九章七節 - 賢帝の焦燥
* * *
「では、私はこれで」
薄い紙を至極大事そうに抱えたラメが深く頭を下げる。
「あぁ、よろしく頼む」
それを見送るのは、絡柳と大斗だ。
ラメには今年の年貢の見積もりや来年度以降の予算など会計に関することを頼んだ。戦の復興で平年よりも支出が多く、戦で土地が荒れた場所もあり収入の減少が予想される。貯蓄はあるし、多めに採掘した銀で補てんしたので、ひどい赤字とまでは言わないが、それでも向こう数年かけて調整していく必要があるだろう。
とりあえずは、今年度の赤字具合と、それを踏まえて来年度の収支の予想を立ててもらうことにした。
「なかなか難しい仕事を任せたね」
部屋の隅で引き継ぎの様子を見ていた大斗がそう声をかける。
「あぁ。だが、彼女は月日系官吏だからな。できるだろう」
ラメの生まれは代々中州の財務を受け持ってきた月日本家。かつて使用人として月日家に仕えていた絡柳は、彼女が幼いころからそのための教育を受けてきたことを知っていた。ちなみに絡柳も月日系官吏に分類される。
「それで、お前にはこれか」
絡柳は机の上にあった紙を一枚取り上げた。
一度自分で目を通して間違いがないか確認したうえで大斗に差し出す。
それを受け取った大斗も軽く目を通した。
「ざっと見た限りこれでよさそうだね」
「そうだろう。まぁ、あとでよく見てくれ」
「そうさせてもらうよ」
そして大斗は部屋をあとにしようとしたが、絡柳に「待て」と呼び止められる。
「なに? お前はもう休みなよ」
大斗の声はやや不機嫌そうだ。
「お前こそ傷は良いのか?」
「いつの話をしてるの? もう全快だよ」
「黒羽で斬られた傷だ」
与羽と口論になった時、逃げた彼女を追う際に負った刀傷だ。
「こんなのかすり傷だよ」
大斗は斬られた脇腹を軽くなでた。
「あいにく先の戦でお前の『かすり傷』と言う表現はあてにならないと学習したんでな」
「激しく動かなければ大丈夫さ」
「……まぁ、お前が言っても聞かない奴だということも学習済みだ」
絡柳はため息交じりに言った。
「だが、俺に無理をするなと言ったんだ。お前も気を付けろ」
「言われなくてもわかってるよ」
「分かっていなさそうだから言っているんだ」
いらだたしげに首を掻く絡柳。
「どうせ、与羽と仲直りもできてないんだろう?」
「……何で知ってるわけ?」
黒羽で与羽と口論になって以降、必要最低限しか口をきいていない。黒羽にいた時は、頻繁に町で買った珍しいものをみやげに部屋を訪れていたが、風見に来てからはそれもほとんどしていなかった。今何か変化があるかと、日は与羽たちとともに薫町を歩いたが、居心地はあまりよくなかった。
「カマをかけただけだが、やっぱりか……」
「俺の声さえ聞きたくないって言われちゃったからね。いまだになんて言えばよかったのかわからない。与羽がいつも通りにふるまってるから、俺もあまり意識しないようにはしてるけど、会話は少ないね」
大斗の口元には苦い笑みが浮かんでいた。
「俺も満足な言葉をかけることができなかったから偉そうなことは言えないが、ちゃんと仲直りしておけよ」
「分かってるけど、なかなか……、ね。ヘタな言葉をかけてこれ以上こじらせたくないでしょ?」
「その気持ちはわからないでもないが……」
「旅の足は引っ張らないから安心しなよ」
大斗はそう言って、絡柳が何か言い返す前に背を向けた。
「おい」
絡柳が不満げな声を漏らしても、大斗が聞く様子はない。
「じゃあね。おやすみ」
それだけ言って、大斗は立ち去った。
「まったく……」
絡柳がため息をつく。
頭をかきむしりたい衝動に駆られたが、髪を束ねていたので思いとどまる。仕事は減っても、気苦労の増加が著しい。
「だが、まぁ状況は黒羽よりマシか」
そして、中州と同じく龍神を信仰する天駆に着けば、さらに過ごしやすくなるだろう。
――できるだけ早く風見を発てるようにしないとな。
絡柳は大斗との約束も忘れて、作りかけの書類に手を伸ばした。




