第2話 ふいうちの笑顔
「筒井は、どこが分かんねーの?」
「……」
松田くんが、私の前の席の椅子をくるりと回し、向い合うようにして座ると質問してきた。
正直、どこが分からないかも、分からない……。
私が素直にそう打ち明けると、さすがに困ったような顔を浮かべた。
「……あ〜。じゃあ、最初は、とりあえず、ここにこれを当てはめて、これはここにで……」
松田くんは何やらぶつぶつと言いながら、ノートに解説付きの問題を作ってくれた。
「よし、こうすると小学生でも解けるただの計算問題みたいなもんだ。いちおう解き方も書いてるから、これ見ながらやってみろ!」
「うん……」
そうは言ったものの、放課後、教室でふたりっきり……。
正直、今まで男子とほとんど喋ったことのない私は、目の前という至近距離でじっと見られていると思うと、どうにも落ち着かなかった。
せっかく教えてもらっているのに、勉強に集中しなきゃいけないと思えば思うほどあせってしまって、問題が全然頭に入ってこなかった。
いつまでたってもペンが動かない。
こんな私を、松田くんは一体どんな顔をしながら見ているのかと思うと、すごく怖くなって、ますますうつむいてしまった。
「そんなんで、ちゃんと問題見えてんのか?」
「あ、ご、ごめん……。えっと……」
どうしたらいいのか分からなくて、さっきがんばるって言ったはずなのに、また目の奥が熱くなってきて、余計に顔があげられなくなった。
すると、そんな私を見かねたのか松田くんが大きなため息をついた。
それに、ズキン、と胸が痛んだ。
そして、ガタンッと少し大きな音を立てて、おもむろに椅子から立ち上がると、そのまま教室を出て行ってしまった。
今度こそ、あきれさせてしまった。
せっかく、教えてくれようとしたのに、しょっぱなから私が余計なことばかり気にしていたから……。
松田くんは、戻ってくるのかな……。
もうそのまま帰ってしまうかもしれないけれど、目の前のノートには私のために、松田くんが作ってくれた問題。
これだけはやろうと、私はぼやける視界を拭った。
かなり時間がかかってしまったけれど、松田くんの解説を見ながら順番通りに計算していくと、何とか最後まで解き終わった。
自然とつめていた息を、小さくはいた。
その時、ガラッっと少し乱暴な音がして教室の扉が開いたので、思わず身をすくませてしまったけれど、その姿にドクンと心臓が大きく飛び跳ねてしまった。
「松田くん……?」
「おう。問題できたか?」
「う、うん。でも、どうして? てっきり、私にあきれて帰っちゃったと、思って……」
「はぁ!?」
私の言葉に突然松田くんが大きな声を出したから、またびくっとしてしまった。
そんな私を見て、少し声のトーンを下げてこう言った。
「……そんなことしねーよ」
「でも、すごくイライラ、させたんじゃないかって……」
戻ってきてくれたのが嬉しくて、またうるりときてしまった。
「っ……。俺、女子に優しくとか出来ねーし……。そうやって、泣かれっとどうしていいかわかんねーだけだよ」
ぶっきらぼうな言い方だったけれど、嫌われたわけじゃないんだと思ったら、なんだか胸にじんわりと温かいものが広がっていった。
採点していた松田くんが、しばらくして顔をあげると……。
「なんだ、筒井。ちゃんと出来てんじゃん」
そう言って、ニカッと笑った。
不意打ちのようなその笑顔に、なんでかまた心臓が跳ねてしまった。
「よ、よかったぁ」
「ほら! これ、やる」
ホッとした私に、松田くんがジュースをくれた。
さっき、教室を出て行ったときに買ってきてくれたのかな。
「あ、ありがとう。あ、お金……」
「おう、くれ! 実はおごるほど、金なくて」
松田くんの正直な言葉に、私は思わず笑ってしまった。
そんな私に、松田くんも少しほっとしたような顔をした。
「別に、あきれて、出てったわけじゃねーよ」
「え……」
「同じクラスつっても、筒井と話すのって初めてみたいなもんだし、なんか緊張してるっぽかったから。俺は一度言ったことは、最後までやるんだよ……。だから、筒井も条件守れよな」
「わ、分かった……!」
それから、ぽつぽつ話し始めてちょっぴり打ち解けたような雰囲気になると、松田くんがとんでもないことを言ってきた。
「このテストの点数、筒井の名前と同じだから、いっそのことネタにしたらウケるんじゃね?」
言っている意味が分からなくて、ほんの少し首をかしげた私。
「だからぁ、27点で“にな”。筒井の下の名前って“仁菜”だろ?」
「っ!」
からかわれるようにそう言われて、思わずむくれ見せた。
確かに、男子は悪い点とっても平気で見せびらかしたりして、ウケを狙ってるけど、女子がそんなこと出来るわけないじゃない。
だけど、強がってみたけれど……。
不意打ちで、松田くんに下の名前を呼ばれて、私は今日一日でもうどうにかなってしまいそうなほど高鳴ってしまった心臓は、しばらくおさまってくれないような気がした。