長い夜 1
昨日と比べると、街中には鉄色が明らかに増えた。その正体は鉄の鎧を着こんだ警備兵たちである。彼らの格好は騎士たちよりは軽装備で堅苦しさはないが、それでも移動の際は確実にカチャカチャと金属が擦れ合う音が聞こえてくる。
今もそんな三人組が俺たちの傍を通り過ぎている。
「はぁーあ、全くやってられないよ」
「確かにな。だが、昨日の騒動を張本人を捕まえることが出来てないんだから仕方ないさ」
「そのせいで巡回の回数が増やされたら堪ったもんじゃないがな」
「確かに……」
「んっ!?」
そんな口々に聞こえてくる内容に思わず咽てしまいそうになる。幸いにも警備兵たちは俺の奇行に気が付かなかったようだが、見つかってしまったら厄介になるのは確実である。なので極力身を縮めて、見つからないように努める。
そんな俺の姿を横で微笑ましげに見てるルナと素知らぬ態度で悠然と馬車を操るレイアード。
「はぁ……」
「もう少しで門にたどり着きますのでそれまで頑張ってください、マフユ様」
「あ、ああ。頑張るよ」
流石の俺でもここで喜べるほど豪胆なわけもなく、今はきっと必死に笑みを繕って浮かべるしかできない。そして目は当たり前のように笑っていないだろう。そんな俺の乾いた笑みを向けられて尚、嫌な顔一つしないルナは健気と言う言葉に尽きる。
(朝はかなり恥ずかしそうな、申し訳なさそうな顔をしていたのにな……)
今の表情を朝の表情を思わず比較してしまう俺はかなり性悪だな、と欠伸を噛み殺しながら心の中つい思ってしまう。
それは今朝方の出来事である。空が明るくなり始めるころ、俺はいつも以上に浅い眠りから目を覚ました。
『……はぁ』
目覚めて一発目が溜め息とは何とも情けない一日の始まりなような気もしたが、気にしている余裕すらないとばかりに隣のベッドに目を向ける。
『ぅーん……』
そこには可愛い寝息を立てながら眠っている美少女がいた。完全に安心しきった幸せそうな表情を浮かべていて嬉しいやら悲しいやら複雑な気分になる。
『信用されてるんだか、男として情けないやら……』
そんな言葉が無意識のうちに薄日が差し込む部屋に響き渡る。とりあえずまだ起こすには早いと、隣のベッドで寝ているルナを起こさないように静かに起き上がり窓際に置いてある椅子に腰かける。
そして頭を覚ますためにいつも通りユーカリープを口に咥える。葉巻のように煙の類は出ないが、何となくフーッと口に溜まった清涼感を吐き出す。
『そういえば最近は悪夢を見ていない気がするな……』
いつもは悪夢のせいで寝起きが最悪なことが多いのに最近はそれがないな、と今さらながらに思う。そもそも俺の悪夢の原因は過去の経験からくるのものであり、いわば傷心によるところが多い。
(だけどそれを乗り超えたとは到底思えない、よな)
今でもあの頃のことを思い出すと口の中に酸味を感じてしまうことがしばしばある。それでも戦いの世界に身を置いているのですでに精神が破綻してしまっていると言われれば否定はできないのだが。
『詰まる所、それ以上の安らぎを与えてくれているってこと……か』
近くのベッドに目を向ける。そこで寝ている少女は俺よりも確実に若いし、王女とは言え人生経験も浅い。だけどそんな女の子が俺の心の安らぎに確実になっている。ここまで自分の中でルナの存在が大きくなっていることに驚いてしまう。
『こんな情けない俺についてきてくれるなんて……ありがとな』
相手が寝ているからこそ言える、若干卑怯だなと思う。だからこそいつかは面と向かって言わないと、と心に誓っていると布団がモゾモゾと動き始める。そのままゆっくりと起き上がり、目をしばしばさせながらキョロキョロと顔を動かすルナ。
『あれ?ここは……』
『おはよ、ルナ。よく寝れたか?』
声を掛けてやるとルナは顔をこちらに向ける。
『マフユ様っ!?す、すいません。こんなお見苦しい姿を……』
目が合うと同時に覚醒したのか、バサッと布団で顔を半分ほど隠し俯きながらこちらを見ている。その表情には羞恥が滲み出ている。
『見苦しくなんかないよ。むしろ可愛いと思うけど……』
『うぅー』
事実可愛かったので本音を言ったのだが、余計に顔を赤くし恨めしそうに睨まれてしまった。とりあえずこのままでは不味いと思い、お茶を淹れながら椅子に座るように促す。
『とりあえずこれでも飲んで目を覚ましなよ』
『あ、ありがとうございますっ』
未だに顔は赤いままだが、それでも素直に従ってお茶を飲み始める。それから少し落ち着いたタイミングで話しかける。
『少しは目が覚めたか?』
『はい……。それで私はいつの間に……』
言い淀みながらベッドの方をチラッと見る。その行動だけで言いたいことがよく分かった。
『昨夜はルナは椅子で酔って寝ちゃったからな。悪いとは思ったけど運ばせてもらった』
『え、いや、そんな。むしろ私のほうこそすいません。寝てしまった上に運んでいただき……。重かったですよね……』
『そんなことは無いぞ。それに……いや、なんでもない』
ルナはすごく申し訳なさそうに、恥らいながら謝ってきた。だが、別に大したことはなかった。事実ルナはすごく軽かった。俺の鍛え方もあるがそれを差し引いても、である。
(それに……なんと言うか役得だったしな)
俺が言い淀んだことに対して小首をかしげているルナを見ながらそんなことを考えてしまう。
男として女性と密着できたのは十分な報酬だと思う。もちろんそんなことは口が裂けても言えないのだが。
『まあ、そういうわけだから気にしないでくれ』
『……マフユ様がそう仰るなら』
そう言いながら未だに恥ずかしそうにしている。それは結局、朝食後で続いた。
そんな朝の出来事を思い出していると、不意に門の前が騒がしいことに気が付いた。正確には喧嘩や争い事が起きているわけではなく、人が多く集まっていると言うのが正しい。
「ん?何かあるのか?」
眼前には何台もの馬車が並んでいる。一見すれば商人たちのキャラバンの一団のようにも見えるのだが、その割に荷台に余裕があるように思える。かと言ってどこかの貴族たちの道楽旅のようにも見えない。
「レイ、何か見えるか?」
とりあえず冒険者であり、意外と有能なレイアードに声を掛けてみる。レイアードは目を細めながらその一団を御者台から観察している。
「うーん……キャラバンとかではなさそうなのは確かですね。ですが、周囲には多くの冒険者が見えますよ」
「ってことは……護衛系の依頼か?だが、とても要人が乗る様な馬車には見えんが」
遠目に見ても普通の馬車であり、とても貴族趣味の馬車とは似ても似つかない。あんなモノに要人が乗っているとはとても思えない。
「……オークとかが集落で作ったのか?」
護衛系ではないとするならアレは冒険者たちが乗るために用意されたモノ。そうするなら緊急性の高く、かつ大規模な掃討作戦が実行されるということになる。
その代表例がオークなどの魔物の集落を形成阻止である。オークは基本的にオスしかいないとされる。なので奴らは繁殖期になると集落を形成し、他の種族のメスを攫い、孕ませるという特性を持っている。それには人族も当然入るので、形成が確認された場合はギルドより緊急の依頼が発行されるのである。
「先ほどギルドに行ってきましたが、そのような依頼はなかったっすね」
「……だとするとなんだ?」
こんな時間に大員数の冒険者がいる、とても不可解な光景である。
現在の時刻は昼前。基本冒険者は朝早く出て夜に戻るというライフスタイルが主流で、昼前のこの時間に街中にいることは少ない。つまり何かしらの緊急の用件だとも思ったのだが、その可能性も否定され、目の前にいる集団の正体はすっかり迷宮入りしてしまった。
俺としては無害ならいいのだが、厄介な集団だと関わりたくないというのが本音なので、できるなら彼らの近くを通過するまでには正体を知りたい。
(とりあえずなるべく息を潜めるか)
幸か不幸か、俺よりも圧倒的に容姿が目立つレイが業者台に乗っていることだし気配を隠すことは容易い。なので馬車の影に身を潜めつつ、横を通り過ぎようと目論んでいたのだが――――。
「これだけ護衛がいれば大丈夫でしょう、座長」
「そうさね」
集団にの近くを差し掛かった際に聞こえてきた会話、おそらくこの集団の中心的人物たちのものだと推測される。いつもなら会話している人物がさし当り気にはならないのだが、今回は例外だった。
後者のしゃがれた声は兎も角として、前者のどこかで聞いたことがある様な、甘くそしてそこはかとなく危険な声。その声を聞いて背筋に冷たさを感じ思わず身構えてしまいそうになる。
(いや、大丈夫だ。俺の姿は今は馬車に隠れて見えない)
それは確かに事実であり、向こうからもこちらかもお互いに姿は確認できない。だが、それはどうしても儚い希望であり、同時に自分に言い聞かせているようにしか思えなかった。
「確かに多少不安も残りそうですけど……あれ?」
「ん?どうした、フィリアーナ?」
「あの、少しよろしいかしら?」
そして俺の憂いは見事に現実のものとなった。
どこか誘うような口調で話かけてくるフィリアーナ。もちろん俺に、ではなく御者台のレイアードに対してである。
「何か?」
「いえ、見たところかなり実力のあるお方だと思うのですが……」
フィリアーナに対し、レイは紳士的な口調で対応する。俺と初めて会ったときのあの口上は何だったのかと疑いたくなるが、とりあえず無視をして息を殺し続ける。
(……それにしてもすごい女だな)
馬車の影に隠れながら、思わず感心してしまう。まさか横を通っただけで相手の力量を判断できるなんてその辺にいる冒険者より余程すごい。判断と言うよりはもしかしたら嗅覚なのかもしれないが。
そんな感想を抱いている間にも二人の会話は続いている。
「まあそこそこだとは思いますが……」
「ご謙遜を」
「いえ、俺はまだまだですので」
そんな互いに探り合いのような会話を隠れて他人事のように聞きながらも、忍び足でルナの元に歩み寄る。
「ルナ、ちょっといいか?」
「はい?なんでしょうか?」
脅かさないように細心の注意を払った甲斐があってか、ルナは声を上げるようなことをせずに俺に気が付いていくれた。
「もし話しかけられたとしても俺はいないように振舞ってくれ。何となくだが、あちらと関わりを持ちたくない」
「はい、分かりました」
「悪いな、ありがとう」
すでに無関係ではないのだが、だからと言ってこれ以上を深入りさせられたくない。ルナは俺のそういう心情までは知らないが、それでも俺が嫌がっていることは察知してくれたようでそれ以上を聞かずに頷いてくれた。
簡単にお礼を言って、再び先ほどの位置にまで戻り会話を盗み聞く。
「それで俺に一体何の御用でしょうか?」
「ここで出会ったのも何かの縁と言うことで、是非とも私どもと一緒に次の町までご一緒してもらえないかと思いまして。もちろん相応の対価をお支払します」
昨夜の戦闘狂ぶりが嘘だったかのような優雅なしゃべりに別人じゃないかとまで思わされてしまう。そんな俺をしり目にレイアードはどうしていいか分からず、思案する素振りを見せながら俺に視線を送ってくる。もちろん断れとジェスチャーを送ろうとすると、どこからか鋭い視線を感じた。
「あら?そちらにいる方のが偉いのかしら?」
ビクッ、と反射的に体が反応してしまう。向こうは最初から俺が隠れていたのを知っていたらしい。だが、幸いにもここにいるのが昨日戦った男だと言うことは気が付いていないようだが。
それでも背筋には嫌な汗が流れているのは確かである。このまま姿を現せば確実に嫌な展開が待っている。それだけは避けたいというのが本音である。
「これ、フィリアーナ。少しは落ち着かんかい。だから嫁に行けぬのじゃ」
出るべきかを悩んでいると思わぬところから援軍がやってきた。この独特の嗄れ声は座長と呼ばれていた者の声だった気がする。
「もう、座長。嫁に行けないは関係ないと思いますよ?それに私は私より強い方と結ばれたいだけですし」
「そんな考えのおなごを好く男は特殊だと思うがの。さて、我が一座の者の失礼を詫びねばな」
拗ねたように顔を背けるフィリアーナ。そんな動作一つとっても周囲の男たちの目を惹きつけるようで、後ろに彼女たちの後ろに護衛として集まっている冒険者たちは一様に釘付けとなっている。
そんなのは知らぬと言いたげにフィリアーナを無視して座長と呼ばれている老婆は御者台に座るレイアードに頭を下げる。俺はその一瞬の隙を見計らいすぐさまルナの元に駆け寄る。
「ルナ、目立ちたくはないと思うがあの場を収めてきてくれ。たぶんルナしか収められない」
「分かりました。上手くいくかは分かりませんが、やってみます」
ルナは失礼のないようにと身だしなみを整えながらレイたちの元に歩いて行く。ちなみに今のルナの格好は貴族風な派手なものではなく、地味目な色合いのロングスカートと白の長袖ブラウス、そして黄土色のカーディガンを羽織っていて、まさに庶民風である。それでもどこか高貴なオーラが出ているのは流石だろう。
「お話は聞かせていただきました」
「あなたは?」
俺が三度元の場所に戻ると、ルナの凛とした声が聞こえてきた。その声と態度にフィリアーナも真面目な声色を発している。
「私はルナと申します」
「ルナって言うと……ヘステティア家の王女様かい?」
「はい、ヘスティア家三女のルナ=ヘスティアと申します」
亀の甲より年の功とでも言うべきか、座長はすぐにルナの正体に勘づいたようだ。そしてルナが認めたことによって周囲はざわつき始めた。だがそのざわつき方はどこか違和感を感じる。
(確かに驚いてはいるんだが……)
確かにルナは王族としては比較的気さくというか親しみやすいタイプではあるが、それでもやはり畏れ多さはあるのでこの浮ついたようなざわつき方には違和感しか感じない。
「……ああ、なるほどな」
周囲を見渡してようやくその違和感の原因が掴めた。主に浮ついた盛り上がりを見せているのは男、そしてその熱い視線の先にはルナとフィリアーナ。つまり、彼らは目の前に美女二人が現れたことに対して盛り上がっているのである。
どちらも千人が千人美女と答える容姿を持っている。加えて二人は見事なまでに逆なタイプである。ルナは可愛くて優しさを全面的に醸し出している清楚なお姫様で、反対にフィリアーナはクールでありながら、その肢体は男の本能を大いに刺激する情熱的な踊り子。
(そりゃあ、変な盛り上がりを見せるわな……)
向こうの冒険者たちの盛り上がりには絶対について行けないな、と半ば呆れたような視線を向けるしかできずにいた。
これの続きは今日中には更新したいと思います。
予定では15時~18時の間にはできる……かな~(笑)あくまでも予定です




