新たなる旅路
重苦しいほど身体に纏わりつく空気、息が詰まるほど濃い殺気、絶望しか感じさせない重圧――――
これはあの時の記憶、俺の旅の終着点の時の出来事。そして俺の悪夢。
何かを成し遂げようと思って戦っていたのではない。ただ言われるがまま、武具を振るっていた。俺が何者か知るために、俺の運命の未来を知るための戦いだった。
そのために十二神の力を身に宿し、俺は十三番目の、俺のために造られた剣をあの男の胸に刺した。そして俺は――――
(……この夢か)
軽く肩で息をしながら起き上がる。ベッドの上を見回すと、枕の上で寝息を立てているフィンと足元で丸まっているツルキを確認できる。
(どうやら起こさないで済んだみたいだな)
それを確認した後、左の掌を思わず見てしまう。何もついているはずはないのに、手が温かい液体で濡れている気がしてしまう。今さら自分の手が綺麗だとは思わないが、どうしても気になってしまう。どこまでも戦いが追ってくる、そんな感覚が拭えない。
(いや、俺は戦いから逃れられない運命か)
こんな最悪の気分の時は外の空気を吸いながら、ユーカリープで清涼感を感じるのが一番だとベッドからそっと出る。
静かに窓を開き、外を見る。するとあちらこちらに昨夜の騒ぎの跡が残っている。よほどうれしかったのか、酔っぱらった年配の男性が道の端で豪快にいびきをかきながら寝ている。
(……見事に騒いでいたみたいだな)
心なしか村の空気に熱気が残っている感じがする。この手の騒ぎに慣れてない身としては違和感を感じる。
とりあえずユーカリープを口に咥えて、ゆっくり空気を吸う。口の中に爽やかな味が広がるのを感じた後、肺に溜まった空気をすべて吐き出すように息を吐く。そしてユーカリープを再び咥え、もう一度息を吸う。それを何度か繰り返しながら、これからのことを考える。
(俺には関係ない、とは言えないから嫌なんだよな)
森で戦ったオーガ、あれは異質としか言えない。間違いなく魔族クラスであった。だが、それはおかしい。今人界に魔族がいるはずがないのだから。冥界の王が討たれたときに人界からすべての魔族は神々の手によって冥界に送り返された。人界に封印された冥界の神の魂を解放させないために。
(それに奴は我が主と神が、とか言っていたしな)
あれに似た言葉を俺は過去に何度も聞いた。魔族を葬り去るたびに、その死に際に放たれた言葉によく似ている。
"我が神と主がいる限り、貴様のやろうとしていることは全て無駄だ"
あの頃の俺はそんな言葉気にも留めていなかった。単なる戯言としか思っていなかった。しかし、今となってはその言葉の意味が気になる。あれは一体どんな意味だったのか……。
(はあ、やめよ。考えてもわからないし、それに俺には考える資格もないからな)
俺は全てが終わった後、神々の王・ゼウスの提案を断ったんだ。俺には破格ともいえる好待遇であったのにも関わらず逃げ出したのだから。あの時の提案はもしかしたら……。
そこまで思考に老けていると、肩にふわりと何かが触れた。
「おはよ、マフユ。今日は早かったんだね」
「おはよ、フィン。よく寝れたか?」
肩の上には目を擦りながら控えめな欠伸をするフィンがいた。こんな無防備な姿を見れるのは俺だけだと思うと、本当に嬉しく思う。まだ寝むたいのかウトウトしながらも、決して二度寝はせずきっちりとした生活習慣を送っている。本人曰く「規則正しい生活こそ美しさの秘訣」らしいが、そんなことをしなくてもフィンはきっと綺麗なままだと思う。
「……寝起きの乙女をジロジロ見るなんて、マフユのえっち」
「悪いな」
不本意な怒られ方だったので思わず苦笑い気味に謝る。決してそんなつもりはないし、そんな厭らしい目線は送っていなかったと思うのだが、本人がそういうので仕方ない。
これ以上フィンを見ているわけにはいかなくなったので、とりあえずもう一度窓の外の見る。
「平和だね……」
何も考えずに外を見ていると、優しい声でそう言われた。ちらっと見ると先ほどまでと違い、凛としているがこちらに微笑んでいる。しかしどこか儚く悲しそうである。その表情から、その先の言葉が何となくだが、確実に伝わってくる。
"これも全部マフユが頑張ったからなんだよ"
俺がその言葉を言われると否定するのを知っているからこそ、決して口には出さない。それでもこのようにしていつも俺を肯定してくれる。その優しさが俺には唯一と言っていい救いである。
俺は決してこの世に存在してはいけない、否定されるべき存在だと自覚しながらも。それでも俺の生まれた意味を探すためにもしかしたらこの旅を始めたのかもしれない。
(だから最後の一瞬までこの世界のために、か)
何も成し遂げることのできなかった前の旅、そこで知った自分、忌むべき存在。自由もなく、ただ血を浴びていた。決して許さることはない、贖罪なんて単なる偽善にしかならない。
それでも――――。
「あっ!マフユ、あそこ見て」
俺の今の心情を悟ってか、フィンが明るい声で俺の意思を逸らそうとしてきた。ありがたくその思いやりに乗せてもらい、フィンの指差す方を見てみる。
「ルナだな。お姫様がずいぶんと不用心だな」
いくら村人たちに感謝されているといっても、皇女であることには変わりない。そんな人物が不用意に歩き回るのは不用心すぎる。……まあ、それを盛大にバラして休んでいた人物がそんなことを思うのはお門違いであるのだが。済んだことはしょうがないから責めないで頂きたい、それに謝罪してあるから問題ない……はず。
とりあえず俺の所業は置いておくとして、ルナがこんなに朝早くから何をしているのか観察する。
(なんだか足取りが重そうだな)
流石に王女さまなためか姿勢などはきちんとして一見すれば凛とした佇まいなのだが、ここ数日一緒に行動を共にしていたので俯きながら足取りが遅いのが判る。
だが、なんでそんな状態なのかが理解らない。確かに、勇者を探しに来たルナにとっては不幸な結果になったのかもしれないが、依頼的には本物かどうかの判断であったので依頼は達成されたということになる。
「ルナはこれからのことでも悩んでるのか?」
「……はあ、ほんとにマフユはそういうことは疎いんだから」
単なる独り言として呟いたのだが、それに答えが返ってきたことに驚いたとともに、まさか呆れられなければいけないとは予想外であった。何について呆れられたのか分からないし、何よりフィンに言い返しても勝てない。だからこんな時に取るべき行動は一つしかない。
「朝食も兼ねて少しルナと話でもしてくるか」
これはあくまでもルナを心配した上での行動であり、決して逃げたとかそういうわけじゃない。優しさからの行動であり、戦力的撤退とかでは決してない。フィンからじーっと睨まれている気がするが、おそらく気のせい。
取るべき方針が決定したところで、俺はすぐさま着替え始める。ベッドの横に置いてある頭陀袋から簡素な服といつもの枯草色の外套を取り出す。昨日までのボロ雑巾のような状態が嘘のようになり、完全に新品同然の状態に戻っている。
思えばこの外套は長い間使っている。魔法を防いでくれるとか、来てれば透明になれるとかそんな特別な効果は何もない、ごく普通のありふれた外套。それでもずっと使っているせいか愛着が湧き、長年愛用してきた。
感慨深く外套を眺めながら、とりあえず着替えるために借りた服を脱ぐ。服に血が付いていないことを確かめ、次に体に巻いてある包帯に目をやる。
(こっちもだいぶ良くなったな)
ところどころ赤く染まってはいるが、それでも昨夜ほどではなくなっている。衛生面を考え、包帯をちゃっちゃと変える。昨日より痛みがないのでその作業を終えることができた。無駄なことを考え、落ち込むこともなく終えらえたのも大きい。
いつもの冴えない平凡な服に着替え、外套を身に纏い、外出の準備が終わったのを確認する。最後にフィンとツルキを呼び、外套の下に隠れるように指示をして部屋を出た。
少女は周囲から見ればその立ち姿や振舞いにおいて他とは一線を画した雰囲気を醸し出していた。それもそのはずで、彼女はヘスティア家の皇女であり、幼少のころよりそのような振る舞いをするように教育されてきた。
そんなためか、ルナは基本的にどんなに落ち込んでいても皇女としての立ち振る舞いを崩すことはないし、それに気が付くものなどよほど親しい者以外ありえなかった。
今朝もそんな落ち込んだ気分であったために、散歩をしていた。自分の生まれ育った城下ではないので新鮮な気分になれるはず、そんな願いを込めた散歩だった。
しかし気分が晴れることは無く、むしろ出そうになる溜め息を我慢しなければいけないという苦行になり始めていた。
(……なんでこんな気分になってしまったのかしら)
俯きそうになる顔をなんとか固定しながら考えていた。
女神ヘスティアからのお告げの意味を探るべく協力者を探しこの地に訪れた。しかしそこにいたのは勇者ではなく、その者達も魔物たちに襲われ命を落とした。そのことで心を痛めたから落ち込んでいる、確かにそれもある。しかしそれ以外の部分のが大きい。
ひょんな出来事の中で命を救ってくれた、それが最初の出会いだった。身分を明かしてもある意味では決して差別的に扱おうとしない青年。知識も経験も戦闘技能もすべてが冒険者として一流であるにも関わらず、決して奢った態度は見せず、むしろ目立つことを避けるような振る舞い。
そんな青年と決して長い時間過ごしたわけではない。にも関わらずどこかその生き方に惹かれてしまったのと同時に、彼にもう一度依頼を頼みたいと思ってしまった。それほど頼れる人だった。
だが、青年はどこか私と関わることを忌避していた。態度や顔に出ていたわけじゃないし、ましてや言葉で言われたわけじゃない。だけどそれが何となく伝わってきた。彼との関係が終わる、そのことが悲しく感じてしまっていた。
(切り替えなきゃ……)
ヘスティア様と交信ができなくなっている、今はまだ私しかこのことを重大な事態として捉えていない。だけど後々必ずこのことは大きな災いを呼ぶ、だからこそ今誰かに心を囚われていていることは許されない。頭ではそのことはわかっている、わかってはいるがどうしても青年のことが頭から離れない。
「はぁ……」
「朝から溜め息なんて、不景気だな?」
「ひゃ!?」
ついに我慢できなくなった溜め息を漏らしたところにまさか考えていた相手に声をかけられると思わず、なんともらしからぬ声を上げてしまった。恐る恐る声をかけられたほうを向くと、不思議そうな顔して立っていた。思わず恥ずかしくて顔を見れず、自然と下の方に目線が行ってしまう。
そこでふとあることに気が付く。昨日と同じ外套を羽織っている。
(同じ色の外套を何着か持っているのでしょうか?)
「ん?この外套になんか付いてるか?」
「ふぇ?い、いえ、そんなことないですよ!それよりも挨拶が遅れてしまいました。おはようございます、マフユさん」
「あ、ああ。おはよう、ルナ」
確かに気配をけしたまま近づいた俺がいけなかったかもしれないが、怯えられた態度をとられてしまうと何となく傷ついてしまう。目も合わせてもらえないし、なぜか外套を気にしているみたいだし。……もしかして貧相な見た目だと思われたのか、あり得るから怖い。
とりあえず向こうが話題を転換してくれたから考えるのは止めよう、悲しくしかならないし。
「とりあえず朝ごはんでも一緒にどうかと思ったんだが……」
「ぜひ、ご一緒させてください!
「あ、じゃあ行こうか」
先ほどまでの意気消沈気味な態度が嘘のように元気のいい返事が返ってきて思わず驚いてしまった。さっきまで何を悩んでいたのか……もしかして朝食を注文するのにまだ慣れてないからとかそんな理由かと思ったが俺が一応教えてるし、昨日の朝食は一人で注文しているはずなので今更感がある。
疑問を抱えたままだが、ひとまずルナと一緒に朝食を摂る場所を探すことにした。
その後、歩き回ったがどこが良いのかいまいち分らなくなり、最終的に探すのを諦め泊まっていた宿場の一階で食事をとることに決めた。
俺としては普通に食事にしたかったのだが、それが無理なのは目に見えていた。
(村を救ってくれた人で、それが美しいお姫様なら注目を集めるのは当たり前か)
昨夜のお祭り騒ぎで収まったかと予想していたのだが、どうにもそうはいかないらしい。店の中のみならず外からの好奇の眼差しが凄く、俺としては途轍もなく鬱陶しいのだが向かいに座るお方には慣れたものなのか平然としている。これが慣れた人間との差なのか、それとも気が付いていないだけなのか。
(どちらにしても神経が図太いに違いない)
などととてつもなく失礼極まりないことを考えているうちに食事が運ばれてきた。程よく焼けたトーストに彩の良いサラダ、ハムエッグまである。正直ここまで良い朝食を摂ったのはかなり昔に一度あるかないかくらいだと思う。もちろんルナにとっては物足りないとは思うが、小市民の俺が注文したのでそこはご理解して頂いている。
(この村に来てからここまで良い物を食べるなんて想像してなかったな)
正直言って辺境にある村であり、贅沢をしようなんて考える人間は大抵城下町など栄えた場所でするだろう。そもそも食事をするためにこの村に来たわけではないのだから。すべては単なる偶然の連続と言ったところか。
そんなことを考えながらも食事はしていた、もちろん形式的なもののみで構成される会話をしながらだが。ルナの方はわからないが、少なくとも俺の方はまだ聞きたいことを聞けていない。下手な地雷を踏むと食事の時間がさらに苦痛になることが予想されるからである。
と言っても無駄な時間にするという感覚もまた無いので、ある程度食事が落ち着き、食後のコーヒーが運ばれてきたところでついに本題を切り出した。
「それで、何をそんなに落ち込んでいるんだ?」
「えっと……ですね」
先ほどまでの嬉しそうな(恐らく社交的なものではあるが)ルナの表情が一瞬で曇った。
そのまま少し待っていても返事はなく、完全に口の動きが止まってしまい俯いてしまった。そんな状態になってしまったので、自分の考えをもとにして積み上げた推理を話してみる。
「まあ、落ち込むのは仕方ないよな。自分の国が大変な時に現れた勇者と名乗る男がニセモノだったんだからな。きっとこれからの方針に戸惑っているんだろ?」
この推理は建前的にはルナの考えに当たっていた。しかし、本質的には全く違っていたともいえる。
だがここで馬鹿正直に答える必要もないので、このありがたい勘違い(?)にルナは乗らせてもらうことにした。
「は、はい。城の方々も今は重大に受け止めていませんが、いずれは問題になるので……」
「その前に策の一つでもある方が安心だもんな」
これはルナの本心でもあった。だからこそ俺はルナの言葉に疑いなんて微塵も思わなかった。まあ、人の本音が分かるような特殊な才能なんて持ち合わせていないのだが。
困ったような表情のままのルナ、流石にそんなものを眺めて喜べるような性格ではないのである提案をしてみる。
「えーっとだな、ヘスティア様の件について手を貸せるほどの人間じゃないから、ルナの悩みの本質の解決にはならないと思うが、オーフェン城までお供するぐらいならするが?」
「えっ、本当ですか!?」
一転して大輪の花が咲いたような笑みを向けられ思わず、驚いてしまう。
正直言って、ルナの話だけではこんな自分らしくない提案をする気にはならなかった。そしてあの謎のオーガと遭遇しただけでもまた同じだと思う。
しかし、この二つの要因を前にしてどうにも関わることを避けてはいけないと思ってしまった。だからと言って、全面的に協力をすると色々知られたくないことまで知られてしまいそうなので、このような提案をしたのだが――――
(どうしてこんなに喜んでいるんだろう?)
目の前で飛び跳ねて喜んでいるまでしてはいないまでも、顔に分かりやすいほど喜びが表れている。本質的な解決策にはならないけど良いのかと思ったが、とりあえずこれ以上の追及は止めた。
「それじゃあ、とりあえず旅の支度をして昼前にはこの村を出ようか?」
「はい!」
元気な返事に圧倒され何も言えぬまま食堂を後にした。
旅の支度は思いのほか簡単に終わった。女性の買い物は時間がかかると思っていたのだが、考えてみれば一応ルナもこの村まで一人で来たわけでありそれなりのノウハウはあったようで、必要最低限の買い物で済んだ。
俺の方もこの村に来た最大の理由である花蜜と適当な武器を買うだけで済んだので考えていたよりも早く身支度が終わった。
そして俺たちは今、村の入り口兼出口の場所でガラッタの村長と数人の村人たちに見送られている最中である。その中にはあの酒場のマスターも見受けられた。
「まさか青年、君が解決してくれるとはね」
「……いや、俺じゃなくてあちらのお嬢様のおかげだよ」
そう言いながら向こうで村長やらに囲まれながら大変そうにしているルナに視線を向ける。マスターも俺にならってそっちに視線を向けるが、すぐに俺の方に戻す。
「謙虚な男だな、青年」
「……謙虚じゃなくて事実だよ」
肩を竦めながら、自嘲気味にそう答える。
(倒したのは俺だが、ルナがいなければ俺が戦うことにはならなかったからな。全部ルナのおかげだよ)
そんなことを内心でつぶやきながらルナを待つ。少しするとルナの方の見送りが終わったようで、俺の横にやってくる。そのまま、最後の挨拶を告げてオーフェン城に向け新たな旅路についた。
この選択が俺をさらに面倒な未来に誘うことなど知る由もなく……