昔のことですものね、と笑ったあなたへ ~売られた喧嘩は高値で買わせていただきます~
「この監査官を外してください」
王都監査局から派遣された監査官を前に、伯爵夫人キリエはそう言った。
応接室の空気が止まる。
監査主任のグレンが帳簿から顔を上げた。
「理由を伺っても?」
「この方とは昔、同じ学舎に通っておりましたの」
キリエは向かいに座る女を見る。
リーナ。
王都監査局に勤めて二十二年になる監査官である。
「それが何か?」
「その……昔から少々、問題のある方でしたので」
「問題とは?」
キリエは言いにくそうに口元へ手を添えた。
「嘘をついたり、人の物を盗んだり、他の生徒に悪いことをさせたり」
リーナの眉がわずかに動く。
グレンが彼女を見る。
「事実か?」
「さて」
「覚えていないのか?」
「三十四年前ですよ」
正確には、思い出すこともなくなっていた。
学舎を出てから一度も故郷へ戻っていない。
昔の同級生がどこで何をしているのかも知らない。
目の前の伯爵夫人も、名乗られてようやくキリエだと思い出したくらいだ。
「もちろん、子供の頃の話ですわ」
キリエが笑う。
「昔のことですものね」
「なるほど」
グレンが頷いた。
「では、監査官の適格性に関わる告発として記録する」
キリエの笑顔が固まった。
「……え?」
「虚言、窃盗、他者への犯罪教唆。事実なら監査官として看過できない」
「いえ、そこまでしていただかなくても」
「なぜ?」
「ですから、昔の――」
「その昔の話を、現在の監査から外す理由としてあなたが持ち出したのでしょう?」
「それは……」
「なら確認が必要だ」
グレンは書記官へ指示を出した。
リーナは黙ってその様子を見ていた。
最初は、本当にどうでもよかった。
ところが。
虚言。
窃盗。
犯罪教唆。
並べられた言葉を聞いているうちに、頭の奥へ押し込んでいたものが少しずつ浮かび上がってきた。
ああ。
そういえば。
あった。
あれも。
これも。
忘れていた顔まで次々と蘇る。
キリエ。
ロミア。
エミリス。
ユミナ。
いつも四人でいた。
リーナはゆっくり息を吐いた。
「グレン主任」
「何だ」
「私も調査に協力した方がいいですよね?」
「当然だ。お前自身の信用に関わる」
「分かりました」
即答した。
グレンが怪訝そうに見る。
「急にやる気になったな」
「売られた喧嘩ですから」
「買うのか?」
リーナはキリエを見た。
にっこり笑う。
「高値で」
◇
始まりは、七歳だった。
リーナはその春、北部の小さな町へ移り住んだ。
町の子供たちは、ほとんどが幼い頃からの顔見知りだった。
家同士の付き合いもある。
親同士どころか、祖父母の代から知り合いという家も珍しくない。
そこへ一人だけ、知らない子供が入った。
最初の魔力測定。
リーナが水晶へ触れると、青い光の中に細い銀色が走った。
「二つある」
そう言った。
担任教師は否定した。
「一つです」
「でも、銀色のもあるよ」
「ありません」
「あるよ」
「嘘をついてはいけません」
教室中の子供が聞いていた。
数日後。
別の教師が測定器を調べた。
『主属性・水。副属性・光』
リーナの言ったことは正しかった。
だが、担任は教室で訂正しなかった。
謝罪もしなかった。
だから残った。
――転入してきた子は、初日から嘘をついて教師に叱られた。
それが最初だった。
◇
三十四年後。
古い記録を読んでいたリーナは、眉間を揉んだ。
「仕事が雑」
グレンが顔を上げる。
「そこか?」
「そこですよ」
机には、当時の記録が並んでいる。
『虚偽発言。自身の魔力属性について事実と異なる主張』
その三日後。
『測定器再検査。対象児童、水・光属性と確定』
「私の言った通りじゃないですか」
「そうだな」
「なのに最初の記録を訂正してない」
「そうだな」
「仕事が雑」
「二度言ったな」
リーナは紙を一枚取り出した。
さらさらと文字を書く。
グレンが覗き込む。
『一件目――虚偽の問題児認定』
「何だ、それは」
「値札です」
「何の?」
「喧嘩の」
「……」
「まだ一件目です」
「まだやるのか?」
リーナは次の記録を取った。
「当然でしょう?」
◇
二件目。
教師の管理していた授業用魔石がなくなった。
なぜかリーナが疑われた。
翌日、魔石は教材倉庫から発見された。
別の教師が移動させていたのだ。
リーナへの謝罪なし。
訂正なし。
記録には、
『窃取を疑う』
その言葉だけが残った。
リーナは紙へ書き足す。
『二件目――根拠なき窃盗疑惑。訂正なし』
「お高くなりました」
「誰に請求する気だ」
「教師はもう亡くなっているんでしょう?」
「ああ」
「残念」
「本気で残念そうに言うな」
「本人には請求できませんからね」
リーナは二件の記録を並べた。
「でも、これで分かりました」
「何が?」
「私が何かしたから疑われるようになったんじゃない」
最初の記録を指差す。
「最初に教師が私を嘘つきにした」
次。
「そのあと、盗みを疑っていい子にした」
グレンも記録へ目を落とした。
「周りの子供は、それを見ていた」
「ええ」
リーナは三枚目を取る。
「そして、利用する子が出てきた」
◇
三件目。
立入禁止の温室から、希少な薬草が摘み取られた。
侵入したのは四人。
キリエ。
ロミア。
エミリス。
ユミナ。
捕まると、四人は揃って言った。
『リーナに命令された』
教師は信じた。
「四人が同じことを言っている」
それが理由だった。
三十四年後。
リーナは調書を眺めた。
「この四人、親戚ですよね」
「ああ」
「普段から一緒に行動」
「ああ」
「四人の証言内容がほぼ同じ」
「そうだな」
「私が温室付近にいた記録は?」
「ない」
「薬草を欲しがっていた証言は?」
「ない」
「四人へ何か渡した記録は?」
「ない」
「これで首謀者?」
「当時は、そう判断されたらしい」
リーナは値札へ書き込んだ。
『三件目――集団虚偽証言』
少し考える。
さらに一行。
『四名様共同購入』
「何だそれは」
「喧嘩を」
グレンが額を押さえた。
◇
四件目。
祭礼で使う魔道灯が壊された。
目撃者はいない。
しかしエミリスが言った。
『リーナが近くにいた』
それだけでリーナが疑われた。
現在。
事情聴取を受けたエミリスは、最初こそ記憶がないと言い張った。
「昔のことなので覚えておりません」
だが、当時の記録を見せられると顔色を変えた。
「私は、壊したとは言ってません!」
「では、なぜリーナ監査官の名前を?」
「キリエが……」
調査官のペンが止まる。
「キリエ夫人が?」
「リーナを見たと言えばいいって」
その証言が監査局へ届いた。
リーナは値札へ追記した。
『四件目――虚偽証言』
さらに小さく、
『キリエ一件追加』
グレンが見た。
「増やすな」
「本人から追加注文が入りましたので」
「入ってない」
◇
五件目。
学舎対抗競技会。
二人一組で行う魔導競技の前日、リーナの相方の魔法杖に細工がされた。
疑われたのはリーナ。
理由。
『以前から問題行動が多いため』
三十四年後。
グレンが記録を読んで首を傾げた。
「これ、お前が細工したらどうなる?」
「私も出場できません」
「動機は?」
「知りません」
「相方と仲が悪かった?」
「普通です」
「代わりの相方は?」
「いません」
「……何のために壊すんだ?」
「三十四年前の私も聞きました」
「答えは?」
「ありませんでした」
リーナは書いた。
『五件目――動機なし。証拠なし。過去の評判のみで犯人扱い』
その下に、
『競技会出場機会損失』
さらに、
『高額』
「値段が上がったな」
「大会、楽しみにしてたんですよ」
「そうか」
「これは高いです」
「誰に請求するんだ」
「これから決めます」
◇
そこからも、似たような記録がいくつか見つかった。
証拠のない規則違反。
誰かの証言だけで追加された問題行動。
当時の状況を確認すると、そもそもリーナには不可能だったものまである。
確認が済んだものだけで七件。
まだ終わりではなかった。
◇
調査が進むにつれ、四人は落ち着きを失った。
最初に崩れたのはロミアだった。
現在は王都の大商会で、新人教育を統括している。
「私はキリエに言われただけです!」
事情聴取の席で声を上げた。
「何を?」
「何かあったらリーナのせいにすればいいって!」
「なぜ、それで通ると?」
「先生が信じるから!」
調査官が書き留める。
「つまり、リーナ監査官が教師から疑われていることを利用した?」
ロミアは黙った。
数日後。
彼女は新人教育部門から外された。
解雇ではない。
だが、人を指導する立場として適切なのかと商会内部で問題になった。
報告を読んだリーナは、
「ふむ」
と頷いた。
値札に書く。
『ロミア――教育職から配置転換』
「満足そうだな」
「まだです」
◇
次はエミリス。
母校の保護者会役員だった。
「私は見ていただけです!」
「複数の事件で証言していますが」
「みんなが言っていたから!」
「見ていないことを?」
「子供だったんです!」
エミリスは最後まで、自分は主犯ではないと言い続けた。
主犯ではない。
それは事実だった。
だからといって、虚偽の証言が消えるわけではない。
彼女は保護者会役員を辞任した。
リーナは書く。
『エミリス――役員辞任』
「二人目」
グレンが言った。
「はい」
「嬉しいか?」
「少し」
「素直だな」
「嫌いな人が自業自得で困ってるんですよ?」
「……まあ」
「ちょっとくらい嬉しいでしょう?」
「否定はしない」
◇
ユミナには、婚約を控えた娘がいた。
監査局から婚約先へ連絡することはなかった。
娘には関係がない。
だが、狭い社交界である。
話を聞いた娘が、母へ尋ねた。
「お母様、本当にやったの?」
「昔のことよ」
「でも、やったの?」
「子供だったの!」
「子供なら、してもいいの?」
ユミナは答えられなかった。
「私はキリエに逆らえなかっただけ」
「じゃあ、お母様もいじめられてたの?」
「違うわ!」
「だったら、どうして?」
答えはなかった。
娘の婚約はそのまま進んだ。
それを聞いたリーナは少し安心した。
「子供には関係ありませんからね」
「そこは気にするんだな」
「当たり前でしょう」
続く報告を読む。
ユミナと娘の関係は、以前とは変わった。
娘から向けられていた尊敬は失われたという。
リーナは値札へ書いた。
『ユミナ――娘からの信用失墜』
少し考える。
「これは効きそう」
「楽しむな」
「高値で買うと言ったでしょう?」
◇
三人は、それぞれキリエへ手紙を送った。
『あなたが始めたことでしょう』
『私はあなたに言われただけです』
『どうして私たちだけが責任を取るの』
キリエも黙ってはいなかった。
『あなたが一番楽しんでいたでしょう』
『見ていただけ? 一緒に笑っていたでしょう』
『リーナを一番嫌っていたのはあなたでしょう』
三十四年続いた四人の関係は、一月で崩れた。
そして三人は追加証言を始めた。
「キリエが、リーナなら大丈夫だと言った」
「先生が信じるからって」
「何かあったら、リーナの名前を出せばいいって」
報告を読んだリーナは、しばらく黙っていた。
グレンが尋ねる。
「どうした?」
「いえ」
紙を見る。
三十四年前は、何か起きるたび四人の指が自分へ向いた。
今は、そのうち三本がキリエへ向いている。
「因果応報って」
「ん?」
「あるんですね」
「楽しそうだな」
「とても」
◇
「一体いつまで調べるつもり!?」
キリエが監査局へ乗り込んできた。
リーナは書類から顔を上げる。
「確認が済んだものだけで七件です」
「七件!?」
「あなたが『昔から問題があった』と仰ったので」
「全部調べる気!?」
「ええ」
リーナはにっこり笑った。
「だって、私の信用に関わるのでしょう?」
キリエの顔が引きつった。
「昔のことよ!」
「知っています」
「子供だったのよ!」
「私も子供でしたね」
「……」
「同い年ですから」
キリエが言葉を失う。
「私だけが悪かったわけじゃない!」
「ええ。ロミアさんたちも色々お話しくださっています」
「あの卑怯者たち!」
「昔は仲がよかったのに」
「今は関係ないわ!」
「三十四年も仲良しだったんですよね?」
「だったら何よ!」
リーナは少し考えた。
「私は一人でしたけど」
キリエが黙る。
「今度は四人とも一人ですね」
「あなた……!」
「何です?」
「こんなことをして楽しいの!?」
「はい」
即答した。
キリエが目を見開く。
「そりゃ少しは」
リーナは肩をすくめた。
「三十四年前に散々やられた相手が、自分たちで責任を押しつけ合ってるんですよ?」
「復讐のつもり!?」
「まさか」
リーナは首を振る。
「先月まで、あなたがどこで何してるかも知りませんでした」
「だったら、どうして!」
「あなたが始めたからでしょう?」
「私が?」
「私の過去を持ち出したのは、あなたです」
キリエの口が閉じた。
「私、普段は思い出しもしなかったんですよ」
リーナは机の上の書類を指先で揃える。
「でも、思い出させてくださった」
一枚。
二枚。
三枚。
昔の記録を重ねる。
「それで見たら、あなたが墓穴を掘り始めていたので」
笑った。
「少しお手伝いしました」
「……!」
「売られた喧嘩ですもの」
リーナは最後の紙を置く。
「高値で買わないと失礼でしょう?」
◇
伯爵家の監査も終わった。
金貨二千四百枚の不明金。
犯人は家令だった。
キリエ本人の関与を示す証拠はなかった。
グレンが報告書を置く。
「キリエ夫人は不正に関与していない」
「そうですか」
「残念か?」
「ちょっと」
「おい」
「冗談ですよ」
半分くらいは。
「証拠がないなら仕方ありません」
「仕方ないって言うな。最初からそれが仕事だ」
「分かってます」
リーナは報告書へ目を落とした。
昔の自分にはなかったもの。
証拠。
記録。
確認。
今は、それで判断される。
なら、それでいい。
キリエが嫌いだからといって、やっていないことまで彼女の罪にするつもりはない。
そんなことをしたら、三十四年前の連中と同じになる。
そこまで落ちる気はなかった。
◇
最後に、古い学籍簿が訂正された。
『虚偽発言』
その横に、
『事実誤認。本人の申告内容は正しかったことを確認』
『教材窃取の疑い』
『本人の関与を示す事実なし』
その後の記録にも、一つずつ追記された。
証拠なし。
根拠不明。
証言不一致。
本人の利益と矛盾。
断定不能。
そして最後。
『当該人物を問題児童とした初期評価そのものに重大な事実誤認があり、その評価が後年の複数の誤認に影響した可能性が高い』
リーナは署名した。
「これで終わりだ」
グレンが言った。
「もう一つあります」
「何だ?」
「キリエさんたちの最終報告」
「読むのか?」
「もちろん」
即答した。
三十四年間、こちらは散々な目に遭ったのだ。
自分から探し出して復讐しようとは思わなかった。
そんなことに使う時間が惜しい。
けれど、向こうから喧嘩を売ってきて、自分で墓穴を掘り、勝手に転がり落ちた。
それを見ないほど出来た人間でもない。
最初の紙。
ロミア。
新人教育部門から配置転換。
「ふむ」
次。
エミリス。
保護者会役員辞任。
「ほう」
ユミナ。
娘の婚約には影響なし。
親子関係は悪化。
「子供は関係ないから、そこはよし」
そして最後。
キリエ。
三人との交流は完全に途絶えた。
夫からも、監査中に無関係な監査官の過去を持ち出し、伯爵家の信用を余計に損なったとして厳しく叱責された。
社交界でも噂が広まり、以前のように振る舞うことは難しくなっている。
三十四年間続いた四人の関係。
一月で終了。
「……ふふ」
グレンが顔を上げた。
「何だ?」
「いえ」
「笑っただろ」
「笑ってません」
「笑ってた」
リーナは報告書を閉じた。
胸の奥が、すっとした。
許したわけではない。
思い出せば、今でも腹は立つ。
だからといって、彼女たちを人生の中心に置く気もない。
ただ、昔は自分へ向けられていた指を、今度は互いへ向けている。
自分たちで昔の嘘を暴き、自分たちで三十四年の関係を壊した。
その結末を見て思うくらいはいいだろう。
「思い知ったか」
「聞こえたぞ」
「聞かせました」
グレンが吹き出した。
リーナは立ち上がる。
「さて」
「どこへ行く」
「仕事です」
「切り替え早いな」
「もう終わりましたから」
三十四年前。
七歳の少女は水晶を見て、二つ光っていると言った。
教師はそれを嘘だと決めつけた。
子供たちはその姿を見て、キリエはそこにつけ込んだ。取り巻きが続き、やがて周囲まで、何か起きればリーナを疑うことに慣れていった。
そして三十四年後。
その過去を掘り返したのは、キリエ自身だった。
リーナは普段、思い出しもしなかった。
けれど思い出させられた。
墓穴まで掘り始めてくれた。
なら。
少しくらい手伝っても罰は当たらない。
三十四年前に安く売った喧嘩は。
ずいぶん高くついたらしい。




