一章三節 - 進む炎狐
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城主から書状を受け取った翌日も、辰海は普段通りの仕事をこなしていた。
最近は毎朝出席するようになった朝議で書記を行い、盗賊の隠れ里――日輪のことなど自分が報告する必要がある場面では発言する。責任者として絡柳がついているものの、春に決められた貸本屋の件で中心となり作業しているのも辰海だった。
着実に中州の官吏として上にのぼっているのを感じる。
いつかは目指すつもりでいたが、不安がないわけではなかった。
本当にこの時期でいいのだろうか。上に行けば行くほど自由な時間は減るだろう。一度得た官位を返上するのは困難だ。後戻りはできない。
――それでも……。
「漏日大臣」
辰海は朝議のあと、部屋を出た文官三位――漏日時砂に意を決して呼びかけた。
「どうした?」
漏日天雨――アメの父親である彼は、顔だけ辰海に向けた。
四十前という若さと、童顔が相まってはつらつとした印象を与える。とても辰海と同年代の子どもがいるようには見えない。
大臣の中で、最も親しみやすいと言われているのが彼だった。
一位の卯龍は最上位の大臣という肩書きとずば抜けた知性、真面目な雰囲気で畏敬され、二位の月日大臣は老齢と計算高く侮れない性格で気安く声をかけにくい。
四位の紫陽大臣は沙羅の母。性格は明るくやさしいのだが、高貴な雰囲気と美人すぎる点が原因で近づく者を委縮させる。
五位の絡柳はその口調から硬くて厳しい印象を与えるうえ、二十代前半という若さが逆に人々を近寄りにくくさせていた。
六位の大臣は中州の主要文官家の一つ橙条家の出身だが、あまり政務に関わらないずぼらな態度と、貴族的な振る舞いで苦手とする者が多い。
「これを――」
辰海は漏日大臣に敬意を示しつつも、堂々とした動きで一枚の紙を差し出した。
そこには辰海の整った字が並んでいる。時砂は、その筆跡と末尾に辰海の署名しかないことを素早く確認した。卯龍の代理や古狐としてではなく、辰海個人で書いたものだ。
それを自然な動作で見極めてから、書類を手に取って目を通した。
と言ってもほんの一瞬。右から左へ軽く視線を流しただだけで、内容は十分把握できた。
「官位が必要と――?」
書類の内容を簡潔に述べるとこうだ。
今、中州では武官、文官、地方官――全官吏の異動が行われている。戦後の復興を素早く行うために、地方から土木系に長けた官吏を呼び寄せたり、逆に城下から人を送ったりしている。
戦で心身に傷を負い、若い世代に自らの順位を明け渡す者も少なくない。今はまだ正式な官位の異動は行われていないが、上級官吏の順位には空きが目立つ。そのどこかに自分を入れてくれと頼んでいるのだ。
もっと噛み砕けば、昇進願いといえるだろう。
「はい」
辰海は深刻さすら見える真面目な表情でうなずいた。
人好きのする時砂の顔がわずかに険しさを帯びる。
それでも辰海の表情は変わらない。