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英雄にはならなかったとある冒険者  作者: 二月 愁
第二章 止水の舞姫
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冷血なる英雄 1

「フィリア、魔法はまだ発動できないの!?」


 奥の手である魔法を発動させるため儀式として舞に集中していたフィリアーナの耳に急に痛切で必死な妖精の声が突如響いた。


「フィン、どうしたの急に?」


 フィリアーナは舞いながらもただ事ではないとすぐに察し、懸命に障壁魔法を維持する妖精のフィンに話かける。


「このままじゃ、マフユが……」

「彼がどうしたの?」


 舞の途中ではあったが、彼が怪我でも負ったのかと心配になり身体を動かしたまま、視線だけを彼に向けた。

 視線の先に立つ青年は、どこか風体はどこにでもいる普通の旅人なのだが、その戦闘能力は正直疑いたくなるものだった。フィリアーナは情熱的な戦い(ダンス)が好みのため、そこそこ自信はあったのだけど彼には正直勝てる気がしなかった。

 そんな彼だからこそ、フィリアーナのような戦闘狂を女性として扱ってくれる。今まで色目で見てくる男はいたけど、彼はフィリアーナをそんな目では決して見ないでひとりの女性として接してくれる。

 どこか自分に自信なさそうで、何かを悔いているような、人と関わることを避けているような不思議な人。その癖にどこまでもお人よしで、優しい。だからこそフィリアーナは惚れてしまったのだけれども……。


(そんな彼にもお似合いのお嫁さんがいるのだけどね……)


 ふとフィリアーナの脳裏に一人の少女の顔が過る。出会ってそれこそ一日程度だが、それでも意気投合し親友とまで呼べるような仲になったルナ。そんな親友の未来の旦那に恋心を抱いてしまった、というなんとも辛い物語であり、思わず嘆息を吐きそうになってしまう。


「っと、今はそんなこと考えている暇はないわね」


 フィリアーナはかぶりを振りながらその思考を外に追いやる。そしてやっと彼の姿を捕えるのだが……。


「別に……えっ!?」


 どこにも怪我していないじゃない、と安堵の呟きを漏らそうとした瞬間、異変に気が付いた。

 いつもならどこか気怠げ、というかやる気を見せない表情なのだが、今はその顔に表情が無い。表情がない、というよりは冷酷な冷めたい顔をしている。


「い、いったいなにが……?」


誰に対して呟いたものではなかったのだが、フィリアーナの独り言に返してくれる者がいた。


「早くしないと……昔のマフユに戻っちゃう」

「昔の……って?」


 彼の過去は気になるが、それ以上に彼に起きている変化がフィリアーナの口を動かした。一体彼に何が起きているのか、それを聞こうとした途端、障壁の外で変化が起きた。


「マフユ、だめっーーーー」


 障壁の中では妖精が目元に涙を溜めながら、悲痛な叫び声をあげていた。




 放たれる圧倒的な重圧(プレッシャー)と、常人ではおそらく耐えることはおろか、息することもままならないほど濃密な殺気。


"そ、そんな……人間の小僧ごときが……"


 未だに姿を隠しているトレントたちの長であるオールド・トレントの喉の奥から絞り出したような枯れた声。あの威厳のある口調は完全に息を潜めてしまい、驚愕と恐怖の色がはっきりと見て取れる。

 周囲でも完全に殺気と重圧に飲まれ、トレントやエルダートレントは身動き一つまともに出来ていない。


「そんなに死を望むなら……俺がくれてやる」


 不自然な静寂に包まれた中で、俺のそんな冷たい声がよく響いた。剣を握る左腕をだらりとぶら下げ、軽く地面を蹴った。その際、フィンの悲痛な叫びが聞こえたような気がしたが、それはどこか遠く、上手く聞き取ることができなかった。

 

――――斬、斬、斬


 軽く振うだけで目の前で怯えたように動きを止めるトレントは簡単に切り裂けた。まるで抵抗など存在しないように、あるいは空気でも斬るかのような手ごたえの無さ。

 いつもなら刃から、何かしら感触が伝わり、否応なく命を奪う事への罪過を悔いているのに今はそれを感じない。ただ、目の前に映る何かを切る伏せるだけ。それ以上でもそれ以下でもない。


「グフ……」


 他よりも堅そうな木皮の色をしたトレントが縦に真っ二つに斬り裂くと、そんな声をとともに化け物でも見たかのような暗い瞳を俺に向けてきた。


「そういえば俺は……」


――――化け物だった、な


 脳内に響く自分の声を無感動に反芻しながら、左手の剣を構えた。




 そこからフィリアーナが見た光景は信じられないものだった。確かに彼の戦闘能力は逸脱している。それこそ、今まで依頼をしたり、実際に戦って(踊って)みたりしてきた冒険者など取るに足らないようなほどのモノだった。

 だが、今眼前で繰り広げられている彼の戦闘はもはや戦闘とは言えず、一方的な侵略とも言える。だらりと構えた左腕に持つ剣は銘のある聖剣や魔剣と言われる代物ならまだ、理解できる(・・・・・)。もちろん納得などできないが、それでもなんとかそれの恩恵もあると説明がつく。

 しかし、実際にその手に持つ剣はとてもでは無いが、そんな雰囲気も輝きも無い極々普通の一般的な安物である。そんな剣でトレントをまるでバターか何かのように苦も無く斬り裂く。

 しかも逸脱しているのはそれだけではない。


「そ、そんな……目で追えないなんて……」


 トレントが斬り裂かれたかと思うと、次の瞬間には彼の姿は見えず、また次のトレントが斬られ倒れていく。故にトレントたちは攻撃することも防御することもままならず、一方的に斬られているだけである。そしてその移動速度はトレントを倒すごとに加速度的に上昇し、すでにフィリアーナの目でも負えなくなっている。枯草色の外套を靡かせて、眼にもとまらぬ移動を見せるその姿は雷光のようにも見える。


「本当に……彼は一体……」


 何者なの、と呟こうとした瞬間ふと祖母の言葉をなぜか思い出した。その言葉と彼を照らし合わせると、一つの解が導かれる。どうしようも無いほど根拠のない答え、だがそれほどしっくりくるものもなかった。


「まさか……」


 思わず手から羽扇を落としてしまう。それはひらひらと舞いながらフワリと地面に転がる。羽扇を拾うことも忘れ、思考の海に溺れ始めるフィリアーナ。

 そんな彼女を思考の海から引き戻したのは妖精のフィンだった。


「フィリア!」

「っ!ああ、ごめんないさい、すこし考え事を……」

「分かるよ……だけど、お願い。早く魔法を発動させて……早くトレントたちの戦意を折って。そしてらマフユも止まれると思うから」

「分かったわ……すぐに再開する」

 

 フィリアーナは落とした1対の羽扇を拾いながら障壁の外へと視線を戻す。時間的にはそう長く思考の海に囚われていなかったのだが、いかんせん障壁の外の光景があまりにも信じがたいものであり、ついそんな長い間考え込んでしまっていたのかしら、と焦らされてしまう。

 彼女の瞳に映る光景はほんの数十秒前とはまるで違っていた。先までも数多くのトレントが倒木あるいは朽木にような状態で地面に散乱していた。しかし、今はさらに凄惨なものへと変貌していた。

 トレントはその数をほとんど減らし、真っ二つあるいあ粉々に砕かれ地面の上に打ちひしがれて、包囲網は完全に崩れ去っている。もちろん数千もいるので立て直すことは可能なのだが、すべてのトレントたちは恐怖に支配され動くことが出来ていない。


「くっ……」


 フィリアーナは唇の端を噛みながら、すぐに舞を再開した。その舞は焦燥感に駆られたせいかいつのも様な優雅さに欠けている。それでもなんとかリズムを保っているのは彼女の踊り子としての矜持の部分が大きいだろう。

 焦る気持ちを必死に抑え舞うフィリアーナ。それでも障壁の外では加速度的に凄惨さが悪化している。別に魔物に襲われているのだから、一方的になっていた方があるいはいいのかもしれない。だが、妖精の少女の言葉も気になるし、それ以上にフィリアーナが恋した青年の面影が失われかけているのが、彼女には許せなかった。


(お願い……間に合ってっ)


 痛切な願いを胸に彼女はひたすらに舞いづつけた。




(俺は一体何を斬っているんだ……)


 刃から伝わってくる感触に無機質的に問いかける。

 左の剣を振り下ろし、それが跳ね上がるように別の軌跡を描く。そして振り向きざまに唐竹から剣を振り下ろす。もはや相手から抵抗が無く、避ける必要がないのでほとんど流れ作業的になっている。


(何がしたんだ?)


 剣を握る左手に問いかける。

 その手は勝手に動き、剣を知らぬ間に逆手に持ち替え、斜めに切り上げ、そこで今度は順手に持ち替え真一文字に薙ぐ。


(どうしてこんなに猛狂っている?)


 発せられる殺気に同じように問いかける。

 その殺気に当てられた敵は恐怖に顔を歪め、俺が近づくたびにその瞳に怪物めと頻りに訴えてくる。


「そんなに言わなくてもいいだろ……」


 誰かに操られるように自由がない身体にやっと逆らって、喉の奥から一言だけ絞り出す。


――――そんなの俺が一番分かってるんだから


 せめて安物の剣が折れてくれることだけを祈りながら剣を変幻自在に振うが、どうやらそれは叶わないらしい。刃先から伝わって来る感触がまだ大丈夫だと無情にも告げてくる。いつもはすぐに折れるくせに、それが何とももどかしい。


(それだけ今は無駄がないんだな……)


 それが過去の英雄(おれ)現在の旅人(おれ)の間にある絶対的な差。弘法筆を選ばずとは良く言ったものだ、と嘆息を付いてしまう。

 音も無く振われる剣で無残にも八つ裂きにされていく魔物を見ながら、せめて俺を恨み続けてくれと心のどこかで願っていた。

 そんな時だった。少女たちの哀しそうな声が脳の奥にしっかりと届いたのは……。


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