華麗なる脱走劇
長すぎた……前話をもう少し長く取っておけば良かったと心底反省してます。orz
何はともあれ最終話、どうぞ。
両腕を縛られ、目隠しされたままの状態で連行されること小一時間。どこかの倉庫にでも拉致られるのかと思ったがそうじゃなかった。目隠しを外されて真っ先に目に移ったのは見知らぬ廃屋。えっ、何このシチュエーション? 実はドッキリ番組とかそういうオチ? オーケー、スタンガンは流石にやり過ぎだったがドッキリなら笑って許してやろう。
「さっさと歩け!」
「ちょっと、そんなに乱暴に扱わないで頂戴!」
従順に従う俺とは対照的に会長はまー見事に典型的な暴れ方をしてらっしゃる。とはいえ、大柄な男の腕力の前に女が太刀打ちできる筈もなく、結局力ずくで連れて行かれることになった。
誘導されるまま、廃屋の二階へ歩かされ、ある部屋へ放り入れられる。粗悪なベッドと小汚い木製の椅子とテーブルがあるだけの部屋。
「あなた達、私達をこんなところへ連れてきてどうするつもり?」
「ふん。鳳条院の人間とは思えない発言だな」
見下したように言い放ち、語り始めた。うわー、これ完璧に漫画の世界だよ。誘拐して黒幕がその目的を暴露するとか。
「鳳条院家の人間は実にあらゆる分野において活躍している。政界、財界、商業界……お前の親父や兄弟には四六時中、ガードマンが張りついているせいでなかなか手が出せない」
あー、なるほど。確かに会長なら社会で活躍している人間よりはガードが甘いよなー。あの狭い道なら迎えの車を妨害するなんて造作もないしあの時間帯は結構人通りが少ないから誘拐にするには都合がいい。
「俺たちは権力に興味ないがお前たち『姉弟』をネタにすれば、それこそ馬鹿にならないほどの身代金が手に入る。ま、誘拐した理由はそういうことだ」
ちょっと待て。この男いま姉弟って言わなかったか? もしかしてあれか。俺は目撃者だから誘拐されたとかそんなんじゃなくてとばっちり喰らったって訳? だとしたらなんでこの男は俺たちを姉弟だと思った?
「何を言ってるのかしら? 彼は鳳条院の人間じゃないわ」
「無駄だ。そいつが昨日、お前と車に乗ったのは確認済みだ」
「うわっ。アレ見られてたのかよ……」
思わず唸り声が出る。今回の件で会長に責任はない。完全に相手側の勘違いだ。つーか一緒に車に乗ったからという理由で鳳条院の人間だと決め付けるのは早計過ぎるだろ。
「もう一度言うわ。彼は鳳条院家の者じゃない。彼だけでも解放しなさい」
「すると思うか?」
「…………。ま、普通しねーだろーな」
観念したように俺はそう吐き捨てる。ここで俺を解放すれば事が露呈するのは必定。最悪、警察沙汰になる。そうなることを防ぐ為にもこいつ等が誰か一人だけを解放するってのはあり得ない。
俺の言葉に男は不敵な笑みを浮かべながら口を開く。
「そっちの男は物分りがいいようだな。とにかく、逃げようなんて考えない方がいい。場合によっては──」
背広の内にあるホルスターから黒塗りの銃を取り出し、わざとらしく撃鉄を下ろし、銃口をピタリと額に当てる。
「殺すことも視野に入れてある」
「……っ」
すぐ隣で会長が震えたのが分かった。流石の俺でもこればかりは冷や汗が出た。ぶっちゃければ銃を持っているのは予想外だったから。ナイフぐらいなら持ってるだろーなと、思ってはいたけど……。
「兄貴、そろそろ……」
「分かってる」
もう一人の男に催促され、男は拳銃をしまい、部屋から出て行く。それを皮切りに会長はペタンと、埃だらけの床に座り込む。う~ん、こりゃ精神的に相当参ってる感じだなぁ。
「会長、大丈夫ですか?」
「…………」
呼びかけても返事はない。俺の声は聞こえていても目まぐるしく変化した状況に脳が付いて来てないんだろう。つーか俺、もう縛られてるフリしなくていいよな?
「よっと……」
「ちょ!? どうなってるのよ?!」
「いや、これに反応するなら呼びかけにも反応して欲しかったんですが……」
そりゃ、何の動作もなしに縄が解けたりするところを見れば驚くだろうけど俺は呼びかけに無視されたんだぞ? ちょっとは気遣って……いや、別にいっか。
「縛られる時、縄を数センチだけ握ってたんですよ。そうすれば手を離すだけで縄抜けできますから」
これは俺が自分で得た知識じゃない。親父に教えてもらったものだ。白鷺学園への入学は特に反対はしなかったが、万一の時にと誘拐対処マニュアルなるものを俺に渡してきた。当時はこんなの役に立つのかと半信半疑だったが、本当に役に立つ日が来てしまうとは……。人生、何が起きるか分からないな。
「さて、と。どうやって逃げるかねぇ」
「あなた、ひょっとして逃げる気なの?」
「そりゃそうですよ。助かる保証なんてありませんし……」
言ってから、俺は状況整理に勤める。
携帯は当然ない。縛られる時に没収されたから当たり前と言えば当たり前。あるのは財布となけなしの財産・千百二十五円。それと俺を縛ってた縄。
当然、ここが何処の廃屋かは分からない。駄目もとでドアノブを回してみる。しっかりと鍵は掛けられてるが突き破ろうと思えば突き破れるかも知れない。
「…………。あなた、絶対におかしいわよ。元はといえば私が原因でこうなったのよ? 普通、恨み言とか言うものじゃないの?」
「恨み言? 何故です?」
確かに昨日、会長と関わりを持って彼女の厚意に甘えなければこんな事にはならなかったかも知れない。けどそれはイフの話に過ぎないし、会長が悪いとも思わない。ただ今回は間が悪かっただけの話だ。それに俺とて白鷺学園の生徒。今回の勘違いみたいに学園生イコール金持ち、なんて目で見られて誘拐されても変じゃない。……まぁ、俺単体で誘拐されるとかその確率は宝くじで一等を当てるぐらい低いけど。
「会長、まずは落ち着いて周囲の観察に徹しましょう。言いたいことはここを出てからで充分間に合うでしょう?」
「出る? 私たちは素人よ? 大人しく家の者が助けにくるまで待った方が得策よ」
「あー、まぁ普通ならそう、なんですが……」
やばい、どうしよう。ちょっと正論なんじゃね? と考えた俺がいます、はい。だけどその、何ていうのか……あの男たちが大人しく身代金をもらったらはい解放~、なんてことをするとは限らないし何か裏があるようにしか思えない。
「……。会長は、父親やお兄さん達が必ず助けてくれると信じているんですか?」
「えぇ。今の携帯ってGPSって機能が付いているんでしょう? あれで逆探知すればここに私が居るって──」
「それは携帯の電源が入っている場合です。そのぐらいの知識は犯人側にもあると考えるべきでしょう」
「…………」
今度は会長が押し黙る番だった。えっ、嘘。そんな初歩的なことにも気付けなかったのこの人? うん、逆探知?
「……今気付いたんですが、会長」
「何かしら?」
うわ、スッゲー機嫌悪くなってるよ。けどこういうのは確認の為に訊いておいた方がいいよな、絶対。
「会長には発信機とか付いてないんですか?」
いつだったか、水瀬と他愛もない話をした時に自分の制服には発信機が付いていると自慢げに話したことがあった。何でも水瀬は子供の頃に誘拐されたらしく、それを教訓に衣服の何処かに発信機を埋め込んであると言ってたっけ。雫さんは誘拐されそうになったことはないそうだが水瀬の誘拐事件を教訓に雫さんの制服にもやっぱり発信機が付いているとか、そうでないとか。
「ないわよ、そんなの。二十四時間監視されてるみたいで気持ち悪いから親に懇願したのよ。もっとも、今回はそれが仇となった訳ですが……」
そうか。ならここを探知するのは不可能だろう。残された道は自力で脱出するか穏便にことが済むのを期待して待ち続けるかのどちらか。
「それで、あなたはまだ脱出を試みるつもり?」
「できる限りのことはするつもりです」
会長に面と向かってはっきり言ってから俺は部屋の散策を始める。散策と言っても床は木製で隠し扉がある訳でもないし引き出しやクローゼットが置いてある訳でもない。ここは一つ、ベッドを持ち上げてそれで扉をぶち破って外に出るか?
「…………」
いや、多分というか普通に考えて駄目だ。見張り役が下にいるに違いない。さっき俺が縄を解いたっていう会話が聞こえてなければいいけど……聞こえてないよな? 動きがないし。となれば残る移動手段は窓だな。
「窓なんか開けてどうするつもり?」
会長の言葉を無視して俺はザッと外壁を見渡す。足場になりそうな箇所がある。そこに足を乗せて雨樋を掴めば隣の窓のサッシぐらいは掴めるかも知れない。命綱代わりの縄を自分の身体に巻きつけ、それを粗悪なベッドの足に括りつける。これで落ちても死にはしないだろう。
「何をする気?」
「隣の部屋に移れるかどうか調べるんですよ」
「なっ──」
「あまり騒がないで下さい。見張り役が駆けつけでもしたら大変ですから」
俺の言葉に会長は開きかけた口に手を添えて、コクコクと頷く。さて、ここからが問題だ。
俺は慎重に足場に体重を乗せ、雨樋をしっかりと掴む。雨樋を支えてるネジや鉄の老朽化が限界値に達していたらそこでアウトだったが、どうやら俺の体重を支えるだけの耐久力は残っていたようだ。
そっと胸を撫で下ろし、左手で向こう側のサッシを掴み、身体を横へ移動させて窓の外から部屋の中を覗き込む。部屋の構造そのものはそう変わらないがこっちはものがありそうな雰囲気だ。
(よし……)
窓に手を添えて開くかどうか確かめてみる。少し手間取ったがどうにか窓は開いてくれた。窓を全開にして苦労しながら隣の部屋へ乗りうつ──ろうとして俺の身体は急静止した。
何故? と考えてからすぐに答えが浮かんだ。俺を縛っていた縄が短すぎて隣の部屋まで移動できないのだ。
「会長、すみませんがベッドの足につけた縄を外してくれませんか? このままでは隣に移動できません」
「命綱を外して大丈夫なの?」
「手はちゃんとサッシを掴んでますから大丈夫です」
「…………」
俺の言葉の真意を確認するように窓から身を乗り出して確認を取る会長。いや、そこは確認しないで外そうぜ。
とにかく、俺の言葉が本当だってことを確かめた会長は言葉通りベッドの足に括り付けた命綱を外してくれた。おし、これで隣の部屋を散策できるぞ。
「よっと」
隣の部屋に飛び移ってから身体に巻きつけた縄を解く。会長と一緒に連れてこられた部屋と違ってここにはベッドがない代わりにクローゼットと机がいくつか並んでいる。中をくまなく調べてはみたものの、役に立ちそうなものはなかった。
はっきり言おう。何とも空気の読めない廃屋なんだ……ッ! 普通こういう状況下なら役に立ちそうなアイテムがぽつんとあって、それを見た俺がナイスな閃きでそのアイテムを使って脱出するとかそういう展開が待っているだろーがっ!
……ハイ、ゴメンナサイ。ちょっと現実逃避してみたかっただけです。
しかし人間というのは案外、諦めの悪い生き物である。脱出に役立ちそうなものがないからと言って助けが来るのを大人しく待つのは俺の性分ではない。いや、ケースバイケースで待つこともあるけど。
「…………」
四つん這いになって床を調べてみる。隠し通路がある訳でも収納スペースがある訳でもない。どうやら真っ当な手段で脱出するとすればドアを突き破るしかないようだ。
(待つしかないか……)
やるせない気持ちを抱えつつ、俺は会長が待つ部屋へと大人しく戻り、窓を閉める。時計がないから時間を知る手立てはないが空模様からして七時過ぎだろう。いつもの俺なら夕飯の支度を始めてる頃だな。
「流石にご両親が心配?」
窓の外をぼんやり眺めている俺を見て、会長がそう尋ねてきた。……あぁ、俺がホームシックにかかってると勘違いしたのか。
「父は今日、帰って来ませんから心配も何もありませんよ」
「でも、あなたの母親は──」
「お袋はいない」
会長の言葉を、俺は出来るだけやんわりとした口調で遮った。
「俺が物心付く前に交通事故で亡くなったとしか聞いてないし、どんな人だったのかも知りませんから」
「そう。……紅瀬さんのお父様は、どんな仕事をしてる人かしら?」
「一課勤めの刑事。……あと、これは前から疑問に思っていたことなんですが…………」
「なにかしら?」
「会長は何が切っ掛けで、俺のことを知ったんですか?」
ずっと疑問に思っていたことだが会長は俺のことを知っているような態度で俺に仕事を任せてきた。記憶力は良い方とは言えないが少なくとも俺と会長は面識がない。
仮に奨学生としての噂を聞いて知ったとしても名前と顔が一致するとは限らない。つまり、会長は何処かで俺という存在を知っていたことになる。
「私に挨拶したの、忘れたの?」
「挨拶? 生徒会室……じゃありませんよね?」
「何日か前に同じ一年……相原さんと一緒に廊下を歩いてるとき、私に挨拶したでしょう? そのときに顔だけ覚えたのよ」
一年の女子と廊下を歩いて挨拶って…………あっ! もしかして料理部の見学の時か! でもあれ、本当に数秒程度のやり取りだし記憶に残るような挨拶は──してたな、俺。めっちゃ緊張した状態で挨拶したのだけは鮮明に覚えている。
「よく覚えてましたね」
「あんなに緊張した態度で挨拶する下級生なんてそうそう忘れるものじゃないわ」
「…………」
そこはかとなく侮蔑されたような気がするが黙っておこう。言い争っても無駄な体力使うだけだし。
「でも、それだけで俺に仕事を任せていいと思わないでしょう?」
「そんなことないわ。部活以外で上級生にちゃんと挨拶する一年生って貴方とあの時一緒に居たあの娘ぐらいだから」
そういうものなのか? 別に知らない人でも挨拶ぐらい普通にすると思うけど。
……いや、きっとそういう時代なんだろう。現に牛丼屋とかで御飯を食べてもご馳走様も言わずに帰っちゃう人間が当たり前のようにいる時代だ。なんて言うか、そういう人は普通にマナーが悪いと思う。
「それより……脱出する手段がないと分かった以上、どうするつもり?」
「脱出が無理と分かれば大人しく待ちますよ」
悔しいことに、この部屋から脱出する術を俺は見つけることが出来なかった。この扉をぶち破ることぐらいは出来るだろう。だがあの大男には勝てるか? 首尾よく見つからずに小屋から逃げ出せたとしてもすぐにバレて追いかけられる。地の利も向こうにあるから闇雲に逃げるだけじゃどうにもならない。
結局俺は、会長の言う通り大人しく助けが来るのを待つことにした。
夜の帳が下りる。薄暗かった外は今や完全な暗闇となり、俺たちがいる部屋も闇と同化しつつあった。目が暗さに慣れてきたとは言え、二メートル先は暗黒の世界が広がってる。
それとなく会長の方を見ると俯き加減でベッドに腰掛けていた。良いトコ育ちな彼女にはきっとこの環境は耐え難いものだろう。埃っぽい地面に光源のない室内。しかも食事さえ出てない上に年頃の野朗と二人きり。精神的に参ってるのは明白だ。
「寒いわね」
「えぇ」
最初の頃と違い、明らかに口数が少ない。いくら暖かくなったとはいえ、薄着で夜を越すのは少し厳しい。しかも会長はスカートだ。足元からの冷えは地味に辛い。冷え性である俺が一番良く知っている。
「隙間風のせいで足元が寒いわ」
あぁ、隙間風のせいで寒い……て、待て。今なんていった?
「足元から冷えるんですか?」
「そうよ。さっきから足元から隙間風が吹いて参ってるのよ」
「…………」
会長の言葉に思わず頭をハンマーか何かで殴られたような衝撃が襲った。俺はこの部屋のベッド下を調べただろうか? 否、調べてない。しかも足元から隙間風が吹いてるってことは空気の流れが出来ている可能性があるってことだ。
「会長、ちょっと手伝って」
「今度は何をするつもり? ドアでも突き破るおつもり?」
不満そうに声を上げつつも会長は手伝ってくれた。二人で苦労してベッドを反対側の隅に移動させてくまなく床下を調べてみる。
するとどうだろう。巧妙に引っ掛け穴が隠されている床が見つかったではないか。そこに指を入れて上へ引っ張ると人一人が通れる程度の穴があった。
「…………。灯台下暗しとは、よくぞ言ったものですね」
こればかりは会長も感心したように声を上げた。やれやれ、俺が始めからベッドの下まで調べておけばこんな無駄な時間を浪費せずに済んだものを……。
「早く降りますわよ」
「おや? さっきまで助けを待とうと言ってたのは誰でしたかな?」
「さぁ? 私、物覚えの悪い人間ですから」
この女、思い切り開き直ったな。……まぁそれはそれとして、だ。このまま脱出するのは流石にまずいな。
「入りづらくなりますがベッドは戻しておきましょう。穴を発見される確率を減らしておくに越したことはありません」
「そうね。それにじっとしているのも飽き飽きしていたところだし」
それについては同意できる。やっぱ人間、同じ場所でジッとしていると気力が萎えてくるものだ。脱出するなら気力があるうちにした方がいい。
「急ぎましょう。嫌な予感がします」
会長を急かしてベッドを元の場所へ移動させる。ついでに窓を少し開けて縄を再びベッドの足に縛り付けて外にたらしておく。気休め程度の効果しかないだろうけど何もしないよりはマシだと思う。
「紅瀬さん、いいわよ」
会長の言葉を受けて、俺もベッドの下へ潜り込む。そのとき、部屋の外から階段を軋ませながら誰かが登ってくる気配がした。急がないとやばいな。
「会長。音に気を付けて」
既に穴の中にいる会長にそれが聞こえたかどうか、俺にはそれを確認する術はなかった。全力で後退しつつうつ伏せの状態で足を穴へ入れてゆっくりと落ちるように穴へ潜る会長が俺の足をなけなしの力で支えてくれているお陰でヒューっと落ちずに済んだ。
扉を開錠する音が耳朶に届く。慌てて俺が隠し扉で穴を塞いだ次の瞬間、扉が勢いよく開く音が聞こえた。危ねぇー……映画の世界並みのギリギリをリアルに体験すると心臓に悪いな。
「あの男が来たのね……」
「急ぎましょう」
小声で会長と会話を交わして音を立てないように梯子を一段ずつゆっくり降りる。穴を見つけられたらそこで俺も会長も終わりだが幸い、男がこの穴を見つけるような事態にはならなかった。
正直、この穴を見つけられたのは偶然以外、何でもない。もしあのとき、俺が会長の何気ない発言を聞き逃していたらどんな目に遭ってたか? 考えるだけでも怖いし想像したくもない。
足を踏み外さないように、慎重に梯子を折り続ける。小屋の地下なのか、土を固めた地面が冷たい空間を演出しているように思えた。
判断を間違えたかと思ったがそれも束の間。正面の壁に窓が見えた。地上から窓まで三メートルほどあるが回りにある机や椅子なんかを積み上げていけば出られそうだ。
会長の方を見やると申し合わせたかのように動く。悠長に構えてる余裕なんかない。まずはテーブルを壁際におき、その上に椅子をおく。これだけあれば充分届くだろう。
「先に上がって下さい。下から持ち上げます」
「え、えぇ……」
この期に及んで何を躊躇ってる? 特に反抗してこなかったから何も言わないでおくけど。
会長はやや躊躇った様子で椅子に足をかけてサッシに手をかけようとして一度だけ俺の方を見下ろす。
「紳士なら覗かないわよね?」
「覗きませんよっ」
さっき躊躇ってた理由はこれか! 今は緊急事態なんだからそのぐらいは我慢しろっつーの!
……いや、別に見たいからそんなこと言ってるワケじゃないぞ? あくまで状況的にそうだと言ってるだけだ。
「じゃ、お願いよ」
そう言ってから会長は片足をひょい、と上げる。それに合わせて俺は両手を差し出して踏み台を作る。ズシンと、彼女の体重が両手にのしかかる。運動部でもない俺が女とはいえ、人一人分の体重を支えるのは何かと骨だが中学まで空手をしていたこともあってか、どうにか上まで持ち上げた時だった。
『ッ!?』
上の方で何かを引きずるような音がやけに大きく聞こえた。多分、ベッドを動かしている音だ。こうなるまでに時間が掛かったってことはあのロープ、気休めにはなってたのか……。
「早く来なさいっ。捕まったらおしまいですわよ!」
「分かってる。そう急かさないで」
会長に催促されるように俺は脚に力を溜めて一気に飛ぶ。身体が頂点に達した瞬間を見切って会長が手を取って引っ張る。俺はその反動を利用して空いている手でサッシを掴み、腕力だけで上体を上へ押し上げる。
小屋の上は相変わらず騒がしい。かと言って下手に逃げても捕まるだけだ。
「何をしてるの! 早く──」
「ちょっと待って」
少しだけ待ってもらい周囲をザッと見渡す。
崖、川、雑木林、草むら、獣道。
こうして見渡すと逃走ルートはいくつもある。川沿いに逃げれば生活圏に出られるかも知れないが崖を降りなきゃならないので却下。草むらとあぜ道は追いつかれる可能性が高い。
雑木林も賭け的なところが強い。障害物が多く、上手くいけば身を隠すことも出来る利点もある反面、何処に出るか全く予想できないというリスクもある。かと言って会長に大男を振り切るだけの体力があるとは思えない。
「雑木林の方へ──」
「置いていきますわよ!」
…………。
いや、まぁこういう状況だし迅速な行動を取るのは殊勝な心掛けだと思う。だけどそう、せめて一ミリだけでもいいから冷静さを保って欲しいと思うが俺の本音だ。切羽詰ってるのは分かるが、何もおいてくことはないだろ。
(やれやれ。猫みたいな奴だな)
胸中でひっそり不平を零しつつも、しっかりと会長の後を追う俺。革靴ということもあって走り辛さが顕著になっているが、四の五の言っていられる状況じゃ──
ぱんっ! ぱんっ!
「っ!」
突如、夜の静寂を突き破るかのように銃声が響く。治安国家にも関わらず銃を撃ってくるとは……それだけ向こうが本気ってことか、クソッ。
「撃ってきてますわよ?!」
多少の驚きを覚えた俺とは別に会長はビビリまくってる。男はわりとこういうのには強い方だけど女ってやっぱり銃声とかそういうの聞くと怖がるよなぁ。かくいう俺も自分が撃たれた光景がチラリと脳裏に浮かんだワケで……。
「デタラメに撃って威嚇してるだけです」
安心させるようにそう言うと、俺は会長の手を引っ張ってやった。さっきの会長の声で居場所が割れたかも知れないから出来るだけ早くこの場から離れたい。
しかしこの雑木林……夜という悪条件が拍車を掛けてるのか何処をどう走ればいいのかさっぱりワカラン。今だって小屋とは反対方向に走っているだけで何処か安全な場所に出るという確証がある訳じゃない。
ぱんっ! ぱぱんっ!
「ッ?!」
断続的に銃声が響く。向こうも明かりがないのが幸いしてか発見が困難となっているようだが時間の問題だ。少しずつだけど俺と会長の足音とは別の音が近づいて来てる。
「きゃっ」
不意に、会長がバランスを崩して倒れ込む。慌ててフォローをするが間に合わず、二人してもつれるように倒れて──身体が急に転がりだした。えっ、何。一体どうなってる!? 混乱する俺と会長を他所に身体がどんどん転がっていく。そこで始めて気付いたんだがすぐ横はかなり傾斜の大きい坂になってた。そのまま二度三度と地面を転がって大木に背中をぶつけてようやく失速した。
「っ~~~~!」
声を上げて痛みを誤魔化したかったが耐える。痛みはあっても何かが刺さったような感じはない。
「会長!?」
もつれるように転げ落ちる際に腕を引いて抱きしめるように庇った会長は俺の胸の中で二度三度と頭を振っている。大事はないようだが俺には分かる。今の会長はかなり──いや、とてつもなく機嫌が悪い。こんなときまで会長は会長のままでいるからある意味メンタル面は強いのかも知れない。
「……もう少し力加減というものを考えてくれないかしら?」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう」
「……そうね。今のは悪かったわ」
よかった、大人しく引き下がってくれて。つっても今更デレを発動させても俺は揺るがないぞ。なんたってツンデレ属性じゃないからな。
「立てるか?」
「立てるわよ…………っ」
右足に体重を掛けた時、会長の顔が明らかに歪んだ。全然大丈夫じゃねぇじゃねぇか。さっきの倒れ方とかちょっと不自然だったから捻挫でもしたんだろう。
「足ですね?」
「…………えぇ。ごめんなさい」
「いえ。背負って走ります。捕まって下さい」
今までのような逃亡は出来ないけど会長を置いていく、なんて薄情なことはできなかった。そもそもそんなことが出来たらもっと最初の段階で見捨てている。鳳条院家に恩を売ろうとかそういう考えはない。言うなれば性分だ。雫さんの為に料理部存続の糸口を調べたり監査の手伝いをしたりしたのも、結局は俺が頼みごとの弱い人間であるのと父親譲りの正義感が相成ってるからなんだ。
「見つけたぞ!」
『!?』
上から野太い声がして、ハッとなって見上げる。暗くてシルエットしか見えないがあの男だ。完全に男の射程圏内に入っちまったな、こりゃ。
「くそっ」
悪態を付きながら俺は走る。会長の手を引いて走ってたときも全力だったが、今はそれ以上の力で走ってる。頭上から銃弾が飛んできて足元で着弾するが全く気にしなかった。
心臓が早鐘を打つ。汗ばんだ手が熱い。身体が酸素を求めて呼吸を荒くする。全力で走っているつもりなのに身体が思うように動いてくれない。
もどかしい。自分でも腹が立つほど鈍足だ。そしてそんな俺を嘲笑うかのように巨人の足音がじわじわと近づいてくる。
「ッ!?」
不意に肩を掴まれた。身の毛も立つような握力で掴まれると力任せに横薙ぎに倒される。肩口から地面に叩き付けられ、一度だけ身体が小さく跳ね上がった。まるでハンマーか何かで横殴りにされたような衝撃だ。
「手間取らせやがって……。大人を舐めるのも大概にしな」
そう吐き捨てながら男は懐から別の武器を取り出す。
鈍い光を放つナイフ。それには見覚えがあった。確か……そう、都内某所で二十数人を切りつ、あるいは殺したときに使われてたダガーナイフだ。
「お前……庶民だったんだな…………」
「始めからそう言ってるだろっ」
どうやってそれを知ったのかは疑問だが……まぁいい。どっちにしろ俺、かなりヤバイし、余計なこと考える余裕とかなさそうだし。
「なに、見せしめに殺してやろうと思って部屋に行けば姿が見えないじゃないか」
「サイッテーだな、お前って人間は……ッ!」
出来るだけ恨み言のように言い放つと近くにあった石を掴んで投げる。会長に危険が来るってことはないだろうが、まずは注意を俺に向ける。こうなった以上、もう逃げる選択肢は残されてない。
「ふんっ」
俺が投げた石を男は鼻で笑い、横薙ぎにして弾いてみせる。あぁそうさ、俺は漫画の主人公みたいにここ一番で力を発揮するような超人じゃない、ただの人間だ。
格上の人間が相手ならフツーに負けるし一芸達者という訳でもない。刑事の息子だとしても、白鷺学園に通っていても、中身はただの十五歳でしかない。
「そらっ!」
一足で俺との間合いを一気に詰めるとナイフを突き立ててくる。殆ど反射的に両腕で頚動脈をガードして即死は免れたが左腕に今まで経験したことのない痛みが奔る。
「あっ、がぁあ……ッ!」
激痛のあまりみっともない声を出してしまう。その声を聞いて男が歓喜したようにナイフを抜き、わざと立て続けに刺さず回し蹴りで脇腹を蹴る。運良く下げた右腕に当たったお陰で肋骨が折れずに済んだが俺の身体は五十センチほど浮いて地面に叩き付けられた。
「へっ、どうだ? 地べた這いずり回る気分は? 庶民のお前にゃピッタリじゃねぇか」
言うに事欠いて地ベタを這うのがお似合いと来たか……。しかも的を射ているから反論できないな、それ。特に親父なんかが職業柄、そうだし。
そのまま男はゆっくりと近づき、一息で俺の喉笛を裂こうとナイフを──
「お止めなさい!」
──振り下ろそうとしたその刹那、この場には不釣り合いなくらい凛とした声が木霊した。その、あまりに凛とした声に男も思わずナイフを振り下ろす腕を止めたぐらい、会長の声には凄みがあった。
「あなた方が必要としているのは彼ではなくこの私……鳳条院燈華でしょう! 要求通り大人しく捕まる代わりに彼には手を出さないでッ!」
「…………」
そこに立っていた彼女は白鷺学園の会長ではなく、鳳条院家の未来を背負う一人人間だった。恐怖で足が震えているのにそれを隠し、虚勢と大声で自分を強く見せようとしている鳳条院燈華……。
だがこの男の関心は今、彼女ではなく俺に向いている。そんな俺の考えを肯定するかのように男は軽く笑い、無造作に俺の腕を持ち上げて言った。
「言ったでしょう、見せしめに殺すと。この男を殺して俺たちが本気だってことをアピールすれば鳳条院家もバカなことは考えねーだろ」
「ッ!?」
「ま、お前の親父さんや兄弟たちが庶民一人の命で動くかどうかは分からないが、パフォーマンスとしちゃ充分だろ?」
確かに……。政治家がたかが庶民一人の為に動くとは考えられない。いや、あえて助けることで慈善っぷりをアピールするという手もあるが選挙でも迫ってない限りはそんなことしないだろう。
……俺の命もここまで、か。あっという間の十五年だったけどなかなか捨てたもんじゃなかったな。遣り残したこと、いっぱいあるしまだまだ遊び足りないけどどうしようもない。
無造作に男が腕を振り上げ、今度こそ俺の喉笛にナイフが刺さろうとしたそのとき──
「……ッ!」
俺の目の前で火花が散った。ダガーナイフは俺の喉元には届かず、代わりに別のナイフがダガーナイフを受け止めていた。
「なっ……!?」
男が呆気に取られたその隙を付いて背広を着た人は俺を男から一気に引き剥がす。俺と男を引き剥がした人の体躯には見覚えがあったがうまく思い出せない。
そうこうしているうちにあっという間に男は取り押さえられた。何かをしている所を見ているつもりなのに何をどうしたかなんて分からない。本当に気付いたら俺を襲ってた男は完封されていた。すげぇ、なんかリアル仮面ライダー見てるみたいだ。
……と、そこでようやく会長が人影を認識して、足を引きずりながらその人のもとへ駆け寄っていく。
「柳瀬さん?!」
柳瀬さん? はて、どっかで聞き覚えがあるが、何処だっけ?
………………。
あっ、思い出した! この人確か鳳条院家お抱えのボディーガードだ!
「お嬢様、お怪我は?」
「私は平気よっ。それより紅瀬さんを見てちょうだい!」
「お嬢様、落ち着いて下さい。今、救護班がそちらに向かってます」
柳瀬さんはあくまで会長のケアに勤めている。普通に考えるなら雇い主の娘を第一に考えるよなぁ。それに今すぐ失血死するって訳じゃないから救護班が着てからでも遅くないって判断したんだろう。
でも、その……傷口メチャクチャ痛いです。そりゃもう、軽く手を握ることさえままならないくらい痛い。これで後遺症が残ったらあの男に慰謝料をたっぷり請求するとしよう。
「紅瀬様」
俺が痛みと戦っている間に会長の説得が終わったのか、改まった態度で柳瀬さんが俺と向かいって来た。
「私たちの代わりにお嬢様をお守りしてくださったこと、大変感謝します」
「いえ……。守ったというより運が良かっただけですから……」
謙虚でも何でもない、本当に運が良かったとしか言えないのがちょっと悔しい。男が床下の隠し路を見つけるのに時間が掛かったことや雑木林に駆け込んだとき、すぐに見つからなかったこと。もし何処か一つでも男の行動が早ければ間違いなく俺は殺されていたんだから。
「ところで柳瀬さん。どうして私の居場所が分かったのです?」
「それは後ほどお話します。まずは彼の応急処置が先です」
なんか今、俺の応急処置を口実に逃げたように思えるのですが?
こうして俺と会長の一世一代の誘拐劇は無事、幕を降りた。
まず、柳瀬さんが会長の場所を特定できた理由は会長には内緒で普段から身に着けている貴金属に発信機をつけていたかららしい。これには会長も少し怒っていたけど命を助けられた手前、大きく出ることは出来なかった。
また、俺たちを誘拐した男たちは金で雇われた素人だったと柳瀬さんは教えてくれた。目的は身代金の請求という、ごくありふれた理由。会長が狙われたのは単に自分の身辺が一番警備が薄いからだと教えてくれた。自分の周囲が手薄だってことに自覚あったのかと言ったら手痛い突っ込みを受けた。
そして俺自身はと言えば、全治二週間程度の怪我で済んだ。勿論、そのあいだ腕を使えないことに不憫さを感じるが命が助かったと思えばずっと安い代償だ。ただ、見舞いに来た親父にはこっぴどく怒られた。白鷺学園に通っているならこのぐらいのことは考えられるだろとか、安易に人様の車に乗るなとかもー俺に言わせりゃ理不尽以外何でもない。会長の命を守ったんだから少しは大目に見て欲しいと心底思ったよ、ホント。
しかもポイント申請しようとしたら『ポイントはあくまで学園側の利益に繋がる行動をした場合のみ認められるものである』とかぬかしたんだぜ? 信じられねーってマジで。鳳条院議員の娘を助けたんだからちょっとぐらいポイントくれたっていいじゃないか。
因みに今回の事件が切っ掛けで良家の人間はより一層、登下校には充分注意するようにと教職員からの呼びかけがあった。警備状況も今まで以上に厳重にすると言ってたけど庶民な俺にはあまり──いや、全然カンケーないんだよな、これが。
警備をどれだけ厳重にしたところで俺の通勤手段は電車と徒歩。他人事とまではいかなくともまた誘拐される可能性は多いにある。だから自分の身は自分で守る以外、方法なんてない。
──とか思ってたんです。玄関を出るまでは。
「ごきげんよう、弥生さん」
「…………」
休み明けの朝。
病院と警察を行き来してた俺は久しぶりの学園へ向かおうと玄関を出た途端、どっかで見た覚えのある高級車が止まっているかと思えば雫さんが後部座席から顔を覗かせ、挨拶をしてきた。
「なに、してんの……雫さん?」
「出迎えだ」
と、やっぱり何処か不機嫌な態度で答える執事の瀬場さん。そりゃあ、娘が馬の骨と仲良くするところを見て面白くないのは分かるけどアンタ仮にも使用人だろ。最低限の社交辞令ぐらいは持つべきだと思うぞ。
「今朝、学園側から連絡があったんです。庶子出身の方は学園側が用意するバス、もしくは知り合いに送迎をしてもらうようにと」
「あぁ、そういうことですか」
そう言われると納得できる。そりゃ、いくら庶民とはいえ今回のようなことがまた起きたら学園の風評はガタ落ち。推薦入試の希望者だって危ぶまれる。けど順当に行けばこの場合、雫さんじゃなくて鳳条院家の車が迎えに来ると思ったんだが……考えても仕方ないか。別に大したことじゃなさそうだし。
けど何だろう? 何か俺、大事なことを忘れてるよーな気がしてならないんだが。
………………。
あー! 思い出した、料理部だよ! 連日の騒動ですっかり忘れてたけど料理部の未来を賭けた審査が先週あったじゃないか!
「雫さん、料理部の件どうなりました?」
約束じゃ先週の金曜日に雫さんがオムレツを作ってそれを会長に試食させる筈だっ。俺はその日、精密検査の為に学園を休んでいたからどうなったのか全く分からない。
「はい。そのことでしたら延期になりました」
「延期?」
なんだそりゃ? 合否じゃなくて延期って……一体先輩は何をやらかしたんだ?
「先週、鳳条院会長は今回の件についてのことで実家から呼び出しが掛かったそうです。ですから、料理勝負は持ち越しになった、ということです」
「あー、なるほど。……それで、その再戦日はいつ?」
俺の質問に雫さんは一度、にっこりとした笑顔を俺に向けてからはっきりとした口調で断言した。
「本日の放課後です」
あっという間に放課後を迎え、俺達は家庭科室で会長と向かい合っている。こうして会長と学校で顔を付き合うのって一週間ぶりなんだよな。最後にあったのは先週末の病院だったっけ。いや、今はどうでもいいか、そんなこと。
「紅瀬さん、念のため言っておきますけど命を助けられたからと言って味に妥協は致しませんから」
「なによー、恩人なんだからそのぐらいはサービスしてもいいんじゃない?」
「あら? 御礼なら先日致しましたからイーブンですわよ」
その言葉に先輩が『どうせお金でしょ……』と呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。確かに今回の治療費という名目でお釣りが来るぐらいの謝礼金を貰ったけどそれが悪いことだとは思わないしお金だって誠意の一種だと俺は思う。
……むかし、テレビでも言ってたけど十代って本当に無駄に理想高いなー。俺も人のこと言えないけど。
「先輩、その喧嘩腰で会話するのどうにかならないんですか?」
「別に本気で喧嘩する訳じゃないんだからいいじゃない」
良くない。例え本気で喧嘩する気がなくても怒りっぽく口答えする先輩に不快感を覚える人がいるってことを知って欲しい。雫さんなんかは最たる例だろう。
「お喋りはそのぐらいにして、審査の方に映っても宜しいですか?」
「はい……」
会長の言葉に雫さんが毅然とした態度で答える。なんか俺と先輩が完全に空気化しているような気がするのですが?
「先輩、実際雫さんはどのぐらい上達したんですか?」
「金曜日の時点なら……まぁ厳しかったわね。でも土曜と日曜は私、様子を見てないから何とも言えないけど──」
そこで先輩は一度、勿体付けるように間を取る。テレビじゃないんだからさっさと教えてくれてもいいじゃないか。リアルで間を取るとか全然意味ないぞ。
「紅瀬君も知っての通り、相原さんは努力家だからきっと大丈夫よ」
そんなこと、先輩に指摘されなくても知ってるさ。見た目こそ現代に残る大和撫子だけど、実は自分でこれと決意したことに関しては頑なに譲らない傾向がある。周りは融通が利かないって揶揄するけど、俺は雫さんのそういうところ、結構好きだ。
ただ、それでも彼女には申し訳ないが雫さんが見事な手捌きでオムレツを作る姿が想像できない。単純に俺が雫さんが努力しているところを見てないだけなんだが。
「では、早速作らせて頂きます」
静かに宣言すると雫さんは実に慣れた手付きでフライパンを熱して、その間に卵を割ってボールに移すとフォークで卵を溶かし始めた。あれ、菜箸じゃなくてフォークでやるのか?
「フォークで卵を溶くとね、白身が綺麗に切れるのよ」
俺が不思議そうに手元を見ていると先輩がそっと耳打ちをして教えてくれた。言われて見ればホテルで料理をする人間って大抵フォークで卵を溶いているけどあれにはそういう意味があったのか。
卵を溶いている間に加熱したフライパンからは煙がもうもうと立つ。テフロン加工されてる奴ならまだしも、今回使っているのは鉄製のフライパン。バターを敷いて調理するにしても充分に熱するのが常識……らしい。これは本で得た知識。
「…………」
フライパンにバターを入れてまんべんなく塗りつける。頃合いを見計らって溶いた卵を投入するとフライパンをしっかり握り、激しくも小刻みに揺らしながら 菜箸で卵の状態を確認する。
ときどき、料理人がオムレツを作るシーンをテレビで見るけどそういう人たちって大抵フライパンを激しく揺らすよな。何でだろう?
「フライパンを小刻みに激しく揺らす理由は何ですか?」
考えても分からないことなので俺は素直に先輩に尋ねてみた。聞くのはちょっと恥かしかったけど聞かぬは一生の恥とも言うからな。
「あれはフライパンの温度を一定に保ちつつ全体に火を通す為ね。ふんわりオムレツを作るにはフライパンの温度が一定に保たれてなくちゃいけないのよ。
「高温で熱するとふんわりオムレツが出来なくなるってことですか?」
「まぁ、要はそういうことね」
そうか、だから俺が家でオムレツを作った時は上手にふんわり感を作ることが出来なかったのか。やっぱりなんでも上達したいと思ったらその道の専門家に訊くのが一番だな。
先輩と話している間にも、雫さんは一心不乱にフライパンを振り、菜箸でオムレツの形を作っていく。その一生懸命な姿を見れば彼女がどれだけ失敗を重ねてのか、それがよく分かる。
「…………」
フライパンと睨めっこしながら菜箸を操っていく雫さん。俺がフライパンの中を確認した頃には既にオムレツとしての形を成していた。初めてオムレツを作った頃と比べれば段違いな出来栄えなのは分かる。
(あとは味か……)
白い皿にオムレツを載せる彼女と会長を一瞥しながら思う。素人目から見てもあのオムレツが一般家庭で作られた代物より上手にできているのはよく分かる。
だが問題は会長がどんな決断を下すかだ。彼女の性格上、人間関係や自分の好みの問題で良し悪しを決めたりはしないだろう。
しかしそれでも俺と先輩の内心はとてもじゃないが穏やかではなかった。仕事の手伝いをした時からそうだが会長は本当に何を言うか分からない。それは先輩も同じだがそれとはベクトルが違う。だからもしかしたら思いがけない理由で駄目だしされるんじゃないかっていう不安があった。
「鳳条院会長、出来上がりました」
「そう」
雫さんの呼びかけに答え、会長は一歩一歩確実に踏み締めるようにオムレツへと向かう。あっ、なんか今頭の中でワルキューレの行進曲が流れた。だって今の会長の歩き方、まさにそんな感じだったし。
「では、早速頂きますわ」
皆に良く聞こえる声でそう言ってからフォークで手頃な大きさにカットして口に入れる。そんなに遅くはないのに口に入るまでの瞬間が恐ろしく長く感じられた。
咀嚼に五秒弱。そしてその余韻に浸ること三秒。最終的な評価が出たらしく、雫さんの方を見てはっきりと明言した。
「風味が足りないわね」
「……っ」
「道具の差もあるのでしょうけど、バターの量が足りなかったんでしょうね。表面も少し加熱時間が長すぎたせいでふんわり感がないし、形も悪いわ」
でもね……と、顔を下に向けている彼女に対して会長は言葉を続ける。慰めの言葉でも掛けるつもりか?
「あなたの努力を否定するほど、私もバカじゃないわ。それにさっきの評価はあくまで個人的なもの。最終的な評価なら料理研究同好会を正式に部として認めてあげるわ」
「えっ!?」
「あら。何を驚いているの?」
あまりに意外な言葉に先輩も雫さんも驚いた顔で会長の方を見る。いや、俺も驚いてると言えば驚いてるぞ? だってさっきの評価を聞いた限りじゃどう考えても料理部の昇格を認めないという言い回しにしか聞こえなかったから。
「私が言ったこと、もう忘れたのかしら? 彼女が並みの主婦以上の腕前であるなら部として認めるって、言ったでしょう」
あぁ、確かにそんなこと言ってましたね。まぁ、会長に言われるまで綺麗さっぱり忘れてましたけど。
「だったらどうしてあんな回りくどい言い方したのよ?」
「ちょっとぐらい意地悪してもバチは当たらないでしょう? 本当なら……いいえ、私情なんか話しても仕方ないわね」
私情? 何の話だ? 一瞬だけ意味ありげに雫さんの方を一瞥したけど……会長と雫さんとの間で何かあったのか?
「……あぁ、それと桐生さん。あの時、あなたの料理研究部を小馬鹿にしたような言い方をして御免なさい。あなたが遊び半分で部活をしていないのが良く分かったし、私もちゃんと実態を見もしないで勝手な評価を下したことを謝るわ」
「…………。そう、分かってくれればそれでいいのよ。それより会長さん、そろそろ仕事の方に戻らなくていいの?」
「言われなくても戻るわ。それじゃ、相原さんに桐生さん、二人で頑張ってね」
そう言って、会長はまるで追い出されたかのように足早に家庭科室から立ち去っていく。昔のことがあるとはいえ、本当に先輩は会長と仲良くしようと思わないんだな。なんかそういうのって、すごく勿体ない気がする。
「先輩、少しは態度を改めようとは思わないんですか?」
「向こうが態度を改めるならそうするわよ」
だからどうしてそんな喧嘩腰になるんだよ。犬猿の仲とはこのことを言うのか。お互い自分の分野においては妥協を許さないだろうし、仲良くするのはやっぱり無理だろうなぁ。
「弥生さんは鳳条院会長と仲が良いのですか?」
俺と先輩の話が一段落したところで、使った道具を洗い終えた雫さんがタイミングを見計らったかのように会話へ入ってきた。実はさっきから気になっていたから切り出すタイミングを計ってたりして……。いや、雫さんはそこまで計算高くはないか。
「どうだろう? 言うほど仲が良いって訳じゃないけど普通に話す分には問題ないと思う。ただ……」
「ただ、何です?」
「俺は会長にそんなに好かれてはいないらしい」
『…………』
俺の言葉に先輩はもとより、雫さんまでもが信じられないと言った態度で俺の顔を注視する。え、なに? もしかして俺なんか変なこと言った?
「紅瀬君、どうやったらそういう結論に達するの?」
「そりゃあ、話をしても素っ気無いですから嫌われてると思うが普通でしょう?」
「……。弥生さん、女の子は嫌いな殿方と話をするほど強くはありませんよ」
そういうものか? 少なくとも会長には雫さんの言う弱さが会長にはないと思う。そうだとしてもそれは、鳳条院家の人間という暗示を自分にかけるだけで克服できそうに思える。あの日の夜、毅然とした態度で誘拐犯を一喝した会長を見たから殊更そう思う。
「ま、紅瀬君がニブチンなのは今に始まったことじゃないからこれ以上この話題を引っ張っても仕方ないわね」
「ニブチンって何ですか」
「言葉通りの意味よ。さっ、相原さん。正式に部として認められた訳だし早速部活動を始めるわよっ!」
「いや待って下さい先輩っ。まずは顧問の先生を雇うのが先でしょう!」
「細かいこと気にしないっ。顧問は紅瀬君が連れてくること! さもなくば会長にあることないこと吹き込んじゃうわよ~?」
「脅迫ですか?!」
「脅迫だなんて人聞きが悪いわね。もし顧問の先生連れてきてくれたらもれなく美女二人の手料理を一番に試食させてあげる権利を付けちゃうぞ♪」
「弥生さん、お願いします」
あぁもう……っ! なんで最後の最後でこんなオチなんだ! しかも最後の最後まで俺に頼るとかどんだけだよ先輩に雫さん?!
「男の子だったら美女の我が儘を黙って聞いてあげるのは当然のことでしょ?」
そんな理不尽なこと、さらりと笑顔で言わないで下さい……。
梅雨が明けて、期末テストも無事に終えた生徒たちは開放感に包まれていた。ほんの一週間前までは必死に勉強していた人間が授業終了のチャイムと同時に遊びにいく予定を立てたり、一足早く夏休みの計画を練ったりしている。気持ちは分かるがなお前ら、もう少しは自重というものを覚えたらどうだ? 柊先生なんか苦笑を浮かべながら出て行ったぞ。
かく言う俺の予定はと言えば──
「失礼しまーす。相原雫さんと紅瀬弥生君に会いに来ましたー」
「桐生先輩、ごきげんよう」
ここ最近はもうすっかり見慣れた光景だ。料理研究部が正式に認められ、顧問も決まってからはほぼ毎日のように活動をしている。俺は一応数合わせの為の幽霊部員として扱われているが週に一度ぐらいは活動を強要されてる。活動と言っても味見して感想言うだけだから部活動をしてるとは言い難いが。
「ごきげんよう、雫。で、弥生ちゃんの方は準備オーケイ?」
「準備も何も、しようがないじゃないですか……」
先輩の物言いに対して、俺はうんざりしたように言い返した。あの一件以来、先輩は暇あれば俺と雫さんと関わるようになり、いつしか雫さんは雫と呼び捨て、俺のことはちゃん付けで呼ばれるようになった。男にちゃん付けなんか似合わないと猛講義したのは記憶に新しい。
「ふふん。例え弥生ちゃんが何もしないにしても心の準備は必要でしょ? なんたって今日は弥生ちゃんの家で調理自習なんだから♪」
……果たして俺の家で調理自習することに何の意味があるのだろうか? そりゃ、確かにいつかは俺の家に遊びに行くとは言ったけどまさか本気でそれを実行するとは俺も思わなかったし、行くとしてもそれはもっと先の話だと思ってた。
有り体に言うなら部屋、すんごく汚いです。それこそ女の子を上がらせるのがおこがましいぐらい。
「先輩、出来れば来週──いえ、明日でもいいので延期できませんか? えぇ、それはもう人様を上げても恥かしくないぐらい綺麗にしますから」
「それじゃ意味ないわよ。普段の生活具合をチェックしなきゃ抜き打ちテストにならないでしょ?」
「抜き打ちテストって……俺は幽霊部員ですよ?」
「でも、何だかんだ言いながら弥生さんは週に一度は顔を出してくれてるじゃありませんか。それだけでも私は充分だと思いますよ」
別に好きで顔を出してる訳じゃないんだが……。しかも顔を出す時ってのは決まって千波に引きずられるように入ってきると思うのですが。
「それにほら、部員の生活態度をチェックするのも部長の務めでしょ?」
「部長はそんなことしません。それに遊びたいなら素直に遊びたいって、言えばいいじゃないですか」
「遊びに行くんじゃないわよ。調理自習ついでに弥生ちゃんをいじくり倒すだけよ」
意味分らねぇって。
……はぁ、やめよう。これ以上言い争っても事態が好転する訳じゃない。逃げても絶対押しかけてくるだろうし。
「弥生ちゃんは夏休みの予定、どうするつもり?」
「俺が奨学生だってこと、知っているでしょう。少しは遊ぶかも知れませんけどもっぱら勉強で終わると思います。そういう先輩は?」
「一週間だけど北海道へ家族旅行するって話が出てる。雫はやっぱり海外?」
「いいえ。国内の何処かに出掛けるかも知れませんが夏休みの殆どは家で過ごすと思います」
「あらま。お嬢様にしては珍しい余暇の過ごし方ね」
いや、先輩も一応お嬢様でしょ。
「じゃあさ、夏休みは都合の良い日に三人でどっか出かけない? あ、でも弥生ちゃんがいるから近場の公園とかちょっと遠出していけるような場所とかで」
「それでしたら、お弁当が必要になりますね」
「ふふん。それならお姉さんに任せなさい。そういう訳だから弥生ちゃん、夏休みの予定はしっかり空けといてね」
「……まぁ、無理しない範囲でなら…………」
口では素っ気無く答えた俺だけど、本当は先輩ほどじゃないにしても楽しみだった。特に一学期半ばは料理部の為にあれこれ考えたり相手の勘違いで誘拐されたり色んな出来事が目まぐるしく起きてた。だから今回のように純粋に楽しむ行事は白鷺学園に来てからは初めてかも知れない。
「でも、まずは目先にある行事をめいっぱい楽しまないとね」
「やっぱり、ただ遊びたいだけじゃないですか……」
がっくりと肩を落としつつも、俺はきっと笑っているに違いない。だって、隣を歩いている雫さんが楽しそうに俺を見ているんだから。
夏の空気が漂い始めた七月。俺は今、青春という名の喧騒の中を生きている。
ここまでお付き合い頂き、本当にありがとう御座います。PVやお気に入り登録は思ったほど伸びませんでしたが『まぁこんなものだろ』という思いもあります。
彼女は正義の味方だったと違い、この作品は個人的にちょっとした思い入れもあって私は好きです。好き……なだけにもっと庶民らしく知恵を絞るような展開を入れておけば良かったと今になって思います。これじゃセレブ学校に通ってる意味ないじゃん! と突っ込まれたのも今ではいい思い出……。
二次創作と違い、オリジナルは本当に力を使います。手探りから初め、必要な資料を自分で集めて(この作品はそんなに資料集めしてませんが)展開を纏めて……時には夜遅くまで執筆したり……まぁ書いているときは結構楽しかったですが書き終わると軽い燃え尽き症候群になったりします。本当は燃え尽きたくないのになんででしょうね?
もうオリジナル小説を書く機会はないと思われますが基本、気分屋なのでどうなるか分かりません。
でわでわ~。