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朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──  作者: Song1
朝凪高校・恋路工作室 ──最後の翻訳──
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第48話 朝凪の海

第48話 朝凪の海


三月。卒業式の朝 ではなく。朝凪を発つ朝。


三月三十一日。 明日から四月。東京 の大学 が始まる。


今日 が。朝凪 で過ごす最後 の日 だった。


荷物 は昨日 までに東京 のアパート に送った。段ボール が五箱。服。教科書。 そしてノート。十二月 と二月 に書いた 二冊 の本文。ぐちゃぐちゃの原文。 捨てなかった。東京 に持っていく。


朝 起きた。自室。 この部屋 で目覚める のは。今日 が最後 だ。次 に帰ってくるのは 夏休み か。年末 か。


天井 を見た。 見慣れた天井。子供 のころから。十八年間 見てきた天井。


起き上がった。着替えた。顔 を洗った。歯 を磨いた。


朝食。 母親 が作った。味噌汁 と白米 と焼き魚。いつも 通り の。


「今日 で最後 ね。朝凪 は」


母親 が言った。


「しばらく な。 夏 には帰る」


「夏 ね。 彩音ちゃん も東京 なんでしょう」


「ああ。 同じ東京 だ」


「よかった ね」


「……ああ」


母親 は。彩音 のことを知っている。先週 紹介 した。家 に来てもらって。 彩音 は緊張 していた。丁寧語 が。いつもの三倍 くらい丁寧 だった。母親 は笑っていた。「礼儀正しい子 ね」 と。


「東京 で。二人 とも。頑張りなさい」


「頑張る」


朝食 を食べ終えた。 食器 を洗った。自分 の分 だけ。 明日 からは。自分 で全部 やる。一人暮らし だから。


十時。 家 を出た。


朝凪 の街 を歩く。 最後 の散歩。



堤防沿い の道。


三月 の海。 穏やかだった。波 が低い。風 が柔らかい。 春 の海。朝凪 の名前 の通り の。凪。


桜 が満開 だった。堤防 の横 の。一本 だけ ある桜 が。花びら を風 に散らしている。


一年前 四月 に。この道 を歩いて。朝凪高校 に初めて行った。 転入初日。教室 で自己紹介 をして。放課後 に怪文書 のような貼り紙 を見て。旧部室棟 に行って。 工作室 に出会った。


一年 が経った。


工作室 で。翻訳者 になった。参謀 になった。崩壊 して。立ち直った。団長 になった。 恋 をした。依頼者 の恋 を何十 も翻訳 した。凛花 に出会った。蒼 に出会った。陽太 と友達 になった。久我先生 と手 を握った。玲奈先輩 に「好きにやれ」 と言われた。


そして 彩音 に出会った。


全部 この道 の先 にあった。


「一年 か」


声 に出して 呟いた。堤防 の上 で。 何度 ここ で独白 しただろう。数えきれない。堤防 は俺 の告白練習場 だった。「彩音が好きだ」 と十六回 叫んだ 場所。


今 は。叫ぶ必要 がない。もう 彩音 に伝えた。伝わった。 付き合っている。三分半咲き の恋 が。今日 で 五分 くらいに。なっている かもしれない。


堤防 を離れた。 学校 に向かった。



朝凪高校。 正門。


開いている。 春休み だが。新学期 の準備 で。教職員 と。新年度 の部活 の準備 をする生徒 がいる。


校庭 に入った。 桜 が満開。正門 の桜 も。校庭 の桜 も。 ピンク の天蓋 が。空 を覆っている。


三上 が告白 した桜 の下 を通った。右側 の桜。 花びら が舞っている。三上 はあの日 ここで「好きだった」 と言った。相手 は「ありがとう。嬉しい」 と答えた。 あの場所。


安藤 が告白 した植樹コーナー の横 も通った。十二月 に穴 だけだった場所 に。今 は若い木 が植えられている。三月 の植樹式 で。今年 の卒業生 が植えた。 まだ小さい。葉 も少ない。 だが根 は張っている。


旧部室棟 に入った。 暗い廊下。蛍光灯 は消えている。 だが窓 からの春 の光 が。廊下 を照らしている。三月 の光 は。十二月 の光 よりずっと 明るい。


工作室 のドア の前 に来た。


プレート。


「恋路工作室」

「運営責任者・柊凛花」

「データ分析・星野蒼」

「創設者・桐生玲奈」


四行。 俺 の名前 はない。 だが。この四行 の間 に。俺 の時間 がある。見えなくても。


ノック した。 反応 がない。 鍵 がかかっている。凛花 はまだ来ていない か。


ドア に手 を触れた。 冷たい金属 のドアノブ。何百回 も回した ドアノブ。


「……ありがとう」


声 に出した。ドア に。 誰 にも聞こえない。


ドア の向こう に。六畳 の部屋 がある。パイプ椅子 が四脚。スチールデスク。ホワイトボード は白い。窓 から海 が見える。 全部 そのまま。


中 には入れない。鍵 はもう凛花 のもの だ。 だが中 に入らなくても。ドア の前 に立つだけで。全て が蘇る。


河合 の「推しと恋の違い が分からない」。

長谷 の「応援 できない自分 が嫌だ」。

小林 の「画面 の向こう の恋 が本物 かどうか」。

北村 の「叶えちゃいけない 恋なんて あるんですか」。

中野 の「幼馴染 のままでいたい でもいたくない」。

原田 の「別れたい でも彼氏 が壊れそう」。

安藤 の「遠距離 でも始めたい。お前 と」。

三上 の「好きだった。三年間 ずっと」。


全員 の声 が。ドア の向こう に残っている。ホワイトボード は消したが。声 は消えていない。 工作室 の壁 が。覚えている。


そして 園田 の声 も。


「設計図 を返しに来ました」。


園田 が。副作用 から回復 して。工作室 に来て。 設計図 を返した。自分 の足 で歩けるようになった から。 あの日 が。工作室 の転換点 だった。


凛花 がver.3 にアフターケア のルール を加えた。園田 の件 から。 園田 の痛み が。工作室 を更新 した。痛み にも意味 がある。更新 できる。


「忘れなくていい。 全部 本物 だった」


声 に出した。ドア の前 で。


ドア から手 を離した。


「恒一先輩 ?」


声 が。後ろ から。


振り返った。 凛花 と蒼 が。廊下 の向こう に立っていた。


「凛花。蒼。 来てたのか」


「新学期 の準備 で。四月 の始業式 までに。工作室 の掃除 と。新入生勧誘 のポスター を作ろう って」


「ポスター 」


「はい。 蒼くん がデザイン してくれました」


蒼 がPCバッグ から。A3 の紙 を取り出した。 カラー印刷。


「恋の悩み 聞きます。 恋路工作室」


シンプル。 去年 と同じ文面。 だがデザイン が新しい。蒼 が作った。青 と白 のグラデーション。海 をイメージ した。朝凪 の。


「いいポスター だ」


「ありがとう ございます。 でも先輩 今日 は 」


「見に来た。 最後 に。工作室 を」


「最後 ですか」


「明日 東京 に行く。 しばらく 朝凪 には戻らない」


凛花 の目 が。少し 曇った。


「先輩 。 中 入りますか。 鍵 開けます」


「……いいのか」


「先輩 ですから。 いつでも」


凛花 が鍵 を出した。 開けた。ドア が開いた。


六畳。 パイプ椅子 四脚。スチールデスク。ホワイトボード は白い。窓 から海 が見える。 何 も変わっていない。


だが 空気 が少し 違った。凛花 のノート がデスク の上 に。五冊。 蒼 のPCスタンド が角 に。 二人 の工作室 になりかけている。


窓際 に行った。 海 を見た。三月 の海。朝凪 の海。 穏やかで。青くて。広い。


「この海 を。一年間 見てた んだな」


「はい。 先輩 がいつも 窓際 で見ていた海 です」


「いい海 だった。 朝凪 の海 は」


「これからも いい海 ですよ。 先輩 がいなくても」


「ああ。 海 は変わらない。 不変定数 だ」


「メロンパン みたいに」


「メロンパン みたいに は。少し違う 気がするが」


「陽太先輩 なら言います よ」


笑った。


蒼 が言った。


「先輩。 一つ。データ で」


「最後 のデータ か」


「最後 です。 先輩 が工作室 にいた期間 のデータ を。出しました」


「出した のか」


「出しました。 在籍期間 約一年。依頼者総数 十五名以上。完了率 百パーセント。 未完了 はゼロ です。全依頼 完了」


「全 完了 か」


「はい。 グレーの着地 も含めて。全件 着地 しました。 工作室 の歴史 上。完了率 百パーセント は。先輩 だけ です」


「百パーセント ね。 完全救済 はゼロパーセント だけど」


「完全救済 はゼロ で正しい です。 工作室 の哲学 ですから。 百パーセント完了 でゼロパーセント完全救済。 矛盾 ですが」


「矛盾 だな。 いい数字 だ」


「いい数字 です。 先輩 の数字 です」


蒼 の口角 が七ミリ。 最後 のデータ報告。


「先輩。 東京 でも。元気 でいてください」


「元気 でいる。 お前 も。凛花 も」


「はい。 工作室 は僕たち で回します。 データ で。言葉 で。 ver.3 で」


「ver.3 で。 いいバージョン だ」


蒼 が頷いた。 七ミリ のまま。


凛花 が。ノート を抱えた。五冊 の。


「先輩。 これ 見てください」


「ノート ?」


「五冊目 の。最後 のページ 」


凛花 が五冊目 を開いた。最後 のページ。 記録 がある。


「『高瀬恒一。三代目団長。翻訳者。 在籍期間:二年目四月〜三年目三月。 依頼者への感謝率:百パーセント(全依頼者が「ありがとう」と言った)。 恋路:瀬川彩音。翻訳不能。 判定:本物』」


判定 本物。


凛花 が。俺 の恋 を。記録 していた。五冊目 の最後 のページ に。


「凛花 」


「記録者 ですから。 先輩 の全て を。記録 しました。 工作室 の歴史 として」


「全て 」


「はい。 翻訳 も。失敗 も。恋 も。 全部。五冊 に」


五冊。 凛花 の五冊 のノート に。俺 の一年 が。全て 記録 されている。


「ありがとう 凛花。 五冊 のノート は。俺 より正確 に。俺 を記録 している」


「正確 かどうか は。分かりません。 でも。嘘 はない です。一行 も」


「嘘 がない か。 翻訳者 より正直 だな。記録者 は」


「翻訳者 は嘘 が下手 ですけど。記録者 は嘘 をつかない んです」


「嘘 をつかない 」


「はい。 事実 を。そのまま。 事実 の確認 です」


事実 の確認。 彩音 の口癖 が。凛花 にも移っている。 工作室 全体 に。


「じゃあ 行くよ。 凛花。蒼」


「はい。 先輩。 いってらっしゃい」


いってらっしゃい。 「さようなら」 ではなく。「いってらっしゃい」。 帰ってくる 前提 の。


「いってきます。 また 来る。 夏 か。年末 か」


「来てください。 いつでも。 ノック してくれれば。開けます」


「ノック か。 去年 は鍵 を持っていた のに。 今 はノック する側 か」


「ノック する側 でも。 中 に入れます。 先輩 は。いつでも」


工作室 を出た。 ドア を閉めた。プレート を見た。 もう一度。


「恋路工作室」。


手 を触れた。 冷たい金属。 離した。


廊下 を歩いた。 旧部室棟 を出た。校庭 に出た。


桜 が舞っている。 風 が吹いて。花びら が。空 を渡っていく。


正門 に向かった。 歩きながら 振り返った。


校舎。 本校舎 の。三階。四階。 屋上 は見えない。 だが屋上 はある。あの場所 で。彩音 と毎日 座って。サンドイッチ の話 をした。


旧部室棟 の。二階 の。窓 が開いた。


凛花 が。窓 から顔 を出した。 手 を振っている。


小さな手。 五冊 のノート を書いた手。バッジ を受け取った手。 その手 が。振られている。


蒼 も。凛花 の横 に。 手 は振っていない。 だが口角 が七ミリ のまま。 窓 の向こう に立っている。


俺 も。手 を振った。 正門 の前 から。 小さく。


凛花 が。何か 叫んだ。 距離 があって。聞こえない。 だが口 の動き で。読める。


「先輩 !  いってらっしゃい !」


いってらっしゃい。 凛花 の声 が。春 の風 に乗って。


手 を下ろした。 振り返った。 前 を向いた。


正門 を出た。



堤防 の分かれ道。


彩音 が待っていた。


白 のブラウス。 三月 の光 の中 で。髪 が風 に揺れている。 待っている。俺 を。


「恒一くん」


「彩音」


「学校 行ってきた んですね」


「ああ。 最後 に。工作室 を見てきた」


「どうでした ?」


「何 も変わっていなかった。 六畳 で。パイプ椅子 で。海 が見えて。 何 も。でも全部 が違って見えた」


「全部 が違う ?」


「自分 が変わった から。 同じ場所 でも。見える景色 が違う」


「反対側 からの海 みたいに ですか」


「ああ。 あのとき お前 が言った。同じ海 でも角度 が違えば 見えるものが違う って」


「覚えて くれてるんですね」


「翻訳者 の記憶力 は。引退 しても消えない」


「翻訳者 引退 したんですか」


「引退 した。 今 はただの 高瀬恒一 だ」


「ただの 」


「ただの お前 の彼氏」


「……まだ恥ずかしい です。それ」


「慣れろ」


「慣れ ます。 たぶん」


堤防 に並んで 座った。最後 の。この堤防 に座る のは。 今日 が最後 かもしれない。夏 に帰ってきたら また座る だろう。だが 「いつもの場所」 としてはここ に座る のは。今日 が最後。


明日 から東京 だ。二人 とも。


「進路 同じ方向 だな」


「同じ方向 ですね。 東京」


「偶然 だな」


「偶然 ですかね」


「偶然 じゃないのか」


「偶然 かもしれないし。 偶然 じゃないかもしれない。 翻訳 しないでください」


「しない。 翻訳 は引退 した」


「引退 してください。 ずっと」


「ずっと は 」


「ずっと です。 翻訳不能 のまま。 ずっと」


翻訳不能 のまま。ずっと。 屋上 で交わした約束 と同じ。


海 を見た。 二人 で。朝凪 の海。 穏やかで。青くて。広い。 波 が低い。風 が柔らかい。


「彩音」


「はい」


「朝凪 を出る の。 寂しいか」


「寂しい です。少し。 でも 嬉しい も。ある」


「嬉しい 」


「はい。 新しい場所 で。新しいこと を。 怖い けど。嬉しい」


「怖いまま 動く か」


「工作室 の哲学 ですから。 もう身 に染みてます」


「身 に染みた か」


「はい。 不完全 でも。前 に進む。 それが 工作室 で学んだこと の。一番 大事 なこと」


不完全 でも前 に進む。 工作室 の哲学 が。彩音 の中 にも。


「恒一くん」


「何だ」


「東京 で。 これからも。よろしく」


「これからも 」


「はい。 朝凪 では。屋上 と堤防 で。 東京 では。 どこ になるか分かりませんけど。 新しい『いつもの場所』 を。見つけましょう」


新しいいつもの場所。 屋上 と堤防 の代わり に。東京 の どこか に。


「見つける。 場所 を作る のは。 翻訳者 の いや。高瀬恒一 の 得意技 だ」


「得意 ですよね。 場 を作る のは」


「作る。 お前 と。 二人 の場所 を」


「はい」


彩音 の手 が。俺 の手 に触れた。 温かかった。 三月 の。春 の。


「恒一くん。 あと。一つ 」


「何だ」


「大学 でピアサポート 始めたら。困ったこと あるかもしれない。 そのとき は。相談 してもいいですか」


「相談 ?」


「はい。 元翻訳者 に。 感情 の翻訳 は引退 しても。 人 の話 を聞くのは。得意 でしょう」


「得意 だな。 翻訳 はしないけど。聞くだけ なら」


「聞くだけ で十分 です。 翻訳 しないで隣 にいてくれる ほうが。 ずっと 」


「ずっと ?」


「嬉しい です」


翻訳 しないで隣 にいる。 俺 と彩音 の。最初 からの。約束。


「いつでも 聞く。 翻訳者 は引退 したけど。隣 にいるのは。 引退 しない」


「引退 しないで ください。 ずっと」


「ずっと」


手 を握り返した。 彩音 の手 を。 温かい。


堤防 の上 で。海 を見ている。 最後 の。朝凪 の海 を。


明日 ここを離れる。電車 に乗って。東京 に行く。 新しい生活 が始まる。


だが 朝凪 は消えない。工作室 は消えない。堤防 は消えない。海 は消えない。 見えなくても ある。


「行くか」


「はい。 行きましょう」


立ち上がった。 手 を繋いだまま。


堤防 を降りた。 分かれ道。左 と右 に。


「今日 は」


「今日 は。同じ方向 に」


「ああ。 明日 からも。 同じ方向 に」


「はい。 同じ方向 に」


歩き始めた。 二人 で。 朝凪 の道 を。海 を背 にして。 前 を向いて。


桜 が舞っている。 満開 の。ピンク の花びら が。風 に乗って。二人 の上 を通過 していく。


俺 は。翻訳者 だった。恋路工作室 の。三代目 の。


彩音 は。批判者 だった。分析者 だった。 そして仲間 になった。壁 を脱いだ。恋 を始めた。


二人 とも。不完全 だ。翻訳不能 の恋 を。手探り で歩いている。 五分咲き の恋。 満開 には遠い。


でも 歩いている。同じ方向 に。


「恒一くん」


「何だ」


「朝凪 ありがとう って。言っていいですか」


「朝凪 に?」


「はい。 この町 に来てよかった。 工作室 に出会えて。凛花さん と蒼くん と陽太先輩 に出会えて。 恒一くん に出会えて。 全部 朝凪 のおかげ です」


「俺 もだ。 朝凪 に来てよかった。 全部 ここで始まった」


「全部 ここで」


「ああ。 翻訳者 も。恋 も。 全部」


「翻訳者 は引退 しましたけどね」


「引退 した。 でも翻訳者 だった事実 は消えない」


「消えない ですね。 痕跡 が残ってる」


「残ってる。 癖 が」


「いい癖 ですよ」


「いい のか」


「はい。 好き です。 翻訳者 の癖 が残っている。高瀬恒一 が」


「……お前 それ 何回 言うんだ」


「何回 でも。 事実 の確認 ですから」


事実 の確認。 何度 でも。


笑った。 二人 で。朝凪 の道 を歩きながら。


桜 が舞っている。海 が光っている。 三月 の。最後 の日 が。暮れていく。


明日 四月 が来る。東京 で。新しい章 が始まる。


だが 今日 は。まだ 朝凪 にいる。


この道 を歩いている。 彩音 と。手 を繋いで。 桜 の下 を。


「いい町 だった な。朝凪」


「いい町 でした。 でも」


「でも ?」


「過去形 じゃないです。 いい町 です。 今 も。これから も」


「過去形 じゃない か」


「はい。 朝凪 は ここにある。私たち が離れても。 海 はここにある。堤防 はここにある。工作室 はここにある。 凛花さん がいる。蒼くん がいる」


「いる な。 全部」


「全部 あります。 見えなくても」


見えなくても ある。


俺 が何度 も言った言葉 を。彩音 が返してくれた。


海 が。夕日 に染まり始めていた。三月 の夕日。 オレンジ と紫 の。グラデーション。 朝凪 の空 が。一年 で一番 美しい色 に。


「きれい だな」


「きれい です」


「明日 東京 で見る空 は。これとは 違うだろうな」


「違う でしょうね。 ビル が多くて。海 が見えなくて」


「海 が見えなくても 」


「海 はある。 どこかに。 見えなくても」


「ああ。 見えなくても ある」


手 を繋いで。夕日 の下 を歩いた。 朝凪 の最後 の夕暮れ を。


明日 から 新しい町 で。新しい日々 が始まる。


工作室 は凛花 に渡した。翻訳者 は引退 した。団長 は卒業 した。


残っている のは。


高瀬恒一。 ただの。十八歳 の。彩音 が好き な。男。


それで 十分 だ。


夕日 が沈んでいく。海 が暗くなっていく。 星 が。東 の空 に。一つ。


「あ 星」


「星 ですね。 一番星」


「一番星 か。 去年 の十二月 堤防 で。星 を見ながら。『そろそろ動く』 って呟いた」


「そうだったんですか」


「ああ。 あの星 と同じ星 かは分からないけど。 星 を見ると。あの夜 を思い出す」


「どんな夜 でしたか」


「安藤 の告白 を見た後 の夜。 堤防 で。『始めないまま終わるのが一番怖い』 って。 そろそろ動く って。 あの夜 から。全部 が動き始めた」


「動き 始めた 」


「ああ。 遅かった けど。 一年 かかった けど。 動いた」


「動きました ね。 ちゃんと」


「ちゃんと か」


「はい。 不完全 に。ぐちゃぐちゃ に。翻訳不能 に。 でもちゃんと」


ちゃんと 動いた。 不完全 に。 でもちゃんと。


「彩音。 明日から よろしく。 東京 で」


「はい。 よろしくお願い します」


「敬語 」


「 よろしく。 恒一くん」


「よろしく。 彩音」


夕日 が沈んだ。星 が増えた。 朝凪 の空 に。冬 の星座 ではなく。春 の星座 が。昇り始めている。


季節 が変わった。 冬 から春 に。高校 から大学 に。翻訳者 からただの男 に。


全部 が変わる。 でも。手 を繋いでいる。この手 は変わらない。


「帰ろうか」


「帰りましょう」


朝凪 の道 を歩いた。 最後 の。 二人 で。


明日 また歩く。 東京 の道 を。 新しい道 を。


同じ方向 に。


ずっと。

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