第一の神装と女神ヘスティア 1
この前の活動報告でも書きましたが、一応前回の最後を若干変えたのでもしかしたらそちらを読んでからのが分かりやすいかもしれません。
もちろん読まなくても大丈夫だとは思いますが……
俺は漆黒の球体の中にいた。そこはとても冷たく、とてもうるさい場所。
取り巻くように死霊と文字が飛び交う。死霊たちは俺に呻き声をぶつけ、文字は俺の中に入り込み、心をどす黒く染めようとする。
ピキピキと心にひびが入り、その中に呻き声が刷り込まれる。
――――逃げるな、受け入れろ。
――――ふざけるな、許さない。
――――恨んでやる、喰らってやる。
呻き声からそんな言葉が読み取れていく。
「……別に今さら何も言わない」
誰に言うわけでも無く、呟く。
「俺は英雄じゃない……むしろ悪だからな」
そうこれは俺に対する言葉。
「……誰も守れない無様な存在さ」
『そんなことは無いわよ……』
漆黒の空間に突如、真紅の炎が灯る。その炎は死霊たちをたちどころに飲み込んでいく。だが、決して苦痛を与えてはいない。
冷たく、煩かった場所が一転して温かく静かな場所になった。
俺を覆うように燃える真紅の炎の一部が目の前に集まり、手のひら大の大きさの炎が現れる。さながら人魂のようにも見える。
『あら、人魂とは失礼ね!女神にかける言葉かしら?』
憮然としたような女性の声が響き渡る。心なしか熱くなったようにも思える。
「人の心を読むほうがどうかと思いますが……」
『ここはあなたの中なんだから聞こえちゃうのよ!』
苦言を呈したのに、悪びれることなくむしろ、テヘペロとでもしそうな雰囲気を醸し出す。仕方ないので盛大に溜め息を漏らしてやる。
『助けに来た恩人に失礼ね。まあいいわ、不本意でしょうけど私の力を与えます。もちろん昔ほどの力はここで渡せないけど十分でしょ?だから守ってあげて』
目の前の炎は俺の胸に前にあるメダルにスーッと吸い込まれるように消えた。そしてメダルの一角には真紅の石が輝きだした。
遠退いていた感覚が次第に甦り、冷えていた身体に熱が戻る。
そして唇に柔らかく瑞々しい感覚があるのに気が付いた。なにやらとても優しく甘い匂いが鼻腔を擽っている。濃い血の臭いなど全く気にならない。
目を開けると美少女がいた。目を瞑っているが、その顔は必死なのだがどこか恥ずかしそうでもあり、また嬉しそうでもある。
(……俺はどうなったんだ?)
状況が正確に理解できない。甘く、心地よい口づけが脳髄を麻痺させている。このままむさぼりたいとか本能丸出しなことを考えてしまいそうになる。
そこをグッと堪えて(もしくはそれ以上手が出なかったともいうかもしれないが)、自分の状況を一つずつ思い出すように確認していく。
(……体中に怪我を負って倒れたのか)
煩悩を追いやるように思い出していると、さきほどから口の中に何か温かいモノが入リ続けているのを感じた。それは俺の中にどんどん流れ込み、溶けて、吸収されていく。
腹部と肩口の傷が塞がり始めているのが分かった。周囲に溢れる紅い魔力が俺の持つメダルに集まり始める。
ある程度傷口が塞がり、身体に懐かしい感覚が広がったのを確認すると、ルナの唇からゆっくりと離れる。
「ぁ……」
そんな艶かしい声が聞こえたような気がした。
ドキッと胸が高鳴っているが、それを無視するように首から吊るされているメダルに手を添える。
「慈愛に満ちる炉の守護者よ、盟約の元に聖炎にて怨嗟を燃やし、我に降りて我が身を纏え――――ヘスティア」
無意識のうちにそう呟いていた。
――――ゴーーーーッ!!
メダルにある真紅の石から癒しの炎が吹き荒れ、俺を包み込む。炎は緋色のゆったりとした袖の無い長い法衣のようなものへと変わり、腕には火をモチーフにした腕輪、髪は長い真紅となる。背には炎の羽衣。そしてメダルは溶けて、流麗な大太刀へと変化した。
「……はぁ」
嬉しいやら悲しいやらどっちつかずの気分に溜め息が出る。
もうすべてを捨て、時には捨てたことを後悔したこともあったが、それでも頼らないと誓ったはずの力を再び手にした。誓いを破ってしまった自分の頼りなさと再び手にした歓喜の心の狭間でどうしていいか分からなくなる。
加えて今の姿を想像する。その姿はさながら――――。
「……ヘスティア様?」
疲労と疑問の混じった声が不意に聞こえてきた。振り返るとぺシャリと地面に座り込んだままの少女が目に入る。
その瞳に映る自分の姿と先ほどの疑問から導き出される姿に「やっぱりか……」と居た堪れない感想を抱きながらきっぱりと否定する。
「残念ながら違うな」
自分の声とは思えないような高めの美声が聞こえてきた。さらに背中に触る髪の毛の感覚が何ともこそばゆい。
「マフユ……さんっ」
少女は瞳を潤ませながら俺の名を呼んだ。
気づかれたことが喜ばしいような、悲しいようななんとも言えない感情を抱きながら力強く頷いて見せる。それを確認するとルナはふっと身体から力が抜けていき、意識を失った。
俺は彼女が地面に倒れる前に、跪いてしっかりと受け止める。そのまま抱き寄せる。
「……ありがとな、助かったよ」
耳元でそっと呟いた。そのままゆっくりと地面に寝かせてあげる。
近くには傷ついて倒れるレイアードもいる。必死に俺の言いつけどおり戦っていてくれたらしい。
そして今の頑張り続ける相棒に万感の思いを乗せて呼びかける。
「フィン、心配かけたな」
すると妖精の少女は目元に涙を溜めながら、嬉しそうに微笑んだ。
「……んもぅ、大変だったんだよっ」
「いつも苦労をさせて悪いな。だけどもう大丈夫だ」
未だに障壁の周りには不死者たちが陣取り、俺たちに怒りの矛先を向けている。それでも――――。
「後は任せろ。……おいで」
「んっ」
フィンは障壁を解くと、フラフラになりながら俺のもとまでやってきた。俺はそれを優しく抱き留める。俺の掌に乗るとフィンはフニャっと頬を緩め、完全にくつろぎの体勢となる。その表情を微笑ましく見ながらも、彼女をルナの傍で寝ているツルキの上にそっと乗せる。
「さて……と」
障壁が無くなると同時に、一気に溢れんばかりの怒りや憎しみの感情が俺たちを包み込むように流れ込んでくる。しかし、今の俺にとってはそんなモノどうにでもなる。
「浄火」
刀身だけでも俺の身の丈ほどある大太刀を器用に左手で半回転させ、地面にそっと突き刺す。
突き刺された場所を中心点として、巨大な魔法陣が現れる。そして俺の言葉と同時に、一気に紅蓮の優しく温かい炎が吹き荒れる。
――――轟っ!!
巨大な炎の嵐が全てを包み込む。その規模は半径1㎞以上に及ぶ。その中には当然俺たちを含め、騎士団の者たちも含まれる。
「たぶん驚いてるだろうな」
天をも焦がす勢いて伸びる赤を見上げながらそんなことを考える。
だがこの炎は決して人を焦がすことはない。むしろ人を癒す炎である。その証拠にレイアードの身体に刻まれていた無数の傷が次第に消えていく。切り裂かれた服の下には綺麗な肌は見えている。
「……もう少しか」
炎の勢いを観察をぼーっと観察する。
炎の中からは不思議と呻き声や叫び声は聞こえてこない。
次第にその勢いは終息に向かう。それに伴って怒りや憎しみなどの怨嗟も同じように消え去ってく。そして炎が消える頃には不死者たちの姿とともに怨嗟も消沈し、静けさが戻っていた。
地面突き刺したままの大太刀をひょいっと抜き、気怠く肩に担ぐ。刃紋が赤く染まっており、ほのかに温かみを感じる。
『私の力が十全に貸せていないのに流石ね』
未だに禍々しく聳える社を眺めていると頭の中に声が響いた。
「あの程度の有象無象なら今の程度でも十分じゃないですか」
肩を竦めながら姿の見えない女神に話しかける。
そんな他愛のない会話をしながら甘美な感覚と意識を失っていた影響で靄がかかってボーっとしてた頭がようやく働き始め色々と思い出す。
鎧騎士の魔法を防ぎきれず、地面に突っ伏し、それから――――。
(あいつだけはまだ倒せてないか)
最後の瞬間を思い出し、まだ決着になっていないと確信する。
先ほどの会話の通り、十全に力を発揮していない。あの鎧騎士は他とは格が違う。なのできっとあの炎にもきっと耐えているはず。
「くっ……まさかこんな力隠し持っているなんて」
周囲の気配を探っていると、再びあの声が空から聞こえてきた。
「待ってたぜ、あんたにはもう一度話を聞きたいと思ていたんだ。お前は何者だ?」
肩に担いだ太刀の切先を空に浮かぶ女に向ける。魔女らしき女は深紫のローブの奥で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
「ふんっ!女性にあれこれ質問するのは、」
「御託はいいからさっさと質問に答えろ、お前は何者だ?」
「っ!!」
再び白を切るようなことを言いだしそうになったので、それを遮るように殺気を放ちながら再度同じことを問う。
「おい、どうした?」
殺気は次第に濃くなり、苛立ちめいた口調に変わる。それに伴い刀身にはうっすらと炎が揺らめき、それは次第に強くなっていく。
「ふんっ!何を勝ち誇っているのかは知らないけど、まだまだここは私の領域よ。さあいでよ!」
手からは黒い波動が広がった。それは先ほど不死者たちを呼び出した魔法に違いない。だが――――。
「なっ!?ど、どうして!?」
今度狼狽えるのは女の方だった。
何度も魔法を行使するが、一向に発動しない。いや、発動しているのだが、不死者たちは現れない。
魔女の慌てふためく姿をしり目に、はぁ、と盛大に溜め息をつく。
「おい、茶番劇につきあう気はない。早く答えろ」
「くっ……貴様、一体何をした!?」
その一言を聞いて自分がアホらしく感じた。そもそも戦場でご丁寧にご高説してくれるなんて余程の馬鹿かもしくは何かしらの意図がある奴しかいない。そんなことも知らない奴に追い込まれた自分が情けないし、逆に相手にそんなことを聞くのか、と尋ねたくもなる。
そして、それと同時に少しの違和感も抱いた。
(……時間をかけるか)
違和感の種の正体を見破るために丁寧なご高説をすることにした。
「別に何したもないさ。この神装はヘスティアの力が宿っている。ヘスティアの炎は慈しみと癒しの炎だ。そして"怨嗟反魂傀儡"はその特性上、その場に魂が無ければどうにも出来ない。だから俺はその魂を浄土に送ったまでだ」
「そんなこと出来るわけ……」
「別にどう思おうと勝手だが、現実を認めるもの大切だと思うぞ?」
ローブのせいで正確な表情は分からないが、少なくともかなり苛立ち、混乱していることは確か。そしてそれはつまり戦闘経験が圧倒的に浅いことを意味している。
そこから想像するに、彼女は若く、かつての戦いには少なくとも参加していなかった存在だと推測される。
(……俺のこの姿を知らないみたいだしな)
少なくとも過去に戦った冥界の者たちはこの姿に辛酸を舐めさせられていた。それを知らないとなると――――。
(かなり末端なのか、あるいは……)
思考を戻させたのはとある気配だった。その気配は不死者たちの体を構成していた塵芥を巻き上げ姿を現せた。
「ルグググゥゥゥゥ!!」
「……可哀そうに。畜生以下に成り果てるとは」
俺の二度の決死の剣技と浄火を耐え切った鎧騎士だったモノが姿を現した。頭部からは醜悪な角のような金属が創られ、手は鉤爪のように姿を変えている。握られている巨剣も鋸の刃のようにギザギザとなり騎士とはとても呼べない。
その誇りを失った姿に憐みしか感じない。
『可哀そうなことをしてしまったわ。……お願いします』
その声は切に願っていた。最後くらいは安らかに、と。
「……任せろ」
ヒュンヒュン、と空を切る綺麗な音を鳴らしながら俺は構えをとる。
柄を握る左手を頭の上に、右手を太刀の峰に添わせるようにする。見ようによっては槍の構えにも似ている。
「そうよ!まだ、そいつがいたわ!」
空からは女の高笑いが聞こえてくるが無視する。その存在についてもこれを片づけた後でどうにでもなる。
「グラァァァアアア!!」
先に動いたのは相手だった。その動きは先ほどまでの洗礼された騎士のような動きではなく、ただ勘と力に任せた野生の獣のソレに近かった。
力任せに振り下ろされた醜悪な巨剣を俺は構えを解かずに待ち続ける。
――――ブオン!!
すさまじい音を立てて振り下ろされた巨剣は、なぜか俺の太刀とぶつかることは無かった。いや、ぶつかったのだが、意味をなさなかった。
巨剣は刀身の真ん中からまるでバターのように綺麗に溶かされ、先端が無くなっていた。
「ルグッ!?」
さすが野生と言うべきか、驚きはしながらもそのまま一気に俺の間合いから逃げることを選択した。
しかし、俺がそれを許さない。
「シッ!」
離れる行く間合いを一瞬で潰し、左の手首を返し、裂帛に乗せそのまま逆袈裟から真っ二つにした。
ガシャン、と金属音を響かせ鎧騎士は地面に倒れた。
「眠れ……」
そのまま真っ二つにした鎧に切先を当てる。刀身から炎が現れ、それが鎧を包み込み、その中にある黒い瘴気を灰燼へと帰す。
そのまま漆黒の鎧が白銀の鎧へと戻っていった。
「う……そ。あなたは……本当に?」
女はローブの奥で口を覆って、驚愕に満ちた声を堪えようと必死である。
その動作のおかげで、一瞬チラッと気になるモノが見えた。
(……見間違いかもしれないが、そうだとしたらどうしてだ?)
太刀を左肩に担ぎながらジーッと観察する。
「おい!お前の目的はなんだ?」
今度は別の質問をする。が、もちろん返答がない。
「……だったら力づくでやらせてもらうぞ」
溜め息を尽きながら太刀を胸の前で掲げるように構える。爆発的な魔力が俺から発せられ、それが渦を巻く。そして刀身に十二芒星の魔法陣が浮かび上がる。その魔法陣に俺を取り巻く魔力が集まっていく。
「全てを焼き祓え――――神皇魔法 祓鳳」
「なっ!?そ、そんな……」
絶句するのは無理もないだろう。俺が唱えると同時に巨大な火の鳥、鳳凰が姿を現したのだから。その悠然とした神々しい炎は周囲の空気を全て清めているかのように、どんどん澄んでいく。
神皇魔法とは神器に刻まれた魔法陣によって発動する最強魔法。この祓鳳は全ての邪を滅し、生者には癒しと活力を与える魔法。
「さて、どうする?おとなしく従うと言うな……ぐっ」
突如胸に激痛が走り、膝から崩れ落ちる。おそらくヘスティアの力を十全と借りていない状態で神皇魔法を発動したせいで、身体に負荷がかかりすぎている。加えて久々の魔力の大量消費も影響していると考えられる。
「……っ!覚えてなさい!」
「くそっ……ま、まて」
空いている右手を空へと伸ばそうとするが、胸の痛みに耐えかね手が引っ込む。
その一瞬の隙を逃さずに女は虚空へと消えていった。
『早く魔法を消しなさい!!今のあなたには負担が大きいわっ』
頭の中の声に従うように魔力を少しずつ霧散させていく。次第に鳳凰は薄くなっていき、そして消え去った。
その頃には胸の痛みも無くなっていたが、身体にダルさが纏わりつき、思わず大の字になって寝転んでしまう。
「くはっ……はぁ、はぁ」
止めていた息を吐き出し、肩で何度か息をする。
呼吸が安定すると、魔力の枯渇からくる懐かしい倦怠感をどこか心地よく思いながら自分の姿を見てみる。ボロボロの外套と血塗れの服。胸元で握られている左手のなかにはいつものメダル。だがその一角にはキラリと紅色が戻っている。
「おーい、大丈夫か~」
紅の宝石を大切そうに撫でていると、遠くであの飄々とした騎士団長の声が聞こえてきた。
しかし残念ながら返事をしてくれる人間は誰もいなかった。だって俺は疲れているから……。




