求める心
月が天球の丁度真上辺りを過ぎた頃に俺たちは野営の場所に戻ってきた。あれから3時間程度しか経過していないとすると、トレントたちとの会合時間はそれほどかかっていなかったらしい。
「それじゃあ私は先に戻るわね、みんなが心配しちゃうから」
「……ああ。今日はお疲れさま、先の話はとりあえず黙っておいてくれ」
「分かってるわ、混乱を招くわけにはいかないから」
フィリアーナは野営地に戻ると、俺を気遣ってか簡単な会話を済ませ早々に彼女の一座の天幕へと戻っていた。その後ろ姿はどこまでも優雅で自信に満ち溢れ、自分のすべき事・したい事に迷いがないように見える。
(それに比べて……)
オールド・トレントに聞いた龍の話を深く考えなくてはいけないことなのだが、それすらもどうでもいいらしく脳裏を掠めようともしない。
喪失感なのか、失望なのか、あるいは絶望なのか、そのような感情がぐるぐると渦を巻いて俺を追い詰める。掌や身体には何も付いていないのに、生温かく血生臭さを感じ思わず顔を顰めたくなる。
「……マフユ?」
相棒が肩の上から心配そうに俺の横顔を見つめている。だが今はどんな表情でそれに対応していいのか分からず、言葉が喉の奥に詰まる。
「大丈夫だ……ルナが心配してると思うから先にツルキと戻っててくれないか?」
結局絞り出した言葉はそんな見栄と虚勢で構築されたような言葉だった。フィンの顔が悲しそうに歪むが、それでも俺の心情を察してツルキとともにルナたちのいる場所に先に行ってくれた。
申し訳ない気持ちでいっぱいにも関わらず、表情は作られることがない。まるで能面でも被っているかのような、そんな状態である。
そんなままで満点の星空を眺める。黄色や銀色の閃光がチカチカと淡く、あるいは激しく輝くその光景は絶景以外の何ものでもないのだが、それが心に響くことは無く、小さなため息が漏れる。
「結局俺は今何のために武器を持って、何のために戦っているのか……」
今の俺には意志が決定的に掛けている。ただ人形のように戦っている自分はかつての英雄と共通する部分がある。だがあの時は目的があった、自分を知ると言う確かな目的があった。もちろんそれが大義となるわけでも無いが、今の俺よりはずっとマシというモノ。
今の自分のダメさに嫌気がさしながら、頭を何かで打ち抜かれたようにだらりと草原に寝転ぶ。寝転んだ際にボサッと草が舞い上がる。大の字になりながら満点の星空をもう一度眺める。
眺めるうちにその星々の光が次第に別のモノへと変貌し始めた。それは怒り、悲しみ、恐怖、蔑み、侮蔑、そんな感情の籠った瞳。今まで俺の手によって斬り裂かれた者たちが最後の瞬間、俺を見つめた瞳。
――――血が通っていない、冷血過ぎる。
――――そんなこと出来るはずがない、お前は人じゃない。
――――人の姿に似せた化け物めっ。
化け物、化け物、化け物……。かつてその瞳は時に恐れながら、時に嘆きながら、時に悟りながら、雄弁に俺をそう評した。
「そう……俺は化け物だ」
「そんなことありません。マフユ様はどう見ても人間、ですよ」
草を踏みしめる足音とともに、どこまでも優しく愛情に満ちた声が俺の耳に届いた。上半身を起こして声の方を見やると優しく微笑むルナと目が合った。ルナはゆっくりと俺の横まで歩いてきてちょこんと隣に腰かけた。肩と肩が触れるほどの近さ、ルナの温もりが服越しにも伝ってくる。
「どうしてここに?フィンに聞いたのか?」
まだ表情が作れないのでサッと目を伏せ、俯きながら問いかけた。
「はい。お一人になりたいと言うのも聞いていたのですが、」
どこか変なタイミングで言葉が途切れ、俺は彼女が言葉を紡ぐのをただ待った。少しして意を決したようにルナは声を上ずらせながら言葉を紡いだ。
「わ、私がマフユ様のお傍にいたいから来ちゃいました……」
「そっか……ありがとな」
なぜだか自然とそんな言葉が口から出てきた。いつもなら返せないだろうし、先までの自分でも言葉が自然と紡がれるはずはなかったのに今はそれが自然に出た。
なんでだろう、そう疑問に思い、俯きながらもチラッとルナの横顔を覗き見た。そこにいる少女は顔を真っ赤に染め上げながらも俺のことを大切に、そして人間として見てくれている。
(ただ何の目的も意志も人形のように戦い続ける俺なんかを……化け物じゃなく、人として)
思えば人族で俺を人として接してくれたことがある人を知らない。正確に言えば、俺が戦っている姿を見たうえで、だが。
それを鑑みると隣に腰かける少女はかなり特殊と言える。だれしも俺の戦いを見て、恐れや恐怖から一線を引くどころかかなり距離を開けて、遠くで眺めるようなスタンスを取ると言うのが普通だった。俺としても昔は誰かが近くにいない方が都合がよかったし、いても無意味だったためにそれほど気にしていなかった。
(だけど……やはりどこかで理解者を求めていたのか)
ルナは俺の戦いを見ても、決して化け物とは扱わなかった。それだからこそ、俺は彼女にどこか惹かれている部分があるのかもしれない。
そしてそう結論付ければトレントたちとの戦いの中でフィンとフィリアーナの声が妙に響いて聞こえたのも頷ける。
(……俺は今は誰かといることを望み、その一緒にいたい誰かのために戦うことを望んでいる)
どこまでも簡単な理屈だけど、俺にとってはどこまでも難しい命題だったのかもしれない。ずっと一人で戦い、ずっと塞ぎこむように生きていた俺には……。
「マフユ様、私はずっとお慕いしております」
未だに俯きながら盗み見るようにしていた俺の視線を感じたのか、こちらを向いてにっこりとほほ笑むルナ。それを俺はどこまでも愛しく感じてしまい、無意識のうちに彼女の細い肩を抱き寄せていた。
「ぁ……」
そんな小さく艶やかな声が腕の中から聞こえてきた。恥ずかしそうに、しかしどこか嬉しそうな表情を見せるルナ。俺はそんな彼女を自分に押し付けるようにさらに腕に力を籠める。
女性特有の甘い香りが長く艶のある真紅の髪を撫でるたびに鼻腔を擽るように広がり、その温もりと柔らかさが俺の思考を徐々に奪っていく。
「ルナ、いつもありがとな。今さらかもしれないけど……大好きだ」
「マフユ様……私も同じ気持ちですっ」
俺の言葉に導かれるようにルナは顔をそっと上げ、お互いに言の葉に気持ちを乗せた。
ルナの真紅の瞳は俺を優しく温かく包み込むようで、その桜色の唇からは彼女の体温を感じさせるような熱い吐息が漏れている。俺は知らぬ間にその瞳と唇に吸い寄せられていたようで、ルナの鼻先と俺の鼻先が完全に触れ合った。それでもいつもならそこで驚いて止まるのだが、今はそれがない。それはルナも同じようで、お互いにそのまま見つめ合う。
「ルナ……」
「マフユ……さま」
それは何がきっかけだったか、夜風が草を撫でる音か、虫の合唱か、あるいは――――。
「んっ……」
柔らかい感触が唇に触り、今まで感じたことのないような甘さが口の中いっぱいに広まった。
そのまま少しして、どちらからというわけでも無くゆっくりと名残りを惜しむように離れた。
「ルナ……」
俺の脚の上に乗る様な格好で、恍惚とした表情を浮かべる婚約者。その少女の髪を俺は掬うようにしながら何度も撫でる。そのまま俺は自然と自分のことを語り始めていた。
「俺は……英雄と呼ばれた者の一部だって言ったよな?」
「はい」
「別に俺は英雄になりたかったわけじゃないんだ。俺は正直この世界のために戦っていたわけじゃない、俺は自分のことを知りたくて、戦っていたんだ……」
「ご自分のこと、ですか?」
俺の腕の中で不思議そうな表情を浮かべるルナ。まあ、普通そんなこと言われてもピンとこないのは当たり前と言えば当たり前だが。それを考えると不思議と自然に苦笑いを浮かべていた。
「ああ、俺は孤児なんだ。しかも……生まれてすぐに捨てられた」
「……っ」
一転して悲痛そうな表情を浮かべるルナ。そんな優しさを噛み締めつつ、話を続ける。
「俺はそれを知るために戦っていた。別に親が誰か知りたかったわけじゃない、俺が生まれた理由を知るための戦いだったんだ。そのために俺は来る日も、来る日も武器を振り命を奪い、血を浴びた」
その日々は今でも脳裏に焼き付き、悪夢として、時には感覚としてどこまでも蝕む。それは思い出すたびに発作のように起こるのだが、今は眼前に映る少女のおかげかそれが無い。それの感謝の意味も込めて彼女を支える方の手に力を籠めて自分に引き寄せる。ルナもそれに恥らいつつも、嬉しそうに安心仕切った表情で身を寄せてくる。あるいはそれは俺を癒すための行動なのかもしれない。
「そして……旅の終着点で俺はそれを知った。冥王と言われた、男をこの手で討ったときに全て……な」
あの時のことは今でもよく覚えている。煌めいた剣閃の色、剣戟の音、そして最後に聞いたあの男の声。
『お前は…………だ』
その言葉を思い出し、思わず身体に力が入る。その強張りはルナにも伝わったようで、心配そうにこちらを眺めてる。俺は自分が落ち着くために彼女の髪を撫でる手の速度を落とす。その感触を手に刻み込み、心を落ち着かせる。ある程度落ち着いたタイミングで、大きく息を吐き出し、俺の正体を明かす。
「俺は冥王の血縁者、より正確に言うなら子供だ。昔言えなかったけど、俺の苗字はオルクスだ」
オルクス――それは冥界の神であるハデスの血縁者にあたる者が名乗る苗字。つまり俺は冥界の神の血縁者にもあたる。
それを聞けばさすがのルナも俺を怯えてしまうかと思ったが、そんなことは無かった。
「マフユ様……私はマフユ様のことが知れてうれしいですっ」
目元に涙を溜めながら俺の腰に回す手に力を籠めてきた。
「まさか……喜ばれるとはな、ちょっと驚いたな」
「確かに驚きましたけど、それ以上にマフユ様のことを知れたことのが嬉しいんですっ!!」
「ほんと俺はルナみたいな子と出逢えて幸せだな……」
心の底から素直にそう思えた自分に多少意外感がありながらも、俺はもう一度ルナの唇にキスを落とした。ルナもそれを喜ぶように受け入れてくれた。
俺たちはそのまま野営地には戻らずに、その場で夜を過ごした。
そんな出来事があった数時間前、丁度トレントたちと会合していた頃だろうか。8頭ほどの飛竜が規則正しく大陸の空を飛んでいる。その飛竜たちのちょうど真ん中には豪華な籠のようなものが吊るされている。これは竜籠という、主に王族や貴族が移動に使うための乗り物である。そんな籠を運ぶ飛竜とは、言ってしまえば竜種とは別の種類でワイバーンと呼ばれる生物である。体長も竜種と比べるとかなり小さく、大きいもので3m程度にしかならない。
だからと言って弱いわけはなく、ランクで言えばAにも相当する。だが、この龍籠のワイバーンは基本卵の時から人に育てられているので比較的温厚な性格をしている。
そんな龍籠に乗っているのは古来より現存する八王家の一つでヘスティア領の国王、ヘムート・ヘスティアである。
「そろそろか?」
「はい。現在ディアーナ領上空ですので、もうすぐにでも帝都が見えてくるはずです」
ヘムートの問いかけに淀みなく答えるロイズ。腰には細剣携え、その立ち姿は騎士の模範となるが、隣で騎士とはあるまじき姿で寛ぐ団長と比べるとやはりどこかお堅い印象がある。
「ロイズ、少しは肩の力を抜け。俺たちの役目はあくまでも会議の時の護衛で、仮にここで急襲されても空を飛べない俺らにはどうにもできん」
「だからと言って団長は寛ぎ過ぎです!なんで国王陛下の前で一緒に紅茶を飲んでいるんですか!!」
団長であるはずのルドルフはというと、国王の前を陣取りあろうことか一緒にティーカップに口を付けて寛いでいる。
「まあまあ、ロイズよ。ルドルフは昔からこういう男であり、だからこそ儂も信頼できる。だから気にするでない」
「だ、そうだ。それにこんな上空で襲ってくる奴なんてそうそういねーよ」
「だからと言ってもですね……」
困り果てた様に深いため息を吐き出すロイズ。その様子を愉快そうに眺めるルドルフはとても騎士団の団長を務める男には到底思えない。
そんな二人を眺めながらふと思い出したようにヘムートは呟く。
「そう言えばルナは元気でやっているかの……」
「どうでしょうね……ただ、怪我はしてないと思いますよ。なんせ青年が付いてますから」
「確かにな。護衛として、婿としてあれ以上の逸材はおらぬかもしれんな」
ヘムートはルドルフの言葉を顎鬚を撫でながら呟いた。そんな一見王族の移動とは思えないような雰囲気を漂うわせている龍籠だが、次第にその速度を緩め始める。
「陛下、帝都に到着したようです」
「分かった。それではルドルフよ、ここからは頼むぞ」
「了解しました」
一変して厳かな雰囲気を創りだした龍籠はゆっくりと帝都の中心へと降下し始めた。その眼下にはヘスティア城とは違った要塞のような居城が聳えていた。




