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朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──  作者: Song1
朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──
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第46話 恋を勝ち負けから降ろす

第46話 恋を勝ち負けから降ろす


恋は終わった。でも関係は続く。 勝ちでも負けでもない着地を、二人は見つけた。


年が明けた。一月。


朝凪高校に 新年の空気が流れていた。三学期が始まった。三年生は受験直前。一年生と二年生は 普通の日常。冬の校舎は 暖房が効いている教室と、寒い廊下の温度差が激しい。


工作室は 動いていた。新しい依頼が来ていた。小さな相談が二つ、三つ。 ver.2の日常が回っている。


俺は 工作室に戻っていた。「ただいま」と言った日から 一週間が経っていた。翻訳者として機能している。完全ではない。 だが、ノイズが入ったときに自覚できるようになった。志帆への感情は まだそこにある。消えてはいない。だが 痛みの質が変わっている。刺す痛みではなく 温い痛み。無害化された痛み。


一月の第二週。土曜日の午後。


志帆と カフェにいた。朝凪駅前の。夏に志帆と話したときと同じ店。 だが季節が違う。窓の外に見える景色が 夏の強い日差しではなく、冬の柔らかい光だった。


志帆は アイスカフェラテではなく、ホットのカフェラテを頼んでいた。季節が変わった。飲み物も変わった。 少しだけ、俺たちの関係と同じだ。


「恒一」


「何だ」


「私さ あんたに振られたんだよね」


声は 軽かった。重くなかった。冗談 とまでは言わないが、深刻さは薄まっていた。公園で泣いた日から 二週間以上が経っている。泣いた後に、初詣に行った。元旦の朝。近所の神社で。 二人で並んで、お賽銭を投げて、手を合わせた。何を願ったかは 聞かなかった。


「振ったんじゃない。 形が変わっただけだ」


「それ 同じことだよ」


志帆が カフェラテのカップを持ち上げた。湯気が 立ち上っている。


「好きって言ったのに、好きだったって返された。 それは振られたの。女の子の辞書では」


「俺の辞書では 」


「あんたの辞書は翻訳者仕様だからズレてるの。 普通の辞書では、振られた、って書いてある」


俺は 何も言い返せなかった。志帆の言う通りだ。翻訳者の辞書では「形の変化」と読む。だが 志帆の辞書では「振られた」だ。どちらも正しい。同じ事実の 別の翻訳。


「でも ありがとう」


志帆が カフェラテを置いた。両手でカップを包んでいる。温かさを確かめるように。


「設計じゃない言葉をくれて。 あの日。公園で。ぐちゃぐちゃで、整理されてなくて、翻訳者らしくない言葉。 あれが、恒一の本音だったんだって分かった」


「本音 だった」


「うん。 中学からずっと、恒一の本音が聞きたかった。翻訳者の分析じゃなくて。設計者の計算じゃなくて。 恒一自身の言葉。あの日 やっと聞けた。 だから、ありがとう」


ありがとう。 志帆は二度目の「ありがとう」を言った。公園でも言った。今日も。振られた側が 振った側に感謝する。奇妙な構図だ。 だが、志帆にとっては 本当のことなのだ。長年聞きたかった言葉を聞けた。たとえそれが「好きだった(過去形)」でも。


「恒一。 これ、勝ちとか負けとかで言ったら 私の負けだよね」


「違う」


即答した。


「勝ち負けじゃない」


「でも 私は好きだって言った。恒一は好きだったって返した。 告白した側が相手に受け入れられなかったら 負けでしょ。普通」


「普通 かもしれない。でも、俺たちは 普通じゃない」


「普通じゃない って」


「恋を 勝ち負けから降ろしたんだ。お前も俺も」


志帆が カップを持つ手を止めた。


「勝ち負けから 降ろす?」


「告白が成功したら勝ち。失敗したら負け。 そういう枠組みの外に出たんだ。お前の告白は 成功も失敗もしていない。お前は好きだと言った。俺は好きだったと返した。 告白と応答があった。ただそれだけだ。勝者も敗者もいない」


「それって 都合のいい言い方じゃない?」


「都合がいいかもしれない。 でも、嘘じゃない」


俺は 志帆の目を見た。翻訳者の目 ではなく。恒一の目で。


「お前が好きだと言ってくれたことで 俺は自分の気持ちに向き合えた。翻訳者のフリをやめられた。設計書を捨てられた。 お前の告白がなかったら、俺はまだ逃げていた。 だから、お前の告白は 俺を変えた。変えてくれた」


「変えた って」


「お前の告白に 俺が恋愛感情で応えなかったことは、お前の負けじゃない。 お前の告白が俺を変えたことは、お前の勝利でもない。 勝ち負けの話じゃないんだ。恋を 勝ち負けの枠組みから降ろした。お前も俺も」


志帆は しばらく黙っていた。カフェラテの湯気が 顔の前で揺れている。


「恒一」


「何だ」


「あんた やっぱり翻訳者だね」


「え?」


「翻訳者の言葉じゃないって言ったくせに 結局、翻訳してる。恋を勝ち負けから降ろす なんて言い方、普通の男子高校生はしないよ」


「......」


「でも 嫌いじゃない。 翻訳者の恒一も、翻訳者じゃない恒一も。どっちも 恒一だから」


志帆が 笑った。目が細くなって、頬が上がって。 初めて見る 嘘のない笑顔だった。


夏に会ったときの志帆は 泣きそうな笑顔だった。秋に会ったときは 覚悟で固めた笑顔だった。冬に会ったときは 泣いた後の笑顔だった。


今日の笑顔は そのどれでもなかった。ただの 志帆の笑顔。飾りのない、重荷のない 素の笑顔。


中学のとき 隣の席で見ていた笑顔と、同じだ。



「恒一。 一つ決めたことがある」


「何だ」


「及川くんと ちゃんと話し直す」


俺は カップに手を伸ばしかけて、止まった。


「及川と 」


「十月に 別れたでしょ。私から。恒一のことが好きだって 及川くんに全部話して。 でも、恒一に振られた じゃなくて、形が変わった 今。及川くんともう一回、ちゃんと向き合いたい」


「やり直す ってことか?」


「分からない。 やり直すかもしれないし、やり直さないかもしれない。 でも、ちゃんと話し直す。恒一のことが好きだから別れた って理由は、もう消えたから。恒一との恋は 着地した。終わった。 なら、及川くんとの関係を もう一度、ゼロから見直せる」


「ゼロから 」


「恒一が 工作室をver.2にしたみたいに。壊れたら更新するって。 私も更新する。及川くんとの関係を。恒一への恋で壊したものを もう一回、見直す」


翻訳者として いや、幼馴染として 俺は言った。


「それがいい」


「え?」


「及川は お前を好きだ。別れた後も。 俺にはそう見えた。公園で話したとき。及川が『志帆の幸せが一番大事だ』と言ったんだろう。 あれは、まだ好きだから言える言葉だ」


「翻訳者の分析 じゃないの?」


「幼馴染の感想だ。 及川はいいやつだ。お前のことを ちゃんと見てる。俺よりずっと。 俺は、お前を見ないフリをしてた。及川は 見てた。知ってた。 それでもお前を好きでいた」


志帆の目が 潤んだ。 だが涙は落ちなかった。


「恒一。 あんた、やっぱり翻訳者だ」


「うるさい」


「でも 嬉しい。恒一が 及川くんのことをそう言ってくれるの」


「事実を言ってるだけだ」


「事実の翻訳 でしょ」


「......うるさい」


志帆が 声を出して笑った。カフェの中に響く笑い声。 明るい笑い声。重くない笑い声。


「恒一」


「何だ」


「幼馴染ってさ 便利な言葉だよね」


「便利 ?」


「恋人じゃなくても 他人じゃない。友達とも違う。 幼馴染って言えば、どんな距離でも許される」


「名前のない距離だ」


「名前のない距離 か。恒一らしい言い方」


「園田のときに使った言い方だ。 友達でも恋人でもない、第三の距離。 俺たちには、それが合ってる」


「第三の距離。 うん。合ってる」


志帆が カフェラテの最後の一口を飲んだ。カップを置いた。


「ね、恒一。 これからも この距離でいていい?」


「いい。 いつでも」


「じゃあ また会おうね。幼馴染として」


「ああ」


「及川くんと話して 結果がどうなっても 恒一には報告する。幼馴染だから」


「報告 しなくていいぞ。お前の恋路は お前が決めるものだ」


「あ それ、桐生先輩の言い方でしょ」


「......バレたか」


「バレるよ。 恒一、桐生先輩に影響されすぎ」


志帆は笑った。俺も 少しだけ笑った。


カフェを出た。 一月の午後。日差しが低い。影が長い。 だが空は青い。冬の青。澄んだ青。



志帆と別れた後。 一人で歩いた。


駅前から 堤防沿いの県道へ。いつもの道。海が見える道。


一月の海。 冬の海。灰色 ではなかった。今日は 青かった。冬の空が澄んでいるから 海も澄んでいた。波が低い。光が 水面に散って、銀色の粒になっている。


恋を勝ち負けから降ろす。


言葉にするのは簡単だ。翻訳者なら もっともらしい言い回しを見つけられる。「勝ち負けの枠組みの外に出た」。「告白と応答があった。勝者も敗者もいない」。 整理された、きれいな言葉。


でも実行するには きれいな言葉だけじゃ足りなかった。


自分の恋路を 自分で歩くしかなかった。翻訳者の仮面を外して。設計書を捨てて。 ぐちゃぐちゃな言葉で、志帆の前に立って。「好きだった」と言って。「過去形だ」と言って。 泣かれて。笑われて。ありがとうと言われて。


その全てを 自分の体で通過するしかなかった。


恋を勝ち負けから降ろす。 それは、理論ではない。実践だ。自分の恋を 勝ち負けのない場所に着地させること。告白が成功したか失敗したかではなく 「自分の言葉で伝えられたかどうか」で評価すること。


俺は 伝えた。不完全に。ぐちゃぐちゃに。 だが、自分の言葉で。


志帆は 受け取った。泣いて。 だが、受け入れた。「初めて恒一の言葉を聞いた気がする」と。


勝ちでも負けでもない。 着地だ。


日下部が 「ありがとう」で着地した。告白しない形で。

陽太が 「恥ずかしい告白じゃなかった」で着地した。過去を清算する形で。

影山が 「忘れようとした日々も含めて俺の恋だった」で着地した。忘却をやめる形で。

桐生先輩が 「名前をつけない」で着地した。感情を保存する形で。

森本が 「忘れなくていい」で着地した。痛みと共存する形で。

志帆が 「振られたけどありがとう」で着地した。笑顔で。


全員が 勝ち負けではない場所に着地した。


そして俺が 「好きだった。形が変わった」で着地した。


全員の着地が 違う。同じ形はない。 だがどの着地も、勝ちでも負けでもない。恋を勝ち負けから降ろした場所。 工作室が作ろうとしてきた場所。


工作室の原則。心は操作しない。場を作るだけ。選ぶのは本人。 全員が、自分で選んだ。自分の言葉で。自分の足で。


工作室が 場を作った。翻訳者が 言葉を見つけた。実行者が 具体的な空間を整えた。記録者が 全てを書き留めた。監査者が ルールを守った。


だが着地したのは 本人だ。依頼者自身だ。工作室は 着地させたのではなく、着地する場を作っただけだ。


それが 工作室だ。


堤防の上で立ち止まった。海を見た。一月の海。青い。 冬の光が水面に散っている。銀色の粒。


恋路工作室。 恋の路を、整備する場所。路を作るのは工作室。だが 歩くのは、本人だ。


俺も 歩いた。自分の恋路を。翻訳者としてではなく 高瀬恒一として。


痛いけど 忘れない。忘れなくていい。


志帆を好きだったこと。好きだったと伝えたこと。志帆が泣いたこと。志帆が笑ったこと。幼馴染として また会えること。


全部 俺の恋路だ。勝ちでも負けでもない。ただ 本物だった。


歩き始めた。家に向かって。


明日 工作室に行く。「ただいま」と言う。みんなが「おかえり」と言う。日常が 戻る。新しい依頼が来る。翻訳する。場を作る。 ver.2の工作室は、まだ続く。


三年生が卒業する。桐生先輩が卒業する。影山が卒業する。 その日が 近づいている。


だが今日は 今日だ。一月の青い空。冬の澄んだ海。 呼吸が白い。寒い。


でも 寒いだけじゃない。光がある。冬の光。低いけど 確かに ある。


恋を勝ち負けから降ろした。 その場所に 俺は立っている。


ここから どこに行くのか。まだ分からない。 だが、立っている。自分の足で。自分の言葉で。 それだけは 確かだ。

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