#171:差異な(あるいは、温度差に負けん)
「……」
とは言ったものの、僕にはもう何も残っていない。見届けるだけだ。翼を。リタさんを。
「……リタ」
翼は僕から目を逸らすと、体ごとリタさんのいる左方向に向き直った。金色の髪の迷彩服を着た少女は、金色の瞳を曇らせ、装置に体を固定されるがまま、ぼんやりと佇んだままだ。
「……今日一年ぶりにこの球場に来て、初めてお前ら二人と会った時の事を思い出してた。くだらねえコト言い合って、バカやって、楽しかった時の事を。もう戻らないってことは頭では分かってる。けどよ……戻したかった」
口を引き結び、押し寄せる感情をやり過ごそうとしている翼。
きついんだろう。きついはずだ。でも全部吐き出せよ。お前やリミさんリタさんのきつい過去は、どうしようもなかった不幸な過去は、この会場にいる皆が知った。
後はお前の、決意なり想いなり、前に進むための何かをぶちまけろ。共有して、拡散するんだ。
「でも、昔を振り返ってばかりもいられねえんだよな。俺ももうハタチだしよ。だから二か月前からつてを頼って、漁業の見習いみてえな事をやらしてもらってる。それでよぉ、いつかは自分の船持って独り立ちしたいと、そう思ってんだ。その……えーと、3人で家庭を築きつつよぉ……つぅの?」
翼……そこは声張れって!!
「お、俺は! 俺はリタもリミも守りてえ! 守らせてくれよ! 3人で暮らしてえんだよぉぉぉぉぉっ!!」
よく言った。僕なんかより、よっぽどしっかりしてるじゃないか。身内として、ちょっと誇らしいくらいだよ。その時だった。
「……翼なの? あれ、リミかぁ」
リタさんの目の焦点が、翼の姿に合ったように見えた。チョーカーからでは無い、リタさんの口から言葉が発せられた瞬間、翼の顔が歪む。
「俺だ! 翼だ!」
吠えるように叫ぶ翼を再びまじまじと見つめると、
「……いやいや、リミちゃんじゃないの。何で翼の声? てか何泣いてんのっつぅの。笑えるんですけど」
リタちゃんはプークスクスと吹き出す。いや温度差! 無感情だった時とは打って変わってこのテンション。翼も翼で、せっかく振り上げたボルテージの降ろしどころを探して目が泳ぎ始めてしまう。
場の雰囲気もどう収めるの的、いやな静寂に包まれつつあった。やばいやばい。やばいベクトルが別次元を貫いたかのようなやばさ。ここは……
「り、リタさんっ!!」
僕が請け負うしかないっ!! と何の考えも無しにそう言い放ってしまったけど、どうしよう。
「へ? ……そっちが翼? え? 声が翼で姿がリミ、と、声が誰かで姿が翼? え、いや顔は違うか、姿も……あれ女? は、わ、ワケわかんない!? どうなってんのどういうコトなの? き、き、キミの名はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
しかし、不用意に僕が割り込んだことが、リタさんの混乱を呼んでしまったようだ。僕と翼を交互に見やり、リタさんが驚愕の表情を浮かべると同時に、
<タリィ:平常心乖離率:409%>
ディスプレイに非情の数値が。まずい。