冷血なる英雄 2
俺がこんなにも猛け狂っているのはもしかしたらかつての自分をそこに重ねてしまったからなのかもしれない。
かつての自分を否定しながら、かつての自分に成り果てた自分。そんな矛盾を孕みながらただひたすらに剣を振う。
倒れる硬質の木皮をしたトレント。腕のように両サイドから生えていた枝は無残に切断され、表皮には無数の鋭い斬撃痕が残っている。その口のような部分からは絶え絶えの息が漏れている。俺はそれに対して何の感情も覚えず、ただ左手に握る剣を力なく肩口に担ぐように構え――――。
「ダメーーーー!」
「もう止まって……」
音も無く、ただ無情に斬り裂こうとしていた剣閃がトレントに表皮少し手前でぴたりと止まった。なぜ止まったのか自分でも分からない。
(どうしてか止めないといけない気がした……)
そのまま剣を引く。トレントは俺から発せられいていた殺気が弱まったことで張りつめていた緊張の糸が切れたのか、意識を失った。
そのまま茫然と立っていると、空から白く小さくて綺麗な華が降ってきた。それは俺を避け、失命したトレントたちに手向けのようにフワリと舞い降り、巨大な氷の華を咲かせた。それは他の場所でも起こり始め、次々と氷華がいたるところに咲き乱れ、幻想的な空間を創りだす。
「すごい……な」
他に言葉が浮かばないほどの衝撃に見舞われた。その幻想的な風景にもだが、それ以上にこの壮絶な魔法を完全にコントロールしているという点にである。普通これだけ空間に作用する魔法なら対象を指定するのは困難なはずなのに、今は命の息吹がある者には作用させていない。その証拠に俺だけでないく、目の前でボロボロに傷つけたエルダー・トレントには白い華は舞い降りてこない。
「ありがと、な……」
止めてくれたことと、トレントたちへの手向けをしてくれたことに対して小さくお礼の言葉を呟く。
そのまま幻想的な空間の中心に俺は身体をむけた。視線の先にいたのは涙の雫で顔を濡らしたフィンと、溢れんばかりの魔力を身体に纏いながらも哀しげな表情をするフィリアーナ。先ほど届いた声は果たしてどちらがどちらのモノだったか分からない。前者がフィンで後者がフィリアーナ、あるいは逆かもしれないし、もしかしたら両方とも彼女たちの気持ちだったかもしれない。
そこまで切に願った本心だったからこそ、俺の凍てついた心の奥底にまで届いたのだと思う。
(ルナもそうだけど……俺の周りには良い人が多いよ……な)
決して涙が流れることも喜びの笑みを浮かべることも無かったが、胸の奥が熱くなるのを感じる。
あの時は隣にフィンやツルキがいても俺は決して感じることがなかった、それほどまでに傷つき塞ぎこんでいた。今も恐らくその感覚に近くなっていた、だが今回は感じることができた。
(この差は……なんなんだろうな)
天を仰ぎ空を舞う白い華を見ながら自問してみるが、答えは出ない。
そんなことを考えているうちに体の奥底で渦巻いていた怒りや憤りなどの負の感情がスーッと抜けていくのが分かる。するとそれに呼応するように発せられていた殺気も霧散するかのように無くなり、危うく手から剣を落としそうになる。
(もう今日は使わない、か)
左手に握る剣を眺める。いつもと違い刀身が緩むどころか刃毀れ一つ無い。それを喜ぶべきか、悲しむべきなのか分からないまま鞘に仕舞い込む。キンッ、と良い音を鳴らしながら刀身が鞘に納まると、足音が聞こえてきた。フィンとフィリアーナがわざわざこちらに来てくれているらしい。
(いつも通りの顔ってどんなのだったかな……)
恐らくだが今の俺には表情が無いそんな気がする。そんな自分を見せて心配を掛けたくないのでいつも通りを心がけようとするのだが、いかんせんその表情が分からない。
(なにより人ではない俺をこれ以上見られたくない)
――――化け物めっ
そう揶揄されたかつての、そして未来の自分を見られたくない。
別に人を殺したわけじゃないし、それに同じ命だからと聖人君子のような尊い志を持っているわけでも無い。でもなぜだか今だけは罪悪感を感じてしまう。それは自分を忌避しているからなのか、あるいは化け物としての自覚から逃避したいがための行動なのか。
そのどちらにしても逃げているという意味では変わらない、そう思いながら心臓を鷲掴みにするかのように胸元を握る。刻む鼓動は乱れずゆったりとした一定のリズムを刻んでいるのに、心臓だけは矢鱈と高熱を持っている。
「……疼いているのか」
俺の負の感情に喚起されたのか、運命の"呪い"とでも言うべきものが疼く。ある意味では不死の呪いかもしれ無いが、そんな誰かが求めるような甘美なモノでは決してない。単に逃げ出すことを防ぐ枷のようなモノなのだから。
「マフユ……」
胸元を抑えているとフィンが躊躇いがちに声を掛けてきた。俺は顔を見られたくないので前髪で目元を覆って、俯きながら彼女の顔を伺う。その目元は相変わらず濡れ、声も震えている。かなり心配をかけてしまったらしい。その横に立つフィリアーナにもかなり心配をかけてしまってらしく青い顔をしている。
(いや……これは魔力の枯渇のせいか?)
俯き、垂れる前髪の間からしか見えないのでその辺の判断はつかないが、あれだけの魔法を使用したのだからその可能性が高い。どちらにしても彼女にはお礼を言うのが筋であるのは間違いないので、俯きながらで失礼ではあるが、簡単にお礼をする。
「二人とも心配かけた……すまない。それとありがとう」
「ううん。マフユが無事でよかったよ」
「ええ、それに私が勝手に付いて来ただけだから気にしないで」
そう言って二人とも何事も無いかのように振舞ってくれる。その対応が俺にはありがたい。
(……このまま立ち去りたい……が)
今回の主目的を達成していない。それに言いだしっぺは俺のため最後の締めまでやるのが筋とというものであろう。
辺りを見渡す。先ほどまで俺への怨嗟とでもいうべきものが渦巻いていた気がするが、それが今は感じれない。
(フィリアーナの舞にはそういう効果もあるの、か?)
もしかしたら俺の都合のいい解釈あるいは盲目的なまでの希望的観測でしかないのかもしれない。それでも今はその方がありがたい。
フーッと息を一つついてから、何も感じない氷華が咲いた中を少し進む。生き残り動けるトレントは俺が進むたびに逃げるように道を開く。
「トレントたちの長よ。話がある」
立ち止まり、無理やり声を張り上げて姿を隠すオールド・トレントに話しかける。少しすると、トレントたちの間から灰色の木皮をした巨大なトレントが姿を現した。
それは相変わらず見上げる様に高く、殺気や敵対心がないせいか、聳え立つ霊峰のような神聖さを感じさせる。
"貴様は何者だ、我らに何を望むと言うのだ……"
警戒心を露わにした口調で目線を逸らさずに俺をしっかりと見据えて問いかけてくる。その姿は集団を率いる長にふさわしい物だと俺は思う。
「俺はマフユ、今は旅人をしている。別に俺はお前たちに危害を加えたかったわけではない。ただ聞きたいことがあっただけだ!」
こんな惨状を作りだした本人が言っても説得力にはかなり欠けてしまうが、弁解のための言い訳にも聞こえてしまうが正確な話を聞きたいので伝える。
"別に文句を言うつもりはない。我々に非があるわけで、仕方ないことだったのだからな……"
「そう言ってもらえて有り難い……」
それでも感情はやはり別なのだろう、厳かな老木の瞳には様々な感情が渦巻いている。俺は謝罪しようかと思ったが、それは俺が命を奪った者への冒涜だと気が付き礼をするに止めた。その態度を見て老木は色々な感情を噛み殺し取り合う姿勢を見せた。
"それで主の聞きたいこととは何ぞ?"
「お前たちは魔術都市の方からやって来たということで間違いないか?」
"そうだが……"
「ではなぜこちらに来た?向こうに一体何が現れたと言うのだ?」
そう聞いた瞬間、トレントたちの間に動揺が走った。あるいは俺に向けていた恐怖とは別の恐怖を見せた。眼前の老木は苦虫を噛んだかのような表情を浮かべている。重苦しい雰囲気が漂う中、オールド・トレントが沈黙を破るようにその口を開いた。
"人間、主の目的は知らぬし興味もない。だが、彼の地に行くのなら覚悟するがよい……"
「……何がいるんだ?」
俺が固唾を呑んで見つめる中、掠れる声で確かにそう呟いた。
――――……竜が現れた、と。
竜と言う言葉から俺の脳裏にある一人の男が過った。どこまでも気高く、質実剛健という言葉が似合う男。孤高でいて高貴、しかし本性は獰猛。
戦場でのその姿はまさに竜そのもの。その体は龍の鱗のように全ての攻撃を防ぎ、その手に握られる剣は龍の爪のごとくすべてを切り裂き、その魔法は龍の咆哮のようにすべてを薙ぎ払っていた。
それを思い出しているうちに無意識に胸元にあるメダルをしっかりと握りしめていた。
魔術都市シャルドの南には広大な森や平原、湿地帯が広がっている。そのような場所のため住みつく魔物や生物は多い。
広大な平原には巨大な2本の角を持つブラック・エルクというヘラジカのような巨大な魔物から一角ウサギと言った小型の魔物まで住んでおり、鬱蒼と茂る森にはゴブリンやコボルド、オークやオーガと言った世間的に知られている魔物から昆虫型の魔物が徘徊する。
もちろんそれらを捕食する高ランクの魔物もおり、天空の死神の異名を持つグリフォンやトロールなどはこの地域でも生態系の頂点に位置する。だが――――。
――――グォォォォォ!!!!
天を裂き、地を割るような途轍もない咆哮が響き渡る。それが聞こえた瞬間、一帯は様相は一変した。
我先にと言わんばかりの様子で森から姿を現すゴブリンやコボルド。それに続くようにオーガや巨大な虫型の魔物も出でてくる。どれにも共通するのは逃げ惑うような、恐怖にまみれた雰囲気を漂うわせているということ。
それは湿地や平原地帯でも同様で、低ランクの魔物は皆蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う。
――――ズン、ズン、ズン
腹の底から響くような地鳴りとともに姿を現したのは一頭の竜。知性を宿した真っ赤な瞳に、鋭い爪と牙、立派な双角、雄雄しい銀の皮膜の翼を持つ。その四肢は巨木のように太く、体躯は鋼のように強靭な筋肉に覆われる。その身を包む黒金色に輝く鱗は堅牢さの象徴。
まさに王者の風格を漂うわすその竜だが、不可解な点が一つだけある。その体表面に血脈のように赤黒く紋様が浮かんでいる。それは本当に血が流れているかのように、ドクドクと波打っている。
――――グルルルっ!!
黒竜を追うようにして空から現れたのは数頭のグリフォン。グリフォンたちはそのまま滑空し、鋭い前脚の鷲爪を、あるいは嘴を黒龍に突き立てる。
確かに体長が黒龍が数十mに対しグリフォンはせいぜい2m弱とかなり差がある。それでもグリフォンの膂力は凄まじく鋼の鎧などでも紙切れのように軽々と斬り裂く。その元の威力と加えて滑空速度を加えれば竜麟すらも斬り裂けるはずだった。しかし――――。
――――キンっ
甲高い音を上げながらその爪は傷を付けるどころか、反対にグリフォンたちの爪が折れられるという結果となった。流石のグリフォンたちもこの事態は予想していなかったようで茫然と空中を旋回している。
黒龍はと言えば煩わしいとばかりに天空の死神を真っ赤な瞳で睨みつけ、次の瞬間両翼を力強く広げ、羽ばたかせる。森や草原には嵐の如く風が吹き荒れ、鎌鼬のように木々を斬り裂いていく。
――――グォォォォォ!!!!
再び力強い咆哮。その巨体をまるで感じさせない飛翔を見せながら、その鋭い牙と爪でグリフォンたちを一捻りにしていく。空を覆い尽くさんばかりに聞こえる断末魔、しかし黒龍はそれに追い打ちをかけるように咢をゆったりと開く。その奥で爛々と輝く真紅の閃光。一際巨大な咆哮とともに、空を焦がさんばかりの火炎が吹き荒れる。
その火炎が収まると空には雲一つ無くなり、降り行くはグリフォンだったモノの残骸。何もなくなった天空を確認すると黒龍は再び地面に降り立ち、その地帯を蹂躙する如く消えて行った。
龍族とは人界の生物の中の頂点に立つ最強の生物である。しかし、それでもこの黒龍はその桁が違っていた。
そんな黒龍のいる場所の遥か上空に小さな虚空が窓を開ける。そこから出てきたのは深紫のローブを着た女性。手には瘴気漂う禍々しい水晶玉。
「ふふっ、なにやら動いている者たちがチラホラといるみたいだけど、今回は邪魔できないわよ」
口元に怪しげな笑みを浮かべながら黒龍を悠然と見つめる。そしてそのまま魔女は再び虚空へと姿を消した。




