特訓 2
馬車の中に亡者たちの叫び声のようなものが木霊する。
もちろん亡者がいるわけではない、ただ単に俺が発している唸り声である。だが、きっと周囲の何も知らない人間が効けば確実に魔物を馬車に乗せていると勘違いすると思う。それくらい俺は唸っている。
「マフユ様、あまり根を詰め過ぎるのは良くないかと……」
「そうだね!まあ、仕方ないよ」
「ううっー……」
憎々しく左手に握られている短剣の刀身を見る。そこにあるのは相変わらず歪な、フィン曰く芸術品がある。
業物クラスの短剣に仕上げるには必要量の魔力を、一定時間、一定量持続して供給し続けなければならない。しかし、今の俺にはそれが出来ていないのは手元にあるコレを見れば一目瞭然である。
「はぁ……すっかり酷くなったもんだな」
溜め息と一緒に魔力の供給を止めて、刀身にある魔力を霧散させる。すると刀身(というか歪な何か)は光の粒のようになって無くなっていく。
「そろそろお昼にしませんか?」
「ん?もうそんな時間か……」
昼という言葉を聞いて、もうそんなに時間が経ってしまったのかと今更ながらに思い、馬車から顔を出す。
太陽はすっかり高く昇り、気温もかなり上がっている。馬車の中が心地よい分余計に気温が高くなったと感じるのかもしれない。
気分転換にも良いだろうと、ルナの提案をありがたく受け入れる。
「レイ、そろそろ昼にしよう。どこか良さそうな場所があったら止めてくれ」
「了解っす!」
今までずっと任せっぱなしだったのが、その疲労を一切窺わせない軽快な返事が御者台の方から聞こえてきた。
(コレが若者と年寄りの差、だな)
実際肉体的な年齢はそこまで離れていないとは思うのだが、いかんせん精神的に老けている俺としてはそんなことを思ってしまう。
そんな老人のようなことを考えていると、次第に馬車の速度が落ちていき、やがて止まる。急に止まらず徐々に速度を落としていったあたりはレイアードのスキルの高さをうかがわせる。下手な御者だと急停止して、結果馬車の中で頭をぶつけたりする。
「兄貴、ここでいいっすか?」
俺としてはどこでもいいのだが、聞かれたので一応外に出て確認してみる。
草の柔らかい感触が靴底から伝わってきて、春の優しい風が頬を撫でる。街道沿いにある木陰で比較的周囲の見通しも良い。
「んー、なかなかいい場所選んだな。さすがBランク冒険者だな」
「あざっす!」
魔力コントロールの鍛錬中ずっと同じ体勢だったために凝り固まった身体をほぐすように伸ばしながらレイアードに賛辞を贈る。
肩を回しながら空を見上げると、太陽の眩しさに思わず目を細めてしまう。
「わぁー、日差しが気持ちいな」
馬車の方に目を向けると、丁度フィンが嬉しそうに飛び出してきた。馬車の中も快適だったが、やはり以前までは俺の外套の下にいることが多かったせいかフィンは太陽の下のが嬉しいらしく、気持ちよさそうに日の光を浴びている。
「フィン、あまりはしゃぐなよ。ルナ、掴まれ」
「マフユ様、ありがとうございますっ!」
フィンならば大丈夫だとは思うが、念のために声をかけながら、馬車の荷台から降りようとしていたルナをエスコートする。女性特有の手の柔らかさと温もりに、どこか恥ずかしさを感じる。それはルナも同じようで薄らと頬を赤く染めながらも、笑顔で手を握り返してくれる。
「うんうん。やっとマフユにも少しだけど、女性の気持ちが分かるようになったんだね」
どこか偉そうに腰に手を当てながら、フィンは何度も頷いている。
確かに以前までの俺なら確実にこんなことはしなかったというのは自分が一番よく分っている。だが今は婚約者ということもあり俺には似合わないと思いながらも一応は心がけている。そういう信教の変化に一番驚いているのも間違いなく俺だと思う。
(誰かのために、って案外いいかもな)
俺の手の先にいる少女の笑顔を見ていると本当にそう思う。
今まで、それこそ何度もそう考えてはいたが、実際そう思って動けたことは無かった気がする。
「……だからって許されないけどな」
「え?」
「いや、なんでもないよ。さて飯にしようか」
――――そう最後の瞬間、俺はきっと許されざる存在となる。
普通、冒険者の食事と言えば大抵は硬いパンや干し肉など基本的に保存性が高く、パサパサなものが多い。汁物にしても塩などの調味料は持てる量は制限されるために薄い味にしかならない。
だが、俺の場合は魔法の袋という見事なものがあるためにその冒険者の常識が覆せる。柔らかく温かいパンに肉汁溢れる肉、調味料も豊富、まさに贅沢の極みと言っていい水準である。もちろん毎食そのような贅沢をしているわけではないが、それでもやはり食事が良ければそれだけ元気が出るのもまた事実である。
「さてと、それじゃあ始めますか」
「もう先ほどの鍛錬を再開するんですか?」
そこそこ豪華な食事を終えて、午後からの移動に備えて休んでいる時間に俺が急に立ち上がったのでもう魔力コントロールの鍛錬を再開し始めると思ったのだろう。しかしながら今回は俺の鍛錬ではない。
「今からするのは俺の鍛錬じゃない。ルナ、お前の鍛錬だ」
「えっ!?私ですか!?」
さすがに急なことだったのでお姫様であるルナも狼狽した表情を見せる。ただ、それは俺のような無様なものではなく、その表情ですら気品を感じさせてしまうのは流石と言ったところである。
「ああ、これからの旅は前のモノとはわけが違うからな。だから魔法は無理でも護身用の剣術指導ぐらいはしないと、な」
「わっ、と、と!」
そう言いながら俺は魔法の袋から刃引きした短剣を取り出し、それをルナに投げる。それをルナはアタフタしながら両手で受け止める。
「最初にルナを助けてやった時のこと覚えてるか?」
「はい……あの時はマフユ様がいなかったらどうなっていたか」
あの時ルナは自称勇者の取り巻きに殺されかけていた。当時は面倒事に巻き込まれてしまったと何度か後悔こそしたが、今となっては助けてよかったとしみじみ思う。ルナも当時のことを思い出し、畏まった態度をしている。
「いや、別にあの時のことを反省しろとか言いたいわけではないから。ただ、なんでルナの剣術が通じなかったかを考えて欲しいんだ」
「なんで通じなかったか、ですか……」
俺の質問にルナは、短剣を両手で握りしめたまま頭をちょこんと傾ける。
「えーっと、経験の差でしょうか?」
「うーん、まあそれもあるかな。たけど一番の問題はルナの剣術は綺麗すぎるってとこかな」
「綺麗、ですか?」
その綺麗という単語にさらに頭を悩ませるルナ。確かにそんなことを言われてしまえば悩んでしまうのも無理は無いと思う。
「ああ、ルナの剣術は芸術としてはそれこそ一流だよ。剣舞とでも表現すればいいのかな。ただ、それは実戦ではとても読みやすい動きなんだよ」
王宮剣術とは端的に言ってしまえば見た目に重きを置いているもので、優雅さや綺麗さを追求している。ただ本来の剣術とは殺人術であり、相手を確実に殺すことに重きを置かなければならない。そこの違いが決定的な差を生んでいる。
「俺としてもルナの今の剣術に変な癖を入れたくはない、それほど完成されているからな。ただ、これからの旅ではそれは命取りになってしまう。だからこれから空いている時間に俺とこうやって剣術の訓練をしてもらおうと思う」
そう言いながら俺は先ほどまで魔力コントロールの鍛錬で使っていた短剣を構える。もちろん魔力は一切流さず、鞘にしまったままなのでルナを傷つける危険もない。
「もちろん、これからの旅でルナに誰かを殺させるようなことをさせるつもりはない。これから教えるのはあくまでも自分の身を守るための剣技だ。手を汚すようなことは、それこそ俺やレイに任せておけばいい」
そのことを聞いてホッとしたような表情を見せるルナ。
俺としてもルナの手だけは汚させたくないと考えている。その理由としてやはりルナは人の上に立つ存在だからこそ、綺麗なままでいてほしいという俺の自己満足ともいえる理由である。
それに冒険者においてもその辺は意外と鬼門となっている。現に魔物の退治よりも盗賊の殲滅などの依頼などは上になることが多い。人を殺せるかどうかが、ある意味では冒険者にとって一人前になれるかの線引きとも言われいてる。
(まあ本当はそんなことをしなくていい世の中が一番だとは思うけどな)
今までに多くの命を奪ってきたからこそ、そういう世の中を切望してしまうのかもしれない。もちろんそんな綺麗事だけの世の中がありえないことも同時に理解しているのだが。
「さて、と。とりあえず前置きはこれくらいにしておいて、始めようか」
「は、はい!」
俺は相変わらずの優雅さの欠片もない、ただ戦い、相手を殺すことに特化した構え。それに対してルナの構えは芸術品ともいえるほどの美しさを持っている。それをいつまでも眺めていたいのだが、残念ながらいつまでもそうしてる暇も時間もない。なので――――。
「行くぞ」
軽く合図をしてからルナとの間合いを詰める。
まずは軽く突きを数発打ち込む。ルナはそれを得意の足捌きで躱しているのだが、やはり緊張しているせいか若干動きが硬い。
「ルナ、そんなに緊張する必要はない。最初は何も考えずにいつも通りでいいから」
「はいっ!」
もちろんそんな一言声をかけて硬さが取れるはずもなく、やはりどこかぎこちなさが残る。まあそれでも何とか躱すことは出来ているのでとりあえずは何も言わずに続ける。
(うーん……まあ最初だし、これから慣れれば平気か)
甘い考えのようだとは自分が一番分かっているが、どう教えていいか分からないので仕方ない。
なぜなら俺は、それはそれは死ぬような経験をして剣術や槍術などを習った。実際に何度も刺されたり、斬られたりしながら身体で覚えたようなものなんで教え方が分からない。かと言って同じようにすることもできない。
(その辺は俺の今後の課題だな)
妙な課題を抱えながら、軽く打ち合う金属音が昼時の木陰に鳴り響いた。
「お疲れ様。さすがに疲れたか?」
「あ、ありがとうございます。はぁはぁ、ちょっと疲れました……」
「二人ともお疲れさまっ!」
ヘタリと青草の上に座り込んで息を切らせているルナに、水を渡してやる。フィンも打ち合いが終わるとすぐに俺たちの元にまで飛んできて、今は俺の肩の上でくつろいでる。
互いに動き回りながら30分ほど打ち合い(性格には終始俺が攻めてると言ったものだったが)、最終的にルナが息を切らし始めたので初日の特訓を切り上げた。
人によってはそのくらいで情けないな、と思うかもしれないが、俺としては良くそれだけ長く持ち堪えていたなと感心している。
もちろん一流で尚且つ体力馬鹿っぽい印象のレイアードならおそらく1日中だって打ち合っていられそうだが、それでも一般人なら30分も動き回って打ち合うのはかなり疲れるものである。
(その点、ルナはあんなにガチガチのままでよく動いてたよな)
小動物のように両手で器を持って可愛く水を飲むルナを見ながら、先ほどの打ち合いの最中のことを思い出す。初日と言うことでルナの身体にはとりあえず当てないように全て寸止めにしたおかげで痣の類は見受けられない。それでも今後は少しだけ痛い思いも覚悟してもらおうと思う。
(それにしても……)
チラッと再び座り込んでいるルナを見る。まだ暦の上では春ということもあり、下は灰色のロングスカートで上は7分丈の白いシャツ。髪は邪魔にならないように一つに纏まれており、それを右肩から垂らしながら、コクコクと水を飲んでいる。その姿を見てるとどうにも庇護欲というか、抱きしめたりしたくなる。しかしそれが出来るはずもなく――――。
「それじゃあルナの息が整ったら出発するぞ」
「はぅ……」
ごまかすようにルナの頭を優しくなでる。ルナは顔を赤くしながらも気持ちよさそうにしている。
その表情は昔の俺が怒ってると勘違いしていたモノである。そう考えるとどことなく恥ずかしい。
「マフユもかなり変わったよねー」
「……ん?そうか?」
「もうっ、今さら恍けても遅いよ!私には隠せないよーだ」
フフフッ、と謎の高笑いしながら見透かすフィンに俺は苦笑いしか出来ない。
実際、未だにヘタレではあるが、フィンの言う通り変わったとは思う。だけどそれを隠せない自分の態度に若干哀しくもなってしまう。戦場では常に冷静でいなくてはならないのに。
(いつまでもフィンにだけは頭が上がらない、な)
思わず項垂れてしまいそうになる。まあでも逆に俺のことを深く理解してくれている人がいるとも考えられるから、良しとしたい。……凄く残念な思考だとか思わないで。
「兄貴、もういつでも大丈夫っすよ!」
「……おう。ルナ、そろそろ馬車に戻るか」
「はい、お待たせしました。もう大丈夫です」
一人ノリツッコミを脳内で披露している間に他の準備が出来ていたらしい。ルナもすっかり息も整い笑顔を浮かべていて、レイも知らぬ間に片づけや馬車で準備などをしていてくれた。完全に俺は何もしていない。
(……楽なのは嬉しいけど、何もしないのは落ち着かないな)
長年一人で全てをやってきた俺としては、嬉しいのだが調子が狂う気もした。なのでせめて午後は何かしようと考えていたのだが、その後の馬車内でもやはり俺は何も出来なかった。
魔物の気配も感知しなかったし、レイアードに御者台を変わるとも言ったのだが、本人曰く「兄貴にやらせるわけにはいきません。弟子の俺にお任せを」と頑なに言われてしまい、俺が折れる形となった。
その結果、午前中と全く同じように右手に魔力供給用の腕輪、左手には刀身が無い短剣、響くは呻き声。
その姿に飽きたのか、フィンはツルキをベッド代わりにお昼寝をしてルナは読書をしてる。
(完全に俺は動力源としてか活躍していない。……せめて夜はレイの相手でもしてやるかな)
決して変な意味ではない。単純にここまで頑張ってくれているので組手の相手でもしてやろうと思っただけである。
「それにしても……はぁ」
眼下にある短剣の歪さに肩を落としてしまう。午前中と大差のないクオリティー。
今日の成果をもし報告するなら刀身の歪さに肩をガックリと落とすのが上手になっただけと記述しようと思う。