#210:隔靴掻痒な(あるいは、漆黒バーンアウト)
さっき……医務室に運び込まれて来たのを見た。さっき……苦悶の表情を浮かべていたのを確かに見た。
それらのこと全てが現実のことだったのか、それとも極限まで疲れに疲れた僕の見た白昼夢だったのか(もう夕方になる頃だけど)、もはや判別がつかなくなっていた。
まさかこの溜王戦すべてが丸ごと夢だったなんて、そこまでのオチは無いよね……など、詮無いことを考えつつ、僕はカワミナミさんがゆっくりと舞台に上がってくるのを見ていることしか出来なかったわけで。
「……」
漆黒のロングドレス。胸元から背中は大きく開いていて、そのライン上にこれまた真っ黒な薔薇の形の装飾がみっしりと巡っている。抜ける白い肌がコントラストで眩しい。銀色に光るウルフカットはそのままだが、その下から黒いイバラのようなものが、枝のように張り出している。
メイクに塗り込められた顔からは表情も感情も読み取れない。黒一色のマスカラ、アイシャドーが、そのいつも何かを真っすぐに見つめていた瞳を、何か別の生き物かのように変貌させてしまっているからだ。ルージュもブラック。口角を殊更くいっと上げるかのようにひどく悪趣味に強調されて施されていた。
ぱっと見、別人。しかし、その長身から迸るオーラはあの強く優しいカワミナミさんのものだ。
「ど……」
距離10mくらい。アクリルの足場の上で対峙する僕らだったけど、何を、どう聞いていいかすら分からない。
「……嗤うがいい」
と、漆黒の魔女のような装束のカワミナミさんの方から、そう切り出してきた。口調は重々しく、やはり感情は読み取れない。
「……一度は袂を分かった元老に頭を下げ、私は恥を忍んでこの場に来た。元老の一人を担う者として、ムロトミサキ、アオナギヨリヨシ、トウドウヨシヒデ、貴様ら三人を沈めるために」
敵意、なのか。僕らに向けられているのは。
「……」
それとも何だ? というか何だよ、この哀切は。カワミナミさんっ……!!
「ジュンちゃんはぁー、私たちと、めでたく和解したってわけ。キミたちと本気で戦いたいっていうのが本音みたいだけどぉー、私ら元老的にはまったくもってオッケーおっけー」
艶のある茶色の髪をなびかせながら、傍から見たら一発で引き込まれてしまうようなパーフェクトな笑顔でアヤさんがそう歌うように言う。だけど、その裏に隠されている魔物のような本性が僕にはそろそろ透けて見えて来ているわけで。
「アオナギさんっ……、トウドウさんっ……!!」
僕は両隣にだらりと突っ立っている二人を交互に見やる。何か……何か言ってくださいよ。隈取り顔の蒼いメイド服の痩せた方は、いつものぼーっと遠くを見る視線の自然体。凶悪な白黒メイクに、補修が完了した碧のメイド服でそのまん丸な巨体を包んだ太い方は、口ぽっかりの弛緩顔。いつも通りだ。
「落ち着け少年。奴も思うところがあるんだろうよ」
でも! と反論しようとした僕を制して、
「……そいつは俺が受け止めなきゃあかんめえ。少年と戦いたいとか言ってたが、事はそう容易とは思えん。戦略を告げるぜ。お前さんは初摩をツブせ」
アオナギが何を言うかと思ったら、割とまともな作戦だ。不可能に近いという事に目をつぶればだけど。まあ、目をつぶろうが見開こうが、やることをやるまでだ。やってやる!