特訓 3
踏み固められた赤土色の街道を見ながら、はぁと大きく溜め息を漏らす。
季節はすっかり夏に移り変わり始めているが、それでもチラホラと周囲にはピンク色の花を咲かせた木々が目に映る。そんな絶景とまではいかないが美しい風景があるにも関わらず、溜め息だけは押さえられない。
「ここまで酷くなっているとは……そりゃあ倒れるわけだよ」
神装を使った際に倒れたことを思い出して、項垂れてしまう。
オーフェンを旅立ってから今日で四日目となった。
昨日まではこの御者台には番のようにレイアードが座っていた。今日も俺と交代することを渋っていたのだが、さすがに連日やらせるわけにはいかないから休めと俺が半ば強引に荷台に押しやったのである。
それはともかくとして、三日間ずっと荷台に引き籠って魔力コントロールの訓練をしていたのだが、その成果が非常に芳しくない。顕れる短剣の刀身の厚さも幅も疎らで、お世辞でも上手いとは言えない。
「え、えっと、マフユ様なら大丈夫ですよ!」
「……慰めてくれてありがとな、ルナ」
盛大に溜め息を付きながら項垂れていると、横から多少幼さが残りながらも十分に艶のある優しい声が聞こえてきた。
なぜ、ルナがここにいるのかと言うと本人の強い希望のためである。俺としては荷台にいることをおススメしたのだが、そろそろ外の景色を楽しみたいとのことで俺の横に座っている。
「まあ本当に慰めでしかないよね!ルナの優しさが身に染みるよね、マフユ!」
「くっ……」
「ふふっ、でもちゃんとマフユの努力は知ってるから安心してよ!」
落として上げるという高等テクニックで俺を翻弄して楽しそうに微笑むフィン。ここ数日はこういう何気ない会話が増えた気がする。
それと同時にルナの肩の上にいることも増えた。もちろん馬車から降りると基本的には俺の外套の下にいたり、肩か頭の上に座っているのだが、オーフェンを出てからはルナとともにいる時間が増えた。まあフィンとしてもこうやって仲良く話せる同性の相手が出来てうれしいのだと思う。
(フィンにとってもルナは良い相手で良かったよ)
正直、男の俺では恋バナの類のような女の子同士の会話ができなかったのでルナと仲良くなってくれてよかったと思っている。
そんな二人の微笑ましい光景を横目で見ていると、不意に嫌な気配を感じた。
(……これは盗賊か?)
小高い丘に、鬱蒼とまでは茂っていないがそれでも身を隠す程度には生えている木々。正直周囲はあまり見通しとは言えない。
そんな状況下でどこからかこちらを観察するような視線がいくつかある。どれも決して良い感情は籠っていない。
(殺気とまではいかないが、場合によっては殺すことも覚悟してるって感じだな。つまりはまだ盗賊に成り立てってレベルだな)
人殺しに対して微妙な抵抗感がある、そんな視線からどんな相手かある程度の推測を立てる。
実際、上手く稼げなかった冒険者や貧困に喘ぐ者達は盗賊まがいな行動をすることが多い。そしてその行為を繰り返すうちに、抵抗感や忌避感が無くなり盗賊と化してしまう。
(どのみちこれは早めの対処が必要、だな)
チラッとルナを様子を確認する。まだ気が付いていないようで楽しそうにフィンと談笑している。それが分かったところですぐさま鼓動に移る。まず荷台の方を軽くコンコンと叩き、中で休んでいるレイに合図をする。
「どうしました、兄貴?」
「悪いけど、少しの間ここを代わってくれ」
「了解しました。気を付けてくださいね」
流石Bランクの冒険者なだけあって、レイアードも何者かがいることに気が付いていたらしい。いちいち事細かに説明しなくても分かってくれると言うのは非常にありがたい、と思いながら御者台を交代する。
「マフユ様、何かあるのですか?」
「心配ないよ。少し魔物が周囲にいるみたいだから、な」
俺とレイアードが少し慌ただしくし始めたことに、ルナは不安を感じたらしく小さめな声で俺にどうしたのか尋ねてくる。
俺の予想では盗賊の類なのだが、ルナには心配を掛けないように魔物と偽っておく。それを聞いて安心したような表情をするルナ。実は初日以外は魔物と遭遇することが何度もあり、時には俺とともに訓練の一環として繰り出していたので流石に慣れたらしい。
「だけど、今回はここで待っていてくれ。まあ危険はないから安心しろ。フィンも危険はないが、念のために障壁魔法だけ頼むな」
「ん!任せておいて」
フィンの気負いのない声を心強く思いながら、腰の剣の柄に手を静かに掛ける。それと同時に相手の気配の正確な位置を探る。
(数は4人か……気配が群れているところを視るに、やっぱり盗賊まがいな連中だな)
向こうになるべく気取られないようになるべく自然に振舞いながら、荷台に入るように見せかけて馬車を静かに降りる。遮蔽物が多いと言うことは、逆に言えば向こうからもこっちを観察しにくいと言うことでもある。つまり――――。
「向こうにも気づかれてないようだし、さっさと終わらせるか」
先ほどより速度が多少落ちた馬車を見ながら、木々の間に紛れ込んで盗賊まがいの連中を捕える準備を始めた。
「ちょ、ちょっと、本当にやるんですか?」
「ったりめーだ!そのためにこんなとこにいるんだからな」
「で、でも……」
「ええい、もう覚悟を決めろ!」
ルナたちを乗せた馬車から少し離れた木々の間には現在、4人の男たちが馬車を襲うかどうかで揉めていた。この男たちの身なりはそれほどみずぼらしいと言うわけでも無く、装備的には駆け出しの冒険者よりも整っている。
(くそっ、俺がこんな盗賊みたいなことしねーとならねえとは)
リーダー格の男が歯をギリッと鳴らしながら、恨めしそうに馬車を睨む。
別にルナたちを恨んでいるわけではない、ただ八つ当たりをしているようなものである。彼らは遠路遥々王都オーフェンまで冒険者として稼ぐためにやってきたのだが、そのレベルの高さに付いて行けず、かといってかつての拠点だった場所まで帰る金もないためにこのような凶行に走ったのである。
「とりあえずあの馬車は護衛もみえねーし、脅せば金くらい渡してくれるさ」
背中に背負っている無骨な斧を構えながら、いまだに渋っている仲間たちを安心させるように言う。別にこの男だって好んで殺しをしたいわけではない、ただ生きるためにしょうがないと割り切ってるのである。
これが初心者だったらまだ歯止めが効いただろう。だが彼らはある程度経験を積んでしまっている。妙な自信があるからこそ、それが仇となり、結果として彼らの最後の理性が崩壊してしまった。
「そ、そうだよな。あっちだって怖がってくれるさ」
「そう、だな。大丈夫、殺しはしない」
「ああ、やれる。やれるぞ!」
目から完全に善意が無くなり、欲望の炎が燃え上がる。
しかし、彼らはそのことに集中しすぎていて、ほかに一切目が向いておらず、多くのことを見落としていた。
一つ目が馬車の速度が不自然に落ち始めているということ、二つ目に馬車に乗っている人物をしっかり確認していなかったということ。そして最後に――――。
「盛り上がるのは勝手だが、これから襲撃する奴らがすることではないな」
「えっ!?」
突如背後から見知らぬ人物の声が聞こえ、4人は一斉に振り返り武器を向ける。そこには自分より少し若い男がめんどくさそうな顔をしながら立っている。ここで武器を向けれたところを見るに、本当にある程度の実力があることは分かる。だが、しょせんその程度である。今は武器を向けるべき状況ではなかった。
「うぐっ……」
男たちは唐突に腕に痛みを感じ、ぐぐもった声を漏らす。しかし、男たちは何が起きたのか一切分かっていなかった。いつの間にか痛みがしたと思ったら、次の瞬間には手に持っていた武器が無くなっていたのである。
「さて、これ以上抵抗しないと言うなら命は取らずに話を聞くだけにしてやる。だが、少しでも抵抗をするようなら残念だがここがお前らの墓場となる」
突き付けられるのは鞘に収まったままの剣。一見すれば命を取るなど不可能とも思える。
しかし突き付けられた側からすれば、それは自分たちを紙切れのように切り裂く恐ろしい業物のように感じられた。それほどの重圧が目の前にいる男からは放たれていた。なので――――。
「は、はい……」
男たちは情けなくも、痛む両手を無視してでも挙げて完全に降伏のポーズを取った。
この一連の騒動の少し前、俺は男たちの背後を完全に取っていた。
(……完全に素人丸出しだな、こいつら)
聞こえてくる声の大きさはとても隠れて襲撃をしようとしてる者たちの出すものではない。さらに周囲への警戒も皆無であり計画性も乏しい。
(……なんかアホらしくなってきた)
ため息交じりにそんなことさえ思ってしまう。それほどまでに呆れていた。
これが本気で殺意を持っている相手ならこんなことを思わなかっただろう、だが相手は覚悟も中途半端の者たち。処遇をどうすべきか悩んでしまう。
ただいつまでも時間をかけておくわけにもいかない。何やら躊躇している男たちをしり目に、ルナたちがいる馬車の方を見る。かなり速度を落としており、俺の戻りを待っている。
(とりあえず終わらせるか)
俺の決断と向こうの決断が同時だったようで、ほぼ似たようなタイミングで己の武器に抜き放つ。まあ、俺の場合は剣を鞘ごと腰から抜いたのだが。
「盛り上がるのは勝手だが、これから襲撃する奴らがすることではないな」
「えっ!?」
俺の存在を気が付かせるためにあえて声を掛ける。すると予想通り気が付いていなかったようで、驚愕に満ちた顔を俺に向ける。そして次の瞬間には俺のボロい外套を見て明らかに安堵の表情を綻ばせる。
その反応に心の中で再び溜め息を漏らしながら、剣で男たちの手を叩く。なぜ鞘のままやったのか、殺すのが嫌ということもあるのだが、それ以上に剣を無駄にしたくないという、まあせこい理由である。
(ふむ……これ以上抵抗する様子はない、か)
男たちの表情から抵抗の意思が一切感じられなくなってはいたが、とりあえず抵抗しないようにとの旨のセリフを吐き捨てる。
「は、はい……」
「よし、じゃあ付いて来い。あ、もちろん変な気を起こすなよ」
リーダー格の男が青ざめた表情で抵抗しませんとの言質も頂いたところで付いて来るように促す。男たちは抵抗するそぶりも見せず、ただ黙って従った。
「あ、兄貴!早かったですね」
「マフユー、お帰りなさい!」
「え、えっと……マフユ様、そちらの方たちは?」
馬車に戻ると三者三様の言葉に迎えられ、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
(まあ事情を知っていたレイと知らなかったルナは正しい対応だと思うが、フィンは若干違うな)
俺が戻ってきてから真っ先に飛びついてきて、笑顔を浮かべている相棒。完全に俺が連れてきた4人組の男たちはいないことにされている。視界にすら入れてもらえない男たちに若干同情すらしてしまいそうである。
「えーっとだな、とりあえずこちらは盗賊……みたいなもんかな」
どのように紹介していいか分からず、後ろの男たちをチラッと見る。だが、完全に目が死んでおり反応がない。
「魔物じゃなくて盗賊がいたんですか?」
「んー、まあそんな感じだ。んで、とりあえずこいつらを捕まえて連れてきたんだが……おい、お前ら、念のために確認するが、犯罪歴は無いんだよな?」
「も、も、もちろんですっ」
ルナが一切驚かず、むしろ平然としていることに成長したなとシミジミ思いながら、男たちをギロッと一睨みする。男たちは頭を下げながらすぐさま否定した。その姿を見るにおそらく嘘ではないと判断し、すぐにルナに視線を戻す。
「まあそういう理由らしいから連れてきた。身なりから察するに元は冒険者らしいし、次の村までの雑用には使えるだろ。そういうわけでレイ、悪いが後のことは頼んでいいか?」
「あ、了解っす!兄貴は休んでいてください」
「助かる」
俺からの指示が嬉しいのか、あるいは雑務をするのが好きなのか、はたまた両方かは分からないが嬉しそうに引き受けてくれた。それを確認して俺はルナとフィンを連れて荷台に乗り込んだ。
「え、あ、あなたはもしや狂拳ですか……」
「なっ……」
「ひぃーー」
乗り込む際に聞こえてきた会話の端々から久しぶりにレイアードが恐れられている冒険者だったということを思い出した。
そしてそれからしばらくして空が茜色に染まったころに、馬車はそこそこ大きい町に辿りついたのだった。
「ほら、一応給金だ。もう二度と盗賊まがいなことするなよ」
「あ、ありがとうございます。大旦那、それにレイの兄貴」
ジャラリと音を立てながら男の手の上に貨幣の入った小さい袋が手渡された。
村に着くまでの間、盗賊まがいの男たちを護衛の代わりとして使役した。その道中で彼らの今までの経緯を聞き、可哀そうになったので護衛料として賃金を渡した……というわけではない。ルナがそうして欲しいと懇願してきたのでそれに従ったのである。
(ルナもやはり王族だな……)
嬉しそうに去っていく4人組を見ながらそんなことを考える。
ルナは決して優しさだけでそのような行動をしたわけでない。この地域を納める王族の一人として、盗賊予備群を減らしたいと言う打算も含まれる。働けば相応の対価が得られる、それを知ってもらえば、彼らもきっと更生してくれます、と熱弁された時は少し驚いたものだ。
(それでも今は女の子の顔をしてるな)
横で話すルナとフィンに目を向ける。
二人は久しぶりに町に泊まれるということを大いに喜んでいる。別にベッドが無いのが不満というわけではない。むしろそこらの安宿より馬車のが寝心地がいいと俺は思うし。
それはいいとして、なぜ女性二人が喜んでいるかと言えば……お風呂というワードにである。
旅の途中ではどうしても入ることはできない。身体を拭いたり、水浴び程度は出来るのだが、やはり女性と言うものはお風呂が好きならしい。ルナも口にはしていなかったが、今の表情を見るに相当我慢していたと言うのは容易に想像できる。
「まあ俺も気兼ねなく寝れるからいいけど、な。さて、それじゃあ今晩の宿でも探すか」
「はい、そうですね!」
「マフユ、良いところに泊まりたい!」
すごく元気な返事をしてくれる女性陣を微笑ましく思いながら、ゆっくりと町に足を踏み入れた。
「あ、兄貴。そこの宿が俺のおすすめです」
「へぇ、ここか。なかなか良さそうだな」
王都周辺の町には詳しいと豪語するレイに案内を任せて街を歩いていると、おすすめの宿に到着した。さすがに値段も高いそうだが、値段以上に設備が良いらしい。宿の名前は"風見鶏亭"。
「それじゃあ俺が部屋取ってきますね!兄貴たちはここで待っててください」
そう言いながら意気揚々と宿の中に入っていくレイ。その足取りの軽さには賞賛を送りたい。
「それにしても流石王都周辺の町、だな。人がやはり多い」
「そうですね。王都ほどではないにしても……」
馬車に寄りかかりながら町を見渡すと、露店や武器屋などが目に留まるが、やはりそれ以上に人の多さが一番に目につく。それだけ活気のあるということだが、俺としては人ごみは好ましくない。
「二人とも悪いな」
「いえ、大丈夫です」
「うん。いつものことだし、慣れてるから平気!」
隣にいるルナと外套の下に隠れているフィンに気を紛らわす代わりに謝る。
やはり人の多いとこでは無用な争いや厄介ごとは避けたいためにフィンには隠れてもらい、ルナにはフードを深くかぶってもらわなくてはならない。
「部屋では気楽にしてていいからレイ来るまで耐えてくれ」
ルナの頭をフードの上から軽く撫でてやる。表情は見えないが、身体をモジモジとしているあたりから察するに嬉しいらしい。本当に可愛いな、と思っているとレイアードが戻った。俺はルナの頭から手を離し、気だるげに馬車に寄りかかっていた身体を起こす。
「お待たせしました!こっちです」
「レイ、馬車はどうするんだ?」
「それは宿のほうで預かってくれます。だから問題ないっす!」
そのまま馬車を従業員に引き渡し、意気揚々と進むレイに続く俺たち。
(のんびり休むか)
そんな呑気なことを考えてながら部屋に向かう俺。しかしこの時俺はまだ知らなかった。部屋には安息の場所など存在しないことを、レイアードの謀略によって俺の安寧が奪われていたことを。




