女を放って、塚本は矛先を俺に向けた。

「それに比べて、見るも無残なものですねえ朝倉は。色々上がりきっていませんよ? 無残を通り越していっそ無様です」

「はは、キッツいねー……」

 突き刺さるような塚本の台詞に、俺は力なく苦笑した。

 塚本は、俺の猫被りに気付いている数少ない人間の一人である。とは言え、俺が心を開いたり弱みを見せたりした訳ではない。猫を被る俺にボロを出させようと色々仕掛けて来る癖に、失態そのものには見て見ぬ振りを決め込んで、陰でにやにや笑っている食わせ者。それが塚本(あきら)だった。

「塚本」

 不意に、誰かが諌めるように塚本を呼ぶ。振り返った彼女の背後から、何故か芦原が歩み寄って来た。

「あまり朝倉を苛めてやるな」

 塚本はくすくすと笑う。

「芦原氏は流石と言った所ですか」

 妙に含みのある言い方だった。それを察したのか、芦原が不思議そうに言う。

「何がだ?」

「こちらの話です。ねえ、朝倉」

 意味ありげな一瞥を寄越す塚本に、俺は開き直って手を振った。

「あー、知らない知らない。ったく、何で聖人と悪魔がつるんでんだか」

 饒舌で慇懃無礼な塚本と、無愛想だが純朴な芦原。正反対の癖に、この二人はよく一緒に目撃される。何が楽しくて――或いは何の弱みを握られて――芦原が彼女に付き合うのか、俺には見当も付かなかった。

 俺の言葉に塚本はふふ、と含み笑う。

「その昔、サンタクロースは悪い子にお仕置きをするブラックサンタと共に現れたそうですよ」

「は?」

「つまりはそういう事です」

 さっぱり分からない。この女が分からないのはいつもの事だが、今日は輪をかけて分からない。もっとも分かってしまったら怖いので、分かる努力をする気は無かった。

 呆れて頭を振る俺に、勝ち誇ったような笑みを見せる塚本。芦原はその後ろで、黙って成り行きを見守っている。そこへ、同じく沈黙を守っていた成世が爆弾を落とした。

「あの、良かったらお二人もご一緒にどうです?」

 馬鹿野郎と叫びそうになるのをどうにか抑えた。彼女にしてみれば当然の礼儀に過ぎないのだろうが、俺の内心では冷や汗が止まらない。相手は遠慮も手加減も知らない塚本だ。では遠慮なく、なんて笑って、飽きるまで俺をいびり倒すことだってしかねない。これ以上彼女に関わるのは、本当に勘弁して貰いたかった。

 だが有り難い事に、塚本は首を横に振った。

「いえ、我々はもうお暇しますよ。お邪魔をしてもなんですし、次の予定もありますから」

「予定?」

「これから私の先輩の友人の彼女さんのバイト先で忘年会なんです」

「いやに遠いな」

 都市伝説の伝聞範囲を軽々と越えている。相変わらず無駄に顔が広い。

「しかもクリスマスパーティーじゃなくて忘年会かよ」

 瞬間、塚本がよくぞ聞いてくれたという顔をした。地雷を踏んだことに気付いたがもう遅い。

「今の日本のクリスマスというのはその準備から前日、つまりイブまでを指すものだと私は解釈しています。十二月二十五日は現代日本において、最早クリスマスではありません」

「断言かよ」

 これはまた随分な暴論だ。俺の呟きは気にも留めず、塚本は自信たっぷりに続ける。

「ならば年明けが一週間後に迫った今、催すべきは忘年会でしょう。幸いにも私の尊敬すべき大先輩が、お気に入り君のご機嫌伺いよりこちらを優先してくれたのです。馳せ参じない訳には行きません」

「へいへい」

 勝手にしろと会話を投げようとして、俺は小さな引っ掛かりに気付く。

「あれ、何でそれでカズさんも?」

 俺の知る限り、塚本と芦原とに共通の知人は、ライフル部員以外には居なかった筈だ。

 芦原に向けたつもりの質問は、残念ながら塚本に拾われた。

「私の後輩の一人が、彼に是非会いたいと言うので。まあちょっとした関係者なのですよ、芦原氏は」

 納得の行くような行かないような話だ。俺は同情を込めて芦原を見た。

「クリスマスなのに大変だな、カズさんも」

「クリスマスはあまり関係ない」

 芦原が答える。相変わらず読めない声音だった。

「結局今のクリスマスは、敬虔なキリスト教徒と、それにかこつけて盛り上がりたい人間の為のものだろう。少なくとも、俺みたいな奴はお呼びではない──と、思うんだが」

 少し言葉を揺らした彼は、塚本に視線を送る。困ったような雰囲気を見せるのは、冷静沈着を地で行く芦原には珍しい。

 一方の塚本はそれを受け、にんまりと笑う。

「だから、我々がするのは忘年会です」

 奮ってご参加下さい、と芦原に微笑みかける塚本。場合によっては芦原の援護も考えていたが、意外にも彼はそうか、と小さく頷いた。

「ではお二人とも、御機嫌よう」

 去り際までふざけ倒して、塚本は意気揚々と去って行った。その後ろを、芦原もマイペースに付いて行く。忘年会の会場にも彼の味方が居る事を願うばかりだ。

「モトさん、忙しかっただけみたいですね」

 不意に成世が呟いた。その顔には安堵したような微笑みが浮かんでいる。

「元気そうで何よりです」

「元気って言うか、くたばれってお願いしてもくたばらねぇだろ、アレは」

 そうぼやいてから、俺は不意に彼女の口調の変化に気付いた。俺は成世の様子を窺いつつ、指摘してみる。

「お前、モトさんにもそれなのな」

「え?」

「態度。あの変人相手になら素でも良いんじゃねぇの」

 というか、と前置きし、俺は一番訊ねたかった事を成世にぶつける。

「お前、何でそうしてんの」

 何を思って何のために、彼女はこんな事をしているのか。それが聞きたくて、俺は彼女を連れて来たのだった。

 成世は驚いたような顔をすると、しかしすぐに目を伏せた。

「その方が良いから、かな」

「良い、って」

「自然だろう? 一般的にさ」

 自嘲半分で成世は笑う。

「これはもう、自己防衛の一つなんだよ」

「じゃあ俺なんか相手にボロ出すなよ」

「それは君が射撃中に入って来るから」

 うって変わって、成世はばつが悪そうに顔をしかめた。

「基本的に射撃中は自分対的の空間だろう。素に戻らない方がおかしい」

 だから今日のは君が悪い、と断言すると、彼女は悪戯っぽく笑った。そんな成世に、答えなど分かっていながら、俺は思わず訊ねていた。

「疲れねぇの、それで」

 成世は一瞬言葉を詰まらせる。しかし、すぐ緩やかに首を振った。納得ずくの風だった。

「……でも、やっぱりさ」

 小さく呟くと、成世は視線を遠くに遣る。それは、塚本と芦原が去った方向だった。

「身近にああいう人達が居ると、ね。羨ましくは、思うかな」

 そうして微笑む成世が、俺にはどこか寂しそうに見えた。

「なあ。お前、この後は?」

「流石にもう帰るけど」

 ならさ、と、気付けば俺は思わぬ事を口にしていた。

「飯、食ってかないか? 一緒に」


  ***


 意外にも素直に誘いに応じた成世は、よりによって店の前でごね始めた。

「ちょっと、ちょっと待って!」

「何だよ」

「飯って、ファミレスとかじゃなくて?」

 俺が成世を連れて来たのは、ちょっと小洒落た洋食屋だった。そこらのチェーン店を想像していたらしい成世は、急に腰が引けたようだ。

「あー、それでも良いけど。勿体ないだろ」

「何が」

 成世の問いに俺は立て看板を示す。そこには「クリスマスキャンペーン! カップル向けコース料理 お一人様あたり二千円!」という派手な文字が躍っていた。

「この店前から入ってみたかったんだけどさ。高くて」

 二千円だって安くは無いが、それでも美味しいと評判の店の、本来四千円越えのコース料理だと言うなら許容範囲だろう。金が無いなら奢りは厳しいが貸せると言えば、彼女はそうではないと食い下がる。

「だって、カップル向けって」

「男女の二人組という意味ならカップルだ」

「詐欺だ!」

 言い放った成世は何処までも真顔で、照れている訳ではない辺りが可愛くない。が、コイツの地を考えれば、実に成世らしい反応だとも言えた。

「この値段で出せるモノを普段はもっとぼったくってんだろ。詐欺は向こうだ」

 詭弁なのは承知の上だ。上手く言い包めるつもりは無かった。尻込みする成世を引きずるように、俺達は店に入った。

 料理を待つ間、成世はそわそわと視線を彷徨わせていた。俺はそんな彼女を視界の端に入れつつ、話し掛ける事はしない。あからさまに落ち着かないのが見て取れて、声を掛けると言うのも却って気が引けたのだ。

 一枚目の皿が来るまではそれなりに待たされたが、以降は適度なタイミングで料理が運ばれてきた。食べながらも、俺と成世の間には相変わらず会話が無い。時折どちらかが「美味しい」と零し、それに相槌を打つ程度だ。しかし先程のような気まずさも無かった。少なくとも俺は食事と会話が両立しない人間なので、この沈黙は有り難かった。

 単純な男女差で、俺の方が先に料理を食べ終えた。手持ち無沙汰になった俺は、女の子の食事風景を凝視するのも憚られ、特に当ても無く店内を見回す。

 不意に成世が呟いた。

「……何か、申し訳ない」

「え? 何が」

 当人に視線を向けると、彼女はきまり悪そうに俯いていた。

「いやその、待たせてしまってと言うか、会話の相手もせずに……」

「ああいや、俺も食事の時喋れない方だし」

 気にすんなよ、と言うと、どうも、と彼女は笑った。

 それからそう間をおかずに、彼女も最後の皿を空ける。御馳走様、と呟いて、成世は満足そうにフォークを置いた。

「美味しかった」

「だな。高いだけある」

「こういうクリスマスの恩恵なら受けても良いな」

「クリスマス、ねぇ」

 塚本は準備期間と二十四日と定義した。芦原はキリスト教徒と騒ぎたい奴のものだと言ったか。俺にとっては久方振りの休暇の筈が、思いがけず成世と親交を深める結果となった。

 何なんだろうな、と小さく零せば、成世が真面目くさってそれに答える。

「キリストの誕生日です」

「そういう事を言ってるんじゃない」

 眉間に皺を寄せれば、成世は可笑しそうに相好を崩した。

「冗談だよ」

 昨日までと同じ笑い方に、俺は一つ息を吐いた。

「昔はサンタさんが来る日だったなぁ」

「昔ね」

「うん、住居不法侵入罪を知るまでは」

 思わず噴き出した。何とも現実的な気付き方だ。君は、と成世に促され、俺は子供時代を思い出す。確かにクリスマスは楽しみで、毎年指折り数えてはいた。けれど。

「俺は信じてなかった気がする」

「それは夢が無いな」

 小馬鹿にするような口調に、俺はむっとして反論する。

「信じてないのに信じてるって言う方が良くないだろ」

「嘘から出た真もあるだろう?」

 成世が可笑しそうに肩を揺らす。

「大体、それじゃあ普段のアレはどうなんだよ」

 それは別に、責めるための問いではなかったのだろう。一つの例として引き合いに出しただけ。そう分かってはいても、俺は黙って俯いた。返す言葉も無かった。

「遠理氏?」

「……分かってるよ」

 俺は小さく呟いた。

「本音じゃないならそれは嘘だ。けど、それはお前だって同じだろ」

 後半は紛れもない八つ当たりだった。口にしてから後悔する。それでは遅いのだと、身に染みて分かっている筈なのに。

後ろめたい思いで顔を上げると、きょとんとした顔の成世と目が合った。

 呆気に取られる俺に、彼女はくすり、と笑って言う。

「純粋なんだね、君は」

「は?」

「作った笑いで、その場にそぐう台詞を言って。それでも私は、アレを嘘だとは思っていないよ。」

 成世はゆっくりと頬杖をついた。

「だって。本音だけでなんて、生きて行ける訳がない」

 ──そんなこと。

 そんなのは今更言われなくたって分かっている。

 だけど、俺のしている事は、本音を覆うなんてものではない。生きて行くために折り合いをつけるとか、そういう真っ当な事ではないのだ。だって。

「掛け値なしの建前しか言わないのに?」

 俺の問いに、同じだよ、と彼女は微笑む。

「生きて行けるのなら、必ずしも本音である必要は無い」

 きっぱりと、彼女は断言した。揺らがぬ口調で、成世は静かに俺に語る。

「それに、嘘だなんていうけれどさ。君が嘘を吐いている相手は、自分に都合の良い仮面を君にを被せて、お気楽能天気に過ごしている訳だろう? 同罪だとは言わないが、殆ど同類だよ」

「そんな──ものかな」

 呟く俺に、彼女はそっと笑いかける。

「納得が行かない?」

 成世のいう事には一理ある。俺はそれでも言い淀んだ。両手離しで賛同するには、何かが足りなかった。そんな俺に、成世がまた一つ笑いを零す。

「つかぬ事を訊くけれどさ」

 今度は少し真面目な顔になって、彼女は俺に問うた。

「今日は楽しいクリスマスだ。じゃあ遠理氏、今朝君の枕元に贈り物はあったかい?」

「は?」

 つい聞き返せば、成世はそれで良いと言うように一つ頷く。

「うん。つまりはそういう事じゃないかな」

 静かな微笑を浮かべ、彼女は俺を見詰めた。


「おはよう、遠理氏。時間切れだ」


 ──ああ、そうか。それだけの事だ。

 サンタクロースのプレゼントだとか、そのままの自分だとか、本音で生きて行く事だとか。そういうのは結局、全部同じ事だ。

 夢を見ていられる時間は、終わったんだ。

「……あの頃は、良かったのにな」

 思わず零した俺に、成世が小さく苦笑した。

「それを言ったら終わりだよ」

 最後通告にも似たその言葉に、不思議と気分が軽くなった。

「なあ」

 俺は成世に声を掛けた。成世はそれに応じる。

「うん?」

「お前さ。銃、明日も撃つの?」

「ああ、そのつもり」

「八時から?」

「うん」

「俺も行って良い?」

 成世は笑って答える。自然な笑みだった。

「素なら歓迎する」


  ***


 ──そう言えば、クリスマスに女子と飯を食ってしまった。

 不覚を取られた気分で目が覚めた。時刻は七時半。けたたましい目覚ましのBGM付きだ。俺は目覚ましをぶん殴って身を起こす。寒い。

 暇人大学生の休日にしては随分な早起きをしたのは、勿論射場に行く為だ。そのためにわざわざ目覚ましなんてものまでセットした。俺の中に「行かない」という選択肢は、この時までは存在しなかった。

 だがカーテンを開けた瞬間の衝撃は、俺の決意をへし折るに十分なものだった。

「……雪、降ってるし」

 道理で寒い訳だ。この辺りでこの時期から雪が降るなんて珍しい。しかも、辺りは既に所々雪化粧が施されている。この様子では少なからず積もる事だろう。本当に珍しい。

 こんな天気で、本気で射撃などするつもりなのだろうか。優等生の成世に限ってそれは無いと思う反面、その素がアレならやりかねないとも思う。本人に確認を取る以外、確かな確認の方法は無かった。

 成世の番号を携帯の画面に出して、逡巡する。少なくとも昨日までは、部活以外で電話を掛けるような仲ではなかった。いやこれも部活と言えば部活だが、しかし。

 ──「純粋なんだね」。

 脳裏を過ぎった台詞に苛立って、俺は発信ボタンを押した。 

 耳元で単調な呼び出し音が鳴り響く。二度。三度。そういえばメールでも良かったのではないだろうか。四度。

 やっぱり切ろうと思った途端、耳元で声がした。

『はい』

「うわ出た」

『何それ。失礼な』

 不貞腐れたような声音は、どちらかと言えば昨日の素に近いものだった。

『で?』

 端的に先を促す成世。随分と扱いが雑になったものだ。

「今日、ホントにやんの?」

『うん』

「雪降ってるけど?」

『そうだね』

「どうしても?」

『うん』

「ああそう」

 どうしてもやるのだそうだ。なら仕方がない。ふむ、と小さく息を吐けば、成世の遠慮がちな声が聞こえた。

『あの』

「ん?」

『別に、無理はしなくても』

「いや、行く」

 それじゃ、とだけ告げて通話を切った。

 そういう事ならと、手早く身支度を整える。朝食は道中で買って、射場で食べれば良いだろう。手持ちで一番厚いコートを掴んで、部屋を出た。

 積もった雪に目が眩んで、玄関先で足を止めた。白いものの舞う曇天は、いつもより明るく見える。

 大きく息を吐いて、吸う。きんと冷えた冬の空気が、身体の隅々まで行き渡る。

 ──どうせなら、また飯にでも誘おうか。

 そんな事を一瞬でも考えた自分が笑えて、吸った息を小さく吐き出した。

 青春の対義語は、真っ白な冬であったらしい。



追記

前書き後書きで宣伝すると良いと聞いたのを思い出しました(全てが後手)。

先日完結した長編アクション小説も気が向いたらご覧頂けたら幸いです。

https://ncode.syosetu.com/n5528fm/

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