魔法と舞う踊り子 2
月下の淡い光の元に浮かぶ紫の髪をした女性。千人が千人美人と言うであろう容姿を持ちながら、その恰好はさらに目を惹くであろう。なんせ、彼女の褐色の肌を覆う布地はほとんど見受けられないのだから。さながら踊り子装束とでもいえば分かりやすいであろう。
(これが普通の状況下でなら大抵の男は喜ぶんだろうな)
内心溜め息混じりにそんなことを呟く。
彼女から発せられる妖艶な魅力、それと正反対とも言える嬉々とした闘志。一件すれば相成れないであろう二つの感情だが、彼女の場合その状態こそが普通であり、彼女の本質を表しているようにも思える。それくらい自然と似合っている。
(……逆に言えば、そういう生き方をしてきたとも取れるよな)
つまり、魅力で得物を釣りそして喰らう。戦闘行為こそが彼女の快楽、典型的な戦闘狂。俺が苦手とする部類の人間である。
「あら?これから楽しいことするのに、どうしてそんな不景気な顔をしているのかしら?」
「俺は暴れるのとか好きじゃないんだが……ってか、誤解を生む言い回しだな」
口元を手で隠しながら楽しそうに笑う女。俺はそれに対して肩を竦めながら軽口を返す。
「別に誤解じゃないわよ?私に勝てたらなんでもしてあげるわ」
「そりゃあ随分と魅力的な提案だが、あまりそういうこと言わない方がいいと思うぞ?」
「安心して!こう見えてもまだ誰にも身体を許したことは無いから」
「いや、そういう心配じゃなくて。……いや、なんでもない」
これ以上何を言っても頭痛がするだけだと判断しそこで会話を止める。
幸か不幸か、この周囲には人がいない。おそらく向こうも俺がこういうところに行ったタイミングを見計らって接触してきたのだろう。俺が意識的に探知し始めたのは単なる偶然なのだが。
(とりあえず何か武器の代わりになる物が必要だな)
相手を目で牽制しつつ、周囲を軽く見渡す。ここは比較的通路の広い路地裏。と言っても普通に剣を振り回すには少し幅が足りない。それでも俺の体術スキルなどその辺の冒険者に毛が生えた程度だと思っている。だから武器は必須である。
そう考えていると、女の後ろに長い木の棒が立てかけられているのが目に入る。
(……どうにかアレを手に入れたいな)
大通りからの光と月の光しか光源になるものがなく、さらに路地裏ということも相まって明暗がはっきりと分かれる。そして一番強い光をバックに立つ女。逆光のせいで表情がはっきりとは読み取れない。それでも膨れ上がる闘志は良く分かる。それがピークに達すると同時に――――。
「ふふっ、楽しみましょうね!」
そんな嬉々とした声とともに側頭部目掛け蹴りが飛んできた。俺はそれを危なげなく受け止ると同時掴む。だが、予想以上の重さに思わず顔を顰めてしまう。
「やっぱり見込んだ通りの強さ。嬉しくなるわ」
恍惚とした表情を浮かべながら、空いている方の足で今度は顎を目掛け蹴り上げてくる。
速度もそうだが、何よりさきほど受けた威力を鑑みるに掴もうとするには多少リスクが伴う。そう考え、掴んでいる足を上空向かって投げて体勢を崩す。そのまま追撃をしようと思ったが、やめて距離を取る。女は宙返りをしながら体勢を整え、フワリと優雅に着地する。
「私が女だから追撃を止めたのかしら?」
「そうだ……なんて言わないさ。生憎俺は男女平等を掲げているんでね」
肩を竦めながらそう言い放つ。俺が追撃を止めた理由は単純明快。
「今突っ込んでたらアレが落ちてきた、だろ?」
「気づいてたのね。さすがだわ」
驚きながらも、それ以上に嬉しそうに笑う女。その上空に広がる闇の中に微かに光を反射する何かが見える。おそらくアレは氷柱のようなものと推測される。
「あれだけの体術があってさらに魔法が使えるなんて反則だろ。もう俺の負けでいいか?」
「その割には随分とやる気満々ね?やっぱり私に興味あるの?」
「……さーね。この勝負が終わったら答えてやる、よっ!」
相変わらず負けることだけは拒もうとするこの体質に嫌気がさしながらも、地面を蹴って接近する。俺が接近すると同時に空から氷柱が降って来る。俺はそれを見ないで、音と勘で避ける。
ガラスが砕けるような音を立てながら地面を穿つ氷柱、その威力に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
(……なんか殺しにかかってないか?いや、確かにそういう制約はしてないけど……)
そう思いながら間合いを詰める。その表情からはやはり殺気の類は一切感じない、戦いを楽しんでいるという喜びしか見えない。
どう解釈していいか分からないが、とりあえず考えるのは後と頭の隅に追いやる。俺の格闘術概念が一切ない、云わば我流ともいうべき徒手空拳を優雅に躱す。その姿は本当に踊り子にしか見えない。
「随分と華麗なステップワークだな」
「お褒めに預かり光栄だわ。惚れたかしら?」
戦っているとは思えないほどの軽口の応酬。現にそのステップワークを周囲から見れば、流麗なダンスを踊っているようにしか見えない。
(……流石に拙いとは思っていたが、ここまで躱されると頭に血さえ登らないな)
武器を持たない俺など独活の大木というのは良く分かっているのだが、それでもここまで綺麗に躱されるとは思っていなかった。そこに怒りは無く、むしろ拙い技術に悲しくなってくる。もちろん戦場で怒りに我を忘れるような素人同然の真似はしないのだが。
「そんな悲観的な顔をしないで。あなたの技は見事だと思うわよ?」
「……まさか戦っている相手に慰められるとは思わなかったよ」
「あら、慰めじゃなくて素直な賞賛よ?そこらの下手に名の売れた人達より余程見事だわ」
「そりゃどう、も!」
相変わらずの軽口の応酬。ここまで戦闘中に言い合った記憶はないな、と思いながら腕を引き絞り、正拳突きを放つべくタメを作る。
女の口元に笑みが浮かぶ。そうここまで俺は溜めなど一切作らない連撃を多用してきた。しかも型など一切関係ない殺し合いの中で昇華してきたモノで動きを読むのは正直難しい。その結果、女は後手に回っていた。だからこそ、その一瞬のタメは女にとっては好機とも言える。
「ふふっ、甘いわね!」
俺が勝負を焦ったと見たかは分からないが、向こうはそのタメの瞬間に回避を止めて間合いを潰すべく踏み出してくる。だが、それこそが俺の狙いであり誘いでもある。
向こうが踏み出したタイミングで俺も踏み込む。だが、俺が踏み込むのは女の方ではなく、壁に向かってである。
「えっ……?」
驚愕と疑問を孕んだ声がすれ違いざまに耳元に聞こえてきた。
俺はそれを気にも留めずに、壁に向かって飛び上がる。そのまま三角跳びの要領で女の横を超える。そのまま大通りに向かって逃げる――――という選択ができたらどんなに楽だろう、と自嘲気味に笑いながら立てかけられている木の棒に手を掛ける。
「これは……箒か?」
握られた気の棒をよくよく観察してみる。竹のような素材に、先端には細い植物の茎が束ねられている。手に持ってみて初めて分かったのだが、俺が必死に求めていたのはどうやら箒だったらしい。
「あら?それで飛んで逃げるのかしら?」
「……それができたら魔女だな」
茫然と箒を見つめる俺に愉快そうに笑う女の視線が突き刺さる。とても戦っていたとは思えないシュールな光景だと傍から見れば思うだろう。
それでも折角手に入れた箒なので、手放すことはせずに構える。槍術と言うよりは杖術に近い構え。
「ふーん、それが本来のあなたのスタイルってことね?」
「箒なのは不本意だけどな」
箒を持っているせいで見た目は締まりに欠けるが、それでも俺の構えを見て女の様子が一変した。楽しそうにしていたのに一気に真剣な面持ちへと変貌を遂げ、同時に溢れ出ていた魔力が収束する。
(……これは藪蛇だったか?)
変貌した雰囲気に若干の後悔を感じながらも、決して臆することは無くむしろ身体が軽くなったような錯覚さえ覚える。
先ほどまでの軽口の応酬がまるで嘘だったかのような静寂が裏路地に訪れる。重なり合う視線、高まる闘志、それぞれが静かにぶつかり合う。
そして一時の静寂は、透き通るようなきれいな音によって破られた。
飛来するは氷の魔法。しかしそれは先ほどの氷柱のような形ではなく、花弁を象っている。それらがまるで手裏剣のように回転しながら無数に飛んでくる。
俺はそれを手に握った箒で叩き壊す。その際に耳元で鈴の音にも似た破砕音が響き渡る。
(……とんでもない魔法だな)
氷の花弁を破壊しながら内心で舌を巻く。花弁が接触した地面や壁には綺麗な亀裂が走っている。いかにそれの殺傷性が高いかが窺える。加えて、その魔法の美しさ。正直ここまで実用性と見た目を兼ね備えた魔法は過去に数度しか見たことがない。
(それにその花弁を操る姿は……まさに踊り子、だな)
花弁を伴い、魔法を舞うように扱うその姿に思わずそんな感想を抱いてしまう。
だが俺とて茫然と感心しているわけではない。ただ箒で氷の花弁を砕こうと振り回しただけでは箒が切断されるだけ。ならば、と花弁の回転軸だけを正確に狙い、破壊する。
小気味良く箒が空気を割く低い音と花弁の高い破砕音がまるで一つの音楽のように裏路地に響き渡る。
「やっぱり流石ね。これを初見で防いでいるのだから……しかも箒でね」
「……お褒めに預かり光栄なこと、でっ!」
一際大きい音が響き渡り、花弁の飛来が収まる。
手に握られた箒に視線を落とすと、穂先が削られ毬栗のようになっている。さすがに元のままとはいかなかったが、それでもこの状態を保っていることを褒めてほしい。
「さて、と。これも防がれちゃうと私としても……ね?」
意味ありげに微笑むその姿は相変わらず気品と艶美を感じさせる。しかし、その瞳は完全に肉食獣のソレと化している。
「……俺としてはこのまま終わりたいとこなんだが?」
「あら?こんなに情熱的で魅力的な踊りの時間を続けたくないのかしら?」
「はぁ……やっぱりダメか」
大きくため息を吐きながら穂先が残念になった箒を構え直す。その俺の姿を見て女はさらに嬉しそうな表情を見せる。
「さあ、もっと私を楽しませてね!」
「勘弁してくれよ……」
弱音を吐きながら、氷花に包まれた女に接近しようと地面を蹴ろうとしたところで思わぬ声が耳に届いた。
「こっちだ!」
「全く面倒事を起こしてくれるとは……」
遠くから怒気を孕んだ声とともに複数の足音が聞こえてくる。俺の願いが届いたのかは定かでは無いが、有り難いことには変わらない。
「時間切れ…だな」
「そうね、残念。せっかくあなたの得意なスタイルともっとやれると思ったのに」
「そっちこそ最後まで奥の手出さずに良かったのか?その脚に隠してるヤツ、扇か?」
彼女の太もも辺りに仕込まれている武器を予想しながら述べる。すると、気が付かれていなかったと思っていたようで心底驚いたような表情を浮かべている。
「あら?いつから気が付いていたの、コレに?」
「……さてな。覚えてないさ」
「ふーん……やっぱり惜しいわね」
腰布の合間から一対の流麗な扇を取り出し、それを見せる様に開き、顔を軽く扇ぎながら残念そうに呟く。扇は妖精の羽のように透き通っていて、光の加減によって色彩が変化している。
「まあ続きは今度のお楽しみにしましょうか!」
示しを合わせたかのように互いに構えを解く。俺はそのまま手に持った箒を壁に立てかけて女に視線を戻す。
「最後までできなかったのは残念だけど、久しぶりに楽しく踊れたわ!そのお礼も兼ねてコレ、あげるわ」
そう言いながら俺の元まで歩み寄ってくる。その立ち振る舞いは優美の一言に尽きる。
渡されたのは白無地の一通の封筒。それを訝しげに観察しているとさらに説明してくれた。
「これは招待状、とでも言えばいいかしらね。私が所属する旅の一座の、ね」
封を開けると中からは確かに招待状と書かれた券が出てきた。そこには舞踏の旅団と書かれている。
「舞踏の旅団?」
「世界中を旅をしながらやってるの。どこかで出逢えたらぜひ立ち寄って、きっと面白いわよ」
小首を傾げながらウィンクを決める。こういうところはきっと自分の容姿を知っているからこそ出来るのであろうと思う。
「私の名前はフィリアーナよ!それじゃあね。蜃気楼」
そのまま有無を言わさずに、唐突に魔法を発動し消えてゆくフィリアーナ。
「……なんだったんだろうな、アレ」
急転直下で変わり行く状況にどうにも付いて行けず、茫然とフィリアーナが先ほどまでいた虚空を見ているしかない。
「もう少しだ。お前ら慎重に行けよ」
「ああ、なんたってギルドの方でもかなり暴れていたらしいからな」
「……とりあえず逃げるか。それとギルドは俺じゃないぞ」
刻一刻と迫ってくる足を聞きつけ、危機感からか止まっていた思考が動き出した。
そして誰に当てたでもない弁明を残して足早にその場から立ち去った。
「お帰りなさいませ、マフユ様」
「あっ!兄貴、丁度いいタイミングですね」
風見鶏亭に戻ると、丁度ルナたちが階段から降りてきた。俺の謎の散歩時間が1時間を超えていたところを考えると、待っていてくれたらしい。
「悪いな……待たせたか?」
「いえ、大丈夫です。これからマフユ様を探しに行って、そのままお食事を、と考えていたので」
一応は先に食べていてもいい、と伝えてはいたが予想通り待っていたくれた。しかも嫌そうな顔を一切せずにむしろ極上の笑顔で迎えてくれるとは嬉しい限りである。
幸せを噛み締めながらルナと話していると、フィンがルナの外套の下から出てきてそのまま俺の外套の下に潜り込んできた。
「もう!乙女を待たせちゃダメだよ」
「悪かったって。あとで花蜜買ってやるから勘弁、な」
「仕方ないなー。一番高いので我慢してあげるよ」
潜り込んでくるなり怒ったような演技をするフィン。俺は肩を竦めながら悪びれたような態度で謝罪する。これはきっとフィンとだから出来る一種のじゃれ合いだな、としみじみ思う。
「それにしてもなんだか外は騒がしいね」
「え、あ、うん。そうだ……ね」
宿の中にいてもそのが騒がしさが伝わってくる。それにフィンやルナは不思議そうな表情を浮かべている。
俺としては痛くもない腹を突かれて、思わず言い淀んでしまう。いや、別にやましいことは無いはずなのだが、どうにも嫌な予感がしてしまう。
「何でもギルドですげぇ女が現れたらしいぜ!」
「一人で何十人もの男の冒険者を相手に大立ち回りを演じたんだってな」
「だけど、その女と街中でやり合った奴もすげぇよな!」
「まあそのせいで警備の奴らは忙しいみたいだけどな」
完全に当事者過ぎて背筋に冷や汗が流れる。後ろ暗いことはないはずなのに身体が反応してしまう。
「マフユ様、何やら顔色が優れないようですが?」
「え、いや、うん。騒がしいのは苦手だからな」
心配そうに俺の顔を覗きこむルナ。そんなルナに対して誤魔化そうとするなんてすごく申し訳ない気持ちになってしまう。
「……ねぇ、マフユ」
申し訳ない気持ちになっていると、突如外套の下から極寒のような感情の一切籠っていないフィンの声が響いてきて、思わずビクッと悪寒が走る。
「……な、なんでしょうか?」
「ご飯食べて宿に戻ったらルナを交えて少しお話でもしない?」
「はい……」
抑揚の一切ない口調で死刑を宣告された。それをレイアードとルナは不思議そうに見守っていた。




