長い夜 5
"人間よ、己の浅ましき行動を悔いるがよい"
厳かな老人のような声が響き渡ると同時に、目の前に聳え立つように存在していた巨木が忽然と姿を消し、代わりに取り囲むように無数のトレントが現れる。
「はぁ……こうなったら最後まで付き合ってもらうからな」
「ええ、最高の夜にしましょうね!」
ため息を盛大に吐きながら互いに背中を合わせるように動く。背中越しでもフィリアーナの温もりと柔らかさ、そして女性の甘い香りが伝わってくるが、生憎今はドキドキよりもハラハラしてしまう。なぜなら、それら以上にフィリアーナが高揚しているのが分かってしまうからである。
「一応怪我だけはしないでくれよ……ヤバかったらすぐに逃げてくれ」
「あら、心配してくれるの?」
「そりゃあルナの友達だし、一応はこうして背中合わせに戦う仲だからな。それに女性が傷つくとこは正直見たくはない」
右手に剣を構えながら背後のフィリアーナにそう言い放つ。すると、さも意外そうな顔をこちらに向け来る。
「おいおい、よそ見すんなよ。それにその意外そうな顔はなんだ?」
「いえ、まさか心配されるなんてね。こういう状況で心配されたの初めてだったから……それにあなたは男女差別しない、って言ってたじゃない?」
そんなことを言ったな、とか思い出しながら地面を一気に蹴り囲うように陣取るトレントの一体に接近する。トレントたちは俺の行動を見るや否や、その身体から枝のようなものを飛ばしてくる。それが普通の枝なら避け損ねても大した痛手とはならないのだが、それが鋭利で直剣の刀身のような太さを持っていると話は変わってくる。
「ちっ!」
舌打ちをしながら飛来する枝を弾く。キンッと鋭い金属のような音が聞こえる。これだけでも危険度が十分に分かるのだが、いかんせんそんなことを気にしている余裕もなく無数のソレを視覚・聴覚・そして経験のすべてを駆使して弾く。
「これでも一応男なんでね、女性の前ではカッコよくありたいのかも、なっ!それに女性が弱いとか思ってないさ。現にフィリアーナは強いから、な!」
右、左、前、後、と次々と剣を振り枝を斬り、あるいは逸らす。見た目以上に重さもあるようで少しずつだか腕にしびれが出てくるが、裂帛の気合でそれをねじ伏せる。
「じゃあ、なんで心配してくれるのよ?」
フィリアーナは硬質の枝をその持前の足捌き《ステップ・ワーク》を駆使して危なげなく躱す。その動きは相変わらず見惚れてしまうほど、優雅で洗礼されている。
「……俺の信念のようなものかもな。俺の前じゃもう誰も死んで欲しくないってだけの餓鬼のような青い理想の下の、な」
自嘲気味の笑みを浮かべながらさらに弾き続ける。我ながら女々しいし、どこまでも餓鬼過ぎて悲しくなって来る。
「フィリアーナ、そっちは平気か!?」
俺はその思考を振り払うように声を大にしてフィリアーナを心配する。
「どこまでも変わってるわね……ルナが羨ましいわ」
寂しげな表情でフィリアーナが何かを呟いたようだが、生憎聴覚はフルに活用しているために聞き取れない。一瞬追い詰められてるのかと心配したのだが、問題ない、と簡単に返される。
これ以上の心配は彼女への侮辱だと悟り、俺も自分の戦いに専念する。身体中心付近に当たるモノだけを重点的に剣で斬り、ほかは最低限の動きだけで躱す。そのまま目の前にいるトレントに一気に肉迫し、横に一閃する。鈍い呻き声が聞こえたが、動きを止めずにその横にいるトレントを唐竹から真っ二つにする。
"ほう、小僧だけでなく小娘もなかなかのようだな"
軽く止めていた息を吐き出すと、あの厳かな声が響き渡り、フィリアーナの方を見やる。フィリアーナが舞うように躱しては、いつぞやに見た氷の花弁が何体ものトレントの木皮を切り裂いている。
(……人の目を惹きつけるのは天性のモノなんだろうな)
ルナほどではないが、彼女の一座での公演が少し楽しみに思ってしまう。
「まあ、それを見るためにも今頑張らないと、な!」
相変わらず途切れることのない枝を剣で捌きながら周囲の気配を探る普通のトレントをいくら倒しても霧が無いのは、先に数千の数を把握しているので承知の上だが、俺が知りたいのはこの森の主である。
(どこだ……)
焦らずに感覚を極限まで研ぎ澄ませ、気配を探るが何かが邪魔をしていて気配が分からない。
"我の居場所を探ろうとするか……だが、小僧では無理だ"
「みたいだな……幻術の類か」
もちろん老人のような声が返ってくるはずもなく、期待もしていない。
どうにも打開するための策も浮かばず、溜め息が漏れそうになるが、そこで咄嗟に嫌な予感がして強く地面を蹴り飛び上がる。
「くそっ!今度は下からも来るのかよっ」
空中から先ほどまで立っていた場所を見ると、そこから太い木の根のようなモノが次々と生えてくる。しかもその先端も鋭利にとがっていると言うおまけつきで。
「厄介すぎんぞっ……」
俺を四方八方から串刺しにしようと生えてくる根を剣で斬る。そのまま太い部分を蹴り、距離を取りながら地面に着地する。だが、そこで終わらないようで追うように根っこが迫ってくる。もちろん枝のほうの攻撃も止むことは無い。
「フィリアーナ、後ろからも来てるぞ!!」
「えっ!?」
「ちっ!」
さすがのフィリアーナも両方を優雅に躱し続けるのは無理があるようで、肩を激しく上下にさせている。そんな状態にまで追い込まれてしまっているためか、背後から迫る硬質の枝に気が付いていない。
俺の警告で気が付いたようだが、それでも今からでは対応が遅れ、確実に当たってしまう。かと言ってここから動いたのでは間に合わない。
そこで俺は根を躱しながら、飛来する枝を右手の剣で受け止めるようにイナしながら、勢いが落ちたとこを左手で強引に掴む。多少掌を切ったようだが気にせずに、ソレを腕の力だけで強引に投げ、フィリアーナの背中に当たりそうな枝を弾く。そしてそのままフィリアーナのいる場所まで全力で地面を駆ける。
「え、えっと……」
「悪いが、今は許してくれ」
困惑しきった表情を浮かべるフィリアーナ。そんな彼女をしり目に俺は彼女を抱き抱え、根と枝からの追従を3次元的に必死に逃れる。貫かんとばかりに地面から生えてくる太い根を避け、死角から飛来する枝を根の側面を蹴り強引に体勢を変えて躱す。腕の中に抱えているフィリアーナには多少辛いかもしれないが、今はそこまで余裕がないため勘弁してもらうしかない。
ある程度躱し攻撃が弱まったところで腕の中にいるフィリアーナに大丈夫かと声を掛ける。だが返事は来ず何かあったのかと思い、見える範囲だけは確認する。脚や腕、胴と言った主だった部分に瑕は見当たらない。ならば、と顔を覗くと――――目が合った。頬を朱に染め恥ずかしそうにするフィリアーナ。その表情はどこか艶っぽく、いつもの獰猛な雰囲気が見えない。
「え、えーっと……けがはない、か?」
「う、うん……」
どこかお互いにらしくない雰囲気を醸し出しながら、怪我がないことを確認して彼女をそっと地面に降ろす。あまり顔を見合わせるのが気まずいのでそっぽを向いていると、外套の下から怒声が聞こえてきた。
「何してるのよ!」
「ちょ、フィン!今は状況を考えてだな……」
「そっちだって状況を考えなさいよ、タラシめ!」
思わず言葉が詰まってしまう。
なぜか戦場に似つかわしくない状況にさすがのトレントたちからの攻撃も止んだ……という事は無く、今も枝が飛来してるのだが不可視の壁に弾かれている。いつの間にかフィンが魔法を発動していたらしい。
「とりあえず助かったよ、フィン」
何とか話を逸らそうと、無理やり言葉を絞り出す。フィンはムッと睨んでくるが、この状況でやることではないと渋々だが引いてくれた。
「それで、これからどうするの?」
「うーん……」
服の上から胸元にあるメダルに触れる。そして、そのままフィンの横で未だに少し顔が赤いフィリアーナを見る。
(コレを使えばすぐに終わるが……)
どうしても躊躇ってしまう。見られたくないというのもあるのだが、それ以上に何かが使いたくないと叫ぶ。それがなにかはっきりとはしない。いくら考えても分からないので、それを振り払うように戦力になりそうなフィリアーナに声を掛ける。
「とりあえず、フィリアーナ。まだ戦う気はあるか?」
頬の赤みが未だに少し残るが、それでも瞳から感じる意思は前感じた強さが戻っている。
「ええ、もちろんよ。それにさっきは油断したけど私も奥の手をまだ出してないし」
意味ありげに両手に持つ羽扇をちらりと見せてくるその姿は自信に満ち溢れている。思わず戦闘狂は頼もしいな、とかなり失礼な感想を抱いてしまったが、さすがに口にはできないので紛らわすように左手から垂れる血をペロっと舐める。どこかその錆び臭い鉄の味に安心している自分に嫌気を感じていると、いつの間にかフィリアーナの顔が近くにあり、言葉を失う。
「ちょっと、あなた!これって……」
俺の左手を両手でギュッと強く握ってくる。鼻と鼻がぶつかりそうなほど近く、彼女の甘い香りが鼻腔を擽る。加えて手の柔らかさと温もりが余計に動悸を激しくさせる。
「いや、まあ……大したことじゃない」
恥ずかしさのあまり顔を逸らしてしまう。フィリアーナの顔を横目で見ると怒ったような悲しそうな表情をしている。
「ふぃフィリアーナ?」
名前を呼ぶが返事はなく、無言のまま腰布を一部を破り俺の左手に巻いてくる。
「お、おい!そこまでしなくても……」
「ダメよ!」
さすがに服を破かせてまで治療してもらうのは不本意なので止めるように言おうとしたのだが、フィリアーナの必死な声に思わず口を閉ざしてしまう。
「お願い、せめてこのくらいはさせて……」
切に願うような必死な声を出しながらオレンジ色の包帯を器用に巻いてくれる。それは剣を握るのに邪魔にはならず、かつ傷口と柄が接することがないためちゃんと振うのも阻害しない。
「凄いな……」
純粋に彼女の手当の技量に感心してしまった。昔から自分の傷を手当てしていたが、正直ここまで上手くできる自信は無い。
「私、治癒魔法は使えないから。お役にたててよかったわ」
「俺からすれば普通に魔法が使えるだけでも羨ましい限りなんだが……」
静かに腰からもう一本の剣を抜きながら苦笑い気味に呟く。それに対してフィリアーナはいつも通りの妖艶などこか悪戯な笑みを浮かべている。
わざとらしく大きく嘆息を漏らしながら、両手に持つ剣の重さを確かめる。
(うん……悪くないな)
先まで振っていた方の剣は流石に刃毀れが見えるが、これくらいなら許容の範囲である。
「さて、フィリアーナ。さっき言ってた奥の手はすぐに使えるものなのか?」
「すぐには無理ね……4分は欲しいかしら」
真剣な眼差しで羽扇を見つめるフィリアーナ。
「フィン、それくらいなら時間は稼げるだろ?」
「あったりまえよ!任せなさい!」
挑発するようにシニカルな笑みを浮かべながらフィンに尋ねると、フィンは舐めないで、と言わんばかりに力強く返してくれた。やはり頼りになりすぎる。
そうと決まれば俺の役割は単純。フッと全身から無駄な力を抜いて、姿勢を低くする。
「それじゃあ俺はその間に少しでも相手を減らしてきますか……フィン!」
「おっけー」
「えっ?」
俺とフィンの短いやり取りに疑問を感じたのか、思わず聞き返してくるフィリアーナ。俺はそんな彼女に簡単に説明する。
「俺としても一緒に引き籠りたんだが、障壁からだと外へ魔法を発動できないんだよ。だからフィリアーナの準備ができる前に少しでも減らして、結界の外の攻撃を雨を止めないといけないんだよ」
魔法って変なとこで融通が利かないんだよな、などと内心で罵っているとフィンの魔法が弱まるのを感じた。その一瞬を見極め一気に駆け出す。
先まで障壁が張られていた境界線付近に差し掛かると、どことなく身体を包み込むような温かい魔力の残渣を感じる。もちろんそれを心地よく感じている暇など無く、両手の剣を握る手にグッと力を籠める。
――――キン、キン、キン!!
両手の剣を不規則に振るたびに金属同士がぶつかる様な、硬質で高い音が耳を突き刺すように絶え間なく聞こえて来る。それに顔を顰めながらも、決して脚を止めることは無く、時には地面を蹴り、時には地面を駆けながら俺たちを囲うように無数に存在するトレントに肉迫する。
俺の接近を嫌がるように、一部のトレントの攻撃対象が次第に俺へと移行し、激しさが増す。それでも尚近づく俺に、ついに木皮に浮かび上がる顔が歪む。まるで歯ぎしりでもするかのように、ギギッと音を立てながら腕のように生える枝を横薙ぎに振ってくる。
それを身を屈めながら避け、同時に両手の交叉させながら腰の横に引き絞るように構える。そして――――。
「……うらっ!!」
頭上を通過するのと同時に、全身をバネのように使って両手の剣を解放しトレントを切り裂く。ぐぐもった声がどこか遠くで聞こえるような不思議な感覚に陥りながら、左右から振り下ろされてくる太い腕のような枝を飛んで躱す。
「鬱陶しい、な!」
悪態を付きつつ、振り下ろされた枝を切り裂き、着地と同時に左右の順に顔のような部分に斬撃を放つ。綺麗に切断されゆっくりと倒れるトレント、だがその後ろからはまた別のトレントが現れる。
「くそっ……」
短いバックステップを繰り返しながら少し距離を取る。チラッと障壁の方を見やるとその中ではフィリアーナが優雅な舞を舞っていた。
(俺は……アレを見たことがある?)
戦闘の最中であるにも関わらず不思議な既視感に囚われる。
流れる様に舞う長く艶のある紫の髪、流麗なステップ、煌めく魔力。それはかつて戦の女神が俺に見せてくれた舞によく似ていた。
(もしかして……)
そんなことを思っていたせいか、迫りくる根に気が付くのが遅れた。もちろん身体に受ける様になヘマは犯さなかったが、咄嗟に剣の腹の部分で受けてしまったせいでピキッと嫌な音を立てる。これがまだ左手に持つ剣ならあるいは、大丈夫だったかもしれない。だが、右手に持つ刃毀れした方で受けたのがまずかった。
(今は集中が必要だ)
脳の奥で疼く記憶を一時的に封印して目の前のことに集中する。
右手に持つ剣からは嫌な手応えが伝わってくる。恐らくはもう長くはもたず、恐らくあと数回斬り付ければ半ば辺りから折れるだろうし、防御に使うのは間違いなく論外。
「自分の甘さがとことん嫌になる……なっ!」
自分に嫌気が差しながら左手はそのままに右手の剣を逆手に持ち替え、縦横無尽に攻撃が来る空間を駆ける。左の剣でひたすらに枝を弾き、根を予測と感覚で躱す。
ここまでおおよそ2分は経過した。しかし、あと2分も残っている。そのことに軽く戦慄を覚えながら、眼前に陣取るトレントに逆手に構えた剣を短刀を振うように薙ぐ。そのまま流れる身体を左脚で強引に立て直し、左の剣で切り上げる。そこから右の剣を順手に持ち替え、今まさに枝を振り下ろそうとしているトレントの額に投擲する。
グラッと身体を揺らしながら倒れるトレント、そんな仲間を踏み潰すようにさらに別のトレントが迫ってくる。それは先まで戦っていた個体と違って表皮が黒ずみ、一際幹が太く大きい。
「ここにきてエルダーのお出まし、か」
周囲を見渡せばチラホラ似たような個体が増え、同時に俺を囲うように迫ってきている。どうやら本格的に俺を排除しに来たらしい。残りがまだ1分30秒近くある。
「どこまで減らせるか…」
呟きながら剣を肩の上に寝かせるようにしながら頬の近くに柄が来るように構える。これで剣が立っていれば八相の構えになるのだが、生憎俺はあくまでも自己流なので剣を寝かせより力を抜く。そしてスッと目を細め相手を見る。
(もうひと頑張りしますか)
溜め息を吐きながら根を躱し、敵を斬り付ける。勢いそのままにエルダートレントを突き刺そうと突撃する。だが、急に目の前を覆うように木の葉が吹き荒れる。
「……っ!」
危険だと体が勝手に察知し、反射的に身を引く。木の葉は一枚一枚くるくると規則正しく回転しており、それはどこかフィリアーナの氷の花を彷彿させる。そしてその想像は正しい物だった。
仲間であるはずのトレントがそれに触れると、木皮が軽くだが確実に切り裂かれている。それは刀傷のように鋭い。
それを見て辟易としてしまう。その威力にもだが、それ以上に仲間を巻き込んでまで攻撃方法が気に食わない。なぜそう感じたのか、分からない。だが、確実に憤りを感じている。知らぬ間に剣を握る手に血管が浮き上がり、小刻みに震えている。
「……ふざけるな」
自分のものとは思えないほど、暗く怒気を含んだ声が口から漏れた。その声に気圧されたかのようにトレントたちの動きが不自然に止まる。先ほどまで鳴り響いていた金属同士がぶつかるような高音や根が地面を掘り返す轟音が嘘だったかのような静けさ。
――――残り1分。
フィリアーナの魔法が発動するまでの残り時間はとてもではないが、人に見せられるようなものではなかったと思う。その時間、剣を振っていたのはここ最近の俺ではなく、かつての冷血とまで言われた"俺"だった。




