The Dream Doesn't Arrive (残存部分のみ)
半数以上のファイルを紛失している為時系列は不明で、ストーリーとして鑑賞することは不可能です。文章のテイストの資料として見て下さい。
第十二話
高く掲げられた時針は午前十二時二十四分を指し、高く昇る日光はガラス越しに線路を照らし黒光りさせていた。
『五番ホームに停車中の列車は12時30分発、ワイドランズ行きでございます。本日は壮行により構内大変混雑しておりますので、お乗り換えは……』
そんなアナウンスが流れるホームの一角、背中合わせに据えられた黄褐色の真新しい軍服を着てベンチに座る二人の男達は、周囲の熱気を感じながらもどこか静かであった。
1月31日、遂にラズナ帝国はフォロンバル共和国に対して宣戦布告し、翌2月1日より全ての軍事行動を開始すると通告した。
その通告通り1日には東西北全ての戦線で敗報が総帥府に舞い込み、総帥までもがあまりにも酷すぎるその内容に耳を疑う程の敗報も中にはあった。
そんなラズナの鮮やかな進軍経路を割り出しながらも、多くの軍人は戦争が始まったことを未だ実感できぬままに戦線を再構築することに忙殺された。
それを受けて2月3日、総帥府はフォロンバリスに司令部を置く三個師団をまるまる北辺の要衝であるワイドランズに増援として派遣することを議会に諮る。
だがその結果は僅かではあるものの、増派に反対する意見が上回るものであった。
しかし以前より開戦した場合の危機を察していた議長は即座に賛成の意を示し、更に議長権限を発動したことによって反対意見は事実上封じ込めらてしまい、
三個師団、総計六万四千人のワイドランズ要塞への増派は即日決定された。
そして四日後の今日、その第一陣となる二千五百名の兵はここフォロンバル中央駅に集結し、
多くはその家族らに見送られ、岩と砂と鉄以外何もない、と喩えられるほどの不毛の砂漠地帯であるワイドランズへと向かうこととなっていた。
「あ、あの娘きれーな髪してるなぁ……」
最後になるかもしれない別れを惜しむ周囲の兵達を、つまりは自分にはとても重ね合わせられない存在を遠目に眺めていたリマイディッシュは、
隣から浮つききった声が聞こえるとゆっくりその視点を右へと動かす。
そこに居たワイムは詰め襟に慣れてないのか、天井のガラス越しの陽光に照らされるブロンドの髪を隠すべき制帽は既に脱ぎ捨てられて団扇と化し、
またその顔に汗を浮かべつつ不快そうな様子であったが、その眼は変に明るく口はこれまた変に歪んでいた。
「……まったく、この前は裏通りのママさんと番号交換したとか言ってたくせに、お前はどこまで守備範囲が広いんだ?」
ワイムの目線の先を追い、そこに兄とおぼしき兵と語らう12、3ばかりの綺麗に梳かされた黒髪を持つ少女の姿を認めたリマイディッシュは半ば呆れながら言う。
「へ? 何がですか? リマイディッシュさん、男たるもの、女性に興味を持たないでどうするんですか」
まったく論点違うだろと思いながらも、ある種正論でもあるそんなことを真顔で言われては流石に反論する気にもなれず、
ため息半ば、仕方なしに汗を拭ったらどうだとリマイディッシュは自分のハンカチを手渡した。
「あ、どうもです。私のハンカチあらかた前の女に持って行かれちゃったんで、もうボロ布しか持ってないんですよ」
そうワイムはまた冗談とも取れなくはないことを口走り、一息つきながら汗を拭うがその眼は何を探してかホーム中を見渡そうと忙しくしていた。
「でも何で軍服ってこんな苦しいんですかねぇ。そもそもフォロンバルは春先でもう暑いのってのに……」
「規律・規範」
まったく反省の色無いその言動から、聞き知っていた通りある意味勝手気侭な生活を送っていたらしいワイムの人柄ををリマイディッシュは認める。
口さえ開かなければ銀幕を十分一人で飾れるいい男なのにと思いながら、無駄口は叩こうともせず直後にはすっと立ち上がりその二語だけを口にした。
「軍隊ってのは誰一人として規律違反を許されちゃいない。誰であれ、一人でも勝手に攻撃したり逃げ出したりしたらその時点で全てが崩れるからな」
リマイディッシュはワイムに背中を向けながらもそう言うが、すぐ自分が今言ったことである事を想記して遠くの時計を確認する。
見やると既に分針は6の数字に重なりだしており、その下にたくさん居たはずの兵達はめっきり数を減らしていて、
そちらを注視するあまりそういうもんなんですか、と返してきたワイムを意識の外に置いたリマイディッシュはつい公然と舌打ちしてしまった。
「……て、あれ、もう時間じゃありませんか? リボルバルは来てませんけど」
時計を見やるリマイディッシュに誘われてワイムも気付いたらしく、もうここに来ているべき人の名を言う。
つまりはリマイディッシュが小隊長を務めることとなったTAT第四小隊の所属、リボルバル=アツィロート少尉。
つい最近行われたらしい四回目のTAT試験における合格者で、リマイディッシュもワイムもいまだ一度しかその顔を合わせていない。
唯一共通して覚えているのは『随分とヤパニッシュア系に似ている風貌だった』ということだけで――。
だがそんなことを思い出しているよりも、問題は時間であった。
リズ達が所属している第一小隊を差しおいて先遣隊となったリマイディッシュ達の第四小隊が、可能な限りTAT隊の存在を秘匿するためと、他の兵に紛れて乗るべき列車はこの目の前にある九時三十分発のワイドランズ行き。
既に列車はその機関を震わせて動かんとしているのに、未だここにはリマイディッシュ達二人しか居ない。
冗談で済まされる話じゃなかった。
「あ! ちょっとそこのお方! それ見せてくれませんか!?」
が、その時列車の方から突然声が聞こえ、二人とも驚いてそちらに視線を移す。
「な、何ですか? 早く行かないとヴェハド隊長がまた……!」
「そんなこと言わないで下さいよ。ちょっとだけでいいんで、その拳銃貸してくれませんか? 見たいんですよ」
列車の乗り口あたりを見やると、そこには小銃を担ぎ列車に乗り込もうとしている兵が困り顔していて、真新しい軍服を着た茶色がかった黒髪の男がその兵の腕を掴んで騒いでいた。
「何でですか? これは先輩から昇進祝いに譲り受けたもので、おいそれと他人に貸せるもんじゃないです!」
「へ? そうなんですか? じゃあその先輩は銃の改造の凄い知識を持ってますよ。だってホラ」
男はそこで一旦言葉を切ると、目にもとまらぬ早さでその兵の腰回りに手を伸ばし、兵が制止しようとした直後にはオートマチック式の拳銃を手に握っていた。
「これは……うん、やっぱり俺の見たとおりだ。これはヴァルバトス製の威力重視の03年タイプ。しかも数量限定の45口径。これだけでも十分いいものなのに、その上フィーディングランプは磨き上げられててスライドは強化スライドに差し替えてある。フレームとの噛み合わせはタイトにして精度を上げてあるし、サイトシステムは……見たことないタイプだな。オリジナルなのか? お、サムセフティーも指を掛けやすく延長してある。トリガーは滑り止めグルーブのついたロングタイプ。……それにこりゃリングハンマーか。んでハイグリップ用に付け根を削り込んだトリガーガード。しかもほぼ全てののパーツは全部入念に吟味されているし……」
「お願いします。これください!」
そんな散々専門用語を連発した上、結局そう言い放った男の眼は新しい玩具をとった子供のように爛々と光り輝いており、その眼光は兵をある意味怖じ気づかせるには十分だった。
男は両手にその拳銃を乗せてその眼のままジリジリと距離をつめて行き、相対する兵はホームと乗り込み口の間には段差があることを忘れて後ずさる。
そして傍観していたワイムがあっと声を上げ、兵の左足が空気を踏みつけたとき――。
「リボルバル=アツィロートだな?」
同時に兵は肩に強い力を感じ、その足はつま先をぶつけながらも固いコンクリの上に降り立っていた。
突然何が起こったか把握しきれず、兵はその声のもとを向こうとするが、視界にしっかり切りそろえられたナマズ髭が入ったと思うとまた先の声が響く。
「とっとと乗るぞ。早く来い」
と、はっと思い出した兵はそれでも何とか銃を返せと言おうとするが、直後には何も分からなくなった。
肩を支える剛力は無理矢理身体を反転させ、よろめくこちらの背を押して無理矢理列車に乗り込ませたのだから。
もう窓外には嵩高いビルやせわしなく歩き回る人は見えず、列車が十分フォロンバリスを離れたことを示していた。
が、静かに頬杖を突いてそれらを眺めるリマイディッシュとは違い、ワイムは景色には興味を起こさないらしく、ただただその額をさすり続けていた。
「ったく、そこまで銃に眼がない奴がいるとは知らなかったぞ」
ドアが閉まろうとする中飛び乗り、その時長身が災いして額を強打したワイムは原因の男――リボルバルに向かってもう三回目の愚痴をこぼす。
「はは、そうでしたか。すいませんね、悪い癖だって分かってるんですが……」
どこから取り出したのか、ドライバーをくるくると手で弄ぶリボルバルは自嘲のつもりか苦笑しつつ同じ答えをまた返す。
つい先程、あの兵は列車中を歩き回ってまでリボルバルを探したが、ようやく見つけたときには既に数種類のドライバーを取り出していた。
それを見てしまった兵は当然『早く銃を返せ』と絶叫して詰め寄るが、リボルバルはそれを言われた時には既に銃にドライバーを立ててそれを回していて、
半泣き顔で諦めきった兵は後で帰して下さいね、と誰とも無く言って去っていってしまった。
「でも、あれはかなりいい銃でしたよ。ただちょっとシリンダーが汚れていて上手く動かない感がしたから分解して掃除したのに、あの人と来たら」
リボルバルはもう組み立て直したその銃を再びどこかうっとりとした眼で眺めて、自分は善意でやったのにといわんばかりの態度を見せる。
まぁ、確かに善意っちゃあ善意なんだろうけども。
「それにしてもリボルバル、何で集合時間にきっちり来なかったんだ?」
そんなリボルバルに今返してこいと言ってもおそらく従わない気がしたリマイディッシュは、答えを既に半ば察しながらもそう聞く。
「いやぁ、しばらく整備できなくなっちゃうから、昨日の夜からずっと全部の銃に手入れしてたんです。で、それで気付いたときにはもう九時で」
見事に答えが当たり、正直リマイディッシュはため息をつきたくなっていた。
「まったく、与太者は俺だけかと思ってたのになぁ……」
そう自分の心情を代弁するかのようにワイムの声が聞こえ、意外だなと窓外に眼を向けていたリマイディッシュは振り向く。
が、続いた言葉はまたため息をつきたくならせるには十分なものだった。
「まったくリマイディッシュさん、男たるもの、銃なんかよりも女性に興味を持つべきでしょう?」
「は?」
「そんな無骨で温かみのない銃よりも、滑らかで艶やかな女性に興味を持つべきでしょう、って言ってるんです」
ついついバカにした風の聞き返し方をしてしまうが、ワイムはそれに気付かずにか続けていた。
「銃なんか、とは何ですか。そうやってあなたの考えだけで卑下するのは認めませんよ」
だがリボルバルは自分の大好きな銃そのものを否定されたと捉えてワイムに噛みつく。
「でも実際そうだろう。特に最近で言えばカルミンがそうだ。お前だってあのブロンドと紅い瞳を覚えているだろう? あれに比べればその黒なんて」
「覚えてるけど、それとこれとは話が……」
リマイディッシュは銃と女性、どう頑張っても比較しようのないその二つを比較しようとしている二人をしばらく見やっていた。
もちろん黙らせる気など毛頭無く、いつまで経っても収拾がつかなそうだと見たリマイディッシュは再び窓外へと視線を移す。
そこにはさっき見たのと変わらない、家と畑と道路ばかりの景色が広がっていたが、ただ違うものがわずかにひとつ。
この列車が向かう北から、ただひたすらに南へと逃げていく車の列であった。
「カルミナ=テルフェンス」
戦火から一刻も早く逃げようとする本能なのか、はたまた防衛に邪魔だからと追い出されたのかは定かではなかったが、
彼らがほとんど着の身着のままで逃げているだろうというのは容易に想像でき、リマイディッシュはふと一人の人物の名を口にする。
「ファルミナ=テルカスタムの叡智とタラット=テルフェンスの果断さを持ち合わせているとの話だが……」
それらから眼を逸らそうとはせず、リマイディッシュは小さく、誰とも無く呟いていた。
「……いかにそうであろうと、TATという駒を使ってどこまでこれを変えられるというのだ?」
「テルフェンス所長、お電話です」
「名前は?」
同時刻、国家総研の所長室では、カルミナが多額の予算追加を要求するため、その文書を作ろうと机に積まれたいくつもの書類の山に囲まれていた。
「えーっと……バルムンク=リガルラッド、と名乗っておりますが」
「切ってもらって結構です」
新型TAT=ARMOURの開発、TAT=SYSTEMの高性能化、TAT兵用の新型武器、およびそれに付随する形での各種部品の製造。
その上に国家総研所長としての雑務が重なれば、どれだけ時間があっても足りないのがカルミナの現状だった。
「了解しました。では、失礼します」
この所員はそれを理解しているため、カルミナに負けず劣らずの早さで退出しようとくるりと振り向く。
が、すぐに所員は足を止めてしまい、耳元につけられたイヤホンを押さえて再び口を開く。
「あの、所長……?」
「何ですか?」
「『名前を名乗り間違えた』などと言っているのですが、切っても平気ですか?」
普通に考えてあり得ないことではあったが、そのまま無下に切らせるのもどうかと思ったカルミナは仕方なくこう返す。
「一応聞いておいて下さい。で、何という名前なのですか?」
「……バルムンク=テルカスタム、とのことです。それと所長と話したいことがある、とも」
ラズナ訛りの激しい語調に苦労した所員は何とかそう繰り返し、そのまま結局切ることになるんだろうなと推察して『切』のボタンに指をかけていた。
「テルカスタム? 聞き間違いではないのですか?」
が、カルミナは意外とそう反応し、既にここ一週間で百件以上の電話を切ってきた所員は肩すかしを食らった思いをしながらもひとつ頷く。
「そうですか……」
「はい、では切ってもよろしいですか?」
「待って下さい。切らないでここに回して下さい」
そう言われて所員は二度目の肩すかしを食らうが、既にカルミナは書類の山を切り崩して、その下に机の上に置かれた埋まっているだろう電話を探していて、反駁の余地などはなかった。
「では、直ちに」
所員は思いっきり訝しみながらも一礼をして退出し、すぐに電話口の向こうに対して今電話を替わります、と短く言って回線を回す。
電話口の向こうのバルムンク=テルカスタムとは誰なのか、何故今電話をかけてきたのか、そしてどうしてカルミナは突然翻意したのか。
カルミナにははるか及ばぬ頭で考えたところで、カルミナの考えが理解出来ないことは分かっていたが、考えられずにはいられなかった。
直後、所長室からカルミナの怒声が響いてくるまで。
第十一話
フォロンバル共和国、ワイドランズ州。
州土の八割以上を岩ばかりの砂漠が占め、残りの二割はオアシス都市か、耕すのには全く向かない荒れ地ばかり。
その上めぼしい地下資源もなく、おかげで経済的・資源的には何の価値もない地域。
要するにそもそも行政区分を儲ける必要のない地域であったが、ただひとつ他の地域には無い点があった。
「あれが……ワイドランズ要塞か?」
既に日は西に傾きだしていて、リマイディッシュが眼を細めて見やる窓の向こうからは赤く染まった陽光が射し込んで来る。
それに促されるようにしてリボルバルもワイムも眼を覚まし、眠い眼をしたままに同じ方角に視線を移した。
遮蔽物など一切無い、枯れ果てきった砂漠。
その地平線の僅か上に太陽はうっとおしいほどに明るくその存在を誇示し、岩や砂を照らして熱す。
限られた僅かなものしか息づけない中、ディーゼルに引かれる車輪は熱せられた線路を踏みつけて進んでいく。
そして砂礫の中に敷かれた線路が延びて行く先には、黄褐色の上に黒い陰影を広げる明らかにこことは不釣り合いな大きさを持つ巨大な建造物があった。
ここワイドランズは、フォロンバルの領土の北辺に位置している。
国土の南を大海、西を切り立った山脈、東を道一つ町一つ無い砂漠に囲まれたフォロンバルにとっては、詰まるところ侵攻勢力対する戦線の一番手。
そんなわけで、その当時今のラズナ(つまり大陸一番の軍事国家)の地位にあったカリウェル公国を怖れる議会により、
カリウェル軍が侵攻してきた場合に備えんと三十年ほど前に建造されだしたのが、このワイドランズ要塞だった。
砂漠であるため、周辺に住民は居ない。
つまりこんなバカでかい軍事要塞を造ることに対する地域住民のデモ行為などは皆無。
しかも岩石砂漠であるためあちこちに巨大な岩が転がっていてコンクリの原料には事欠かず、
また要塞周囲に張り巡らせたトーチカ群をカムフラージュするにはうってつけだった。
しかしそもそもの建造計画があまりにも大規模すぎたのと、20余年前に始まった機械戦争のため要塞よりも正規軍の方に金を回さねばならなくなり、
結局要塞の骨組みを造りながら近代化の改修を同時に行う、といったような工事を続けようやく全てが完成したのは二年前。
近代ではその維持コストの高さや航空機の普及などによって世間一般から愚とされる要塞であったが、ここワイドランズはそれに見合うだけの力を持っていた。
「って、俺は聞いてたんだけどな」
あの直後列車は突然地下へと潜り込んで行き、斜度は緩かったものの起き抜けの二人は共に通路に転がり込んでしまった。
リマイディッシュも驚いて暗闇の中窓枠を掴み身体を支えようとするが、しかしその前に列車は再び平行に戻る。
突然の変わりようにリマイディッシュは訝しむが、その前に列車は坂でついてしまった速度を抑えようと自分本意で急制動をかける。
おかげで転がりっぱなしだったワイム達は今度は逆側に暗闇の中に転がっていってしまった。
が、次の瞬間には窓から白色灯の光が射し込み、ワイム達のもつれあった身体が照らされると共にリマイディッシュは窓の外を見やってそこには――
コンクリに大きく穿たれた横穴の中に山と積まれた南京袋の山があった。
「こりゃ、外の壮観さとは裏腹にも程がある」
小銃を担いだ兵が皆列車を降り、やたらと怒鳴る隊長とおぼしき人に連れられ上へと向かって行ってからようやくリマイディッシュ達はホームに降り立つ。
推測するにここはおそらく本来医療品や糧食、銃弾など輸送されてきた物資を貯蔵する使われる保存庫らしく、
事実歩み寄って袋の中身をひとつ見やると、中には大量の小麦粉が詰まっていた。
袋の山のかなたを見やるとこれらを上に運ぶエレベーターが幾つもあったり、この小麦粉でパンでも作るのか異様に巨大な釜もあった。
「痛てて……まったく、どうして上にある普通の駅に行かなかったんですかね? これは」
と、ここが保存庫だということに気付いたワイムはこれ幸いと袋を二つ三つ漁って医療品が入っている袋を見つける。
「兵隊も物資もまとめて輸送するんだからどうせ線路が足りないんだろう。……にしてもまた頭打って、運が悪かったな」
ワイムのブロンドは額からにじみ出る血によって赤く染められ出しており、リマイディッシュは流石に可哀想に思う。
が、その下に貼られたかなり大きめのガーゼはあまりにも銀幕を飾る俳優としては不適切で、それに気付くとついつい吹き出してしまった。
「……そこまで笑わなくてもいいんじゃないですか?」
「いや、悪いな。でもお前がそんなのすると……」
そう指摘されたリマイディッシュは何とか吹き出し笑いをかみ殺して応対するも、完全には抑えきれずにそのまま下を向いてしまう。
と、ワイムは事実そうなのだが、よほど自分の容姿に自信を持っているらしく笑われたことが気に入らないらしかった。
「あーそうですか。まったく今日は本当に運が悪いです。もしこれで、ここに女の子が居ないとなったら俺は本当にやってけませんよ?」
それ故か声は非常に不機嫌だったが、その最後につけられた言葉を聞いてしまったリマイディッシュはどこか安心した。
「というより早く行きましょうよ。ここに居たって何にもなりゃしないでしょうし」
随分と無愛想になってしまったワイムをなだめていたリマイディッシュはその声を聞き、上へ繋がる階段の前に立つリボルバルの姿を認める。
螺旋状に造られた階段は何の都合かえらく狭い上に暗かったが、ふと先頭きって歩いていたワイムの声が響く。
「……? この音、何だ?」
そう言うと同時にワイムが立ち止まってしまったため、リマイディッシュも随分心許ない階段に立ちつくしつつ耳を澄ましてみる。
と、聞こえてきたのは何か重いものが擦れ会うような鈍い音。
「へ? あぁ、俺です」
しかし直後にはその音に被さるようにしてリボルバルの声が聞こえ、リマイディッシュ達はそれに反応して首を下に傾ける。
数少ない明かりの中リボルバルの姿を見やるとそのポケットに突っ込まれた手は、先からの音を発し続けながら動いていた。
何をやってんだか、と二人してふと思うが、それを問いにする前に本人からその答えが来る。
「すいません。昔っから手慰みにとやってたら癖になっちゃいまして」
そう言ったリボルバルはポケットから手を出し、甘くその手を開きお手玉のような仕草をする。
ただその手中で踊っていたのは柔らかいお手玉ではなく、固く冷たい薬莢であったが。
「いやぁ、ここに集められているのは全部かなりいい弾ですよ。俺が言うんだから間違いありません」
「あ? 何だそりゃ」
「血初め(ちぞめ)になる最初の弾ぐらいは自分で選ぼうと思いましてね、さっき下の袋一つ漁らせてもらったんですが、どれもこれも目移りしたぐらいですし」
血初め――その本来軽く言うものではない言葉をあっさりと言ってのけたリボルバルを、リマイディッシュはその直後には強い視線で射る。
「最初の弾ぐらいは?」
耳を疑ったリマイディッシュは二度続けて問うが、リボルバルは至極当然といった風に返してくる。
「ええ。だってそうじゃありません? 自分の大好きなものには最高の環境を与えてあげたいじゃないですか」
そう言ったリボルバルはお手玉をしていない左手で親指と人差し指を直角に立てて銃を形作る。
「アツィロート銃器店って、知りません? うちの実家で店は小さいんですが、扱っているのは世界中から集めた一流モンばっかですよ?」
人差し指を上に掲げ、発砲時の動きをしつつ微笑をたたえるリボルバルは聞く。
しかしその微笑にどこか危うさを感じたリマイディッシュは無視してその答えを求めようとするが、先にワイムがその口を開いていた。
「あぁ、知ってる知ってる。何人目だったかは忘れたけど、女にそこでねだられてプレゼントした覚えがある」
「本当ですか? どの銃買ったか覚えてます?」
「さぁな。何せそれあげた三日後に別れ話切り出されて、断ろうとしたらそれで撃たれたんだからかけたんだから――」
「リボルバル、一つ聞かせてもらってもいいか」
リマイディッシュは上から聞こえる苦笑混じりの声にやはり呆れるが、そんなことに今は構っていられなかった。
「え? 何ですか?」
「お前はそれで人を殺すということを分かっているのだろう?」
その一言で、一瞬の後には上から発せられていた不満そうな気配も下から発せられていた陽気な気配も消え入る。
「……もちろん、分かっていますが」
「ならなぜ、そんな簡単に血初めという言葉を口に出来るんだ?」
無論、リマイディッシュ当人はそれに対して『軍人だから』という理由で一蹴出来るのは分かっていた。
だが、自分も相手もつい最近まで鉛が飛び交う死線に立ったことなど無い、『軍人だから』なんて言うのはあまりにも早すぎる連中。
それだというのに平気で先程そう言っていたリボルバルに問いたくなるのは、ある意味当然だととれなくもなかった。
「まぁ……何と言いますかですね、こんなこと言うと変に思われるかもしれないんですが、引き金引くときって、どこか気持ちよくありません?」
答えは見つかっていても、説明する言葉が見つからないのか。リボルバルは多少首をかしげながら続ける。
「むしろ、引き金引くって言うか……銃を持って、グリップ握って、弾を込めて、撃鉄倒して、照準合わせて、んで、撃つ。この一連がですね、どうもこうも……」
「……その快感が、お前に人を殺すということを実感させないってことか?」
「いや、実感させないってわけじゃないですよ!」
言葉が見つからずお手玉を随分と高くしだしたリボルバルを見たリマイディッシュは助け船を出すが、
櫂を操り間違えたのか、リボルバルは反感を覚えたらしく大声をあげる。
「確かに銃を握ってそれに近いことにはなったことはありますが、そこまでは……」
「だが、実際に人を撃ったことはまだないのだろ? 分からないじゃないか」
リボルバルはひどく貶められた、というような眼でリマイディッシュを睨みつけてくるが、それを受け流してリマイディッシュは短く言う。
「しかも俺達はただの兵隊じゃない。鋼を以て皮と成し、爆風を以て足と成すTAT兵だ。どれだけ力の差があるのかも分かっているだろう?」
先に感じた危うさに確証を得たリマイディッシュは立ちつくすワイムの背を小突きつつそう言い、お手玉の音が止んだ階段を登っていく。
が、わずかに二、三歩進んだところで背後から声が追ってきてその襟足を掴んだ。
「ではあなたはどうだというのですか! 俺は確かにそうかもしれませんが、だからといって……」
リボルバルはそこまでを叫ぶが、しかし続けるべき言葉が見つからなかったのかそこで狼狽する。
言葉を探す口は半開きのままであったが、お手玉をしていた右手は弾をこぼさないようにか強く握り締められて酷く白かった。
「どうだっていいじゃないですか? そんなこと」
大体こんなとこまでか、と見たリマイディッシュは口を開こうとするが、その前に上から声が響く。
「リボルバルが人殺すことがどうでもないと感じてるかなんて。どだい戦争はもう始まってるんだし、
敵はそろそろ来るかもしれないんですから、こんなところで騒いでいるより早いトコ上行きましょうよ。ここ寒いですし」
ワイムはそんなこと心の底から全く興味無い、といった声音を隠そうともせず言い放ち、その親指は10メートルぐらい上の方から漏れる明かりを指さしていた。
階段をそのまま登りきったワイムは、その明かりが漏れているところにあるドアを開け放つ。
そこには随分と長い廊下が広がっていて、きちんと整備された蛍光灯が照らす白さについ眼を覆ってしまわざるを得なかったが、
まだ不機嫌そうなリボルバルを促しつつワイムの後に進んだリマイディッシュは遠くに【ディスメシナ計画関係者以外立ち入り禁止】の立て札を認めた。
「何ですかねぇ、ディスメシナって……」
ワイムは不思議に思って小さく呟くが、その答えを知っているリマイディッシュはその前に出ながら言う。
「TATという呼称を秘匿するためつけたそうだ。特に意味は無いんだと」
正直なところ、その名前に思い当たる節はあった。
が、確証が無い今吹聴するのはと思い直し、カルミナから受けた説明をそのまま繰り返したリマイディッシュはそこへ向かって早々に歩いて行く。
そのまま立て札の横を素通りし、国家総研の研究室にあった扉を思い出させるような鉄の門扉の前に立つ。
そして後ろを振り向き、二人とも居ることを一瞬だけ確認したリマイディッシュは把手に手を掛け、力を込めた。
意外にも僅かな力で扉は開ききり、直後に目に飛び込んできたのは円形に並ぶ六つの白銀。
その円の中心にはそれらを全て管理しているのだろう巨大な機械。
肩部装甲にそれぞれの名前が刻まれたアーマーの向こう側には人一人が満足に通れるぐらいの横穴。
部屋を照らす目障りな白色灯とは違い、砂粒舞う暗闇の中浮かぶ星粒はここには似合わない程綺麗でありすぎた。
と、その綺麗さに目を奪われてリマイディッシュは髭を整えながらしばらく立ちつくしていたが、
ふと自らの横を歩き抜けていく存在に気が付いてそちらを見やる。
【REVOLBER OCELOT】と肩部に刻まれたアーマーの下にはきちんとたたまれたネーバウスがあり、その上には巨大な口径を持つ二つのリボルバー式拳銃。
跪いて銃を手に取ったリボルバルは、慣れた手つきで弾倉を開くとそこに弾を込めていった。
そしてあっという間に二つとも弾を込め終わり、リボルバルは弾倉を元に戻したと思うと突如立ち上がり、
一つ二つ頷くと両手の先に握られていた銃を眼にも止まらぬ早さで回し出す。
所謂ガンスピンというやつなのだろうか、と初めて見たリマイディッシュ達はそれを驚いた風で見やるが、リボルバルはそれを意に介さず回し続ける。
「……うん、やっぱりこの感触だ」
リボルバルは眼を閉じ、指先に全神経を集中させているのかとも思えたが、その口は普通に動いて小さいながらも言葉を発する。
が、聞き取れなかった二人が不用意に前に進んだ直後、リボルバルは眼を開いて手を掲げた。
指先は引き金にかかり、撃鉄は既に上がった状態、銃口は狙い誤らず二人の眉間を突き刺してくる。
隣に立つワイムの眼はその銃口と真剣そのものなリボルバルの眼に向けられ、そのまま驚いたワイムは数歩分飛び退いてしまう。
が、一切慌てずに見ていたリマイディッシュの眼は、その返り血でも拭うかのようにその唇を舐めた舌を見逃すことはなかった。
第九話 Prrog for Battle of WideLands
K.C.7605、2月25日。ワイドランズ要塞β7エリア、
そこは、戦場ではなかった。
『リズ、こっちで囲い込む。逃がすな』
その一言が聞こえると同時に、青々と光る空の中遠目にも二つの姿が浮かび上がったことを眼は認める。
直後にはその片方の姿からは幾百もの鉄が円を成して同じ鉄を穿ち花火を打ち上げ、
もう片方の姿からは放たれた火線が列を成して砂に足を取られる人間の身体を抉り抜く。
響いた鉄屑と人間の絶叫は、我が身を隠す巨大な岩陰など無視してリズの耳に入り込もうとしてきていた。
『囲い込む』と宣言したとおり、サルハは散弾銃を以ってして縦列行軍していた戦車群を次々と潰し、
それに挟まれて列で進んでいた兵達の真横に火の壁を創り出す。
そうすることによって何が起こったのかまでは分からなくとも、敵襲を受けたということを知った兵達の逃げ道をあらかじめ失わせる腹づもりだった。
狙い通り、突然の銃声に驚いて逃げようとする兵は左右を火で覆われ大混乱に陥り、
一部勇敢にも背に担いでいた銃を執って立ち向かおうとする者を邪魔することとなる。
そして火炎と仲間に四囲されてすし詰めになった彼らに、カストゥールは空高くから手に握った二連装の機関銃で大味ながらも鉄の雨を降らす。
刹那、それに続いて降ったのは血の涙。
軍靴とキャタピラに踏みにじられた黄褐色の乾いた砂は、雨に穿たれ開けられたその穴を涙に浸して塞いでいった。
眼を閉じても伝わる背後からの熱気と恐気に小型のマシンガンを握る手は震えていたが、自分で思っていたよりもその頭は冷静だった。
思い当たることはあるにはあったがそれはまた同時に相反するものでもあり、リズはそれよりもと考えるのを止め震え続ける自分の腕を見る。
引き金を引いて暴発させかねない手を抑えようとしたリズは岩にその身を預けると一つ、二つと乾いた空気を吸い、ゆっくりと吐く。
「……こんなことで抑えられりゃ、苦労しないか」
が、やはりそんなことでは震えは収まらず、半ば安心、半ば嘆息した微笑を浮かべたリズは直後岸壁に思いっきり腕を叩きつけ、
衝撃を与えられた岸壁からはカラカラと僅かに小石がこぼれる。
痛みは十分。
その痛さを確かめるように銃を握り締め、腕の震えが収まったのをリズは認める。
と、いつの間にか絶叫と砂を抉る音は近くまでやって来ており、リズはふぅっと一息吐くと空を見上げて地を踏みつけた。
踏みつければ踏みつける分反発して土が返す力は大きくなる。
それが本来自分に与えられた分以上であっても土は容赦なく返してくる。
「それでも、いい」
リズはそれだけを呟くとゆっくりと歩を進め、今まで自分を隠していた巨大な岩陰から身を出す。
綺麗にさんざめく太陽を背にし眼に入ってきたのは、既に銃を投げ棄て丸腰となり得体の知れないものから逃げようとしていた幾十人もの兵。
彼らは深く柔らかい砂に足を取られながらも、目の前に突如現れたリズを見るや否やその顔を絶望の色に染めきる。
だが直後には、それらは感情を含まないただの赤色へと変わっていっていた。
眼前には悲鳴が聞こえ、鉄が肉を抉り千切る音が響き、それに合わせて唯一の命を奪われた肉塊が砂の上へと自らを御せぬままに倒れていく。
リズは誰一人として逃さぬよう狙い澄まして引き金を引いていたが、その足は先と変わらぬ強さで地を踏みつけさせていた。
本来なら自分が負わずともよい、土から返されるその痛み。
だが、俺が、俺達が負わねばならない理由はあると、白銀の装甲に返り血を塗りながらリズはもう解っていた。
この手で奪った命の分が、もう数え切れないほどあるから。
2月3日以降、ワイドランズ要塞攻撃のために送り込まれてきたラズナ軍の戦力はおよそ歩兵1万7000人、戦車140台というもの。
どう考えても本気で要塞を陥としにくるには少なすぎたが、事実向こうも本気で陥とそうとしているわけではないらしかった。
鋼鉄の壁に囲まれた要塞から離れて各地に点在する駐屯地や食料庫、トーチカ群などを挑発し、戦闘らしい戦闘をしないまま退却しているのが実状。
だが、その代償はあまりにも大きすぎた。
開戦直後から配備されたTAT隊により、初めは退却途中の部隊が奇襲を受けてその悉くが壊滅した。
数部隊が壊滅という信じがたい事態にラズナ南部方面軍の上層部は驚愕するも、しかしフォロンバルがそんな地力を持っているなどとは誰一人考えられず、
中央へは『砂漠で道に迷い数日彷徨、衰弱しきったところを敵軍に攻撃され』たということにして報告。
そうしてそのまま戦力を逐次投入してワイドランズ周辺の地理状況を把握、同時にフォロンバル軍の実態を探るという方針を変えようとはしなかった。
しかし後には場所の割れやすい退却途中の部隊だけでなく、
行軍途中の部隊や宿営を作っている部隊までも襲撃を受けてこれまた壊滅するといった事態に陥る。
結果開戦から一ヶ月も経たない内に戦死傷者は1万人を越し、しかもそれは止まる気配がなかったのだった。
「兄さん? 兄さん?」
ワイドランズ要塞の一角、蛇口をひねれば外の乾きなどよそに冷たい水が出る、そんな水道所に気だるそうな声が響く。
片手に巨大な砕氷が入った袋を持つカストゥールはその目線の先に水で頭を冷やしているサルハを収めていた。
「ねぇ兄さんってば。氷買ってきたよ?」
カストゥールは再び大きめの声でそう言い、サルハはそれを聞くと蛇口を閉じてようやく頭を上げる。
耳を隠しきれるぐらいに伸ばされた蒼い髪にはよく映える水滴だったが、
サルハはとっととタオルでその水滴を拭き取り、タオルをハチマキ状にして頭に巻き付けるとカストゥールの方へ向かってきた。
「遅い。俺を何分待たせてると思ってるんだ?」
「知ったこっちゃないよ。兄さんこそ俺をいきなり呼びつけて『氷買ってこい』しか言わないなんて。それだけじゃどこ居るか分からないじゃないか」
カストゥールから氷を受け取ったサルハはそのまま歩き出し、カストゥールは半ば小走りしながら並んで歩く。
片や身長190cmを軽く越す偉丈夫、片や未だ160台前半をうろつく小兵。
蒼髪蒼眼という共通の特徴がなければ、こうやって仲良さげに喋っているのが奇怪に思えるほどだった。
『向こうでは普段、他の兵と共に紛れて生活して頂きます』
赴任直後、TAT兵になったという実感がまだあまりない頃にカルミナからリズ達に寄越されたこの言葉。
その言葉通りにリズ達はそれぞれ部屋を割り当てられ、今のサルハ達のように普段は他の兵と同じように要塞内をぶらついていることが多かった。
が、大きく他の兵とは違うところがあった。
一度敵部隊発見の報が入れば全員に与えられている変な機械――見た目携帯電話のような物が一斉に鳴る。
それが鳴れば即座に一般兵立ち入り禁止の要塞上部に向かい、そこのアーマーが収納されている部屋に集まることとなっている。
集まったらすぐにネーバウスを着込み、それから待機していた国家総研職員らによって一分無い間にアーマーを装着。
アーマーの装着を終えると各自の装備を取り出しシステムを起動。
全システムが無事に起動した後、次々とそこにある横穴から出撃する。
僅か五分にも満たないこの課程を終え、そしてその後は――。
「兄さん、俺の話聞いてる?」
歩きながら身体に付いていた赤い砂を手慰みとし、そんなことを考えていたサルハはその声で現実に立ち戻る。
「あ? 何のこった」
「早くしないとその氷が溶けちゃうんじゃないの、って言ってるんだけど」
同時に右手に濡れた冷たさを感じ、カストゥールの言葉にも促されそちらを見やる。
第十一話上 鏡
あれからどうなったのだ?
俺は今どこにいるんだ?
いや、それ以前にまだ生きているのか──?
そう動き始めた頭で考えて、リズは眼を開く。途端に真っ白い天井と真っ白い壁が眼に入った。
なぁんだ。まだ生きているじゃないか。にしても、いつまで倒れてたんだろか、とふっと思い、ゆっくり立ち上がった所でリズは、未だギアが上がりきってない頭を全力で動かすハメになった。
「……あれ……? サルハ? カルミナ? ……誰かいないのか?」
リズの周りには誰も居なかった。それどころか、よくよく見るに連れて今自分がいる部屋が国家総研内でないことに気がつき、徐々にリズの頭は恐慌状態に陥りかけだしていた。
「誰か! 誰もいないのか!? ここはどこなんだ!?」
リズは叫び、助けを求める。十畳程の広い部屋には白い大きなソファーとその前におかれたガラスの机、さらにその真正面の壁にある、部屋の大きさにはひどく不釣合いな程大きい鏡の他には何もなく、白い壁には扉も窓も一切見当たらなかった。
「何だよこれ……どうなってんだよ……!」
そう吐き捨て、ソファーの背もたれにリズは倒れかかった。
「誰か……誰でもいい。誰か居ないのか……」
「居ないのさ」
突如後ろから声がし、リズは驚き喜びつつ振り返る。
が、そこに居たのは鏡に映った自らの姿で、声の主はどこにも居なかった。
幻聴か、と吐き捨ててリズは仕方無しにソファーに深々と座り込んだ。鏡の中の自分は変にやつれて見え、それから目をそむけるように頬杖をついて目を閉じようとした。
しかし目に見えるものが全て黒に染まる寸前、リズは信じられないものを見た。
──鏡の中の自分は厳として立ち動かず、こちらをただ注視していた。
「……何だよ、これ」
目を大きく見開き、見間違いかと思って目を強くこすってからもう一度しっかりと見る。だがそれでも鏡の像は微動だにしなかった。
「この鏡……一体……?」
呆然としつつも鏡に触れ、その冷たさでしっかりと頭を動かす。が、触れた途端、鏡の像は動き始め、口を開いた。
「この鏡は、人の体と心を繋ぐ糸のようなものさ」
リズは驚愕し、数歩後ずさる。その声は、聞き間違う事無い自分の声であった。
「またこの部屋は常人は意識を保ったまま入ることは普通出来ない。その点、お前は随分珍しいんだ」
鏡の像はこちらにゆっくりと顔を向けてくる。
「お前、誰なんだ? 何を言っているんだよ……?」
「俺は誰か、か。簡単さ。俺は内なるお前……すなわち、体の奥底に居る心さ」
そう静かに言い放つと、『心』は向こうにあるソファーに座り込んだ。
「心だと……?」
「いかにも。具体的に言えばお前という『身体』の『心』の奥底に眠る『本能』ともいうべきだろうか? いや、それではあながち間違っている……。
そうだな。俺は『身体』の中に在る『心』であり、お前が心の奥底で声に出さずとも考えている事を全て知っている。ま、その考えを出しているのは俺なのだがな」
訳の分からない言葉の連続にリズは混乱し始めていた。俺は『身体』であいつは俺の『心』? あるいは心の奥底に眠る『本能』? タチの悪い夢じゃないのかと思い、またそう願って頬をつねってみたが、ひどく痛いだけだった。
「にしても、何でお前はここに意識を保って来れたんだか……俺がこっちから見てる限り、お前と替わりたいって思うぐらいに優柔不断で、そんな器量はないと思ってたのになぁ」
「何だと?」
「表のリズは、優柔不断で器量はよくない。お前は俺と替わったほうが良いって言ったんだ」
いきなりのこの誹謗に、リズは唐突に怒りを発してして『心』を睨み付けた。
「何故そんなことが言えるんだ。どこにそんな確証がある」
食ってかかったリズに対して、『心』は鏡の向こうであくまでも余裕の笑みを浮かべ、上辺だけとしか思えない優しい眼でこちらを見返していた。
その余裕の笑みは嘲るために練習した嗤い方にしか見えず、優しい眼は暴政に苦しむ民に実の無い憐憫の情をかける為政者の眼光を思い出させたが、それらに怒りを覚えた『身体』に対して『心』は何の意にも介さないようだった。
第十一話下
『心』は余裕の笑みを浮かべ続け、『身体』は鏡の中を睨みつけたまま一分ほど経過し、ようやく『心』が口を開いた。
「そう止まってるって事は……もう一度言って欲しいのか? 『表のリズは』──」
「違う。何故そんな確証があるのかってのを言えっつってんだ」
辛辣な口調で言い放ったリズは口を閉ざして向こうの動きを待つ。と、『心』はやれやれと首を振り、こちらを向いて口を喋りだした。
「じゃあ聞くが……何故お前は昨日中、と言ってもここでは時間軸が違うが……まぁ、お前にとっての昨日中に、自分で東へ向かって助けようとしなかった? 歴戦の勇士であるお前一人行けば雑魚の新米三人向かわすよりも強いだろう?」
リズがここに来る直前に自問し、自答した問いを『心』は訊いてきた。
「……俺が行く義理はないと思ったからだ。TATを一切信用しないようなやつを助けに行っても何にもならんからな」
「だが、お前の大好きな兵はどうなる? 『兵だって人間』じゃないのか?」
続けられた問いにハッとして顔を上げたリズが見たものは、『心』の変わらない余裕の笑みと、それに加えられた哀しく冷たい眼だった。
「何だと……っ? まさか本当に……!?」
リズは愕然とするしかなかった。本当にリズが自問し自答したことを『心』はつぶさに知っている。すなわちそれは『心』がリズの心の根まで抑えているという事であった。
「だから言っただろ? 『俺は『身体』の中に在る『心』であり、お前が心の奥底で声に出さずとも考えている事を全て知っている』とな」
そう『心』は非常に言い放ちリズに追い討ちをかける。
「そうか……だからお前はそんな余裕の嗤いを浮かべてたってわけだな……。ははっ、自分の事を全て知ってる『自分』が相手じゃ、勝ち目無いってわけか……」
自棄になりかけ、リズは深々とソファーに座り込み、何か言っている『心』の言葉にも耳を貸さず、眼を閉じた。
また眠っていたのだろう。重い瞼を開けようとして、リズは大急ぎで瞼を再度強く閉じた。
そうだ。俺は疲れてソファーで眠ってしまったんだ。ここは国家総研だ。ちょっと探せばカルミナもサルハも居るし、研究員だってたくさん居る。そう、ここは断じてあの部屋じゃない……。
と念じてから眼を開けてみたが、大きな鏡が目に入り、その向こうの自分は机に突っ伏して寝ているのを認めると、リズは大きく落胆するしかなかった。
ため息をついて壁を見渡し、出口を探すがどこにもなく、何となく目の前に置かれたガラスの机を見ると、一冊の本が置いてあるのに気付いた。
無機質な硬いブックカバーに覆われたその本を手に取って、暇つぶしにはなるだろとパラッと開いてみる。
中を見てみるとと、どうやらそれは誰かの日記のようだった。
K.C.7563 8 19 快晴
世界がいかに大きいことかを知らず、自らが持つ四つの大島といくつもの小島で満足していた我々には、世界と戦うだけの力を持つ国の実力を適当に推し量るという愚挙を行い、そのまま滅ぶのが正しかったのだろう。
しかしその一方でたった一人の人間を『天皇』と呼んで神格化し、ともすれば叛乱を招きかねないのにそのままで千年以上も素晴らしい政を行った朝廷は、何故あの交渉を受けようとしなかったのか。
あの交渉を受けようとする姿勢さえ見せれば、いや見せていれば、私は亡国の民とならずに済んだのではないか?
あれから二年経ったが、未だにあの日のことは鮮明に思い出せる。そしてまた、彼奴らを怨みたくもなる。
今日を以ってこの日記は二度と開かぬことにしよう。私の天命もここまでだ。しかし、ただ一つ心残りなのは、遂に孫の顔を見れなかったことだろうかな。
左からパラパラとページをめくっていったが、これが一番初めに出てきて、それからさらに右へ進むと、14日、13日……と時間が逆行していた。
カフォール歴7563年……たしか今年は7605年だったな、もう四十年も前のものなのかと思いをめぐらした所で、この日記の書き方もヒントとなって一つの仮定に頭が辿り着き、意識的に聞こうとも、言おうとも、思い出そうともしなかった国の名前が浮かび上がった。
「ヤパニッシュア王国、か?」
突如後ろから『心』の声が聞こえた。
まさにその通りだった。ヤパニッシュア王国──それは機械戦争が始まる前に滅び、今では高校世界史の授業でも取り扱う事は少なくなっている憐れな国であった。
「てことはこれ、多分ハルヒト=サカモトの日記だな」
振り向いたこちらに対し、『心』は同じ本を片手に掲げて続ける。
「そうか……やっぱり、そうか……」
ハルヒト=サカモトという名前を聞いて、リズは小さく独白した。
「知ってるんだろ? 確かあいつは俺達の──」
「曽祖父だ。認めたくは無いのだが、な」
そう返して、リズはまたパラパラとページをめくり始める。
「認めたくない? 何故だ?」
『心』は不思議に思ったのか強い語調で訊いてくる。
「……簡単だ。これと、これのせいだ……」
そう暗く言い放って、リズは自らの黒い髪と黒い眼を指した。『心』は一瞬いぶかしんだが、すぐに察したらしく静かな目でこちらを見始めた。
「亡国の民となったあいつは西の大陸へと逃げ、自らの妻を捨ててまで復讐に懸けた。が、その下準備さえ整えられずに死んで、替わりに俺の祖父がフォロンバルへと向かった。
フォロンバルでで祖父は名前を変え、姓をボルセルダンと名乗り、当初始まりかけていた機械戦争を恐れて逃げて来たのだ、と言い張って上手い事溶け込んだ。だがな……だがその後は……」
そこまで言って一度リズは切り、意を決して続けた。
「こういうの……隔世遺伝っつうんだよなぁ……父さんは茶髪で、茶色も混ざった眼だったのに……俺はどうしてこんな……真っ黒な……っ」
そこまで何とか言ったが、続けようとした言葉は涙に押されて発す事が出来ず、リズは嗚咽をかみ殺すことで精一杯となっていた。
それから暫く時間が経った。
リズは何とか平静を取り戻し、『心』も何も言葉を発さずにハルヒトの日記を読んでいた。
リズも日記に手を伸ばしてページをめくり目を通していたが、ふと鏡の中からトン、と音がしてそちらを見やった。
「……ようやく解ったよ。お前がどんなリスクを負ってまでもTAT兵になろうとしたのかが……」
『心』は日記を机の上に置き、目頭を揉みながら喋りだした。
「……何だというんだ?」
「……被るんだろ? 今のフォロンバルとかつてのヤパニッシュアが……。両方とも与えられた好条件をはねつけ、相手方の譲歩ににじり寄って更に譲歩を求め、その交渉そのものを白紙に返そうとし……結局、勝てない戦争になっちまった。
だからお前は……この国を、お前の故郷をヤパニッシュアと同じ目に遭わせないために戦おうとしたんだろ? 違うか……?」
間違っていない。どちらかというと正解だった。無論、他にもTATという未知なる新しい力への渇望もあったし、好奇心もあった。力で何もかも押し通そうとするラズナのやり方も嫌いだった。でも、何よりも、それが本当に的を得ていた。
「違わない。そうだ。……俺は……この国の人を守って、世界の時流に逆らいたかった……。偽善だとか、独善だとか、自己満足だとか、そんなんどんだけ言われたっていい。
それに今では……。今では……絶対に守りたい、守ってやりたい人だって居る。だから……守るために俺は戦う。たとえ何百人、何千人死のうと、殺してしまおうと、俺はあいつを守りきってやる。絶対にだ」
言い終わり、きっと自分は毅然とした顔をしているのだろうかとふっと思ったが、鏡の像は微笑を浮かべていた。が、その顔には嘲りの色は微塵もなかった。
「そうか……なら、まだ俺の夢は夢のままだな……。負けたよ。守りたい人は俺にはまだ居ない。だから、お前と入れ替わる権利は俺にはまだ無い」
そう『心』はゆっくりと言い、指を鳴らす。すると、リズの後ろにあった壁が形を変え、突然扉が現れた。
「……夢、か……。俺と入れ替わるってことか? 俺が『心』になって裏へ入り、お前が『身体』となって外へ出る、か……」
日記を手に取ってリズは立ち上がり、扉の方へと歩を進める。ドアノブに手をかけ、まわそうとしたが、その前に振り向いて『心』に声をかけた。
「でもな、それは夢じゃねぇ。夢はな、叶わないから夢なんだ。叶う夢は、希望って呼ぶべきなんじゃねぇか!」
突拍子も無いこの言葉に対して『心』は驚いたようであったが、半ば呆れ顔で小さく手を振って答えた。こちらも手を振って返そうとしたが、そのときにはもう『心』は鏡から姿を消して、鏡はただの鏡になっていた。
「さて……戻るか」
そう呟き、ドアノブを回して扉を押し開ける。刹那、視界が真っ白に塗りつぶされ、感覚が徐々に途絶えだした。それでも、手に持った日記だけはちゃんと在ることが分かっていた。
第十二話上
「まったく、お上が考える事はまるでわからんよ……」
カフォール歴7605年、五月二十六日。東部方面の宿営では一人のTAT兵が愚痴を漏らしていた。
「せーっかく気分も乗ってきて、これからだ、って思ってた矢先に……ほんっと、そりゃあないよなぁ……」
満天の星空の下、アーマーを脱ぎ去ったギルガ=ヴィジャランスは天を仰いで嘆息した。
三ヶ月前のニ月二十二日、第四師団・第十一師団・第六連隊の2個師団1個連隊の兵数で敢行された反攻作戦は、第六連隊が包囲されたりTAT隊の現在地がわからなくなったりして混乱を極めたが、それでも何とか敵の防衛ラインを突破できた。
その後都市を一つ占拠し、そこで敵の攻撃に陣営を築いて備え、実際に幾度が交戦した。
ラズナ側もいきなりの奇襲に混乱していたらしく、始めの二回は何らことなく追い返せたが、それ以後は徐々に徐々にだったが精悍なるラズナ軍に戻っていき、相い譲らぬ激戦となった。
十日以上持ちこたえたが、そろそろこちらも限界、もうここらが潮時か……。と誰もが思い出したところで、だしぬけにラズナ側から軍使が遣わされて来た。
その使者、こちらの司令達の前に立ち、口を開いて言いて曰く──。
「まったく、絶対にありえない」
ずっと愚痴を漏らしつづけながら、ギルガは自分の寝台に寝そべった。
言いて曰く、ラズナとフォロンバルは先日、一時休戦を盛り込んだ条約を結んだ。その中で更に、占領地は互いに返還すると決められた。なので貴官たちは早々に兵をまとめあげ、直ちに本国へ凱旋して頂きたい、と。
「負けておいて……敵に言われて帰って来といてなーにが凱旋だよ……出迎え誰か居たかってーの……」
三ヶ月経ち、その間に更に技術を発展させた国家総研から新しいアーマーと兵器を頂戴したものの、それは初陣を汚された自分にとっては埋め合わせにもならなかった。
「初陣が不名誉な撤退で汚されて……その上司令は勝つ気ないしよぉ……」
「ま、一人、そうでもなかったろ?」
急に誰かの声が聞こえ、ゆっくりとそちらを向く。そこには、最近こちらに増援として送られてきたカストゥール=フェルハラッドが居た。
「一人、ってのは……?」
勝手に入ってきたカストゥールをいぶかしみ、反発しつつも聞き返す。
「ハスハッド連隊長さ。包囲された中でも声を嗄らして指揮してたらしいじゃないか」
そういう人柄なんだろうが、会ってまだ少ししか経ってないのになれなれしく話し掛けてくる。あまり好きになれそうなタイプじゃないな、と独白しつつ返す。
「まー、そうかもしれないけんどさ……」
「……嫌いなのか? あの人が?」
唐突に振られた問いにはすぐに答えることが出来ず、何とかそれを繕おうと言葉を捜したが、結局ギルガは肩をすくめてやりすごすことにした。
と、それを見るとカストゥールは何も言わずにゆっくりと背を向け、そのまま去っていき、後には自分一人が残され、独白する暇が与えられた。
「……嫌いに決まってんでしょ。あの人を見返すためにTATになったんだから……」
そう呟いて寝返りを打ち、机の上にある小さな写真に目を向ける。そこには学ランを来た在りし日の自分と、今はもう居ない母、そして軍服を着て勲章を誇らしげに見せる一人の男が写っていた。
「母さんを苦しめてまで……そんなにあんたは戦が好きなんだろ……罪の無い兵士達をも巻き込みやがって……」
苦々しげに吐き捨てると、そのまま布団にくるまって目を閉じる。
閉じた瞼の裏側では、先ほどの写真に写っていたのと同じ男が屹立していた。ハスハッド=ボルメシラン連隊長──本名、ザラギ=ヴィジャランス。ただ一人残った、ギルガの唯一の肉親であった。
第十二話下
「頭、中! 総帥閣下に対し、敬礼!!」
その一声とともに、三列に並んだTAT兵達は威儀を正し一斉に敬礼する。
元々軍人のリズや、こういうことに意外と詳しいサルハやギルガは慣れた様子で敬礼したが、カストゥールやリマイディッシュなど、軍人としては新米の顔ぶれはガチガチの敬礼であった。
それに気付いたのか、前方に立つ白髯の男は頬を緩ませながら答礼し、早々に手を降ろし、口を開く。
「諸君、ここに来るのは二度目かね?」
フォロンバル共和国軍総帥、ソル=カラルラガットは微笑をその顔にたたえつつ、そう言った。
当然、今までの状況を見れば幾ら休戦協定を結んでいるといってもラズナ相手には安心できないことはどこの子供であろうが百も承知である事だった。
と、いうことで国家総研ではカルミナを筆頭とする技術陣の不眠不休とも思われる努力によって次々と新しいアーマーや武器が開発されてゆき、
議会の方では野党の批判を退け、議長権限により臨時軍事費の拡大が認められて正規軍も最新の兵装を手に入れ、あっという間に質だけならばラズナよりも優れる軍となった。
しかし、問題なのは質ではなく『量』であった。
現在、フォロンバル軍は陸軍十七個師団、海軍各種艦艇約390隻、空軍各種航空機約3600機より成り立っている。
だが、対するラズナ軍はなんと陸軍六十九個師団、海軍各種艦艇620約隻、陸海軍の航空隊に至っては各種とりまとめ14200機から成り立っているというのが、もっとも正確な情報であった。
しかも先の失敗に懲りてか、楽になってきている東部戦線から南部戦線に増援が派遣されているとの話で、少なくとも十五個、多ければ二十個師団は南部に配備されているとの見方がされていた。
到底、その時点で最早太刀打ち出来るはずもなかった。
そこで、フォロンバル唯一の強さであるTAT兵に目が向けられたのである。
幾ら機械を用いているとはいえ、中身は人間。
共に戦う仲間とソリが合わなかったりしていれば大問題だし、どだい一人一人性格も違う。
というわけで全員総帥府に集合し、今までTAT兵になった順に決められていた部隊を再編することになったのだった。
「TAT第一中隊を編制す。中隊所属部隊付、TAT第一小隊、リズ=ボルセルダン中尉、カストゥール=フェルハラッド少尉、リマイディッシュ=グロウィン少尉、以上三名。TAT第二小隊、サルハ=フェルハラッド少尉……」
ソルの落ち着いた声が広間に響き、名を呼ばれた者達は整然と並び始めた。
初めから共に戦い続けた仲間となれた幸運な者も居れば、初めて名を知る者と仲間となったあまり幸運でなかったらしい者も居たが、さほど不具合も無く、編制は続いた。
しばらくの後、全部で三個中隊が編制され、その中に合わせて三十一個小隊が置かれることとなった。
「各員、小隊仲間に問題は無いな?」
ソルの隣に立つ男がそう問い掛け、全員で首を縦に振る。と、次いでその男は口を開き、
「気付いていると思うが、一・二・三中隊でそれぞれ特色があるように編制させて頂いた」
それを聞くと辺り一面に、やはりな、という小さなどよめきが走った。
どう考えても第一中隊には、血の気の多そうな白兵格闘戦タイプの奴ばかり、
第二中隊にはさほど積極的でもなく、それでいて消極的でもない中遠距離戦タイプの奴ばかり、
第三中隊にはパッと見あまり使えそうにない、完全な望遠援護タイプの奴ばかりが揃っているのは、編制された誰しもが自覚しており、ここに集まった誰しもが理解していたことであった。
「ふふっ、やはりもう諸君らには分かっていたか」
壇上のソルが独白し、TAT兵達のどよめきは鳴りを潜める。
「……見たところ、問題は何もなさそうだ。それでは諸君らには解散していただき、フォロンバリス(フォロンバル共和国首都)の夜を満喫して頂きたいところなのだが──」
そこでソルは一度言葉を切り、続けた。
「一つ、諸君らには訊きたいことがあるのだよ」
数十秒間、誰もが黙りこみ、ソルが再度口を開くのを待った。
「では、ボルセルダン中尉!」
と、そこで突然自らの名前を呼ばれたリズは、驚きながらも大きく返事を返す。
「ただ一つ訊きたい。あなたは、人を殺すことは覚悟していたのか?」
と、周囲の全員、誰もが考えてなかった内容で、しかも唐突に訊かれたその問いには、すぐに答えを言えるはずもなかった。
「人を……殺す事を……?」
止まりかけた頭で訊き返し、何とか時間を稼ごうとする。だがソルは何も言わず一切動かず、かえってリズの頭は正常に動作しがたしくなる一方だったが、それでも何とか答えを言い放った。
「私は……覚悟しておりました」
「それでは、何故そう言える?」
間髪を居れず続けられた問いは、考える事から逃げる暇もリズに与えてくれず、同じく周囲の仲間も驚きを隠せない様子であった。
「何故、覚悟していたと言えるんだ?」
ソルは押しかぶすように問いを続ける。
「……元々、私は部隊長として味方の兵をコマのように扱うことは覚悟しておりました。そしてその一貫で、敵の兵を藻屑のように殺すことも覚悟しておりました。これが、覚悟していたと言う理由です」
以前バスフィナンに対して言った事とほとんど変わらない釈明であったが、ソルはそうか、と一言言い納得したようだった。
「では、フェルハラッド──いや、サルハ少尉!」
ソルは続けて口を開き、今度はサルハの名を呼ばわった。
「……自らの本心を言ってもよろしいのですか?」
「無論だ」
そうソルが返すと、サルハは一つ息を大きく吸い、口を開いた。
「正直、私は殺すことを全く覚悟しておりませんでした。でも……殺さなければ殺されるという理が、私を覚悟させました。ですが今では勿論、敵を殺すことなど──」
「今は関係ない! ならばその時、後悔はしたのか?」
突如、サルハの声を遮ってソルが言い放った。
「後悔とは……一体、どのようなもので?」
「ふむ。では少尉、人を殺した後、率直にどう感じたか? こうもあっさり死ぬのかと驚いたか? 俺は強いのだと喜んだか? 或いは……自らの行動を悔やんだのか、ということだ」
そうソルは諭すような口調で静かに言うと、目を伏せかけているサルハから離れ、仲間達に同じ問いかけをしていった。
それからソルは片っ端から次々と問い続け、そして最後に残った赤髪の男の前に立つと口を開いた。
「それでは、訊かせてもらおう。ヴィジャランス大尉!」
その声が響くとともに、全員がギルガの方を向く。ギルガはいつものような半憮然・半呆然といった感じの顔つきのままに口を開いた。
「覚悟しておりました」
「何故だ?」
前と同じように、ソルはすぐさま訊き返す。
「……仮に覚悟していなかったとすれば、どうして私が今ここに在れるのでしょう。これが理由です」
誰もが耳を塞ぎたくなるほどに無機質で、それでいて正論としかとれないその答えは、ソルの口をも閉ざさせ、そしてソルをそのままに壇上へと戻らせた。
数十分後、TAT兵達は解散し、ソルは総帥府の渡り廊下をただ一人で歩いていた。
大きなガラス貼りの窓からは、月末に近づき、下弦に形を変え始めた月がよく見え、ソルは目を細めてそれを注視した。
しかし突然、足音が聞こえ始めたと思うと、一人の男が前から歩いてきて声をかけてきた。
「おや総帥、今日はどうでしたかね?」
「……貴様には関係がないだろう」
姿も虚ろなその男は、まったく、と肩をすぼめて言い返す。
「そうか? 関係なくはないだろうよ。私が本来ならば、そこに居るはずだったしな」
「ああ、そうだな。だが、それは能わなかった」
ソルは冷たくそう言い、足早に通り過ぎようとする。
「……まったく本当に変わらんな。その冷たさばかりは」
その男はより姿を虚ろにしながら小さく呟いた。
「貴様もだ。何も変わってはいないぞ。貴様の息子も、孫も、貴様に──」
そう言って振り向いたときには、すでにそこには何もなく、ただ消え去る直前の男の眼が網膜に焼き付いていた。
そしてその眼はつい先ほど問うた一人のTAT兵の眼と完全にダブり、ソルはそれを振り払うように下再度弦の月を見やって独白した。
「ギルガ=ヴィジャランス……奴に似すぎている。危うい……このままでは、危ういな……」
ソルの網膜に焼きついた、先代総帥・フェイルマ=ヴィジャランスの幻影は、月光に照らされ徐々に消え去っていた。
第十三話上
虚無の闇の中、二人の男が、眼前にたたずんでいた。
「私は悪くなかった」
──そうだ──
そう白衣を着た男は呟き、隣に居る軍服を着込んだ男はそうだとばかりにうなずく。
「あなたがそうなったのは私のせいではない」
──お前のせいではない。そうだ──
続けてそう白衣の男は多少声を暗くしつつも呟く。
「全てはあなたに責任があるのだ」
──それで正しい。だから私を、いや俺を怨んでくれ──
白衣の男はなおも呟き続ける。
「私にはどうしようもなかったのだから」
──それは違う。俺がお前を急かさなければお前はあれを強行せずに済んだ──
さらに一層声を暗くしながらも白衣の男は呟き、ふっと顔を上げる。
「なぁ、ソル。あなたは私に対してそう思っているのだろう?」
──何だって?──
暗い口調のままにそう白衣の男は言い放った。
と、白衣の男はくるりと後ろを向いて虚無の闇の中に去ろうとする。
僅かばかりの願いを込めて手を伸ばし、何とか引きとめようとしたが、その前に軍服を着た男がその伸ばした手を掴んでくる。
「今更遅い。もう過ぎ去った時間は戻せないのだからな」
──そうだよ。戻せないさ。だがそれでも、今ここで何とかしなければ──
すると軍服姿の男は呆れた、という眼で見ながら話し掛ける。
「だからな、こうして償ってもらいたいのさ」
──どうやってだ?──
そうフェイルマは言うと、腰から拳銃を抜き放ち、こちらの頭に銃口を押し付けその引き金を絞った。
その銃声とともにソル=カラルラガットは目を覚ました。
息も荒く、心臓の鼓動が早く、汗をびっしょりかいてはいたが、頭に風穴が開いていないことを確かめると、またゆっくりと目を閉じた。
──『あなたは私に対してそう思っているのだろう?』──
しかし目を閉じると夢の中での言葉が蘇り、頭の中に響いた。
それから逃げるようにソルは目を開けると、小さく独白するのだった。
「タラット……やはり、俺は死ぬまで許しては……もらえないのだな……」
そう言いながらソルは壁に貼ってある、黄色く変色した新聞を見やり、その見出しを読み返した。
【第一研究所所長、タラット=A=テルフェンス氏、実験中の事故により死亡】
「総帥!」
五月二十九日、早朝。いつもどおり総帥府に向かったソルを待っていたのは司令付通信所の職員だった。
「何だ? こんな朝早くからやかましいぞ」
「そんなことは言ってられないのです! これを見て下さい!」
そう職員は言うと、一枚の紙をソルに押し付けるように手渡した。
ソルは職員の異常な態度をいぶかしんだが、一度文を読み始めるとそんな想念も当たり前のようにしか思えなくなった。
──『我が国と貴国が先に結びし条約は、もう既に十二分にその役割を果たしたとし、本条約は本日二十七日を以って無効とする』──
「これは、つい先ほど通信所で受信したものでして……っ! 総帥、これではもう……」
また喋り始めようとした職員をソルは手で制止し、わかった、と一言だけ返し総帥府の内部へと歩き始めた。
「ふん、もう条約破棄とは……! まったく、流石はラズナだな」
そうソルは言いつつも、頭の中では既に手を打つべき事項が次々と湧き上がり、また同時に間に合うか、という懸念も生じてきていた。
なぜならば、あの時結んだ条約中には『条約が破棄された場合、軍事行動はその翌日からのみ可能とする』とラズナが絶対に譲らなかった一文が記されていたからだった。
「まずはTAT隊だな……間に合えよ……」
時計が十二時を指し、小さく鐘を模した音が響いた。
総帥府から連絡があり、ひとまずアーマーを装着し待機していたが、明らかにこれからが勝負であった。
深夜の急襲はラズナが最も得手とするところであるが、たとえ東西北どの要塞に攻撃を受けても、フォロンバリスからすぐに空路で向かわせれば数十分もかからない万全な体制を布いている、と説明を受けたが、やはりどうもリズには納得しがたかった。
「十数の緒戦の内、一回もラズナは戦術的にも戦略的にも勝っていないんだぜ? まったバカ正直に来るとは思えないけど……」
小隊ごとに待機命令が出されている今、リマイディッシュは憂さを晴らしたいのか先ほどからずっと喋っていた。
「さっきも聞いた。で、さっきも答えたろ? ちょっとは静かにしててくれよ」
エネルギー節約のため重いアーマーを半ウェイト状態で着ているリズは動くのさえ難儀で、遂には目を開けているのさえも面倒になったリズは少し寝よう、と目を閉じる事にした。
目を閉じるとゆっくりとまどろんできて、どうせ始まったら音で起きるだろうと高を括って熟睡しようとした。
が、数分経っても眠れないまま、徐々にある音にリズは気が付いた。
「……カストゥール、この音、何だ?」
「音? ……ほんとだ。これ……ヘリか?」
バババババ、という何に対しても相容れない音が意識しないでも聞こえるようになり、リズは念の為にアーマーを半ウェイトからアクティヴにチェンジし、立ち上がって外を見やった。
深夜である以上何もかも黒に染めきられており、全く何もわからなかったが、それでもヘリのような音が大きくなり、またそれがかなりの数であることも分かるようになってきた。
「リズ、見えるか?」
リマイディッシュの声に対して、何も見えないぞ、とリズは口を動かしたが、その音は航空機が音速を超えたときに生ずる爆音と、暫く聞きなれていなかった幾つもの爆発音に掻き消された。
突如、地上は轟然と震え、それに一瞬遅れて幾つもの火柱が立ち昇り、空に在るものたちを浮かび上がらせた。
「……! ラズナかっ!?」
認めたくなくとも、その通りであった。
黒から赤に染め直された空には、ラズナの国章が描かれた航空機やヘリが数え切れないほど飛んでおり、その合間にも航空機からは爆弾が落とされ、ヘリからは歩兵らと思しきものが降下していった。
「ラズナ!? まさか……フォロンバリスに対しての無差別爆撃だと!?」
「それだけじゃない。どうやらこの勢いで占領しようってハラだ。あれ、見ろ」
逃げ惑う人々の喧騒が次第に大きくなりはじめ、それを上回る勢いで爆撃は続く中、リズが指さした中空ではそれに隠れるようにして次々と兵が下りてきているのが何とか確認できた。
「だけど、向こうにゃ誤算がありましたね? ボルセルダンさん」
と、既に断甲刀を背負っているカストゥールが声を上げる。
「あぁ、もっともだ。カストゥール、リマイディッシュ、行くぞ! 俺に続け!!」
そうリズは叫び、窓の縁に足をかけるとブーストに点火し、一気に市街中心部へと翔び始めた。
「皆さん! そちらは危険です! 五番通り方面は封鎖します! 三番か十番通りの方へ向かって下さい!」
同時刻、真っ先に爆撃を受けた五番通りでは部隊が既に出動しており、住民の避難を進めていた。
「慌てないで下さい! 大丈夫です! まだ十分逃げられま……」
そう多くの兵が大声を上げているとき、突然運悪く近くにまた爆弾が落ちてき、一瞬にして最悪のパニック状態に陥ってしまった。
「慌てないで下さい! そんなに慌てたら危険です……っ!!」
「このっ……何で誰も言う事聞かねぇんだよ!」
あまりにも酷すぎる喧騒の中、あろうことか一人の兵が業を煮やし、中空に向け十数発続けて発砲した。
が、そんなことが人々を沈静させるのに役立つになるわけもなく、かえって混乱を激化させるだけであった。
「何じゃあ! 今の銃声はぁ!」
しかしその喧騒の中、バンガラ声を響かせて真っ赤な髪が帽子からのぞく初老の軍人が発砲した兵に近づいた。
「撃ったのは貴様かぁ!? そうかぁ!? 答えい!」
「ボ、ボルメシラン隊長……は、はい。すいません」
ハスハッド=ボルメシランはその答えを聞くと、何も言わずに歩みよる。
「貴様ァ、こんな状況じゃなぁ、すいませんなんか通用せんぞ!」
そう言うとハスハッドはその兵を殴りつけ、倒れこんだところで銃を取り上げる。
「まったく……貴様のような者が軍人ってモンを誤解させるんじゃ……」
ハスハッドは小さく呟くと、少しは学べい、と一言続け、それから更に打って変わった大声で言い放った。
「よぉし! 全員、避難を急がせい! ほぅれ、駆け足じゃ! 駆け足ぃ!!」
その号令を聞くや否や、全ての兵が精力的に動き出し、避難を円滑に進めるべく走り始めた。
「ふん……これでよし、と。後はここで敵の歩兵隊を迎え撃つかどうか……」
ハスハッドは絶え間なく動く兵達を見つつそう言うと、未だ激しく燃え盛る五番通りに目を向けた。
十数発の爆弾を矢継ぎ早に落とされたらしい五番通りにはもう人がいるはずもなく、例え居た所で数十秒で灰になるのは明らかだった。
そう思いながらも何となく五番通りの火を見つめていたハスハッドは、突然いくつかの人間らしき影が目に入った。
「ん? 取り残されとる人かぁ?」
とは言っても、五十メートルほど離れたこちらにも凄まじい熱気が伝わってくるのに、ましてやその火のド真ん中を突破できるような人は居るわけない。
──では、アレは一体何なのだ?──
先頭で歩く人間らしき影は、灼熱の炎から出るとその姿を明らかにした。
「何じゃ、アレは一体……?」
後ろからも続いて同じものが次々と現れ、それらは炎の前であらかじめ決められていたかのような無駄の無い動きで横一列になり並び、そのまま微動だにしなかった。
黄褐色で上から下まで彩られたそれらは、遠くから見るとTAT兵のように見えなくもなかったが、全て同じ背の高さ、全て同じ歩き方をしている所を見ると、それもまたありえなかった。
「隊長! 全員の避難終わりました!!」
後ろからそう声が聞こえたが、ハスハッドはそれに見向きもせず、腰から拳銃を抜くと、『TAT兵らしきもの』の真正面に居る一体に向けて引き金を絞った。
狙い誤らず、一直線に飛んだ弾丸は『TAT兵らしきもの』の頭部を直撃したが、弾丸は無力にも黄褐色のヘルメットに弾かれ、その場に落ちた。
と、撃たれた『TAT兵らしきもの』は急に顔を上げ、ヘルメットに囲まれた顔のような真っ黒な部分に二つ赤い点が灯った。
一部の兵がそれに気付き、驚きの声を上げるが、それを全く気にせず、次々と他の『TAT兵らしきもの』も目のような赤い点が灯り始め、そしてハスハッドの真正面にいる先ほど撃たれた一体のヘルメットには紅色で、あるマークが浮かび上がった。
「……あれもラズナか。面倒なことになりそうだのぉ……」
ラズナの国章が浮かんだヘルメットに目を向けつつ、ハスハッドは拳銃を収め、背中の自動小銃に手をかけた。
第十三話下
慣れた手つきでハスハッドは自動小銃を構え、片目を閉じて狙いを定める。
「た、隊長……アレは一体……?」
「分からん! いいから全員急いで構えて狙っておけい!」
ハスハッドはそう令し、混乱しつつも周囲の兵は散開して銃を構え始める。
どういう事態にも対応できるよう常に最大限の思考を巡らし、その上で最悪の場合から最高の場合までを考える。長年最前線で戦い続け、培い続けた本能が教えてくれたことだった。
だがしかし、やはり人間というのは初めて見るものと相対したとき、どうしても最後の詰めが甘くなるものであった。
予想に反し、まだ全員の射撃体勢が整う前に、『TAT兵らしきもの』は一気に銃を撃ちつつ突っ込んで来た。
──ありえん! 速すぎるぞ!?──
ハスハッドは驚愕したが、それでも何とか平常心を取り戻し応射し始めた。
「急げぃ! 全員撃てぇ!!」
しかし、保塁も塹壕も何も無い焼け付いた道路の上、敵からの攻撃に対して身を護ることは不可能であり、敵の攻撃は次々と仲間を打ち貫いてゆく。
更に、こちらが数に任せて撃ち込んだ弾はほとんど当たらず、例え当たっても簡単に弾かれていた。
「隊長! 無理です、止まりません!!」
最も近くに居る兵がハスハッドに対して叫ぶが、ハスハッドは諦めるなぁ、と一言言い返して撃ち続ける。
が、たとえどんなに弾を撃ち、命中させたところで、わずか7ミリ口径の対人自動小銃では機械の兵に対し、全くの無力であった。
そして遂に先頭の一体がハスハッドの方を向き、その手に持つ引き金に指がかけられているのを見えると、ハスハッドは大きな諦念の中にわずかに残った、生を臨む気持ちを奮い立たせて銃口の向きを変えようとしたが、その前に真っ赤な物体が高速で目の前を横切った。
ギルガ=ヴィジャランスは『GALE』の新タイプである『WINDEST』を着け、敵──『TAT兵らしきもの』に突撃した。
手には真っ赤に塗り込められた超合金製の槍『SPEARS』が握られており、その穂先は突撃開始時からずっと敵の頭を狙い澄ましていた。
何に対しても動じず、焦らず、逸らず、躊躇わず──。大嫌いな、人でなしの親父が教えてくれた、ただ一つ役に立つ言葉を脳内に浮かび上がらせつつ、手始めに最も近くにいた敵の頭を穂先で突き抜いた。
通常、頭を貫けばそこからは言いようのない量の血が流れ出し、トラウマになるぐらいのグロテスクな状況になり得るものであり、それを覚悟した上で槍を振るったギルガだったが、直後、それとは違う感覚を感じ、敵の方を見やった。
「何だこれは……? 機械、か?」
頭に大きく空いた孔からは血のかわりに幾つものコードが飛び出しており、それらは絶え間なくビシビシッと嫌な音を立てながらショートしていた。
──ったく、機械の兵隊とはやってくれる!
そう思い、口に出して周囲の兵に教えてやろうかと考えたが、その前に哀れすぎる悲鳴が聞こえてきて、音の源の方に身体を翻すと腰からマシンガンを抜き放ち、引き金を絞った。
そもそも対戦車用に作られた徹鋼弾は、いとも容易く機械の兵の装甲を撃ち破り、数発放てば機械の兵は小さく痙攣したかのような動きを見せ、倒れていった。
そのままに槍と銃を駆使し、その場に居た敵を全て破壊すると、ギルガはふぅっと小さく息を継ぎ、好機に満ちた周囲の兵達の視線を一手に集めていた。
眼を閉じて銃弾の再装填をしたり槍の刃こぼれの有無を確認しつつも、その神経は周囲の視線には無く、耳に流れ込んでくる通信所からの指令にあった。
『敵戦力はおよそ航空機数百機、及び機械歩兵千数百体と推測される。全TAT兵はこれより……』
と、数分に渡って続いた指令が止まり、ひとまずは状況でも説明してやるか、とギルガは眼を開いた。
「皆、敵はフォロンバリス全方面に展開しています。ですが、この五番通りにはもう敵は……」
しかしそこまで言ったところで、自分の視界の中に大佐の襟章を付けた赤髪の軍人が現れ、その顔がこちらを向き、ギルガは言葉を止めた。
「……貴様ぁ、TATの連中か?」
二度と見たくない唯一の男、ザラギ=ヴィジャランスはこちらが誰かを知っていながらに声をかけてきた。
──同時刻、フォロンバリス十四番通り──。
爆弾が落ちたことを記す炎は一つも無く、夜勤が誰も居ない寂れた工業街であるここは静寂が支配していたが、それを三つ重なった銃声が出し抜けに破った。
その音の主、サルハは両手で三連装ガトリングガン『PHALANX』を持ち、その引き金は先ほどから引かれ続けていた。
放たれた銃弾は道路を我が物顔で走り抜けようとする機械の兵を片っ端から次々と撃ち、撃たれた敵は一瞬だけその歩みを止め、その直後には中天を仰ぎ吹き飛んで行く。
『よっし、やっぱりこういう誰も居ないところじゃないと、何も気にせず暴れられんな!』
耳をつんざく銃声の中、狙撃銃を用い後方で援護射撃をしているワイム=ディランの声が入ってくる。
僅かに撃ちもらされ、『死』を怖れず──怖れる事も出来ず──にこちらに突撃してくる敵はワイムの正確な射撃によって、軒並みシステムの基部が集中しているであろう胸部が狙い撃たれ、倒れこんでいた。
「もっともだな。兵でも何でも人がたくさん居られたらやりにくいことこの上ねぇ」
と、そう返したところで弾が切れ、おっと声を上げつつ大急ぎでリロードを始める。しかし三つの銃身全てにしっかりと弾を込めるには数十秒必要で、その前にワイムの攻撃をかいくぐった敵がサルハに肉迫してきた。
『サルハ、リロードの時ぐらいは退がっててくれませんかね』
しかし、その肉迫してきた敵は、時代遅れとも思える大斧の一閃で全て弾き飛ばされた。
その勢いに乗せられ、周囲に立ち並ぶ工房の壁に激突した機械の兵は一瞬の内に身体のどこかが千切れ飛び、無惨な姿に変わっていった。
「はいはい、分かってますよ」
リロードを終え、射撃準備が完了した事を知らせる金属音とともにそう返すと、三メートル程の長さを誇る大斧を持つ人影は後方へ飛び去って射界を開いた。
即座に引き金を絞り、僅かばかりの間クルクルと無音で金属管が回り出す。
真に少しだけの待機時間が終わると、暗闇の中から新たに現れた敵も、弾き飛ばされたが再度向かってくる敵も、目標まであと数メートル、という所で全て幾百もの弾丸に貫かれていった。
『おや、流石蒼鬼のフェルハラッド。まったく情け容赦などないですね』
変な綽名で嫌味を含ませたその静かな声に対し、サルハは内心舌打ちしつつ、声ではなく眼で抗議してやろうと撃ちつつも振り向く。
遠くに在るビルの屋上に、実直に狙いを定め戦い続けるワイムの横で、大斧を肩に担いだアレクサンディアス=アクセラは小さく微笑を浮かべているように見えた。
随分と長い間気づかなかったものだなと、ソルは自嘲した。
総帥室でついつい眠ってしまい、爆音に鼓膜を叩かれて目覚めた時には既に12時半を超えていた。
一瞬にして重いまぶたも軽くなり、動かない頭も動き始めたが、しかしそれである一つの自然な、それでいて諦念の象徴ともとれる想念が浮かんだ。
「私は……この戦場で……一体何が出来るのだ?」
カーテンを開いて混沌たる戦場と化した首都・フォロンバリスの現状を見たとき、そう思わずにはいられなかった。
──正規軍とともに住民の避難を進めるか?
それとも、TAT兵のように銃を手に執り戦うか?
或いは、ここに留まってそのままに生を得るか?──
「まだ気付かないのか。お前ごとき何も出来はしないんだ」
背後から聞き慣れた声が聞こえ、振り向きたくなるのを何とか抑え、どういう意味だ、とだけ返す。
「自分の力をわきまえず、何でも出来ると過信したあまり、お前は今も、そしてこれからも過ちを繰り返すのだよ」
「貴様は黙っていろ。既に死んでいるなら何とでも言えるのだろうよ」
ソルは絶対に後ろは振り向かず、眼前の現実だけに眼を据え亡霊を追い払おうとするが、むしろ亡霊に引き込まれてゆく一方だった。
「ソル、いい加減に眼を覚ませ!」
大喝してきたその声は、まるで自らが何か狭い部屋に閉じ込められている時のように幾つも幾つも反響して聞こえ、徐々にではあったが眼前の景色が見えなくなっていった。
──ふざけるな! 貴様は私をこんな所で終わらせる気か!?──
しかしもはや耳には自らの絶叫も届かなくなり、悪夢のような声が反響するだけとなり、ソルは諦めて床に手を着こうとした。
──なぁソル。もしも私に万一のことがあったらルナを、あいつを頼むぞ──
しかし、そのふと聞こえた声で響いていた悪夢は止まり、ソルは体を持ち直して再度しっかり眼前を見据える。
「ソル、生きている人間に出来る事は限られている」
先程とは打って変わったおぼろげな声が耳に入り、ソルは遂に振り向き、後ろを見やった。
「今、自分に出来る事が何かを見極めろ。それが、お前の私に対する償いの手始めだ」
その声が聞こえると亡霊は消え去り、その代わりにガタリ、と机の戸棚が開く音が残された。
その戸棚の中には古ぼけたテープとレコーダーが入っていて、ソルはそれらをひっつかむと急いでドアを開けて飛び出そうとした。
しかし、その前に小さくも明確な、何かが連続して空を切る音が聞こえて手足は止まり、ソルは首を回して窓の方を見た。
と、ラズナの国章が大きく描かれたヘリが三機、騒然たる戦場を抜けてゆっくりと七番通りを駆け抜けていくのが眼に飛び込んできたのだった。
驚愕して窓に寄るが、それは見間違いでも亡霊の名残でもなく、突きつけられた現実であった。
「急いで往かねば……国家総研が抑えられる前に……!」
そしてソルはすぐさま部屋を出て走り始め、それ故にヘリを追って疾走する物体を見る事はなかった。
「畜生……急がねぇと間に合わない……っ!」
リズは、七番通りの道をただひたすらに走り、国家総研へと向け驀進していた。
「待ってろよ……必ず今すぐ行くからな……!!」
フォロンバリスの夜に、ただ一人に向けられた悲しき願いが木霊した。
第十四話上
「なぁ! リズはどーっこ行っちまったんだ!?」
フォロンバリス中心街の大通りで、他隊所属のTAT兵達と共に戦いつつ、リマイディッシュはカストゥールに聞いた。
「わからねぇって! でもボルセルダンさんなら平気でしょうよ!」
「って、リズは平気でも俺達が死んだら元も子も無いってことお前判ってないだろ!」
リズが戦闘途中で何も言わず急に離脱してしまったため、全員驚いてしまいスキが出来、その時に押し込まれて結果防戦一方に徹しなければならなくなっているのが、ここの現状だった。
前後左右、全ての方向に開けている大通りでは各方面からワラワラと磁石に引かれるように敵が寄ってきて、今や数百体いるのではないか、という有様で、実のところリマイディッシュは倦怠感が酷くなっていっていた。
「まぁ、そりゃそうだけど……何とかなるんじゃないかな、っと!」
はっきり言って根拠の無い軽口で返したカストゥールは、既に幾度が迎撃されているのにも関わらず『GALE』よりも強化された『GALING』のブーストを全開にして突撃する。
「まったく……お、まずは勢いに乗った横薙ぎで1」
カストゥールはブーストを切るが、慣性の力を利用して一体を切り払う。
「そのまま払って2・3・4。」
更にその勢いに乗って三体を同時に鉄屑に戻す。
「飛び上がって……ん、その一撃で5……6か。」
一瞬止まったかと思うとフッと消え去り、後には倒れこんだ敵が残された。
「それから降りてきて……は? 追い討ち? こりゃカウント無し。……そこで反撃浴びてと? て、学べって」
既に動かなくなっている機械に対し、縦に断甲刀を突き刺したカストウゥールは、スキが出来たその間に数十発の弾丸を浴びせかけられ、遠目にも焦っているのは明白だった。
と、そう言って呆れつつ、リマイディッシュはカストゥールの元へ飛んでその身体を掴み、そのまま大急ぎで元の場所に戻る。
「ははっ、また失敗しちまったよ」
首根っこを掴まれつつ、カストゥールは小さく笑いつつそう言う。が、直後に異変に気付き、あっと一声叫んだ。
「ん、どうした?」
不思議に思ってリマイディッシュは引き金を引きつつカストゥールの視線の先を追ってみた。まずは右腕。それから掌。更に先には断甲刀の柄。そして最後には──。
「……折れちまった」
ヘシ折れた断甲刀の刃が眼に入った。
「まったく……無茶な使い方しているからだぞ。これを気に反省するんだな」
完全に呆れ、もはやさげすむに近い眼差しを送りながらにそう言うが、当の本人は暗かった顔をすぐさま明るくし、唇を一舐めすると首を掴んでいる手を払って再度突撃した。
あっと大声を上げて何とか止めようとするが、瞬間時速300kmを軽く越すGALINGのブーストを使ったカストゥールを止められるはずもなく、ただその先を見る事しか出来なかった。
何も武器を持たずに素手で突っ込んだカストゥールは、先程自分に撃ってきた敵に対し、ブーストで強化された全身の勢いを拳に乗せ、下から上へ振り抜いた。
実際、手に激しい痛みが走るのは覚悟していたがさほど痛みは感じず、失敗したか、と思いつつ手の先を見やる。
が、そこには自分の手しか見えず、拳を当てた敵はどこにも見当たらなかった。
焦りいぶかしみながらも、撃たれるのを避けるため絶対に立ち止まらず、もう一度ブーストを動かすと速攻で別の敵に体当たりを仕掛ける。
肩から思いっきり当たると今度はある程度の衝撃が走り、決まったか! と快哉して我ながら見事に真っ直ぐ吹き飛ばされた敵の末路を眼で追った。
と、そこには何故か空中から降ってきた敵が既におり、たった今吹き飛ばした敵はその降ってきた敵に直撃し、双方とも小さく爆発したかと思うと、その機能を停止した。
そこである一つの結論に達し、大きく笑うと、未だ心配そうな顔をしているリマイディッシュの方を見、こう叫んだ。
「なぁリマイディッシュ! やっぱ武器なんか必要ねぇさ! 一番強えのは素手だよ! 素手!!」
リマイディッシュが眉間にシワを寄せているのには全く意に介さず、カストゥールは満面の笑みを浮かべつつそのままに敵中を進み続けた。
「そうだとしたら、何だと?」
ギルガは、ボルメシラン連隊長──すなわち、自らの父であるザラギ=ヴィジャランスに聞き返していた。
「即刻、ここから立ち去れい。ここは我々だけで十分じゃあ」
ハッキリ言ってありえなく、信じ難い要求であったが、それも歴戦の兵であるザラギが睨みつつ言えば、普通の人なら唯々諾々と従っているところであった。
「……そんな命令に、私が従うとでも?」
が、数年前までは親として仰いでいた人物に睨まれた所で、それには慣れっこになっているギルガは槍を片手で回しつつ重ねて問う。
「従わないんじゃあ、貴様を処分する方法は幾らでもあるぞ」
その声と同時に、ザラギは拳銃を抜き、周囲のざわめきと共にそれをギルガの鼻っ面に突きつける。
何をどう考えたところで、上官が部下には取っても、親が子に取る行動ではなかったが、既に子は親を親と認めず、親は子を子と思ってないのは互いに百も承知であったから、ギルガは嘆息を堪え眉一つ動かさずに数歩後ずさる。
「……は。私情を挟んでしまい、申し訳ありません。では、私はここから立ち去りましょう」
そう言うと、好機の眼を向け続ける周囲の視線を絶つかのように、コンマ何秒かの間に槍をクルクルッと高速で回し、そのままに槍を背に背負うと、ゆっくりとザラギに背を向け歩き始めた。
「『私情を挟んでしまい』、か……まったく、未だに変わらんなぁ。貴様は……」
歩きつつ、そう小さくザラギの声が追ってきたが、それは感覚としては右から左に流れてゆき、全く頭に残ることはなかった。
既に、入り口前の広場には三機のヘリが降り立っており、入り口のガラス戸は完全に破壊されていた。
空を明後日の方向へ向かって進むヘリを見つけ、それに対してふと巡らした最初の思考が現状に合致し、リズは無線のスイッチを切りただ一人でここへと向かった。
街灯が小さく照らすラズナの国章を一瞬見やり舌打ちすると、リズは焦りつつ、それでいてゆっくりと国家総研へと踏み込んでいった。
「……ったく、何だってんだよこりゃ……っ!」
入り口からまずは足跡を頼りにまっすぐ進み、その先にあったエレベーターで二階に上がったリズは、ドアが開いた途端、早々に予感が現実になったことを思い知らされた。
通路の中央にまっすぐ伸びる二列の全て同じな足跡。真っ白な壁と天井に映える黒い穴々。そして非情にも無造作に飛び散った鮮血に倒れこんだ肉塊──。
夜勤で国家総研内に残っていた研究員らは、皆々無惨な姿になるまで撃たれ、殺されていた。
「武器を持たない者まで殺すとは……ふん、やはり機械はどこまで行っても機械か」
そうリズは機械の兵の行動を嫌悪しつつ、何とか無惨な姿に変わった者を眼に入れないようにし、ただひたすらに急ごうと歩を進めた。
『なぁ、リズ? 確かに機械にゃ相手が武器を持っているかどうかは区別出来んさ』
が、数歩歩いたところで突然自分の声が反響し、リズはよろめいて壁に手を付く。
『でもなぁ、機械はどこまで行っても機械か、って言うんなら……』
「お前は黙っていろ! 今は急がねぇとならないってことぐらい、『心』のお前なら判ってんだろ!?」
リズは何とか体を持ち直すと、再度歩を進めつつ『心』に言い返し黙らせようとした。
『えぇえぇ、判ってますとも。でも、お前が機械は機械か、って言うんなら、一つだけ言わせて貰いたいんでな』
しかし、全く気にかけず続ける『心』に再度怒鳴ろうとし、口を半分開いたところで、迂闊にもリズは足を何かにひっかけて倒れこんでしまう。
打った頭の痛みに耐えて眼を開くと、そこには額に風穴を何個も空けた男の顔があり、リズは絶叫するのを何とかこらえて『心』の声を聞きつつ立ち上がった。
『人間はな、どこまで行っても人間なんだ。怜悧冷徹な機械にはなれない。どんなになりきろうとしても、なりえんのだ』
「……どういう意味だ?」
時間が無いと踏んだリズは遂に走り出し、長い長い廊下を一足飛ばしに駆け抜けていく。
『人間である以上、何かを喪うことを怖れる。だが、それは人間である以上あたりまえのことだ、ということさ』
「だからって……何だというのだ?」
足跡を辿って進み続け、遠目に五番研究室のドアが見え始めたところでリズは銃を引き抜きつつ、『心』に問うた。
『なぁ、リズ。問題なのは、自ら機械になりきって大切な人を喪うことを怖れないようにしようとする奴が、『心』である俺の最も近くに居ると言う事だ』
その言葉を聞き終えると、リズはただの一瞬気を迷わせたが、それでも身体は勢いのままに眼前のドアを蹴破った。
蹴破られたドアの向こうには、コンピューターの前に立つ一人の人間を囲むように、三十ほどの機械兵が揃っていた。
そして、その左端の機械兵の足下には、豊かな金髪を持つ一人の人間が転がっていて──。
刹那、今まで構築していた、全ての敵に対する対処法と理性は虚無の中へと吹き飛んだ。
声にならない声で絶叫し、全員がこちらを向く直前、既にリズはブーストを動かして逆側に回りこんでいた。
右手に握ったマシンガンの引き金を絞り、敵を片っ端から破壊していく。
敵が銃声に気付き、こちら側を再度振り向く一秒無い間に四体。
敵の反撃が始まると、動じずに上へと体をねじらせつつ飛び、向きを変えた体の足を天井につけると、手を大きく真横に広げ、ブーストを動かし刹那の間に床へと舞い戻る。
その勢いを帯びた、リズの二の腕の装甲で頭を砕かれた敵は二体。
まだ気付かず、誰も居ない空間に弾を撃ち続ける近くの敵に対し、開いている左手でバックパックからショットガンを取り出すと、間髪を居れず三度引き金を絞る。
機械兵の最も大切で分厚い胸部には、重複した銃声の後に幾十もの銃痕が残され、放たれた散弾が全て直撃した三体は軽く爆発を起こしてその動きを止めた。
それでもまだ多くの敵に囲まれている状態であることに変わりは無く、速度を利して両手の引き金を同時に絞り、そのままに自らを後ろ向きに囲む機械を次々と破壊していく。
マシンガンの連撃で装甲を撃ち破られ、ショットガンの一撃で止めを刺された機械兵は、眼で見るまでも無く次々と増えてゆき、残すはうろたえている人間の両脇を固める二体だけとなった。
空薬莢が落ちる金属音と、周囲に立ち昇る硝煙が妙な視覚効果を生み出しているのか、はたまたこの行動が狂気の塊と見えたのか、人間は眼を大きく見開き口を開け放っていた。
その行動に対し嫌気がさし、マシンガンに最低限の弾丸を装填すると、最後に残った二体の機械にも最期を与えて、ゆっくり、ゆっくりと、怨みを込めた眼差しを人間に向けていった。
「あ……え……? 何、が……?」
──私は何も悪うございません──そう訴えているかのように見える人間の眼を見た途端、リズの体は全ての怒りに預けられた。
そして、リズは人間に走り寄ると、襟を掴み、怒声を発した。
「貴様!! 何故武器を持たない研究員までも皆殺しにした!!?
何故機械の兵などというものを使ってあんなことを!!?
何故女であるあいつまでも……っ! カルミナまでもを!!? 何故だ! 答えろ!!!」
怒りに任せ、人間の喉下に銃口を突きつけ脅す。人間はその行動によって更に体を萎縮させ、それにまた怒りを発したリズは、倒れているカルミナの方を見た。
だが、そこにはもはや誰も居なく、何も無く、ただ機械の残骸が転がっているだけだった。
自らの眼を疑い、ここに踏み込んできた際に見た金髪の人の記憶を呼び覚ましてみるが、間違いなくそれは今自分が見ているところにあって、銃口を突きつけつつリズは眼をしばたかせた。
──まさか、アレは幻? 『心』が俺に見せた幻覚?──
そう一つの推測に思い当たると、リズは同時に一つの事実に辿り着き、フッと笑みを漏らし、銃口を突きつけている人間を突き放した。
「まだ、カルミナは生きている。間違いない、な? ええ?」
『心』にそう問い掛けるた時、既に自分の気分が晴れていることに気付いたリズは、ゆっくりと機械の屍を越えて歩き始めていた。
そして部屋を出る直前、すすり泣きのような声が聞こえ、リズは振り返った。
言いようのない嫌悪感を思い出したリズは、それが確たるものになる前に人間の頭に狙いを定め、引き金を絞った。
第十四話中
広場に据えられた置時計は既に午前一時を指し、その脇を白い物体が駆け抜けていった。
リズは五階建ての国家総研の中、ただ一箇所を目指して急いでいる。
それはすなわち、待っている人が居るであろう所長室であった。
二階の廊下を駆け抜け階段で三階へ、そこから建物の逆側に回って四階行きのエレベーターに乗り、四階からは五階行きの直通エレベーターに乗る──。敷地面積が広い国家総研としては、かなり面倒な道のりであった。
が、それもTAT=ARMOURというものを着ているリズにしては多少長いだけのマラソン程度にしか感じず、暗闇に足を取られそうになりつつも、数分経つ前に直通エレベーターの前に着いた。
他の階よりはなかなか狭い五階でも、他と同じ規格の廊下はある。
その廊下の右脇に一つドアがあり、また左脇にもドアが一つあったが、それはどちらも目標地点ではなく、リズは廊下の突き当たりにある装飾が多少凝られたドアを開き、同時に声を発した。
「カルミナ!?」
その声は部屋の中に響き、誰か人が居れば必ずこちらを向くような大きさではあったが、部屋の中には誰一人も居なかった。
怪訝に思い、書類がたくさん置かれた大きな机の下や、古ぼけた本がたくさん収められている本棚、果ては天井裏までも捜そうとしたが、上を向く動きの中で壁に貼られた新聞を見つけた。
こんな非常事態にも関わらずリズはそれに興味を感じ、首をめぐらせそれを読んだ。
【第一研究所所長、タラット=A=テルフェンス氏、実験中の事故により死亡】 K.C.7595 6 1付
総帥府は昨夜十時半、実験中の不慮の事故により第一研究所所長のテルフェンス氏が死亡したことを発表した。
更に、それの引責辞任の形を取って国軍総帥のフェイルマ=ヴィジャランス氏は一線を退き、引退するとも同時に発表し、後任の総帥には総帥次官のソル=カラルラガット氏を充てると明言した。
今回の実験についての質問に対し、総帥府側は「新兵器の開発実験であり、上層部しか詳しい内容を知らない」とだけ答え、記者団には一切の情報は与えられなかった。
しかし、実験前に議会と諮ったのか、という質問に対しては「議長とは会談した」と答えただけであり、「議会」と話したとは一言も言わなかったため、今後のラスアラント=ソーサリー議長の言動によっては軍部と議会との軋轢が悪化しかねないだろう。
見出しに大きく書かれた名前を見てリズは何かひっかかるものを感じたが、それが解けないままに切り抜かれて貼られた新聞の記事は終わっていた。
十年前の新聞に対する興味は早々に失せ、もう一度カルミナを捜す前に記憶を呼び出してみると、四ヶ月前に聞いた一つの言葉を思い出した。
──『私の父の名前は、タラット=アルメフレイ=テルフェンス。TAT=SYSTEMを実用化まで確立させた、タラット博士よ』──
それを思い出した瞬間、リズはあっと声を上げ、もう一度確認しようと壁に走りよったところで、足下に落ちていた本に足をひっかけて盛大にすっ転んだ。
あわてて足の補助ブーストを使って体勢を整えようとするが、その前に本棚に手が付き、あわわっと情けない声を上げつつそのまま床に落下するハメとなった。
衝撃はアーマーのおかげで何もなかったのように感じたが、反射的に眼を閉じていたリズは、ゆっくりと眼を開けた途端また盛大に驚いた。
本棚はクルクルと回って隠し扉の本性を呈し、その向こうには真っ暗な空間と下へ伸びる螺旋階段が続いていた。
真っ暗な空間に浮かぶような螺旋階段は、はっきり言って心臓に悪かった。
サビこそないものの一歩あるくごとに階段が軋み、その上階段そのものが地の果てまであるんじゃないかという位に長く長く下へと続いていた。
踏み外してそのまま地の果てまでまっ逆さま、というのだけは避けたいリズはゆっくりと数分かけて階段を降り続け、ようやく下の方に明かりが見えてきた。
その明かりのところはこれまたドアになっていたが、国家総研内にある木製のドアではなく、外来者を拒絶するかのような鉄製のシャッタードアであった。
が、そんなことは何も関係がないと言わんばかりにリズはそのドアの前に立ち、スイッチを押してドアを開けた。
ドアの向こうの部屋には明かりが満ち、リズは一瞬眼を覆ってしまった。
が、それでも甲高く、それでもどこかやわらかい誰何の声は聞こえて、リズはゆっくりと眼を開けた。
「誰なの? ……まさか……リズ?」
「そのまさか、さ。カルミナ」
開いた眼の先には、いつものように白衣を着こんだカルミナが居た。
が、その顔はここに唐突に現れたリズに驚く顔でもなく、何でここが分かったのだろうかと不思議に思う顔でもなく、昏い色が金色の美しい眼や髪を押しのけて染めていた。
「なぁカルミナ、どうしたんだ?」
そう言いつつもリズは部屋の周囲に眼を回し、地下なのだろうかと思いながらこの部屋の明るさに目を瞠る。
しかしその満ちた光の中、ふと一点だけ暗いところが眼に入り、そこをリズはそこを注視した。
「……何で、ここに来るのかなぁ……」
その暗いところには大きい柔らかそうな椅子が一つ据えられ、それには一人の男が座っていた。
いや、抑えられていた、といえば正しいのだろうか。椅子の周りには見た事のない機器が置かれており、椅子の肘掛のところには手を固定するための装具がついており、また脚の部分に関しても同様だった。
「おい……誰なんだ? あれは……」
驚愕したリズはカルミナに問う。
「『あれ』かぁ……そうだよね。やっぱりそう見えるよね……」
国家総研で一度だけ見たような硬骨な態度で怒るでもなく、さりとて何度か見た事のある微笑を湛えるでもなく、より一層顔を昏くしながらにカルミナは椅子に座る者の近くへと向かった。
「ねぇ、リズ? そっちの階段から来たなら、所長室は通ったんだよね?」
椅子に座る者の肩にポンと手を置くと、カルミナは逆に問い返してきた。
「あ、あぁ。通ったさ」
「なら、壁に貼られていた新聞は見た?」
あの古い新聞か、と内心リズは合点し、そのことを口に出そうとしたが、その前にこんなことを聞いてきたカルミナの行動に疑点が浮かび、しかしそれを払う一つの推論が浮かんだ。
「まさか、その人は……」
「そう、タラット=アルメフレイ=テルフェンス。十年前に『死んだ』人よ」
『死んだ』人。確かにそうだとも言えた。
目の前に座る男はピクリとも動きはせず、ただ眼を開けては閉じ、今にも絶えそうな息をしているだけだった。
「『死んだ』人……? 一体どういう意味だよ。今ここに生きているじゃないか!」
そう言ってリズはカルミナに詰め寄ろうとするが、その前に壁が突然外れて大きな音を出し、二人してそちらを見た。
「……総帥閣下!? 何故こんなところに!?」
体を伸ばしながら出てきた人は紛れもなくソル=カラルラガットであり、リズはつい大声を出してしまうが、カルミナはただ静かを通り越した冷徹な視線を向けていた。
「む? ボルセルダン中尉か。ここに来た敵を倒したのは君だな」
しかしソルはリズの問いには答えずにはぐらかし、カルミナのもとへと歩いていく。
「……今更何よ。『命日』だからって花の一輪でも添えに来たの?」
リズはその総帥に対する口ぶりではない喋り方にまた驚いてカルミナの方を向くが、しかしソルの方も、
「ミナ、済まなかった」
とだけ言い、ミナというカルミナの愛称で呼ぶソルの行動に驚くを通り越し疑った。
「何が済まなかったよ……あなたは父さんがこうなったとき何もしなかったじゃない!」
「待て、ミナ。私の話を聞いてくれ」
ソルは何とかカルミナをなだめようとそう言い、自分を見てくるリズには手で制して数歩下がらせる。
「話……? 何の話よ」
そうカルミナは返し、ソルはポケットからテープとそのレコーダーを取り出すと、言った。
「独善かもしれんが、せめてもの罪滅ぼしだ」
「罪滅ぼし……?」
カルミナはその一語に当惑したが、ソルはカルミナを見据えて言い放つ。
「ミナ。タラットを廃人にし、フェイルマを殺し、それを全て私に都合の良いように隠蔽したのはこの私だ」
第十四話下
「なに……今、何て……?」
カルミナは傍目からみても驚いており、返した声も尻すぼみであった。
「タラットがこうなったのは私のせいだ、と言ったのだ」
それにソルはより簡潔にした言葉で再度説明する。が、その手は先程よりも強く握り締められていた。
部屋中に聞こえ渡ったソルの声の後、数分、誰も口を開かなかった。『十年前』のことを知らないリズは黙っているしかなく、ソルはカルミナが口を開くのを待っていたが、当のカルミナはうつむいて黙っている。
「……嘘よ、そんなの」
と、カルミナはうつむいたままに呟く。
「私が言ったことは嘘ではない。嘘なのはかつてお前に説明された──」
「嘘よ!!」
ソルの反論も無視し、カルミナは怒声を張り上げる。
「もしそれが嘘じゃないとすれば、どうして一度も父さんに会いに来なかったの!? どうしてのうのうと生き延びて、総帥と言う地位に収まってられたの!? そんなことが平気で出来る人間なんて……人間なんて……っ!!」
「カルミナ! やめろ!」
ソルに殴り掛ろうとしたカルミナの腕を掴み、リズは必死の形相でそう言う。
「止めてくれるな、ボルセルダン中尉。これは私の罪滅ぼしなのだ。私が殴られる事でミナの怨みが和らげばそれで──」
「その名で呼ぶなっ!! あなたのやっていることは罪滅ぼしなんかじゃない! 十年前からここに閉じ込められている父さんの気持ちを考えた事はあるの!?」
リズの度重なる制止にも関わらず、カルミナは腕を振りほどこうとして足掻き、口を動かし続ける。その上ソルの方はその手を離してくれ、とリズに言ってきて、リズは当惑してソルを見やる。
その左手は先程から変わらず血がにじみ出るほどに握り締められていたが、右手には先程ポケットから出したテープが握られており、一縷の望みを託してリズも口を開いた。
「閣下、一つよろしいでしょうか」
ねじ上げれば、折れてしまいそうな腕を掴みつつ問うてきたリズに対し、ソルは眼で答えた。
「そのテープは……一体、何なのでしょうか。私は、それを共に聞いてもよいのでしょうか」
テープの存在をカルミナに思い出させ、また遠回しにそれを流せ、というニュアンスも込めたこの言葉で、カルミナはこちらの方を注視して足掻くのを止める。
「これは……十年前の丁度今日、第一研究所のある研究室で、私が録ったものだ」
大人しくなったカルミナを伺うと、ソルは慣れない手つきでテープをレコーダーに入れる。
「ミナ、これを聞けば、十年前の真実を知ってもらえるだろう。そして、嘘ではない事も分かってもらえるはずだ」
そう言い終えると、ソルは再生ボタンを押した。
『……ん……ソ……おい、何やってんだ?』
『いや、まぁ気にするな』
まだほとんどしわがれてはいないソルの声と、一度も聞いた事は無い、初老の男の声が耳に飛び込んできた。
『なぁ、タラット? やっぱ緊張してるのか?』
『ったく……いや、普通そうだろ。誰もやった事無い実験だぜ? だけど、いち研究者としては随分嬉しい物があるな』
『でも……平気なのか?』
『何がだ?』
『お前、ここの所長なんだろ? そんな高位の人間が、100%を確立されてない実験の被験者になるなんて』
『んー……だよなぁ、やっぱりそう思うよなぁ……でも、俺しかいないんだよ』
『俺しかいない? んなバカな。研究員ならたくさんいるだろうに』
と、初老の男はため息をついたらしく、ふぅっという音が聞こえてくる。
『おいソル、この実験を『総帥閣下の意見により』っつって予定より一ヶ月早めたのはお前だろ? おかげで被験者を捜す余裕が無かったんだ。これでも、昨日まで完徹だしな』
『あぁ? おいタラット、何で、それ知ってんだ?』
『……この国に来た時からの付き合いなら、それくらい分かるもんだろ? な?』
その言葉が聞こえ終わったと思うと、ピピッという電子音が聞こえ、続いてドアが開くような音が聞こえた。
『おっと……お、あれか? 新しい兵装って』
『ああ。ん、まだ誰も来てないな……』
と、暫くコツッコツッという硬い床を歩くときの独特の音が響く。
『ほぉ……随分硬そうだな、これ』
『そりゃ、あの不安定なシステムを防護するためにな。これくらいしないとアッサリぶっ壊れちまう』
『え? タラット、これってそんな危険なものなのか?』
『危険っちゃあ危険だな。何度も言うけど、世界で初めてこの俺が開発した物だしな。何より前例が無いし、突貫工事だから多少プログラムに不安はある』
『じゃあ、死ぬかもしれないってことか?』
『残念、死ぬ可能性はあっても、死ぬ気はしないな』
その言葉の途中からまた先と同じようなドアが開くような音がし、続けて威勢のいい挨拶が響いた。
『おぉ、来たか。予定通り実験は今日行うぞ! 早く準備を整えてくれ! ……さてとソル、ゆっくり話せるのもここまでだな、と』
『そうみたいだな。もう十分したら総帥も来る。俺はその準備をしておくか』
その場を離れようとしたのか、数歩靴が床を打つ音がしたが、ガッというような何かを掴む音が聞こえた。
『ん? タラット、どうした?』
『……なぁ、ソル、俺に万一のことがあったらミナを……あいつを頼んでもいいか?』
『お前の一人娘か? 弱気になってんじゃねぇって。『万一』だろ? 平気だって』
『それでも、あいつには俺みたいになってほしくない。幸せになってもらいたいんだ。ソル、いいか?』
『……あぁ、分かった。任せてくれ。頑張れよ、タラット』
それを最後に、ブチッという音がして一度テープの音声は途絶えた。
『……カラ……ラガッ…次官、この実験はどういうものだ?』
『は。試作型人体強化兵装、仮称『TAT=ARMOUR』の作動実験です』
『それは判っている。私が聞きたいのは、どうしてこんなに予定より実験開始が遅れているかということだ』
答えに窮したらしく、しばらくは研究員たちのと思しき喧騒ばかりが聞こえていたが、
『まぁ、いい。おかげで今日の議会演説はやらなくてすんだからな。政治なんて面倒だ。何でも銃剣一本あればどうにでもなるものだ。そう思わんか?』
『いえ、流石に銃剣一本というのはどうかと……』
苦笑混じりにそう聞こえてきたが、それを遮って、
『実験が始まります。閣下、そこまでお下がりを』
『む、ご苦労』
と、下がっているらしくまた床を打つ音が聞こえたが、それにかぶさるようにして近くにあるのか、徐々に大きく発電機のような音が聞こえてきた。
『よし、最終チェックは終わったな?』
しばらくのざわめきの後、初老の男の声が響く。
『はい、万事大丈夫です』
『分かった。全員、配置に着いて私の号令を待て』
それからは誰かが喋るような声は一切無く、ただ息をひそめた息遣いと発電機の静かでうるさい音だけが響いていた。
『全員、スタンバイ。十秒前』
号令が響くと、それから9、8、7……と続いてゆき、3を切った。
『2……1……ゼロ!』
その声と同時に、ガチャッというレバーを傾ける音が次々と聞こえ、同時にリズも知っているTAT=ARMOUR起動時の独特の音が響く。そして観衆達の驚きの声が聞こえるが──
突如、断末魔とも取れる叫び声が響いた。
『タラットッ!?』
が、その断末魔の中にも明確に聞こえる声が聞こえたが、それでも叫び声は絶えなかった。
『何をしている! 早く止めないか!』
『やっています! でも……ダメです! 止まりません!』
『早くしろ……っ! タラットはどうなってるんだ!?』
『分かりません……ですが、きっとプログラムに不具合があったものかと……っ!』
『おい貴様! この装置を止めれば止まるのか!?』
『それは……発電機ですか!? 止まりますが無理です!』
研究員も慌てた声で返すが、激しすぎる喧騒によって、貧弱なレコーダーの再生能力では音を再現しきれなくなってきていた。
『何故…理なのだ!』
『それが何万ボルトの変圧を……いるかご存知ですか!? 閣下! ショートしてい……から触れただけで死にますよ!?』
『ならば、私が……!』
『貴様は黙っておれ! 貴様は正……やりかたでこれを…めるよう努力せい!』
そのまま数十秒同じようなやりとりが繰り返されたが、突如、一つの声がそれを破った。
『……っ博士!? 平気で…か!?』
『なに? タラット! 無事なのか!?』
しかし、それに答えは帰ってこず、かわりに短い間隔で床を打つ音が連打した。
『博士!? 止めて……い!』
それが聞こえたと思うと、何か言葉の言い出しのような音がわずかに聞こえ、ひときわ大きく雑音が響き、誰かの叫び声と電気が一斉に流れる際のバチッという音を残して、テープは止まった。
テープが止まると、ソルはそのままレコーダーごとポケットに入れた。
先にあれほど騒いでいたカルミナも既に大人しくなり、リズはある程度の想像をもってして『十年前』を知ろうとしてはいた。
「……あの後、後ろから走りこんできたタラットに押されたフェイルマは発電機に突っ込み、発電機は止まったがフェイルマはその時死んだ。タラットはそれで一度は元に戻ったが……結局、あのようになってしまった」
ソルはそうつぶやくと、椅子に座っているタラットを指さした。
「ミナ、これでお前の私に対する怨みが消えたとは思わない。でも、十年前の真実は知っていて欲しい。それに……出来れば、あの時までの私とタラットの信実も」
カルミナはまたうつむいてしまい、押し黙っていたが、突然明後日の方向から声が聞こえ、全員そちらを見た。
「う……あ……?」
椅子に座っている男は、ただ開けては閉じていた眼をしっかりと開き、言葉にならない言葉であったがしっかりと口を開いていた。
「父さん!?」
そう声を上げたカルミナはタラットの座る椅子のもとに走り、ワンテンポ遅れてソルも駆け寄る。
「あ……誰だ……お前は……?」
「カルミナよ。あなたの娘。父さん……分かる……?」
「……本当か? ……母さんに……瓜二つだなぁ、お前は……」
遠目にであったが、徐々にタラットの眼の焦点が定まり、言葉もしっかり発されるようになってきたことは分かった。
「タラット……大丈夫なのか……?」
「……お前は……ソルか?」
タラットは聞き返すが、ソルがうなずくと、その顔をわずかにほころばせて言った。
「何そんな……暗い顔をしているんだ? ふふっ、お前らしくないぞ、ソル」
そう言うと、タラットは笑みを浮かべつつ、最愛の娘と信実の友を見つめていた。
リズは、その場に自分は居ないほうがいい事を知っていたため、遠巻きに見ているだけにししていた。
そして、ふと久しく切っていた無線のスイッチを入れると、すぐさま朗報が飛び込んできた。
『……繰り返す。全TAT隊に通達、敵軍戦力の殲滅完了。敵残存部隊は無し。早々に帰還せよ。繰り返す……』
数時間が一日のようだな、とらしくない述懐をしつつ、リズは張っていた気を緩めてふぅっ、とひとつ息をついた。
第十五話上
六月二日、ラズナ帝国首都・ウェイルレイトでは混乱が広まっていた。
──フォロンバリスを襲撃した新鋭の機械兵団は、先読みをしていたフォロンバルのTATのために撃ち破られた──
この一報は、陽気で明るかったウェイルレイトの様相を一変させた、とまでは行かずとも、事実ラズナ中央軍の動きは徐々に活発になり、今まで見られなかったその兵達の姿もウェイルレイト各地で見られるようになった。
そしてこの日、ラズナ帝国軍大総統のイェルヒレン=ヴァンデイムは、情報収集や戦線再構築などに忙殺されている大総統府を後にし、絢爛たる大宮殿へと向かっていた。
「お待ちを。身分を証明するものを提示して下さい」
宮殿の門に立つ衛兵が、警棒で車を制しつつ声をかけてくる。
全軍を統括する大総統とはいえども、この宮殿では皇帝陛下一人が全て。陛下を護るためには誰彼構わず聞くしかないと言うのが、ここのならわしであった。
が、そんなことにとかく言う気も無く、ヴァンデイムは襟の階級章を見せる。と、衛兵は一礼をしつつその長い警棒を除け、車は再度進み始めた。
ウェイルレイトの市街よりもある程度距離を置き、俗世には関わらずとも、それでいて全ての人にその姿を見せつける大宮殿。
今上皇帝・ハルムフロウェン=ラズナレイトの招きを受けていたヴァンデイムは、副官らを車に残すと、自分一人でその扉を開いた。
「大総統、イェルヒレン=ヴァンデイム、ただいま参りました」
宮殿の真ん中あたりに造られた食堂に案内されたヴァンデイムは、遠くにきらびやかな服をまとった人を認めると、すぐにひざまずいて礼を行った。
「来たか。あぁ、顔を上げてくれ」
その人は澄んだ綺麗な声でそう言い、ヴァンデイムはゆっくりと顔を上げつつ立ち上がる。
その眼の先の人、ハルムフロウェンは既に座っていて、眼でこちらに来るようにと促していた。
未だにわずか34歳。その若さにして一大帝国の君主を務められるというのは、ハルムフロウェンの人間としての力量がズバ抜けていることの証左であった。
22年前、かつてのラズナ王国はカリウェル公国に対して独立戦争を始めた。
国内の意気上がる序盤こそ何とか押せ押せだったものの、あろうことか開戦から一年ばかりで前皇帝は崩御。全軍の士気は一気に落ち込んでしまい、徐々に押され始めていった。
その中、唯一の世継ぎであるハルムフロウェンはわずか13歳で即位。その時、ラズナ王国をとりまく状勢は刻一刻と悪化しており、
全方面でカリウェル軍に次々と撃ち破られていたラズナ王国は、今しも歴史の底流に沈み込んでしまいそうだった。
が、それでもハルムフロウェンは総帥をはじめとする軍人らの意見を善く求め善く聞き、ときには王の持つ軍事権をも与えたりした。
当然、誰も考え得なかった異常なことであるが、異常な国では異常な行動が正常になることもあった。
そうして耐えているうちに、外交工作によるカリウェル藩国の度重なる離反と新設のユニフィスカル研究所よりの新兵器も次々と完成して、遂には完全にカリウェルを押し返し、その首都をも陥とした。
そしてその後、多くの高位の者達が、二十歳を超えていよいよ聡明になったハルムフロウェンに粛清されるのではないかと怯え始めた。
カリウェルは既にラズナと対等に戦えるだけの力を喪い、新しい若く力のある臣も増え、事実先代の王より仕えてきた臣はその恐怖にかられてクーデーターをも計画していたことが、後に明らかになるほどであった。
しかしハルムフロウェンは、そのような臣下を皆集めると、そのとき耳に入っていた不穏な情報を口にするでもなく、ましてや捕えて投獄するようなことはせず、ただこう言った。
『皆の者。私はあなたがたのおかげで父の遺志を全うし、カリウェルの暴走を止めることが出来た。だが、まだまだこれからだ。だから、私は皇帝となって、より皆の偉功を輝かせたいのだ』
──しかし、私は王の作法は知っていても皇帝の作法は知らず──と、ハルムフロウェンは続けていたが、その時には集まっていた全ての者達が平伏していた。
クーデター計画も未然に首謀者が自ら捕えられ消滅し、またこれで身を奮い立たせた武官らは連戦連勝し、以後十数年間、負け知らずであった。
「どうした、早く来てくれないか?」
そんな物思いにふけっていたヴァンデイムは、苦笑とともに聞こえたその言葉でハッと我に返り、申し訳ありません、と謝りながら席に着く。
ラズナ帝国に並ぶ国などありはしない、と明言出来るほどに国が強力になった今でも、ハルムフロウェンは議会が提出する法案や政策には必ず眼を通し、
ヴァンデイムが副官に持っていかせる戦況報告も逆に質問してくるほどに熟読しており、たったそれだけで戦況に精通することその副官が驚くほどである。
「最近、フォロンバルの方で随分と大変なようだな」
給仕の者に水をつがせながら、ハルムフロウェンはゆっくりと口を開いた。
「ええ。しかし大丈夫でしょう。フィガラスト大将はすぐに戦線を再構築したと聞きましたし、フェルスラインの町々は全て我が軍の支配下にあります。交易は水陸から完全に封鎖していますが故、フォロンバルはまもなく息切れする頃です」
戦況報告書でも述べた事であったが、ヴァンデイムは自信たっぷりにそう言う。
「だが、そもそも息切れしている相手を徹底的になぶるほど、我らラズナ民族は野蛮なのか?」
が、そう唐突に述べられたハルムフロウェンの言葉で、ヴァンデイムは口まで運ぼうとしていたコップを途中で止めてしまい、不敬だと分かりながら驚ききった顔を見せていた。
「……徹底的になぶる、とは、一体どういうことでしょうか」
「先日のフォロンバル共和国首都・フォロンバリスへの機械兵部隊をもってしての深夜の奇襲だ」
ハルムフロウェンは澱みなくそう返すが、ヴァンデイムは納得がいかずに水を一口飲んで言葉を返した。
「しかし、あれは戦略上においても国境付近にほとんどの部隊を展開させているフォロンバルを内側から崩すためのもっとも確実な戦法であり、また戦術的にも、機械兵団の力を示す好機でありました」
「確かにそうだが、大総統、一つ忘れている。戦争をする上で絶対に忘れてはならない事を、いまやもうラズナ軍は誰一人として覚えていないというのか?」
「……申し訳ありませんが、それは、何でありましょうか」
ハルムフロウェンのいつになく語気を強めた喋り方に圧され、ヴァンデイムは真っ直ぐ見据えつつも力なく訊き返す。
「戦争で殺すべきなのは──いや、殺していいのは兵隊だけだ。国に踊らされている民草までをも何故、殺すのだ?」
そうハルムフロウェンは言い放った。数百年前に定められた陸戦条約の中に確かにそれを明確に定める一項があったが、もはやその条約そのものも最近の戦争では完全に無視されているのだった。
「大総統、その死を覚悟していた兵隊であれ、憎悪というものは連鎖する。ましてや、何も関係が無いのに突然命を奪われた民草ならば絶対にだ。
ラズナとカリウェルのような国と国との関係でも、カルメスラ博士とタラット博士のような人間と人間との関係でも、何も変わらない、同じなのだ。それを覚えていなければ、いずれラズナは勝てなくなる」
一息にまくしたてたハルムフロウェンの言葉にヴァンデイムは反論する余地は無く、ただ口を閉じて眼をそらすことしか出来なかった。
が、しかし、百万の将兵を統括する大総統としては、ただ一つ言いたいこともあった。
「……その通りです。陛下。ですが……ですが、時代は待ってはくれないのです。ラズナはもう、立ち止まる事は許されないと、私は思っております」
それを聞いたただの一瞬、ハルムフロウェンは驚いたような表情を浮かべて口を開きかけていたが、それを確かめきれる前にハルムフロウェンの顔は元に戻っていた。
その後、十数秒沈黙が流れたが、再度ハルムフロウェンが口を開き、
「さて、私が言いたかったのはこれだけだ。重要な軍務の時間を割いてしまってすまない」
と、ハルムフロウェンは立ち上がり横においてあった小箱を持ち上げると、それをヴァンデイムに手渡した。
「いえ。畏れ多い事を。しかし陛下、これは一体?」
「セムウェッド大将の元帥昇進の詔勅と、軍功勲一等の宝刀と勲章、それから新しい襟章だ。あなたから渡してもらったほうが、何かといい気がするからな。受けてくれるな?」
無論、すぐさま了解の意を示したヴァンデイムは、小箱をしっかりと持つと、失礼致します、と深々と礼をして立ち去ろうとした。
「あぁ、それから私的な伝言を一つ頼む」
が、追いかけてきたハルムフロウェンの声に振り向いたヴァンデイムは、そのまま止まって次の言葉を待った。
「『父の分も、長生きして下さい』と」
顔をほころばせてそう言ってきたハルムフロウェンに再度礼をしたヴァンデイムは、扉をくぐりつつ、ふと笑っている自分に気付いていた。
第十五話下
「博士? カルメスラ博士!?」
ウェイルレイトから少し外れた平野の中、雄大な自然の中で場違いに存在する建物の中、今一人の男が叩き起こされんとしていた。
「はーかーぁせぇ!? いつまで寝てるんですか! 大総統閣下が来られましたよ!?」
鍵をかけた仮眠室のドアの向こうから聞こえるその声とドアを叩く音によって、その男──カルメスラ=フェネスライクはようやく眼を覚まし、ゆっくりと起き上がるとドアの鍵を開けた。
「いつまで寝てるんですか……っぅわぁ!」
と、その途端にドアの向こうから人が降って来て、その人はそのままつんのめって床に転がっていた。
「……何やってるんだ、お前は? そんなボケは百年前でも流行ってなかったぞ?」
カルメスラは寝癖の残る頭をかきつつ、床に転がる男に冗談交じりに聞く。
「って、博士! ヴァンデイム大総統閣下が来られていますよ!? 急いで下さい!」
「ん? あぁ、そういえば今日視察に来るって言ってたな」
キーリン=フェイルスラグは床につんのめったままにそう叫ぶが、当のカルメスラは全く急ぐ様子も無くゆっくりと襟を整えている。
「もう……なんでそんなにゆっくりしてるんですか! 急いで下さいってば!」
そうキーリンは立ち上がりつつ訴える。と、ようやくカルメスラも観念したのか、それとも服装を整え終わったからなのか苦笑しつつ足早に歩き出した。
「キーリン、今日は仕上げに入る。今のうちに寝ておけよ」
と、去り際にカルメスラはそう言ってきて、キーリンは大総統の存在などまったく意に介さない『ここ』の長としてのカルメスラの態度に憮然としつつも、次の瞬間にはゆっくりとベッドの上に倒れこんでいた。
『ここ』──すなわち、ユニフィスカル研究所。
三十年程前に国営の実験場として造られたときの初代所長、ユニフィスカル=ティアレイルの名を冠するこの研究所は今や千人を越す職員、二百人を越す科学者らを抱え、世界一の技術が集中する世界の科学者が憧れるほどとなっていた。
そしてそれを後押しするように、ここには政府から潤沢な資金が次々と与えられている。
が、最近では激化した戦争を背景にし、与えられる資金の代償としてその本懐ではない兵器の開発ばかりを行っているのも、また事実ではあった。
「閣下、朝早くから大変ですね?」
来賓室でゆったりと待っていたヴァンデイムに、カルメスラはドアを閉めつつそう言った。
「朝か? もう12時を軽く回ってるぞ?」
「あぁ、そういえばそうでした。すいません。最近徹夜続きで昼夜が逆転していまして」
そう言って椅子に座ったカルメスラは、持っていたカバンを机の上に置く。
「まったく、無理するなよ。と言いたいところだが……この中にあるのが、君の言う『機械仕掛けの御伽噺』か?」
「ご明察。今はまだ設計段階ですが、一ヶ月以内にはすぐに」
カルメスラはカバンを開け、中に入っている三つの書類のたばを取り出した。
「『ユニコーン弐式』『サイクロプスA』『グリフォンα』……ふむ、確かに御伽噺に近いが、どちらかと言えば神話だな」
「機械仕掛けの神話、なんて言っても面白みがないでしょう? そんなもの、あと一歩で人形劇です」
ヴァンデイムの指摘にカルメスラは冗談めかして返し、苦笑をひとつ入れた後に書類を引っ掴むと説明を始めた。
「これが2月18日、ワイドランズ攻略作戦に投入された『ユニコーン壹式』のデータを元に再設計された『ユニコーン弐式』。幸いにも広報用の映像を撮っていた航空隊からあの暴走の映像が得られたため、更なる強化に成功しました」
「ほぅ……77センチ口径の二連装砲に、12連装ミサイルポッドを四基、か。本物の『一角獣』とは似ても似つかんな」
「しかしそれは未だ設計の構想段階。閣下、我々の構想は十二分の余裕を以ってなされることをお忘れなく」
カルメスラは自信たっぷりにそう言い、まずはユニコーン弐式のデータが事細かに書かれたそれをヴァンデイムに手渡した。
「そしで、これが『サイクロプスA』。先日開発した機械兵をもとに、各種重砲火器を装着し、モノアイシステムで新型索敵システムを導入、二脚ならではの機動力を持つ二脚機動兵器です」
「『単眼の巨人』か。兵器としてはふさわしい名前だが、いささか無骨に過ぎないか?」
「そうでしょうか? しかし、他に良い候補もないと思われますが」
言葉が切れるのに合わせ、続いてサイクロプスAのデータもカルメスラはヴァンデイムに渡し、また別の書類を取り出す。
「高機動汎用戦闘ヘリ『グリフォンα』。この戦闘能力は1機で5個航空編隊に匹敵するとのシミュレーション結果が出ております」
「グリフォン……『有翼獣』だったか? なら、当然陸戦換装は出来るのだな?」
案外非現実的でもないその冗談は、カルメスラの失笑に近い苦笑で打ち消され、不満そうに鼻を鳴らしながらまた前と同じようにその書類をヴァンデイムは受け取っていた。
「これで『機械仕掛けの御伽噺』は全部か?」
カルメスラから渡された書類を全てしまったヴァンデイムは、確認の意を込めてそう聞く。
「実は……もう一つだけですが、現在製作を進めています」
「ふむ、ではそれは何と?」
「……これです」
そう小さく言うと、カルメスラはカバンの中に残っていた他のよりも分厚い書類を取り出し、説明を始めた。
「小型人体強化機動兵装、仮称『機械仕掛けの咎人』。先に開発した機械兵用のフレームをベースに、各種最新型補助システム及び高性能火器を装備させ、そして、それは軍中より選び抜いた兵に装着させる。……お判りでしょうか。閣下」
「……カルメスラ、まさかその咎人の正体はTATか?」
「ご明察です」
その一言と共に、カルメスラは半ば押し付けるようにして最後の書類をヴァンデイムに渡した。
「……これはもらっていくぞ。カルメスラ」
しっかりと四つの書類をしまい、時間どおりに迎えに来た副官にそれを持たせると、去り際にヴァンデイムは小さくそう言った。
「だが……だが、カルメスラ。一ついいか?」
「閣下、何でありましょうか」
「……あのデータを見るに、フォロンバルを叩き潰すのには『御伽噺』だけで十分だ。それなのに……何故『咎人』までをも造り出した?」
これを聞いたヴァンデイムの頭の中には既に最悪とも思える推論が浮かんでいたが、それを認めたくないが故に彼は気付いたときにはこう口を開いていた。
「……私が考えますに、閣下。念には念を入れるべきかと」
「何の念だ? 我々正規軍を信じられないわけではないんだろう? ……カルメスラ、お前、まさかあいつのことを今でも──」
が、それは言い終わる前に手を伸ばしたカルメスラに制せられ、そしてその当人は先程よりかは幾分暗く、それでも眼には先程とは明らかに違う炎を灯しながらに言い放つ。
「……閣下、もうしばし待っていて下さい。あいつには、我が僕が鉄鎚を下します」
「まったく、ひどい話だな」
ウェイルレイトへ帰る車中、ヴァンデイムは無意識にそう呟いていた。
「閣下、どうされたのです?」
「笑えないとは思わんか? このラズナとフォロンバルの戦争の帰結がたった二人の、旧は兄弟だった二人の怨念に握られているとは……」
どこにも何にも記録に残らないのをいいことに、ヴァンデイムは副官にそんな言葉を吐く。
「旧は兄弟だった二人……ですか?」
「あぁ、そうだ。誰だか分かるか?」
「……私には分かりませんです。閣下」
「そうか。でもその方が幸せだと思うな。私は」
フロントガラスを隔てたはるか遠くに大宮殿が見え始め、ウェイルレイトが近づいてきたことを教える。もうあまり時間はないと踏んだヴァンデイムは、また大総統府に閉じ込められる前にと、一つ呟いた。
「もしも、動かしてしまった時代をもう一度止めることが出来たら、過ぎた歴史を変えることが出来たらどれだけよかったか……。だが……もう時代は動き始めている。こんな我々などを、待ってはくれないか」
数十年前に見た、カルメスラ=フェネスライクとタラット=テルフェンスという、並んで立つ二人の青年の姿を脳裏に映しながら、ヴァンデイムは小さく口を開いた。
ウェイルレイトの大宮殿の鐘が鳴り響き、午後五時を回った事を告げていた。
「父さん、どうしたの?」
国家総研の地下室では、仕事の合間を縫ってやってきたカルミナがタラットに問い掛けていた。
「いや……特に、何でもない」
「何? ねぇ、そんな隠さないでよ」
時間の変化さえわからない地下室に、ひとつ据えられた五時を指す時計を眺めるタラットは、ふぅっとため息をつくと言った。
「なぁミナ、知らないほうがいいこともあるんだ。あいつはまさに面従腹背。私の人でなしの弟が、まさにそれなんだ」
「弟……へぇ、父さんの弟なら、さぞかし素晴らしい科学者なんでしょ?」
「科学者としては素晴らしいさ。だがな……あいつは間違った。今ではここも同じようなものだろうが、あいつは自ら進んで人殺しの片棒を担ぎに行ったんだ」
「人殺しの……片棒?」
「ラズナのな。あいつが進んで行ったのはラズナ帝国直属研究所のユニフィスカルだよ。ミナ」
「んぁ……所長、おはようございます」
「もう五時を回ったぞ。休みの時間はお終いだ」
仮眠室の扉に『使用不可』の文字が書かれた札を下げつつ、カルメスラはキーリンにそう告げる。
「これから何日ですか? 三日以内にしないと誰かしら死にますよ?」
「馬鹿言うな。どうせ千何百人体制で作業するんだ。七日もすればあっちこっちで寝る奴が出るだろうよ。もちろん、私もな」
それを聞いたキーリンはまったくです、と言って苦笑しつつも襟を整え、きっちりとボタンを閉めてカルメスラの後ろにつき歩き始める。
「……しかし、『御伽噺』はともかく『咎人』はもう一年ぐらいないと完成しそうにないですよ? 全力は尽くしますが……」
「やるしかないだろう。そうでもしないと、『御伽噺』があいつの手先に焼き尽くされる」
と、なぜだかキーリンは突然立ち止まり、ふとそれに気付いたカルメスラはどうした、と口にしつつ振り返る。
「所長……あなたの言うあいつ、とは……もしや、フォロンバルのタラット=テルフェンスでしょうか?」
キーリンは気後れしつつもそう聞くが、対するカルメスラはそれには全く動じず、ただそれを聞くや否やクルリと身体を反転させて歩き出していってしまった。
「所長……っ!?」
「キーリン、あんな裏切り者の名前は忘れたほうがいい。あいつはあのとき、今ある現実を一切見据えなかったバカだ。研究に関してはあいつの方が上だろうが、フォロンバルというバックアッパーが悪すぎる。『咎人』が完成すれば、私が正しかったとあいつも判るのだからな」
ユニフィスカル研究所の廊下を何かに押されるように闊歩する一人の男の後ろで、同じく一人の男が取り残されたように立ち尽くしていた。






