表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

Act.2 脱出


 巧が『鏡界』に落ちてから、すでに一時間以上が経過していた。

 幻影の道化(ファントム・クラウン)は、現実の世界とこの空間とでは経過する時間に差異がある、と言っていた。その差異が一体どの程度なのかを巧は知らない。

 現実世界で最後に確認した時刻は、午前八時十分。それから現実の世界では、一体どれぐらいの時間が流れたのだろうか?

 もしかしたら日数単位、あるいは年数単位かもしれない。そう考えると、恐ろしくて聞く事ができなかった。

 どれぐらい歩いた頃だろうか。ふいに幻影の道化(ファントム・クラウン)が告げる。

「もう少しで着くよ。あの角を曲がってしばらく直進すれば、ようやくゴールだ」

 そう言って幻影の道化(ファントム・クラウン)は、ニコニコとした笑顔を見せる。

 それが作り笑顔である事は、もうすでにわかりきっていた。その作り笑顔の奥で、彼は一体何を考えているのだろう、と巧は思う。

 別段知りたいと思う訳でもないが、だからと言って全く気にならない訳でもない。何とも複雑な心境だった。

 目の前の青年は、そんな巧の胸中に気付いているのだろうか。

(……見抜かれてても不思議じゃないけどな)

 なにせ「キミの事なら何でも知ってる」なんて台詞を吐く奴だ。「それくらい見抜いてるよ」、なんて言われてもおかしくない。

「良かったねぇ。これで晴れて現実の世界に――」

 そこまで言い掛けて、突然幻影の道化(ファントム・クラウン)は立ち止まった。

 少し後ろを歩いていた巧は、同じように立ち止まり声を掛ける。

「どうしたんだ?」

「……」

 声を掛けても幻影の道化(ファントム・クラウン)は返事をしない。

 その顔には今までのような作り笑顔がない。無表情のままただジッと、少し先に見える曲がり角の辺りを見つめている。巧にはそれが、何かを警戒しているように見えた。

「何だよ? あそこに何かあるのか?」

 そう言って巧が、青年の横を通り過ぎようとした時だった。

 幻影の道化(ファントム・クラウン)がその肩をいきなりガッと掴んだ。あまりの強さに巧は後ろへひっくり返りそうになった。

 なんとか体勢を立て直し、慌てて幻影の道化(ファントム・クラウン)に掴み掛かる。

「いきなり何するんだよ!」

 不満をぶつける巧をチラリとも見ず、幻影の道化(ファントム・クラウン)は困ったような声を出した。

「これはちょっとまずいかも知れないよ、神藤巧くん」

「は? 何の事だ?」

「キミ、『心羅』の使い方は把握してるのかい? どうやってあの剣を呼び出すのか、とか」

「なんだよいきなり。……まぁ、何とも言えない。あの時は無我夢中だったし」

 そんな頼りない言葉に、幻影の道化(ファントム・クラウン)は「そうかい」と言った。

 マトモな感情が備わっていない。そう自分で言っていたはずだが、今の彼の顔には若干焦りの色が見えている気がする。

「どうしたんだよ、一体?」

「神藤巧くん。『心羅』の力を使いこなせていないキミに、とっても素敵なお知らせだ」

「へ?」

 その台詞はマンガやアニメなんかでよく目にする、いわゆるパータンな展開の開始を告げる言葉だなぁと、巧は思った。

 そう、つまりこういう場合、素敵なお知らせとは当事者にとって全く素敵などではなく、非常に悪いお知らせだと言っている事になる。これがよくあるパターン。

「――で、そのお知らせって?」

 少々顔を引きつらせながら、巧は幻影の道化(ファントム・クラウン)と同じく、前方の曲がり角の方を見つめる。

 するとその時、曲がり角の向こうの方からズンという鈍い音が聴こえてきた。音の響きからして、何か大きい物がこちらに向かって歩いて来るような音。

 物凄く嫌な予感がする。

「この『鏡界』に存在している『災魔』たちにはね、ある法則があるんだ」

「法則?」

 そういう重要な感じの事は、もっと早くに教えておいてほしいと巧は思った。

 曲がり角の奥から聞こえてくるズンという鈍い音は、心なしか複数に分かれて響いて来ているような気がする。

「さっきキミを襲ったヤツのように、『災魔』には常に単独で行動するタイプと、何体かの群れを作って行動するタイプの二種類があるんだ」

「それで?」

 なんだかもう、答えは聞くまでもないような気がしたが、それでも一応尋ねてみた。その間にも、曲がり角の奥から聴こえてくる複数の音は、徐々にこちらへ近づいて来ている。

「つまりだ。もうキミの耳にも届いていると思うけど、今まさにこちらに迫りつつあるあの音の正体は、群れを成した『災魔』だ。そしてキミはまだ、自身の力を使いこなせていない状態にある」

 これ以上聞いていても前置きが長くなるだけのようなので、さっさと結論付けてしまおう。

「もういい、わかった。逃げればいいんだろ?」

「理解が早くて助かるよ」

 言うが早いか幻影の道化(ファントム・クラウン)は、華麗に回れ右をして歩いてきた道を逆走し始めた。

 その動作に少々遅れを取った巧は、丁度曲がり角を曲がってきた『災魔』と鉢合わせする格好になった。

 幻影の道化(ファントム・クラウン)の言う通り、現れた『災魔』は三体いた。三体とも同じ姿をしている。

 赤ん坊のようにずんぐりむっくりとした体型から、これが人型に近い『災魔』だろうと巧は思った。

 人型に近い、と言っても、大きさはさっきの『災魔』とそれほど変わらない。麦わら帽子を斜めにかぶり、片方の目は隠れているが、もう片方の目は顔部分の輪郭と反比例して異様に大きい。フランス人形を模したような碧い眼からは、生気を全く感じられない。焼け焦げたドレスのような物を身に纏い、両手には巨大な鉈を握っている。

 なんだかもう、色々とゴチャ混ぜな感じだ。

「さっきの『災魔』の方がまだマシな格好だ!」

 そう捨て台詞を残して巧は幻影の道化の後を追った。もちろん、鉢合わせする格好になっているのだから、『災魔』たちも後を追ってくる。妙な追いかけっこが始まった。

 先に走り出していた薄情者に追い付いた所で、さっそく巧は掴み掛かった。

「なんで真っ先にお前が逃げ出してるんだ! さっき自分の事を化物と同じだみたいに言ってたくせに、戦ったりする事できないのかよ!?」

「言っただろう? ボクはあくまで案内人なんだ。残念ながら、キミが期待するような力は持ち合わせてないよ」

「何だよそれ!? 使えない奴だな!」

「それを言うならキミの方だろう。戦う力があるのはキミの方なんだから、キミこそ何とかしてみせたらどうなんだい?」

 こういう擬音は、どうやらこういう場面で鳴るらしい。カチンと来るとはまさにこの瞬間の事だ。

 巧はそれこそ靴が焼けるかのような急ブレーキをかけ、クルッと後ろを向いた。背後で幻影の道化(ファントム・クラウン)がこちらに向き直る気配がした。

「そこまで言うならやってやるよ。お前は黙ってそこで見てろ!」

 巧は前を向いたまま、背後の青年に思いっきり怒鳴りつけると、三体の『災魔』に向かって猛然と駆け出した。

 距離は約三メートル。すぐにでも、『災魔』の持つ巨大な鉈が襲い掛かってくる。

 駆けながら巧は意識を集中させる。感覚を思い出そうとする。幻影の道化が心羅と呼んだあの力を、初めて発現した時の感覚を。

 あの時は無我夢中だった。でも今は違う。今ならわかる。自分の中に眠っている、強大な力の存在が。

 距離はもう一メートルにまで狭まっていた。三体の『災魔』の内、先頭を走る『災魔』が、その巨大な鉈を振り上げた。そこで巧は叫んだ。

「出て来い、『心羅』!!」

 その瞬間、巧の身体から淡い光が発せられ、振り下ろされた鉈が何かに阻まれた。

 光が消えたその場所にあったのは、巨大な片刃の長剣。巧が呼び出した、『心羅』の力だった。

 巧は瞬時にその剣の柄を握り、受け止めていた鉈を押し返した。その反動で、『災魔』は自分の体重を支えきれずに後ろへと倒れ込む。激しい轟音が辺りに響き渡った。

 掴んだ剣を片手で一振りすると、巧は誇らしげに後ろを振り返った。

「どうだ! 言われた通り発現したぞ、文句あるか!」

 少し離れた位置に立っていた幻影の道化は、勝ち誇った顔をしている少年に対して冷静に言う。

「それは結構な事だけど、よそ見してると危ないよ~?」

「――!」

 背中に悪寒を感じて、巧は振り返るよりも飛び退く方を選んだ。

 結果的に、それは好判断だった。いつの間にか起き上がっていた『災魔』が、さっきまで自分が立っていた場所に鉈で一撃を加えたのだ。そのまま振り返っていたら、恐らく巧の身体は頭から両断されていただろう。

 嫌な汗が体中から噴き出した。

「油断大敵って奴だな」

 自嘲気味にそう言って、巧は剣を構え直す。『災魔』たちも鉈を構えてはいるが、滅多矢鱈に攻撃を加えてこようとはしない。巧の出方を窺っているようにも見えた。

(――さて、どうする? 確かに力は発現できたけど、剣術なんて素人同然だし、しかも多勢に無勢だ。後ろの道化は役に立たないし……)

 内心で状況を整理しながら、それとなく背後にいる青年を貶してみる。だがそんな事をしても状況が良くなる訳でもない。

 すると突然、一体の『災魔』が動き出した。両腕を高く振り上げ、一気に振り下ろしてくる。

「くっ!」

 巧はそれを受け止めず、後方に跳躍する事で躱した。勢いを殺す事なく振り下ろされた巨大な二本の鉈が、轟音を立てて地面にめり込む。

 着地した巧が剣を構え直そうとしたその時、今度は別の一体が跳躍して頭上から降ってきた。それを避けるため、地面を蹴って右へ転がる。

 すると今度は、残っていた一体が猛然と突進してきた。

「なっ!?」

 態勢を整える暇もなく、巧は突進をもろに喰らい、さらに後方へ飛ばされた。

 巧はうまく受け身を取る事が出来ず、何度も地面を転がった。

「くっ……、痛ってぇ」

 全身を襲う痛みに耐えながら、巧は何とか立ち上がる。地面を転がったため、制服のあちこちが少し裂けている。意識はハッキリしているが、体のあちこちを擦り剥いたりしているようだ。身体から微かに血の臭いがする。

(マズイ。このままじゃやられるのは時間の問題だ。どうしたら――)

「苦戦してるようだねぇ」

「!」

 いつの間にか、すぐ隣に幻影の道化(ファントム・クラウン)が立っていた。こんな状況でもニコニコしているのは相変わらずだ。

「当たり前だろ。特別な力って言ったって、俺は剣なんて扱えないんだ。それに向こうは――」

「それはキミが、その剣を単なる武器だと思ってるからだよ」

「え?」

 言葉の真意がわからず巧は首を傾げた。単なる武器だと思っているからだ、とはどういう意味だ?

「だって、これは武器だろ? 銃や槍と一緒で――」

「それは単なる武器じゃない。キミの心その物だよ」

「俺の、心?」

 不思議そうな顔をする巧に対して、幻影の道化(ファントム・クラウン)は説き伏せるかのように告げる。

「『心羅』の力はね、心の象徴なんだ。キミが願うそれだけで、『心羅』の力は答えてくれる。当然さ、だって、キミ自身の心なんだから」

「……」

「さぁ、キミはキミの心に、何を願う?」

 戦いの極意を教わった訳ではない。敵の倒し方を習った訳でもない。だが不思議と、巧は焦りや不安が消えていくのを感じた。

 今なら戦える。たとえ相手が何体いようとも。

 傲慢とも言える程の自信を漲らせ、巧は災魔の群れに向かって歩み出す。

 今問われたばかりの言葉を心の中で反芻し、フッと笑ってみせる。

(何を願うか、だって? そんなの決まってる。俺が願うのは――)

 一歩一歩強く踏みしめながら、『災魔』の群れとの距離を縮めていく。

 そんな巧の身体から流れ出る静かだが力強い覇気に、『災魔』たちは明らかにたじろいでいる。生気がないはずのその顔に、恐れの色が浮かんでいるような気がした。

「俺が願うのは、日常だ。そして、俺が願う日常を守るための、力だ!」

「グ、グアアァァ!」

 前進する巧の一番近くにいた『災魔』が鉈を振り上げた。それを合図に巧は疾走した。

『災魔』が振り下ろした鉈が頭上に迫る瞬間、巧は身体を右に捻り、紙一重でそれを躱した。

「はぁぁぁっ!」

 身体を捻った事で生まれた回転の勢いを殺す事なく、剣を斜め上へ振り抜いた。ザシュという鋭い音と共に、いとも容易く『災魔』の身体が両断される。

 その『災魔』の身体が崩れ落ちるのを待ったりはしない。振り抜いた剣を引き戻し、傍らにいた別の『災魔』に突きを放つ。長い刀身が災魔の胸の中心に吸い込まれ、その身体を貫いた。

「ギャアアァァッ!」

 胸を貫かれた『災魔』の悲鳴が辺りに響く。その『災魔』の正面から残りの一体が、巧を挟み込む形で襲い掛かる。

 巧は貫いた状態のままの剣を無理矢理引き抜く。血が噴き出す事はないが、肉が抉れる嫌な音がした。

 だが気に留める事はない。引き抜いた剣を下向きに構え、背後に迫る『災魔』を、振り返ると同時に斜め下から斬り裂いた。

 その場で半回転した格好になった巧は、胸を貫かれ、苦しげに呻く『災魔』に止めを刺すため、再び半回転した。

「だぁぁぁっ!」

 今度は上段に構えた剣を、思い切り振り下ろした。『災魔』の身体が頭から両断され、景色が左右に分かれた。

 流れるような動作で『災魔』を斬り倒した巧はフゥっと息を付く。周囲で灰になっていく『災魔』の身体を見つめながら、動きの見違えた自分自身に驚いていた。

「……」

 無言のまま、ただ自分の右手の掌を見つめる。感覚を確かめるように、巧はゆっくりとその手を握り締めた。

「凄い凄い。まさか、ちょっとヒントを与えただけでここまで強くなるなんてね。大したもんだよ」

 幻影の道化(ファントム・クラウン)はニコニコしながら軽く手を叩いている。彼のその振る舞いのせいか、あまり褒められている気がしない。

「まぁ、お前のアドバイスのおかげだしな。どうにかなったよ」

 心に願う。ただそれだけで、使用者の能力がここまで上がるとは、『心羅』とはまさに心の力と言える。

 巧は一度剣を見つめた後、内心で、助かった、と呟いた。

 それを戦闘終了の合図と受け取ったかのように、剣は淡い光を放って消え去った。

(なるほど。心で願う、って訳か)

 言葉に出さずに納得して、改めて幻影の道化(ファントム・クラウン)に尋ねる。

「それはそうと、出口が近いみたいな事言ってたよな。どの辺りにあるんだ?」

「ああ、そうだったね。じゃあ案内するよ」

 歩き始める幻影の道化(ファントム・クラウン)の後に続いて、巧はゆっくりと歩き出した。




 ◆  ◆  ◆




「ここが出口だよ」

 そう言って幻影の道化(ファントム・クラウン)は立ち止まり、道の先の方を指差した。

 彼が示すその場所には、特にそれらしい物が見当たらない。そこは相変らず、廃墟となった住宅街の一角にある歩道のない道路だった。

「ここって言っても……、何もないぞ」

 訝しげな顔をする巧に、相変わらずの作り笑顔で幻影の道化(ファントム・クラウン)は告げる。

「そう、何もない所だね。でも間違いなくここだ」

 まさか騙されたのだろうか? 今更になって、そんな不安が巧の胸を過ぎる。

 するとそんな不安を簡単に見抜いたように、幻影の道化(ファントム・クラウン)が愉快そうに言う。

「心配しなくても騙してなんかいないさ。何もないのは当たり前だよ。だってこれから開くんだから」

「え?」

 幻影の道化(ファントム・クラウン)は巧から数歩離れると、何もない虚空に向けて掌を差し向けた。

「我、扉を開く者なり。我、道を示す者なり。今ここに、我が盟約の形を現せ」

 謎の文言を口にした後、幻影の道化(ファントム・クラウン)は何もないはずの虚空を、掌に力を込めて押した。

 すると不思議な事が起こった。

 彼の掌を中心に、まるで水面に小石を投じた時のような波紋が広がって、何もない虚空が陽炎のように歪んだ。その歪みはやがて渦のように虚空を捻じ曲げ、その中心に暗い空洞のような物を生み出した。形は少々違うが、巧が鏡界に落ちた時に通ったあの穴に似ている。

「さぁ、ここを潜れば、キミのもといた現実世界へ帰れるよ。おめでとう、神藤巧くん」

「……」

 信じられないような体験を立て続けにして、やっとの思いで出口まで辿り着いたというのに、巧の気分はなぜか晴れない。

 人の死を間近に体験したから、という理由だけではないような気がする。他にもっと、胸の内に引っかかっている物がある。

「――どうしたんだい? 帰りたかったんだろう、キミ自身の日常へ」

 幻影の道化(ファントム・クラウン)はただそう促すだけで、何も語ろうとしない。

 思えば全ての謎が解消した訳ではなかった。

 なぜこんな空間が存在するのか。なぜ人間を飲み込むのか。他にも挙げればいくつかある。そしてその最たる謎が、目の前の青年の存在だった。

「あんたは、一体――」

 何者なんだ、と問おうとして、巧は最後まで言い切る事が出来なかった。

 躊躇った、からではない。背筋にとてつもない悪寒が走ったからだ。

「何だ、この嫌な感じ? 誰かに見張られてるような……」

「フフ」

「!」

 押し殺すような笑い声が聴こえて、巧は眼を見開いた。

 目の前に立っている幻影の道化(ファントム・クラウン)が、声を殺して笑っている。決して明るい感じの笑いではない。嘲笑とも取れる笑いに、巧は警戒感を露わにする。

「何が可笑しいんだよ?」

「フフ……、いやごめんよ。キミといるとホントに退屈しないなぁと思ってね」

「どういう意――」

 そこで巧は気配の正体に気付いた。さっきの悪寒は目の前の青年からしたのではない。自分と幻影の道化を囲むようにして、様々な方向に何かがいる。

「どうやらさっきの『災魔』は、群れの一部分に過ぎなかったようだね」

「!」

 朽ち果てた建物の陰から現れたのは、先程倒したのと同じ姿をした『災魔』だった。しかもその数が尋常ではない。

 建物の陰という陰から、何体も次々と現れる。目算できるだけでも十数体はいる。

「なっ、なんでこんなに!」

「群れを作る災魔がいるのは珍しい事ではないけど、一度にここまで現れるのは初めてだよ。やっぱり何かあるのかなぁ、キミには」

 意味深な発言をとりあえず聞き流しながら、巧は『心羅』を発現させた。剣を構え、群れた『災魔』たちを見る。

 先程は付け焼刃の能力向上ながら、何とか倒す事ができたが、ここまで数が多いとさすがにそうはいかないだろう。ざっと見ても数は数倍。とても今の巧一人で対処できる数ではない。

 緊張が身体を支配し、鼓動が徐々に速くなっていく。

「くそ……! ここまで来て、こんな状況になるなんて!」

 運が悪いなんてレベルの話じゃない。最悪だ。

 希望を掴みかけたその瞬間に、絶望に絡みつかれ、一気に引きずり落とされたような気分だ。

「フゥ、仕方ない。――神藤巧くん。悪いがキミとはお別れだ」

「え? なッ!」

 突然背後から襟首を掴まれ、巧はそのまま、開いていた出口に無理矢理放り込まれた。

 その瞬間、身体がまるで引力に引かれているかのように、後ろ向きに思いっきり引っ張られる。抗おうとして手足をバタバタさせても、引力はどんどん強くなる。

「お、おい! あんた、一体どういうつもり――」

 穴の向こうに見える幻影の道化(ファントム・クラウン)の背中が、徐々に遠退いていく。それでもなぜか声だけは鮮明に聴こえた。

「キミは日常に戻りたかったんだろう? ならこんな所で油を売ってる必要はないよ」

「なっ! 待てよ! まだ俺はあんたに聞きたい事が――」

 遠ざかる青年の背中に手を伸ばしても、距離は縮まる処か離れていく。

 いつしかその背中が見えなくなると、眩い光によって巧の視界は真っ白になった。




 ◆  ◆  ◆




「――あれ?」

 ふと気が付くと、そこには見覚えのある風景があった。

 川の堤防に作られた遊歩道。土手を下ると川があり、その手前には地元のサッカーチームが試合を行うためのグラウンドがある。ここは巧の家からほど近い場所にある憩いの場だった。

「戻って……きたのか?」

 巧は茫然と空を見上げる。青く透き通った空。血を塗りつけたような紅黒い空では、決してなかった。

 今までの出来事は一体なんだったのだろう。

 辺りの様子を窺いながら巧は考え込む。夢にしてはかなりリアルな出来事だった。そもそも自分だって、これは現実だと最後の方は理解していたはずだ。今更夢オチだったなんて事は無いだろう。

 大体自分は登校途中だったはずだ。通学路を外れてこんな所に来ている訳が――。

 と、そこまで考えて思考が止まった。

「そうだ! 学校!」

 慌てて腕時計に目をやる。あれだけハードな出来事の後でも、壊れた様子は全くない。

 現在、午後十二時五十分。デジタル時計の日付の部分は、最後に確認した日付と同じだった。つまりあれから四時間以上が経過しているだけ、という事になる。まぁそれがすでに問題なのだが。

「……とりあえず今からでも行くか」

 今の今まで自分に振りかかっていた出来事を、巧はあえて深く考えないようにした。

 とりあえず今は、学校に急ぐ事の方が重要そうだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ