魔法と舞う踊り子 1
案内された部屋はかなり豪華なものだった。もちろん王城と比較すれば確実に劣るのは確かなのだが、それでも広々とした部屋に柔らかそうなベッド、個別の風呂まで備え付けられている。
だが、正直俺の頭の中は疑問で埋め尽くされており部屋を見ている余裕はなかった。
「ここが兄貴たちの部屋っす!んで俺はその下の階なんで用があれば呼びつけてください!」
そう言いながら颯爽と立ち去ろうとしているレイ。しかし俺は無意識のうちにその腕を掴んでいた。そしてルナに聞こえないように小さな声で話しかける。
「あれ?なんですか、兄貴?」
「待て。いくつか尋ねたいことがあるんだが……とりあえず部屋は2つしか取ってないのか?」
「はい、もちろんすよ!」
腕を掴まれて心底不思議そうな顔をしながらも、俺に合わせて小さな声で一切の淀みなく答えるレイ。それに対し若干頭痛を感じながらも質問を続ける。
「そうか……なら、なんでこの部屋割りなんだ?普通、女性のルナが一人になると思うのだが……」
「え?だって、兄貴とルナ様は婚約したわけですし、夫婦なら同室が普通じゃないっすか!」
その一切の悪意のないイケメンスマイル、それはまさに好意で同室にしたことを物語っている。
だが、俺にとってはこれは完全に謀略にしか思えなかった。今まで誰かと同室で寝泊りをしたことが無く、さらにその最初が女性と言うのは流石に難易度が高すぎる。いくら婚約者と言えど緊張してしまう。
(くっ……ここは卑怯だが、ルナに援護を求めるしか……)
ルナが嫌がる素振りを見せてくれればきっとレイも考え直してくれるに違いないと思い、後ろに控えるルナに声を掛けようとしたのだが、その表情を見た瞬間その作戦はダメだと悟った。
同室と聞いて、頬を朱に染めながらも口元には喜びが見て取れる。そんな顔を見てしまえば、婚約者として、何より男として引くことは出来ない。
「……お前の心遣いに感謝するよ」
「そんな気にしないで下さいよ!」
完全に皮肉として言い放ったのだが、見事にスルーされ心の中で盛大に項垂れるのであった。
「それではマフユ様、お風呂先に頂きます」
「マフユ、くれぐれも覗くなんてことしちゃダメだからね!」
「分かってるよ、安心して入ってきてくれ」
部屋に入ってから早々に風呂に向かう女性陣を俺は備え付けのシックな椅子に座りながら見送る。
(もしかしたら今が一番心安らぐ時間かもな……)
そう思いながら愛用のユーカリープを咥えて、スーッと息を軽く吸う。口の中に広がる清涼感、それを味わいながら目を瞑り、頭の中を真っ白にする。少ししてからゆっくりと目を開き、フーッと息を吐き出す。
「……これから世界はどうなっていくのか」
別に世界の行く末が気になると言うわけではない。もちろんルナのためにも平和なままが良いとは思うが、だからと言って俺にできることは延命に過ぎない。
それよりも今回の件を裏で糸を引いている人物のが重要になってくる。もし仮に俺の知る二人の人物だった場合、それは今の俺にはどうすることもできない。
「神装すらまともに扱えないんじゃ、瞬殺だな」
容易に想像できてしまうほど歴然とした差がある。それほどまでに今の俺には力が無い。
「とりあえず今はルナのような姫巫女とやらを探すしかないな」
チラッと脱衣場の方に視線を向ける。中からは何やら楽しそうな声と、時にはどこか艶かしい声が聞こえてくる気がして、なぜか部屋にいてはいけない気がしてきた。
「ルナ、フィン。ちょっと外に夜風に当たってくるな。なんだったら先にレイの奴と夕飯食べててもいいからな」
「はーい!」
風呂場からフィンの気持ちよさそうな声が聞こえてきたのを確認して、俺はしっかりと施錠して部屋を後にした。
「おいおい、聞いたかよ。何でも近いうちに王族会議が行われるらしいぜ」
「マジかよ!ってことは何か余程のことがあったってことか?」
「流石に議題までは知らねーが、かなりのことだろうな」
「確か前回開かれたのって冥王が討たれた時だよな」
町の中を人知れずひっそりと歩いていると世間話から下らない会話など色々と聞こえてくるが、その中でも特に多かったのが王族会議に関する話題である。王族会議とは、この人界に存在する現8王族が一堂に会して行われる最大の会議である。過去にも何度か開催されており、議題は基本的に明るいモノではない。
俺はそれが行われるという情報はすでに手に入れていたのだが、いかんせん王都ではあの後はずっと王城に引き籠っていたのでそのような噂が流れているとは知らなかった。
(もうそんな情報まで出回ってるのか……)
表向きにはこの世界を束ねていると言っても過言ではない8人の王が一堂に会するので最重要機密事項であるはずなのだが、それがすでに漏れていることに少し衝撃を受ける。
「壁に耳あり、障子に目あり、ってとこか。俺も気を付けないとな」
自戒気味に呟きながらフラフラと夜風に当たりながら町の散策を再開する。しかし、俺が真に気を付けるべきことはソレではなかったとこの後非常に後悔することになる。
王都オーフェンから東に早馬で2日ほどの場所に位置する町"ルービエ"。この町は隣接するパラス領にある魔術都市シャルドとの交易点の一つとしてかなり栄えており、人の数が王都に次いで多いとされている。
そんな繁栄している街の夕餉の時間ともなれば、王都とは違い怒号にも似た喧騒で賑わうことがある。特にそれは冒険者ギルドでよく見受けられる光景である。
「お、そこのねーちゃん!随分と挑発的な格好じゃねーか。俺らと食事でもどうだ?」
「いいね、奢るよ!」
ギルドに併設される酒場で木製のジョッキを片手にエールを煽る男たち。仕事が終わったのであろう、身なり自体は軽装で、傍らに剣や槍を立てかけている程度である。
そしてそんな彼らが声を掛けている相手はそんな男たち以上に軽装である。
「あら、それはお誘いかしら?」
褐色の肌に紫色の長い髪を左肩から色っぽく垂らして、悪戯っぽく頬に指を当て傾げて見せる。それだけでも十分に男たちを興奮させるのに、その服装が更に際立たせている。上は豊満な胸を抑えつけるだけの白い布に向こう側が透けて見える羽のような布を羽織り、下はオレンジ色の腰布を巻いているだけの踊り子風で、まさに扇情的といえる。加えてその布の隙間から彼女の艶かしい太ももが顔を覗かせている。しかも容姿に至ってはルナと同程度のものを有している。そんな女性が現れれば、ギルド内の注目を攫ってしまうのも当然と言える。
「おい、こっちのテーブルのが豪勢に飲ませてやるぜ!」
「いや、そんな奴らより俺たちと飲もーぜ!」
その姿を見ていたほかの冒険者の男たちも続けざまに名乗りを上げ始める。女の冒険者たちはその姿を見て呆れかえると同時に、踊り子風の渦中の人物に対して訝しげな視線を向ける。しかし、それらの視線を一手に受けても尚、その妖艶な美貌は決して崩れない。
「私としても是非ともお酌を受けたいところなのだけど、今日は依頼があってここに来たの」
フフッと謎の微笑を浮かべながらカウンターにいる受付嬢の元に依頼書を渡す。そのやり取りをしている間も男たちは声を大にして飲まないか、と必死に誘う。
だが女性はと言えば素知らぬ態度で受付嬢と依頼の件について煮詰めている。それを見て食い下がらない男たちの虚しい努力に女性たちは呆れ顔を浮かべている。
「そうね、そこまで言うなら私に実力を示して。もし私を屈服させることができたら、お酌だけじゃなくて……一晩共にしてもいいわよ」
受付嬢との会話を終え、ギルドを立ち去ろうと扉に手を掛けたところで女性は足を止めて振り返ると、とんでもない提案をした。それを聞いてギルド内は一瞬、静まり返るが、すぐに男たちの歓喜にも似た怒号が飛び交い始める。
「うぉおおおおー!まずは俺からだ!」
「いや、俺だぁああああ!」
「ふふっ、そんなに逸らなくても全員相手してあげるわよ」
女は恍惚とした表情を浮かべながら今にも暴れだしそうな男たちを見回す。しかし、この時少なくとも男たちの中にこの表情の本当の意味を知っている者は誰もいなかった。この表情が実は獰猛な猛獣が餌を前にしたような歓喜に満ちたものと同じであると言うことを……。
「うっ……」
「あら?もう終わりなの?もっと私と踊れる人はいないのかしら……」
退屈そうに呟く女性。ただ彼女の言葉を聞いただけなら相応しいダンスパートナーに恵まれず、残念がっているように思えるし、彼女の格好だけを見てもそう考える。しかし、彼女の足もとに転がる死屍累々の光景を目にすれば話は変わってくる。
大の男たちが意識を刈り取られ無様に横たわっている。しかも一人二人ではない。
「う、うそだろ……」
「あの人……何者よ」
今回の乱闘騒ぎを酒の肴として楽しもうとしていた男は手に持っていたジョッキを落とし、偶然居合わせた女性冒険者たちは目の前で起きた惨劇とも言える状況に茫然と口を開いている。
基本ギルドは冒険者同士の争いには不干渉を貫くので今回の惨劇にも受付嬢たちは一切口を出さなかった。いや、正確には口を出せないまま、あっという間に終わってしまったとも言える。
「せめてもう少し熱くなる踊りを期待していたのに残念ね……」
はぁ、と頬に手を当てながら嘆息を付く。横たわる男たちの傍には武器が散乱しているのに、この女性は武器の類を一切持っておらず、また息一つ切らしていない。その表情にはいかにも不完全燃焼と言った不満げなものである。
「まあ、仕方ないわね。さて、それじゃあみんなも待っていることだろうから帰ろうかしら」
何事もなかったかのように踵を返し、扉へと向かう女性。そして扉に手を掛けようとした瞬間、自動的に扉が開かれた。もちろん女性から見て押し開き戸であった為にぶつかる様な事はなく、その向こうにいた青年と目が合う。
女性はその青年を見た瞬間、ゾクッと肌が粟立つのを感じるとともに、内心では途轍もなく惹かれいていた。
それに対して青年はと言うと――――。
「……あー、うん。すいません、間違えました」
明らかに嫌そうな表情を浮かべながら、すぐさま扉を閉めるのであった。
この時周囲で観戦していた者達は呆気に取られながらも一様に思った、何を間違えたんだろう、と。
「……俺は何も見ていない。素直に宿に戻ろう」
額から流れ落ちる冷や汗を拭いながら現実逃避気味に呟く。
少しくらい情報収集でもしようかと思ったのが間違いだった。何も考えずにただ平然と素直に散歩をしていればよかったと後悔している。
(なんだよ、あの光景!俺の知らぬ間にギルドは闘技場に変わっていたのか)
内心で自分の軽率な行動に腹を立てながら、地獄絵図に対して激しく毒づく。
無意識で周囲の気配を感知できる俺としてもギルド内が騒がしいのは感じていた。だがギルドが騒がしいのは当たり前であり、ましてや夜なのだがから尚のことと思い油断した。
扉を開けた瞬間に映った死屍累々の山。そしてそれを作ったであろう張本人の女性と目が合ってしまった。厄介なことに俺を見た瞬間、明らかに嬉しそうな顔をしていたからな、アレは関わると碌なことがない。
「くそっ、もう絶対にあんな時間にギルドには行かない。それにこれ以上厄介事を増やしたくない」
ブツブツと独り言を言いながら早足で宿に向かう。しかし同時に一つの懸念が頭を余儀ってしまう。
「……あの紫の髪色。もしかするのか?」
一瞬しか顔を合わせることは無かったのだが、それでも記憶にしっかりと刻まれている紫の艶のある髪の毛。もちろん違う可能性もある。これは最近ルナに聞いて知ったのだが、髪の色だけで判断はできないらしい。曰く、時には先祖がえり的なことで色濃く出ることがあるらしく、一概にも旧八王家の人間と特定することはできないとのこと。もちろん判断基準の一つとしては有効であるとのことであったが。
完全に特定するには、その人の家族も同様の髪色で、尚且つ姫巫女の証とも言える紋章が手の甲に浮かべば良い。なので旧王族探しはかなりの重労働とも言える。
「はぁ……もしかしてもしかする可能性もあるんだよな。最悪もう一度アレと会わなきゃいけないのか」
そんな最悪のシナリオが浮かんできて思わず鬱気味になる。
「それでも今重視すべきことは宿に何事も無く戻ること、だな」
重くなりかけた足にグッと力を籠める。
どうするにしてもとりあえずはルナに相談してから決める。それまでは忘れることにする。臭い物には蓋をする作戦である。
そうと決まれば、今は厄介ごとに巻き込まれないように気配感知を意識的に行う。意識的に行う気配探知はそれこそ王都でも実証できたように、範囲こそ限られるが有象無象の中から特定の人の居場所させ判別できる。
「ねぇ、良かったら少しお時間を頂けないかしら?」
意識的にやり始めたと同時に嫌なモノが感覚に引っかかった。
無意識下でも確実に気が付いていただろうが、それでも意識的にしていたからこそ、その艶のある声とともに俺の肩に手を掛けようとして伸ばそうとする手を先に掴むことができたのだと思う。ここでもし向こうが普通に声を掛けてきただけなら身体は動かなかっただろう。だが、向けてくる感情が明らかに俺には不都合なものだったために無視できず、身体が勝手に反応してしまった。
「っ!?」
女はそのタイミングで掴まれるとは流石に予想していなかったようで、驚いたように目を見開いている。だがそれでも反射的に逃れようとしているとこを見るに、予想通り厄介なほど腕が立つようだ。
それでもすんなりと逃がしてやるほど俺もお人よしではない。何もされてないのは事実だが、危険であるのは変わりないため、そのまま掴んだ手首を背中に回し女の身体を壁に押し付ける。
「悪いが時間は割けないな。おとなしく帰ると言うならこれ以上手荒な真似はしない」
本来ならここで短剣の一つでも首筋に当てて脅してやりたいとこだが、生憎武器の類は一切持たずに出てきてしまったので、そんなこともできない。
「ふふっ、まさかここまでとは……さすがに私も予想できなかったわ」
完全に制圧されているにも関わらず女は肩越しに俺に笑みを向ける。
確かに脅しとしては弱いのだが、それでもこの状況下でまさか笑みを返されるとは思わず訝しげな視線を向ける。もちろん力を緩める、ということはしない。
「……何が可笑しい?」
「可笑しいんじゃないわ。喜んでいるのよ、ここまで強い人とめぐり会えたことを、ね」
「っ!?」
それを言い終えると、女から一気に魔力が溢れだす。俺は咄嗟に手を離し、距離を取る。
「魔力感知もかなりの感度ね!」
俺の対応に歓喜の声を上げる。それと呼応するように羽織っている透けた布がフワリと中空を漂う。
その様子、そして月下の光の下で女の姿をただ見るだけでは幻想的でどんなに価値のある美術品よりも美しく見える。だが、彼女を纏うように漂う魔力と闘志を感じれるならば別であろう。
(まだ殺気じゃない辺りありがたいと思わないといけないの……か?)
あくまでも目の前の女が求めているのを"戦い"であり、"殺し合い"ではない。それを喜ぶべきか、嘆くべきか悩んでしまう。
殺し合いではないから命の危険はない。かと言ってそれは勝っても相手は生きているということと同義である。つまり今後も付きまとわれたりする可能性は十二分にある、特に戦闘狂のような人間なら尚更と言える。
「はぁ……」
「あら?美人を前に溜め息なんて失礼じゃない?」
「これでも色々と柵があるんでね。溜め息もつきたくなるさ」
ここで大した容姿をしていないなら鼻で笑ってやるのだが、生憎そんなことができるような相手ではない。攻撃的な強めな目元をしていてルナとは正反対とも言えるのだが、その容姿はルナに引けを取らない。千人が千人美人と答えるであろう麗しい容姿を備えている。
「あらあら、モテる男はつらいわね」
「別にモテるとは思っていないけどな。なんせ容姿はいまいちだし、勇者とか呼ばれるほど高尚で、すごい人間じゃない。俺にあるのは精々金くらいだからな」
自虐的に言い放つ。俺としてはまさにその通りなのだが、女はいかにも不思議そうな顔をしている。
「そう?私としてはとても好みなのだけど……」
小首を傾げて、いかにもという表情を向けてくる。それで魔力と闘志を発していなければ多少なりとも信じられたのだが、いかんせん状況が状況だけにそんな言葉をいちいち真に受けている余裕はない。
「……それはどーも。ついでにそのまま大人しく引き下がってもらえると俺としては非常に有り難いんだけど」
「それは無理よ!その代わり私に勝てたらなんでも言うこと聞いてあげるわよ」
楽しそうに微笑む姿を見てこれ以上は何を言っても無駄だと悟る。
武器の一つもないのが少々心もとないが、仕方ないと腹を括る。こうして不本意ながら謎の美女との戦いの火蓋が斬って落とされた。




