十章七節 - 龍姫の幸せ
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乱暴に鞘におさめたままの刀を振り回す。
脳裏をよぎるのは、与羽に身を寄せる男の姿と、希望を失った目をした与羽の姿だ。それを思い出すたびに、今まで感じたことのないほどの怒りが湧きあがってくる。
気安く与羽に触れていたあの男が許せない。あの男にはめられたからだとしても、絶望した悲しげな目で風見に嫁ぐと言おうとした与羽が許せない。
そして、怒りにまかせて与羽に触れてしまった自分自身に対しても腹立たしい。
激しい怒りを打ち払うように鋭く刀を振った。何度も、何度も――。
不意に男が与羽の耳元に唇を寄せていた光景を思いだし、辰海は刀を力いっぱい地面に突き立てた。さらに柄から離した手で、地面を殴りつける。
早く怒りを鎮めなければ――。
先ほどは危なかった。与羽の平手打ちで我を取り戻さなかったら、何をしていたかわからない。
あの時は、与羽を他の男に奪われる怒りと恐怖と焦りで何も考えられなかった。そのあとも、与羽を想うとまた彼女にひどいことをしてしまいそうで、冷たくしてしまった。
「だめだ」
辰海は自分に対してつぶやいた。冷静にならなくてはならない。
硬く握ったこぶしを今度は自分のももに振り下ろす。痛みで、怒りをごまかすために。
ちゃんと順を追うつもりだったではないか。
まずは、今はまだ心がどこにあるのかわからない与羽を自分に惚れさせる。そのために今まで与羽にやさしくして、大切にしてきたではないか。
それをふいにしてしまうつもりか。
あの時の与羽の拒絶は鮮明に残っている。平手打ちと、その後辰海を見た時のひどくおびえた表情。
与羽を傷つけてしまった。また、与羽を傷つけてしまった。
――与羽を守るって誓ったのに……。
それを思うと、怒りに交じって悲しみが広がっていく。
やはり、自分は与羽の近くにいてはいけないのではないだろうか。与羽の近くにいても、傷つけるだけなのでは――。
与羽の近くにいたい自分。
しかし、与羽を傷つける存在である自分を、与羽に近づけたくない自分。
誰よりも与羽を守れるのは自分だと信じている。
しかし、誰よりも与羽を傷つけているのも自分なのではないだろうか。
――僕はどうすればいいんだろう。
いっそのこと、与羽に自分の気持ちを伝えてしまおうか。そうすれば――。
「……ッ、そんなの、ダメに決まってる!」
辰海はもう一度自分のももにこぶしを叩きこんだ。今度は自分を諌めるために。まだ与羽を傷つけなくて済むくらい、与羽を守れるくらい強くなっていない。あの時から、まだ何も成長できていない。
――今の僕は、まだ与羽にふさわしくない。
与羽が頼りにしてくれるから、そばにいさせてくれるから――。
それを言い訳に与羽のやさしさと思いやりに甘え過ぎた。もっともっと、精神的にも肉体的にも強くならなくてはならない。
――あの時の誓いを思い出そう。
影ながら与羽を見守る。彼女が死ぬときは、それに殉じる。
それだけでも、とても幸せなことなのだ。
自分は欲張りすぎた。
本来ならば、六年前に与羽から引き離されていたはずであることを、忘れてはならない。与羽の額の傷は、まだ幼かった辰海が故意につけたものだ。そのせいで与羽は生死の境をさまよい、辰海はその報いとして、死罪を覚悟した。
しかし回復した与羽は、額の傷を自分の不注意でつけたもの言いはり、辰海をかばった。それがなければ、辰海は今こうして、この場にいられなかっただろう。
自分は欲張りすぎた。
罪滅ぼしを言い訳に与羽の近くにいたが、本当はただ自分の好意と独占欲を満たすための自己満足的な行為ではなかったか。
明日、与羽に謝る。今度こそ、与羽は許してくれないかもしれない。
しかし、それならそれでかまわない。仕方ない。
与羽からは離れよう。
もちろん、城主代理補佐と言う仕事は今まで通りちゃんとこなす。
しかし、心は与羽から離そう。遠くから与羽を守り続ける。
そして、守りきれたら――。守り切れるくらい強くなったら、いつか――。
いや、「いつか」など存在しないのかもしれない。少なくとも今のままでは。
辰海は先日与羽からもらったにおい袋を取り出した。基礎となる桜の匂いは自分の匂いだが、彼女の調香したひどく甘い香りは、甘いもの好きでいたずらっぽい与羽を思わせる。
その香りを胸いっぱいに満たして、辰海は小さなにおい袋にやさしく口づけた。
「君が……、好きだよ。与羽」
声に出したのは初めてかもしれない。
この言葉を直接与羽に言える日が来るのだろうか。
そう自分に問いかけると、怒りなど全く忘れてしまうほどひどく苦しい。
肺に入った空気が鉛になってしまったようで、息をするのがつらい。締め付けられるような強い圧迫感がある。
それでも、与羽を傷つけなくて済む距離から、与羽を守り続けよう。遠くから彼女の幸せな笑顔を見守ろう。
辰海は重い空気を無理やりはき出した。




