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朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──  作者: Song1
朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──
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第6話 撤退線を引け

 第6話 撤退線を引け


 噂は消えた。代わりに、水谷は「可哀想な子」になった。 それは、彼女が望んだ結末じゃなかった。


 水谷が「可哀想な人って顔で見られるのも嫌」と言った翌日のことだ。


 火曜日の朝。俺は一年の廊下を通りかかった。水谷のクラスを遠くから観察するためだ。工作室のメンバーとしてではなく、ただの通りすがりとして。


 一年二組の教室の前で、三人の女子が水谷に声をかけていた。


「水谷、おはよー。元気?」

「ねえ、昨日ちゃんと寝れた?」

「なんかあったらいつでも言ってね」


 声のトーンは柔らかい。悪意はない。純粋な気遣いだ。 だが、水谷の表情を見た瞬間、俺は理解した。


 笑っていた。水谷は笑っていた。口角を上げて、「うん、大丈夫。ありがとう」と返していた。だが、その笑顔は 形だけだ。目が笑っていない。頬の筋肉は動いているが、目の奥が凍っている。あの表情を翻訳するなら 「これ以上優しくされると壊れる」だ。


 善意は断れない。「大丈夫?」と聞かれて「大丈夫じゃない」とは言えない。「辛かったね」と言われて「辛いのはお前のせいじゃない」とも言えない。善意を拒否すれば、今度は「心配してあげたのに」という新しい物語が始まる。


 水谷は善意の檻の中にいた。


「捨てられ女」というラベルは消えた。噂の上書きは成功した。だがその跡地に、「可哀想な子」というラベルが貼られている。前者は悪意だった。後者は善意だ。 だが、本人が選んでいないという点では同じだ。どちらも、水谷花音という人間の外側から貼りつけられたものだ。


 俺は廊下を通り過ぎた。水谷に声をかけることはしなかった。



 放課後。工作室。


「水谷の状況を見てきた」


 桐生先輩に報告した。凛花と陽太も揃っている。


「善意の同情が集中している。『大丈夫?』『辛かったね』。水谷は笑顔で応じているが、限界が近い」


「限界?」


 桐生先輩が聞いた。


「水谷が笑顔の下に溜めているもの。あれは 怒りだ。自分がどう見られるかを、他人に決められていることへの怒り。今はまだ笑顔で抑え込んでいるが、どこかで臨界点を超える」


「臨界点を超えたら、どうなる」


「暴走する。自分から何かアクションを起こす可能性がある。 たとえば、掲示板に自分で書き込むとか」


 桐生先輩は腕を組んだまま、しばらく黙っていた。


「高瀬。お前は水谷に介入したいか」


「......依頼は『噂の上書き』でした。それは完了しています。だが、上書きの副作用として『可哀想な子』ラベルが発生した。これは依頼の延長線上にある問題で 」


「質問を変える。お前は水谷を救いたいか」


 直球だった。俺は口をつぐんだ。


「救いたいなら、今から線引きの話をする。 工作室が水谷のためにできることと、できないことを、明確にする」


 桐生先輩はホワイトボードの前に立った。マーカーを手に取る。


「依頼②の現状を整理する。噂の上書き 成功。掲示板上の話題 沈静化。校内のリアル会話 水谷の名前はほぼ出なくなった。ここまでが工作室の成果だ」


 マーカーが横線を引いた。ホワイトボードの中央に、一本の線。


「ここから先 水谷に対する善意の同情、水谷本人の感情、水谷が今後取る行動。これは工作室の管轄外だ」


「管轄外......」


「工作室が介入できるのは、線のこちら側だけだ。噂の流れを設計すること。環境を整えること。 線の向こう側は、水谷の領域だ。水谷がどう感じ、どう行動するかは、水谷が決めることだ」


「でも、水谷が暴走したら 」


「暴走する前に止めることはできない。暴走した後に対応することしかできない」


 桐生先輩の声は静かだった。だが、揺るぎがなかった。この人は 前にも同じ状況に直面したことがある。そう直感した。撤退の判断に迷いがなさすぎる。


「この線に名前をつける」


 桐生先輩がホワイトボードの横線の下にマーカーを走らせた。


「撤退線」


 二文字。だがその二文字の重さは、ホワイトボードのインクの量とは釣り合わない。


「撤退線 依頼者の自律を侵害する一歩手前で止まる線。これを越えたら、俺たちは支援者じゃなくて支配者になる」


 俺は黙ってそれを聞いていた。正しい。正しいことは分かっている。だが


「桐生先輩」


 陽太が口を開いた。珍しく、ふざけた空気がゼロだった。


「撤退線って 結局、見捨てるってことですか」


「違う」


 桐生先輩は即答した。


「見捨てるのは、存在を忘れることだ。撤退は 距離を取ることだ。距離を取っても、見ている。水谷が助けを求めたら、もう一度応じる。 だが、求められていないのに踏み込むのは、支援ではない」


 陽太は押し黙った。反論はしなかった。だが、納得もしていない顔だった。


 凛花はノートにペンを走らせていた。表情は 読めなかった。いつもの平坦な顔だが、ペンの運びがほんのわずかだけ速い。何かを記録すると同時に、何かを考えている。



 その日の夜。


 俺はベッドの上でスマホの画面を眺めていた。匿名掲示板。水谷関連のスレッドはトップページからとっくに消えている。陽太のメロンパン大会のスレッドが上位に残っていて、「来月もやれ」「次はカレーパンで」と書き込みが続いている。平和な光景だ。


  だが、水谷のスレッド自体は削除されていない。下のほうにスクロールすれば、まだある。「一年の水谷が彼氏に捨てられた」。「捨てられ女」。あの文字列は、デジタルの海の底に沈んでいるだけで、消えてはいない。


 水谷がこれを見ていないことを、祈るしかなかった。


 翌日 水曜日。それは起きた。



 昼休みが終わる直前だった。


 凛花からメッセージが来た。


『高瀬先輩。緊急です。匿名掲示板に水谷さん本人が書き込みをしました』


 心臓が跳ねた。


『内容は?』


『スクリーンショットを送ります』


 画面に貼られた画像を見た。掲示板の書き込み。投稿者名は匿名だが、文面を見た瞬間に水谷だと分かった。


『別に振られてなんかないし。あれは円満に別れただけ。勝手なこと書かないでくれる? 捨てられたとか、まじでありえないんだけど。普通にムカつく。誰が書いたか分かってるから。』


  最悪だ。


 翻訳する。これは反論ではない。悲鳴だ。「振られてない」は嘘だ。水谷自身が工作室に「彼氏に振られた」と言っていた。「円満に別れた」も嘘だ。そして最後の「誰が書いたか分かってる」 これはブラフだ。分かっていない。分かっていたら掲示板ではなく直接言う。


 水谷は追い詰められて、嘘で噂を否定しようとしている。感情が臨界点を超えたのだ。「可哀想な子」扱いに耐えられなくなり、自分で物語を書き換えようとした。だが、その書き換えは嘘だ。嘘は バレる。


 すでにバレ始めていた。


 陽太からメッセージ。


『恒一、やべえ。水谷の書き込みのスクショ、もう回り始めてる。一年の女子のグループチャットから流れてきた。「水谷が嘘ついてる」って 事情知ってるやつが突っ込み入れてる』


 上書きした噂の上に、本人がさらに上書きした。しかもその上書きが嘘だ。もう制御できない。


 俺は教室を飛び出した。



 工作室のドアを開けた。桐生先輩がすでにいた。


「知っている」


 桐生先輩は座ったまま言った。腕を組んでいる。


「水谷が掲示板に書き込んだ。嘘で噂を否定しようとした。 スクショが拡散し始めている」


「対応は 」


「しない」


 俺は足を止めた。


「しない、って......」


「これ以上は介入しない。撤退する」


「水谷がパニックを起こしているんです。自分で掲示板に書き込んだ結果、事態が悪化している。今介入しなかったら 」


「介入してどうする」


 桐生先輩の声は平坦だった。だが、目は 鋭かった。


「水谷の書き込みを否定するのか? 『やっぱり振られたんだ』と本人に認めさせるのか? それとも、水谷の嘘に合わせて『円満に別れたんだ』と噂を再上書きするのか」


「......それは」


「どっちをやっても、工作室が水谷の物語を書くことになる。水谷が自分で書いた嘘を、工作室が上から修正する。 それは設計じゃない。操作だ」


 正しい。正しいことは分かっている。だが


「水谷は助けを求めてるんじゃないですか。あの書き込みは 」


「助けは求めていない。水谷が工作室に来たか?」


「......来てません」


「水谷は自分で行動を起こした。掲示板に自分の意思で書き込んだ。 それは撤退線の条件に該当する」


 ホワイトボードの撤退線。「水谷本人が自発的に行動を起こした場合、工作室は介入を停止する」。先週、桐生先輩自身が書いたルールだ。


「でも あれはパニックの結果です。冷静な判断じゃない」


「冷静かどうかを工作室が判定するのか? 水谷の判断力を、俺たちが査定するのか?  高瀬。それは、依頼者の自律を侵害することにならないか」


 俺は何も言えなかった。


 凛花がドアを開けて入ってきた。息を少し切らしている。走ってきたのだろう。


「桐生先輩。水谷さんの書き込みのスクショが 」


「知っている。撤退する」


 凛花の手が止まった。ノートを開きかけた手が、宙で停まっている。


「撤退......ですか」


「撤退だ。工作室からの追加介入は行わない。 柊、記録を」


 凛花は数秒黙っていた。それからノートを開き、ペンを握った。指先が白くなるほど強く握っている。


 陽太が駆け込んできた。


「恒一! 水谷のスクショがやべえことに 」


「撤退する。もう介入しない」


 陽太が固まった。


「......は? 今? 水谷がやばいのに?」


「桐生先輩の判断だ」


「玲奈先輩 」


 陽太が桐生先輩を見た。桐生先輩は腕を組んだまま、正面を向いていた。


「天野。工作室の原則は何だ」


「......心は操作しない。場を作るだけ」


「今、水谷に介入するのは 場を作ることか? それとも、水谷の心を操作することか?」


 陽太は唇を噛んだ。答えは分かっている。分かっているから、悔しいのだ。


「水谷が助けを求めてきたら もう一度応じる。だが今は、水谷が自分の意思で動いた。その結果に、工作室が上書きをする権利はない」


 沈黙が落ちた。工作室の窓の外で、海鳥が鳴いた。午後の光がホワイトボードの「撤退線」の文字を照らしている。


「......分かりました」


 陽太が絞り出すように言った。声が低い。いつもの明るさが、完全に消えていた。



 二時間後。水谷が来た。


 工作室のドアが、ゆっくりと開いた。水谷はドアの前に立っていた。目が赤い。泣いた後 ではなく、泣きながら来たのだ。頬が濡れている。涙を拭いた跡がある。唇が震えている。


「あの 」


 声がかすれていた。


「書き込み、しちゃいました。嘘、書いちゃいました。 そしたら、もっとひどいことに」


 水谷の声が途切れた。涙が一筋、頬を伝った。


 俺は水谷の前に座った。ここから先のことを、昨日から覚悟していた。覚悟していたが、覚悟していた通りに心が動くわけではなかった。


「水谷。聞いてくれ」


「......はい」


「工作室は これ以上の介入ができない」


 水谷の目が見開かれた。


「え......」


「噂の上書きは成功した。お前の名前は話題の中心から外れた。それが依頼の内容だった。 だが、お前が自分で掲示板に書き込んだことで、状況が変わった。お前自身が噂の当事者として動いた。そこから先は 工作室の設計では制御できない」


「制御って......。私、助けてほしくてここに来たんです」


「分かってる。だが 」


 言葉が詰まった。桐生先輩が俺の後ろに立っていた。視線を感じたが、助け舟は出してこなかった。これは俺が言わなければならないことだ。


「これ以上工作室が動くと、お前の物語を俺たちが書くことになる。お前がどう振る舞い、どう立ち直るかを、工作室が設計することになる。 それは、支援じゃない。操作だ」


 水谷は黙っていた。涙が止まらない。


「お前の掲示板への書き込みは パニックだったかもしれない。冷静じゃなかったかもしれない。でも、お前が自分の意思でやったことだ。その結果を、工作室が上から修正する権利はない」


「じゃあ じゃあ、結局、誰も助けてくれないんだ」


 水谷の声が、震えながら高くなった。


「噂を消してって言ったら、消せないって言われた。上書きしてもらったら、今度は可哀想扱い。自分でなんとかしようとしたら、もっとひどくなった。助けてって言ったら もう助けられないって。じゃあ、私、どうすればいいんですか」


 涙が水谷の顎から落ちて、膝の上の制服のスカートに小さなシミを作った。


 俺は 何も言えなかった。


 水谷の問いに答える言葉を、俺は持っていなかった。翻訳者は他人の感情に名前をつけることができる。だが、「どうすればいいか」を答えることはできない。それは翻訳の領域ではない。


「......ごめん」


 声が出た。自分でも驚いた。


「ごめん。工作室にできないことがあった。 お前が望んだ結末を、俺たちは作れなかった」


 水谷は俺を見た。涙で滲んだ視界の中で、何かを探すような目だった。答えを探している。俺の中に 答えを。


 だが、ない。俺の中に、水谷を救う言葉はない。


 水谷は立ち上がった。鞄を掴んで、ドアに向かった。


「......分かりました」


 声は小さかった。震えが止まっていた。泣き止んだのではない。泣く力が尽きたのだ。


「失礼します」


 ドアが閉まった。水谷の足音が廊下に消えていく。小さな足音だった。旧部室棟の古い床が、水谷の体重を受けてかすかに軋む音が、しばらくのあいだ聞こえていた。


 やがて 静寂が戻った。


 工作室に残ったのは四人だった。俺と桐生先輩と陽太と凛花。


 誰も口を開かなかった。


 窓の外で海が光っていた。五月の終わりの午後の光。穏やかな光だった。嘘のように穏やかだった。



 しばらくして、桐生先輩が口を開いた。


「高瀬。お前は正しいことを言った」


「......正しかったかどうか、分かりません」


「正しかった。 正しかったが、正しさでは救えないことがある。それを覚えておけ」


 桐生先輩はホワイトボードの前に立った。「依頼②:水谷 噂の上書き」の文字を見つめる。


「この依頼は 技術的には成功した。噂は薄まった。だが依頼者の満足は得られなかった。そして、撤退線が発動した。 不完全な結末だ」


 不完全。


 藤川の依頼も、凛花が「判定保留」と書いた。だがあれは、灰色ながらも温かさが残る結末だった。今回は 灰色というより、痛い。


「桐生先輩」


 凛花の声だった。


「はい」


「撤退線は 正しかったと思います」


 凛花の声は平坦だった。だが、ノートを握る手が震えている。


「水谷さんが自分で書き込みをした時点で、工作室が介入し続けるのは 水谷さんの意思を否定することになります。撤退は正しかった」


「......でも?」


 桐生先輩が聞いた。凛花の「でも」を、聞こえないはずなのに聞き取った。


 凛花はノートに視線を落とした。


「正しかったけど 水谷さんは泣いて帰りました。正しさと、人を泣かせないことは 両立しないんでしょうか」


 誰も答えなかった。


 陽太がパイプ椅子の背もたれに頭を預けて、天井を見上げていた。


「......きっついな。これ」


 誰への言葉でもなかった。ただ、その場に落ちた呟きだった。


 俺はホワイトボードを見た。「撤退線」の二文字。その横に、「依頼②:水谷」。その文字が、夕方の斜光に照らされて影を作っていた。


 正解は分かっていた。撤退が正しい。これ以上踏み込めば、工作室は水谷の物語を支配することになる。心は操作しない。場を作るだけ。 それが原則だ。


 だが、正しさは痛い。


 この後味は 消えない。


 告白は三秒で終わる。噂は一行で始まる。撤退線は 一本の線で引かれる。だがその線の向こうに取り残された人間の涙は、線を引いた側の人間にも、ちゃんと見えている。見えているのに、手を伸ばせない。


 それが 工作室の限界だった。



 凛花がノートを開いた。


 ペンが走る。いつもの几帳面な字。だが今日は、字の一画一画にわずかな力みがある。


「 依頼②:水谷花音。依頼内容:失恋に関する噂の上書き。結果 噂の上書きは成功。依頼者の満足度 」


 ペンが止まった。凛花は顔を上げなかった。


「 不可。撤退線発動」


 ペンが下ろされた。ノートが閉じられた。パタン。


 いつもと同じ音だった。だが、その音の後の沈黙が いつもより長かった。


 桐生先輩がホワイトボードの「依頼②」の横に、赤マーカーで書き加えた。


「了」


 藤川のときと同じ一文字。だが、その一文字の温度が まるで違った。


 俺は窓の外を見た。朝凪の海が見える。五月の海。夕暮れの水面が、オレンジ色に染まっている。穏やかだった。穏やかなのに、目が痛かった。


 工作室に入ってから まだ二週間も経っていない。だがすでに二つの依頼を受けて、二つとも「了」になった。一つ目は灰色の成功。二つ目は 痛い撤退。


 完全救済は約束しない。


 桐生先輩が最初に言った言葉が、今、まったく別の重さで胸に落ちた。あれは宣言ではなかった。覚悟だったのだ。完全救済ができないことを知ったうえで、それでもこの工作室を続けている人間の 覚悟。



 帰り道。海沿いの県道。


 日が長くなった。六月が近い。夕暮れの空が広い。海が、空の色をそのまま映して揺れている。堤防のコンクリートに座って、しばらく波を見ていた。


 スマホが振動した。凛花からだった。


『高瀬先輩。一つ、お伝えしておきたいことがあります』


『何だ』


『水谷さんの掲示板書き込みの件 あのスレッドに、忘却屋が返信しています。今日の夕方です。内容は「つらかったね。忘れたいなら、方法を教えるよ」。 水谷さんが見たかどうかは不明です』


 忘却屋。また、忘却屋だ。


 工作室が撤退した場所に、忘却屋が入り込もうとしている。工作室が手を引いた空白に 匿名のアカウントが、手を差し伸べている。


 嫌な感覚だった。忘却屋がやっていることは 善意かもしれない。傷ついた人間に「忘れ方を教える」。悪いことではないかもしれない。だが


 匿名で。相手の情報を集めながら。工作室が手を引いた直後に。


 偶然だと思うか?


 分からない。分からないが、構造が出来上がりつつある。工作室が「場を作る」。失敗する。撤退する。 その空白に、忘却屋が入る。工作室が救えなかった人間を、忘却屋が拾う。


 それは競合ではない。補完だ。工作室の限界を、忘却屋が埋めている。 だとしたら、忘却屋は工作室の存在を知っている。工作室のやり方を知っている。工作室の弱点を 知っている。


『了解。引き続きモニタリングを頼む』


『はい。 高瀬先輩。今日はお疲れ様でした』


 凛花のメッセージの最後の一行が いつもの事務的なトーンと、ほんの少しだけ違っていた。


 俺はスマホを仕舞い、堤防の上に立ち上がった。


 海が暗くなっていく。凪はもう終わっている。波が堤防にぶつかり、白い飛沫が足元に散る。潮の匂いが濃い。


 依頼②は終わった。痛い結末で。


 だが 終わっていないものがある。忘却屋。匿名のアカウント。工作室が手を引いた場所に、必ず現れる存在。


 あれは 何者だ。


 まだ分からない。だが、向き合う日は来る。それは予感ではなく 構造的な必然だった。

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