二章二節 - 龍姫の髪
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城下町を抜け、平野部で待っていた多くの兵士と合流したところで、隊列を組み直して本格的な旅路につく。
事前に細かなところまで練り上げていたが、あまりにも人が多く、予定通りには進まない。
一日目は、その日の目的地となる街道沿いの小さな神社につくまで、ひどくあわただしかった。いや、目的地に着いた後も、多くの人は野営のための天幕を張ったり、夕食の準備をしたりと落ち着くことがない。
ただ、与羽は姫と言うこともあり、すぐに神社の一室に通され、落ち着くことができた。
自分をはじめ、一部の上位の人間だけが室内で休んで、他の多くの人々が天幕で過ごすことには罪悪感がある。しかし、今の与羽は中州城主代理――中州の代表なのだ。人懐っこく、無邪気な中州の姫君のままではいられない。
場合によっては、あえて人よりも優遇された状態にいることが必要だった。与羽が野営の準備をしている人々を手伝おうとすれば、疲労している彼らに余計な気を遣わせてしまうかもしれない。
彼らと城主代理の上下関係があいまいになり、与羽の身や旅自体に悪影響を及ぼす可能性もある。
上に立つ者は、下の人々を大切にし、守らなくてはならないが、決して侮られてはならない。
これは、中州城主一族が受け継いできた考え方だ。
場合によっては、自分の命と引き代えにしてでも中州の民を守る。しかし、どれほど民を大切にし、親切にしても、自分より上位に立つことは絶対に許さない。そうすることで、中州城主一族は自らを守ってきたのだ。
「こんな髪色じゃもんな……」
与羽はいまだにかぶっていた笠の下から、一房だけ垂らした髪をすくい上げた。わずかに残る茜色の光を紫に反射している。
もし、与羽をはじめ、中州一族が一般庶民だったならば、きっと平和には生きられなかっただろう。容姿で差別され、見せ物にされ、つらい思いをしたはずだ。
「そう言えば、与羽」
暗い顔で自分の髪を見つめる与羽の思考を、辰海の言葉が遮った。
現在この部屋にいるのは、与羽と辰海のみだ。雷乱は与羽の護衛につけられた女武官――赤砂千里とともに万が一の場合のために、建物とその周りを確認しに出ている。
筆頭女官の竜月はお茶の用意をするために、厨房へ向かい、他の人々も自室で荷をほどいたり、野営の指揮をしたりしていた。
「ん?」
軽い口調で応えながら、与羽が目線だけ辰海に向ける。
「髪、染めたの?」
「どう見てもいつもの色じゃん」
与羽は自分の髪を光にさらして、きらめかせて見せた。
「そこじゃなくて、笠の下」
しかし、辰海は騙されなかった。
「…………。はぁ……」
与羽はしばらく無言で辰海を見ていたが、深くため息をついてかぶっていた笠をとった。
「隠しとるのに、なんでわかるかなぁ……」
背に広がった与羽の髪色は黒。部屋に残る光を浴びても黒だ。
「さすがに目立つだろうから、竜月ちゃんに頼んで染めてもらった」
一房残したのは、中州一族としての誇りのようなものだ。
「まっ、これでも強い光浴びたら紺色っぽくなっちゃうけどさ」
与羽は面倒臭そうに言って、髪の毛をかき上げた。
顔はいつもの仏頂面だ。
「最善だとは思うけど――」
辰海は与羽の髪に触れた。手触りに変化はない。
与羽のふるまいにおかしなところは見られないが、彼女は自分の髪色を誇り、とても大切にしている。それを染めることは、与羽にとってとても大きな決断だったはずだ。
「これっ位なら一、二年もあればまた元通りになるしね」
軽い口調で言う与羽だが、内心はとても苦しいはずだ。後悔しているかもしれない。
「……そうだね」
それでも辰海はうなずいた。与羽の覚悟を認めるために。
「やっぱ、前の色の方が好き?」
辰海の間をどう取ったのか、与羽がそう聞いてきた。その声は心なしか明るくなっている。