十一章七節 - 四ッ葉屋秋兵衛
「あ、もしかして、怒らせちゃったすか……?」
そこで青年はやっと自分の言葉が与羽を不快にさせていたことに気付いたらしい。
「申し訳ないっす、本当に、きれいだと思って――。調子にのっちゃったみたいっす」
「もういいです。商売がんばってください」
戸惑ったように言う青年に、与羽は振り返ることなくそう声をかけた。
「あ、あの!」
青年が慌てて立ち上がり、引き留めようと与羽へ腕を伸ばしたが、実砂菜の錫杖に押し戻された。
「ぐえっ……!!」
「失礼」
無防備だった腹に錫杖がめり込みつぶれた声を上げた青年に、いたって澄ました声色で実砂菜は声をかける。
「あ、姫さん! 俺、秋兵衛――四ッ葉屋(よつばや)秋兵衛っす! 姫さんは――?」
それでもめげずに叫ぶ青年。
名前を聞かれているのだと言うことはすぐに分かった。
一瞬答えるべきか否か迷ったが、相手が名乗ってくれたのだから自分もそれに倣うべきだと口を開く。たとえ答えなくても、誰かに聞けばすぐにわかることだ。
「与羽」
振り返ることなく答えて、歩み出す。
「与羽姫さんすね!」
陽気に呼ばれたが応えない。
天駆の屋敷に戻ったら、彼のことを絡柳に尋ねてみよう。中州から黒羽の峠越えに同行したのならば、何かしらの記録があるかもしれない。
「四ッ葉屋……」
竜月がわずかに首を傾げながらつぶやく。
「心当たりあるん?」
「城に出入りしている商人さんから、そんな名前を聞いたような気がしますぅ。その商人さんの名前じゃなくて、『これは、四ッ葉屋のだ』とか、商品に箔をつけるための売り文句でごくたまに――」
「ふ~ん」
名の知れた商家なのかもしれない。しかし、少なくとも中州の有名商家でそんな姓は聞いたことがなかった。
足早に天駆の屋敷に戻った与羽は、すぐに絡柳を探しはじめた。
しかし、先に会ったのは辰海だった。その隣には雷乱もいる。
「おー、雷乱」
与羽は片手をあげて巨体に呼びかける。
「辰海も――」
しかし、辰海には内心恐る恐る彼を見上げて声をかけるのみだ。
外見は穏やかな笑みを浮かべるよう意識し、しぐさ自体におかしなところは見えない。しかし、与羽のことを良く知っていて、他人の感情の機微に敏感な竜月はどことない違和感に気付くかもしれない。
「おう」
「やあ」
雷乱と辰海もそれぞれあいさつを返してくれる。
「今日は早いね。何かあったの?」
そうおだやかな笑みを浮かべた辰海の口調も態度も、気遣いに満ちていてやさしい。
にもかかわらず、冷たさを感じてしまうのはなぜだろう。
「ちょっと、人と会って――」
辰海の冷たさが怖くて、与羽は怒られたかのように身を縮めた。
「大丈夫? 寒い? それとも怖い思いをした?」
与羽の態度をどう取ったのか、辰海はそう問いかけながら手を伸ばした。
しかしそれは、与羽に触れる前にひっこめられる。途中で辰海が自分で止めておろしたのだ。
「大丈夫だから……。雷乱、辰海、絡柳先輩知らん?」
「わざわざ水月大臣を捜さなくても、古狐君に聞けば――?」
後ろで実砂菜がそうつぶやいている。
「今は、朝廷の見学をしてると思う。急ぎの用なら呼んでこられるけど、急ぎじゃなかったら夜まで待った方が良いかも。僕で良いなら聞けるけど――」
辰海の声にわずかないらだちが感じられた気もするが、それと確信する前に消えてしまう。
「ん~……」
与羽は少し間をとって、辰海の様子を盗み見た。
見慣れた整った顔立ちだが、吊り上った目のせいで怒っているような印象をうける。
「辰海、四ッ葉屋(よつばや)秋兵衛って名前に覚えある?」
悩んだ末、結局与羽は辰海にそう尋ねた。辰海に頼らず生きると決めたが、これくらいの質問ならば許されるだろう。
一方の辰海も、以前よりも冷たいと感じることが多いが、表面上の変化はないのだし。




