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朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──  作者: Song1
朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──
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第35話 言葉にしない告白

第35話 言葉にしない告白


日下部は泣きながら「ありがとう」と言った。相手は 意味に、気づいた。


十月の終わり。大掃除の日が来た。


朝凪高校では、学期の区切りごとに校内一斉清掃がある。十月の終わりの大掃除は 文化祭の名残りの撤去を兼ねていて、教室だけでなく特別教室や図書室も対象になる。クラスごとに担当が割り振られ、放課後の二時間を清掃に充てる。


陽太が設計した場はシンプルだった。


日下部と相手の男子 三年D組の真壁 を、図書室の裏棚の清掃担当にする。図書室の裏棚は奥まった場所にあり、棚と壁の間の狭い空間でホコリを拭く作業だ。二人きりにならざるを得ない。自然に。不自然さなく。 大掃除という名目があるから、誰も疑わない。


「裏棚の担当なんて どうやって?」


俺が聞くと、陽太はにやっと笑った。


「三年D組の清掃班長が俺の知り合いでさ。『裏棚、ホコリすごいから頼むわ』って言ったら、あっさり日下部さんと真壁を入れてくれた。 コミュ力、舐めんな」


コミュ力。 陽太の最大の武器だ。場の設計ではなく 人の設計。人間関係のネットワークを使って、自然な配置を作る。工作室の実行班長。 ver.2でも、陽太の仕事は変わらない。


日下部には 前日の夜にメッセージを送った。


「明日。図書室の裏棚。真壁と二人きりになる。 そのとき、言いたいことを言え」


日下部からの返信。


『......言えるか分かりません。 でも、やってみます』


「告白するなって言っただろう」


『はい。告白じゃなくて 感謝。三年間、ありがとうって』


「そう。それだけでいい。 あとは、真壁がどう受け取るかだ。お前は言葉を届けるだけ。受け取り方は 相手に委ねる」


『......高瀬さん。もし 泣いちゃったら、どうすればいいですか』


「泣いていい。 泣くことは、感情の翻訳だ。言葉にならないものが、涙になって出てくる。翻訳者が保証する 泣くのは、恥ずかしいことじゃない」


『 ありがとうございます。頑張ります』


頑張れ。 翻訳者はそう思った。工作室の設計者としてではなく。ただの 日下部を応援する人間として。



大掃除。放課後の三時。


俺は図書室にいた。図書室の入口付近で 本棚の整理をするフリをしながら。陽太は廊下で見張り。凛花は いない。新聞部の原稿締め切りで動けなかった。記録は事後になる。


図書室の奥。裏棚のあたりから 声が聞こえた。微かに。


バケツに水を張る音。雑巾を絞る音。 二人が作業している。日下部と真壁が。


声は 最初、作業の会話だった。


「ここのホコリすごいね」「うん。 たぶん一年ぶりくらい拭いてない」「あ、そっち持って。本が落ちそう」


普通の会話。大掃除の会話。 だが、日下部の声が 少しずつ、変わっていた。明るさが減って、もっと 深い声になっていく。本題に近づいている。


俺は 聞いてはいけない。翻訳者として この場面は、翻訳の対象ではない。日下部が自分の言葉で語る瞬間だ。工作室が設計したのは場だけ。言葉は 日下部自身のものだ。


本棚の整理に集中した。 だが、耳は止められなかった。翻訳者の耳が 勝手に声を拾う。


「あの 真壁くん」


日下部の声。 震えていた。


「ん?」


「ちょっと 聞いてほしいことが、あるんだけど」


「何?」


沈黙。 五秒。十秒。


日下部が息を吸った。深く。 それから。


「三年間 ありがとう」


声が かすれていた。泣きそうだった。いや もう泣いていたのかもしれない。声の震えが 涙を含んでいた。


「同じクラスで すごく、楽しかった。それだけ 言いたくて」


俺は 本棚に額を預けた。


日下部は 設計通りの言葉を言わなかった。いや、設計通りではあった。「三年間、ありがとう。同じクラスで楽しかった」 それは俺が設計した言葉だ。だが 日下部の口から出たとき、それは俺の設計ではなくなっていた。日下部自身の言葉になっていた。


設計は 骨格だ。肉と血は 当事者が足す。骨格を作るのが工作室の仕事。生きた言葉にするのは 本人の仕事。


「え 」


真壁の声。少し驚いている。


「どうした急に。 大掃除中に」


「ごめん。今 言わないと。もう 卒業しちゃうから」


「卒業 まだ半年あるけど」


「半年なんて すぐだよ。あっという間だよ。 三年だってあっという間だった。入学して、クラス替えで同じクラスになって。二年のときも同じクラスで。三年も。 三年間 ずっと」


日下部の声が 途切れた。泣いている。声を殺して。だが 殺しきれない。嗚咽が 小さく漏れていた。


「日下部さん 泣いてる?」


「泣いて ない。泣いてない。 嘘。泣いてる。ごめん」


「泣くなよ。 何があったんだ」


「何もない。 何もないの。ただ ありがとうって、言いたかっただけ。三年間 楽しかったって。それだけ」


沈黙。 長い沈黙。図書室の裏棚。埃っぽい空間。窓がない場所。 蛍光灯の光だけが、二人を照らしている。


「......日下部さんは それだけ?」


真壁の声が 変わっていた。


低くなっていた。声のトーンが半音下がっている。 翻訳者の耳が、それを聞き取った。声のトーンが下がるとき、人は 本気で聞いている。軽い質問ではなく 核心を確認しようとしている。


「それだけ」か と真壁は聞いた。


翻訳する。 真壁は、日下部の言葉の裏を読もうとしている。「ありがとう」の裏に 別の言葉があるかもしれないと。三年間の「楽しかった」の裏に 別の感情があるかもしれないと。


気づいている。 真壁は、気づいている。


日下部は 泣きながら、笑った。


「うん。 それだけ」


嘘 ではなかった。「それだけ」は嘘ではない。日下部が伝えたかったのは 「ありがとう」だ。「好きです」ではない。「好きです」を言わないと決めた。代わりに「ありがとう」を選んだ。 それは嘘ではなく、選択だ。


言葉にしない告白。 告白しなかった。だが 感情は伝わった。「ありがとう」の中に 「好きでした」が溶け込んでいる。日下部が泣いたことで。声が震えたことで。三年間の「楽しかった」が ただの感謝ではないことが、空気で伝わった。


真壁は 追求しなかった。「本当にそれだけ?」とは聞かなかった。


「ありがとう。 俺も楽しかった」


静かな声。穏やかな声。 そこに、拒絶はなかった。受容があった。日下部の「ありがとう」を そのまま受け取った。裏の意味に気づいていたかもしれない。気づいていなかったかもしれない。 どちらでもよかった。


「また どこかで」


真壁がそう言った。


「うん。 また、どこかで」


日下部の声が 穏やかだった。泣いていたが 声が落ち着いていた。着地した声だった。 三年間の感情が、たった二語に圧縮されて、届けられて、受け取られた。


告白ではなかった。拒絶もなかった。付き合うことにもならなかった。 何も変わらなかった。


だが 何かが、ちゃんと終わった。


勝ち負けのない 恋の着地。



裏棚の清掃が終わった後、日下部は 図書室を出た。俺は本棚の整理を続けるフリをして 日下部の背中を見た。


目が赤かった。鼻も赤かった。 だが、表情は 穏やかだった。泣いた後の 何かが落ちた顔。重荷を下ろした顔。


真壁は 日下部と一緒に図書室を出た。廊下で 二言三言、話していた。何を話しているかは聞こえなかった。 聞く必要もなかった。


二人が別れた。真壁は自分の教室に向かった。日下部は 旧部室棟に向かった。工作室に来るのだ。



工作室。


日下部がドアを開けた。


陽太がパイプ椅子に座っていた。メロンパンを食べかけのまま、日下部を見た。俺はデスクの前に立っていた。凛花は まだいない。桐生先輩も今日はいない。


日下部は パイプ椅子に座った。いつも依頼者が座る椅子に。


「どうだった」


俺が聞いた。


日下部は しばらく黙っていた。膝の上で 両手を握り締めていた。指先が白い。 だが、震えてはいなかった。


「告白は しませんでした」


「ああ」


「でも 言えました。ありがとうって。三年間、楽しかったって」


「......よくやった」


「真壁くんは 『俺も楽しかった。また、どこかで』って」


「そうか」


「告白じゃなかったのに 泣いちゃいました。すごい泣きました。大掃除中に。恥ずかしかった。 でも」


日下部が 顔を上げた。目が赤い。腫れている。 だが、目の奥が 澄んでいた。三年分の感情を出し切った後の 透明な目。


「伝わった 気がします。ありがとうの中に。 全部じゃないかもしれないけど。ちょっとだけ」


「伝わったかどうかは 真壁が決めることだ。お前は言葉を届けた。それだけで 充分だ」


「後悔は ない。です」


後悔はない。 三文字が、工作室の空気に染み渡った。


陽太が メロンパンを置いた。


「日下部さん。 俺もさ、中学のとき告白したんだ。結果は 最悪だった。晒されて笑われた。 でも、告白したこと自体は後悔してない。気持ちが本物だったから」


日下部が 驚いた顔で陽太を見た。


「天野さんも 」


「うん。 告白の形は違うけど。俺は告白して撃沈。日下部さんは告白しないで着地。 でも、気持ちを形にした瞬間は どっちも本物だ」


陽太の声が 温かかった。コミュ力お化けの声ではなく、同じ経験をした人間の声だった。


日下部が 泣いた。もう一回。今度は 安堵の涙だった。


「ありがとう ございます。工作室に 来てよかった」


「礼はいい。 お前が自分で決めた。自分の言葉で伝えた。工作室は 場を作っただけだ」


「場を作ってくれただけで 充分でした」


日下部が立ち上がった。目を擦りながら。 ドアに向かった。


「それじゃ 失礼します」


「日下部」


「はい」


「三年間の片想い。 それは、お前の三年間を彩った色だ。黒歴史じゃない。消す必要もない。 覚えていていい。笑って思い出していい」


日下部は 最後にもう一度、笑った。泣いた後の顔で。鼻が赤くて、目が腫れて。 でも、笑顔は綺麗だった。三年分の重荷を下ろした人間の、軽い笑顔。


「はい。 覚えてます。ずっと」


ドアが閉まった。


日下部の足音が廊下を遠ざかっていった。 軽い足音だった。来たときより ずっと。



工作室に二人が残った。陽太と俺。


陽太がメロンパンの残りを齧った。


「恒一」


「何だ」


「いい依頼だったな」


「ああ」


「告白しなかった。振られなかった。付き合わなかった。 でも、ちゃんと終わった」


「勝ち負けのない 恋の着地だ」


「恋に勝ち負けってあるのかよ」


「ない。 告白が成功しても『勝ち』じゃないし、失敗しても『負け』じゃない。 ただ、形が決まるだけだ。日下部は 告白しないという形を選んだ。それは負けじゃない。 着地だ」


陽太は 窓の外を見た。十月の終わりの夕暮れ。日が短い。もう 空がオレンジから紫に変わりかけている。


「恒一」


「何だ」


「日下部さんの依頼 影山に見せることになってたよな。工作室のやり方で忘却屋の利用者を助けてみせろ って」


「ああ。 田中の依頼が先だが。日下部の依頼も 工作室の実力を示す一例になる」


「影山が見たら どう思うかな」


「分からない。 影山は忘却を信じてきた。痛い記憶を消すことが救済だと。 日下部は 痛い記憶を消さなかった。三年間の片想いを忘れなかった。忘れないまま 着地した。影山にとって それは答えか。それとも綺麗事か」


「影山次第 か」


「影山次第だ」


陽太は メロンパンの袋を畳んで、ポケットに入れた。


「じゃ 俺帰るわ。今日はいい日だった」


「ああ。 いい日だった」


陽太が出ていった。


俺が 一人で工作室に残った。


ホワイトボードの前に立った。「依頼⑦:日下部 了」。赤マーカーで「了」を書き加えた。 ver.2最初の「了」だ。


了。 ちゃんと終わった。依頼者が後悔なく終われた。告白しなかった。振られなかった。だが 三年間の気持ちは着地した。勝ちでも負けでもない。ただ ちゃんと終わった恋。


これが 工作室 ver.2の最初の成果だ。


窓の外を見た。朝凪の海。十月の終わりの夕暮れ。空がオレンジ色に燃えている。海面に光の帯が伸びている。 美しかった。


「告白ではなく感謝」 この設計は、正しかった。桐生先輩が「美しい設計だ」と言ってくれた。陽太が場を作ってくれた。凛花が記録してくれる。 チームで動いた。ver.2として。


だが 翻訳者の中で、何かが 疼いていた。


日下部は三年間の片想いを着地させた。 「ありがとう」と言って。泣いて。笑って。 ちゃんと終わった。


俺は まだだ。


志帆への感情。翻訳されていない感情。名前のない感情。 あれは、まだ着地していない。保留のまま。「いつか翻訳する」と約束して まだ、いつかが来ていない。


影山に言われた。「お前こそ、自分の痛みを無害化しろ」。 正論だった。他人の恋路を設計しておきながら、自分の恋路は通行止めのまま。翻訳者が自分を翻訳できないまま 他人には「自分の言葉で伝えろ」と言っている。


矛盾だ。 だが、その矛盾を抱えたまま動くのが、ver.2の翻訳者だ。


日下部は 自分で決めた。自分の言葉で伝えた。工作室は場を作っただけ。


なら 俺も。自分で決めなければならない。志帆への感情を 翻訳しなければならない。名前をつけなければならない。「いつか」ではなく もうそろそろ。


日下部が泣きながら「ありがとう」と言えたのなら。


俺も 何かを言えるはずだ。志帆に。自分の言葉で。翻訳者としてではなく 高瀬恒一として。


窓の外の海が 暗くなっていった。夕日が沈む。オレンジが消えて、紫に変わっていく。


「俺も 着地しなきゃいけない恋がある」


声に出して 言った。工作室に一人で。誰にも聞かれていない はずだった。


だが ドアが微かに開いていた。


廊下から 足音が遠ざかっていく。軽い足音。 聞き覚えがある。凛花の足音だ。新聞部の原稿を終えて 工作室に来ようとして、俺の独り言を聞いて 去っていった。


聞かれた。 まずい。


いや まずくはない。ルール⑤ メンバーも当事者になりうる。自覚して申告する。 俺は今、当事者として自覚し始めている。それを凛花に聞かれたのは むしろ、申告の第一歩かもしれない。


スマホが振動した。凛花からだった。


『高瀬先輩。 日下部さんの依頼、お疲れ様でした。記録は明日回収します。 あと、もう一つ。高瀬先輩の「着地しなきゃいけない恋」 応援しています。記録 じゃなくて。ただ、応援しています』


俺は スマホの画面を見つめた。


凛花。 記録者は観測者をやめた。メンバーになった。 そして今、メンバーとして 俺を応援している。


返信を打った。


『ありがとう。 聞かれてたのか。......恥ずかしい』


『先輩の独り言は 工作室の壁には厚くないです。気をつけてください:)』


凛花が絵文字を使った。工作室に入って以来 初めてではないだろうか。少なくとも俺に対しては初めてだ。


笑った。 スマホの画面を見て、一人で。


工作室の鍵を閉めた。帰り道。堤防沿いの県道。十月の終わりの夜。星が出ている。空気が冷たい。 秋が深まっている。


日下部の依頼は 了。


次は 俺の番だ。


翻訳者が 自分を翻訳する番だ。自分の恋に 名前をつける番だ。


まだ 怖い。名前をつけたら、確定する。確定したら 逃げられない。


でも 日下部が泣きながら「ありがとう」と言えたのなら。陽太が「恥ずかしい告白じゃなかった」と言えたのなら。


俺も 言えるはずだ。何かを。志帆に。


「いつか」は もう終わりだ。


着地の時間が 近づいている。

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