三章二節 - 龍神の伝説
旅人たちは、空の語りはじめた物語に興味深げに耳を傾けた。
空は、良く響く声で、どこかせつなさをにじませながら語る。
「――人々は、神を求めました。荒れた天地を鎮め、守ってくれる存在を。
そして、一柱の神がその願いを聞き届けてくれました。天候を左右する彼の力のおかげで、渦巻いていた風は凪ぎ、乾いた大地に雨が降りました。
その時の人々の喜びは計り知れません。程よく湿った地に日が射し、草木が芽吹きました」
その神こそ、天をつかさどる黄金の龍――空主だ。
人々は姿を見せない神に感謝した。社を建て、作物をそなえ――。
しかし、彼らの中には、直接神に会って礼を言いたいと思うものもいた。
「空主は龍神。人とは全く違う姿をした神です」
空主自身も、自分の守る人々に会いたかったのだ。しかし、彼の容姿が人々を驚かせてしまうのではないかと不安で仕方なかった。
「それでも空主が人々の前に姿を現したのは、彼自身も自分の守ってきたものをその目でよく確かめたいと思ったからかもしれません。空主は自らを極力人間の姿に似せましたが、完全に人間と同じ姿になることはできませんでした。太陽のように輝く金の髪と、たわわに実った稲穂を彷彿させる黄金の瞳。
背丈や形、顔立ちは人間そっくりでしたが、肌のところどころには鱗が残っていました。そしてなにより、人々を驚かせたのは、幾重にも枝分かれした二本の角でした」
与羽が笠とそこから垂らされたうす布の影で目を細めた。
しかし、それを確認できる者はいない。
「空主の姿を見た人々の反応は様々でした。ある者は恐怖し、ある者は絶望し、ある者は嫌悪し――。自分が今まで守ってきた人々に好奇の目で見られ、空主も衝撃を受けました。
『こんなつもりではなかった』と思ったことでしょうね。人々に求められて姿を現したにもかかわらず、拒絶されてしまったのですから。
しかし、空主を受け入れた人間もいました。彼らは、大多数の人々に追い返されるようにして、奥深い山に逃げ込む空主を追いかけました。彼らの子孫が天駆の民だと言われています。と言っても、ほんの一部ですが……。
確かに、容姿で空主を遠ざけようとする人もいました。しかし、それにとらわれない空主の神としての姿、もしくは空主個人に魅かれた人間もいたわけです。
そのような人々の存在が、空主に神であり続ける力を与えました。少なくてもいいのです。自分を受け入れ、求め、認めてくれる人がいる限り、空主はこの大地と空、そしてそこに住む生き物を守ると誓いました。
空主を追った人間たちも、彼を受け入れ、尊重し、神としての彼の居場所を守り続けると誓いました。
わたしたち神官家の人間は、彼らの誓いを守り続けるための存在です。中には実際に神と話し、それを人々に伝える者もいます。
しかし、神に仕える者として一番大切なことは、空主とその家族、子孫とともにあり続けることだと、わたしは考えています。神話時代の神々はもちろん、そこから何十代と経ても、わたしたちを守ろうとしてくださる天駆領主と中州城主一族とも」
空はかなり回りくどいやり方で与羽を元気づけようとしているようだ。
「こちらには、水主の巫女もいらっしゃいますが、わたしたち神官家だけではありません。きっと官吏の方々も国民の皆さんも同じだと思いますよ」
だから安心しろ。もしくは、何かあれば気楽に頼れ、と言ったところだろうか。空はあえてその先を言わなかった。
「そういや、あんたの名前って空主が由来?」
与羽も、わざと今までの話と関係のないことを口にした。無視しても良かったが、そうするのは申し訳ないと思う程度には感謝している。
「いいえ」
空の口元に笑みが浮かんだ。与羽の気持ちを察したらしい。どうせ、素直でないところも、幼子のようでかわいらしいとでも思っているのだろう。
「よね。月主神官だし」
空にからかわれる前に、与羽は不機嫌に言って正面に向き直った。
帯に挟んでいた扇を抜き取り、自身に風を送る。木陰は多いが、気温と湿度が高い。
今は葉月(八月)末、残暑はまだまだ厳しい。
薄いとはいえ笠から垂らした布のせいで、蒸し風呂にでも入れられた気分だ。しかし、染めた髪を隠している笠をとる気にもなれない。
現在向かっている中継地――角湖は大きな湖のほとりにある。そこはこの時期でも冷たい水をたたえているはずだ。
角湖についたら水浴びをしようと固く決心した与羽だった。




