十章八節 - 龍狐の思いやり
* * *
翌朝、中州の面々で集まったとき、辰海はいつものように顔を見せてくれた。与羽に向ける表情は心なしか硬いが、昨夜の怒りは感じられない。
与羽は少し安心して、自分も普段通りを心がけた。辰海に変わらぬ無邪気な笑顔を見せ、とがった口調でからかいもする。
辰海もいつもの困った顔でそれに応じるが、何かが違う。
「辰海……」
解散と言う折、与羽は立ち去ろうとしていた辰海を呼び止めた。
「なに?」
そう淡い笑みを浮かべて首を傾げているが、やはり何かが違う。
「え……っと、昨夜はありがと。あと……、色々、ごめん。迷惑かけて」
「全然気にしてないよ」
辰海の笑みが深まる。にもかかわらず、与羽は思わずひるんで後ずさってしまった。
「大丈夫?」
そんな与羽の肩に触れ、辰海が与羽の顔を覗き込む。しかし、どこか違和感があった。
「辰海……?」
与羽は呼びかけながら辰海の目を見た。
「なに?」
辰海が首を傾げる。
「なんか、ごめん……」
それ以上辰海を見ていられなくなって、与羽は足元に視線を落とした。
「いっつも迷惑ばっかかけて、わがままばっか言って――」
「全然気にしてないよ」
辰海の答えは予想した通り。しかし、予想した以上に平坦な調子だ。
「あんたは、私の怪我のせいで引け目を感じて、色々尽くしてくれとんだろうけど――」
「与羽」
辰海の声が割り込んだ。厳しい口調だ。
急な変化に、与羽は身をすくめた。
「君は今まで――。いや、なんでもない。ごめん、続けて」
しかし、また先ほどまでの平坦な調子に戻る。
ここで与羽はわかった。辰海の感情が乏しいのだ。いつもなら心からかけてくれる言葉に、今は感情がほとんどこもっていない。
表情やしぐさはいつも通り与羽を気遣ってくれるものだが、そこに気持ちが伴っていなかった。先ほど一瞬見せた、怒りやいらだちも、今は完全に消えている。
「ごめん……」
「謝らなくていいから」
辰海が怖い。
与羽は一度深呼吸して、辰海を見上げた。穏やかにほほえんでいるが、その目は笑っていない。玻璃玉のようだと思ってしまった。
その目を見れず、与羽は再びうつむいた。
「辰海が、さ……」
与羽は慎重に言葉を選ぶ。
「あんたが私のためにいろいろしてくれるのは、すごくうれしいし、助かる。けど、たまにすごく申し訳なくなる。あんたは、もう十分に私の傷を癒してくれた。傷跡は残っとるけど……。もう、私の傷に引け目を感じてくれなくていい。あんたにはもう私にとらわれずに、自由に生きて欲しい」
「僕は今でも自由だよ」
「違うでしょ。あんたはいっつも――」
与羽は言いかけて止めた。
「いっつも」なんなのだろう。口を開いた瞬間は明確に言いたい言葉があったはずにもかかわらず、わからない。
かわりに、与羽はぶっきらぼうに言った。
「もう、私に構わんでくれ。ほっといてほしい」
非情な言葉だったかもしれない。しかし、彼がこれ以上与羽にとらわれないようにするためには、強い拒絶を示さなくてはならない気がしたのだ。
辰海の顔は見られなかった。
「そう……。わかった」
降ってきた辰海の声には、やはり感情がこもっていない。わざとこめないようにしたのだ。
与羽は自分を求めてくれていない。そう思うと、とても苦しい。つらい。しかし、それを悟られてはいけない。
辰海が今まで与羽に尽くしてきたのは、彼女を深く愛しているからだ。
もちろん、その気持ちは「額の傷の償い」や「城主一族を守る古狐の跡取りだから」など、様々な言い訳に隠してきた。隠してはいたのだが、与羽は辰海の気持ちのかけらにも気付いてくれていなかったのだろうか。それとも、気付いていて突き放しているのだろうか。
どちらにしても、与羽は自分を求めてくれていない。そう突きつけられた気がして、ひどく苦しい。
それでも――。
これで最後だと心に誓いながら、辰海はありったけの愛情をこめて与羽を見た。たとえ与羽の目や心が自分を向いてなくても、彼女がいとおしい。
そんな与羽が心から願うことなら、叶えよう。何を犠牲にしても、与えよう。
「君が、そう望むなら――」
辰海は湧き上がる感情を再びすべて押さえつけ、そう答えた。




