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朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──  作者: Song1
朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──
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第29話 忘却屋の破綻

 第29話 忘却屋の破綻


 忘却屋の「上書きストーリー」が、嘘と区別できなくなった。


 九月の第二週。新学期が始まって十日。


 凛花のモニタリングが異常を検知したのは、月曜日の朝だった。グループチャットに凛花からのメッセージが入った。


『高瀬先輩、陽太先輩。緊急です。 忘却屋関連で大きな動きがありました。掲示板を確認してください』


 俺はスマホで掲示板を開いた。


 トップページに 新しいスレッドがあった。今朝の投稿。


『忘却屋に書いた私の失恋話、掲示板に載ってるんですけど!?』


 スレッドを開いた。投稿者は匿名 だが文面から、忘却屋の利用者であることが明確だった。


『忘却屋に相談したのは匿名のDMだったんです。誰にも言ってない失恋の話をDMで書いて送りました。上書きストーリーも作ってもらった。 なのに、私が忘却屋に書いた内容が、掲示板にそのまま載ってるんです。名前は伏せてあるけど、読む人が読めば私だって分かる。 匿名だったはずなのに、なんで漏れてるの!?』


 書き込みが 加速していた。


『私も同じ。忘却屋に送ったDMの内容が、別の掲示板スレッドに引用されてた。まんまの文章で。 忘却屋が漏らしたの?』


『上書きストーリーって結局嘘だよね。事実じゃないことを事実みたいに書いて記憶を書き換えるって それデマと何が違うの?』


『忘却屋の上書きストーリーがSNSで拡散されてるのを見た。知らない人が、誰かの失恋を面白がって転載してる。 忘却屋に預けた情報が、エンタメとして消費されてる』


 俺は画面をスクロールした。事態が 想像以上に深刻だった。


 忘却屋の利用者が 忘却屋に提供した個人情報が、掲示板やSNSに漏洩している。忘却屋が直接漏らしたのか、忘却屋の利用者間ネットワークから漏れたのか、あるいは第三者がDMのスクリーンショットを転載したのか 経路は不明だが、結果は明白だった。


「忘れたい記憶」が 武器になっていた。


 失恋の痛みを匿名で打ち明けたはずの文章が、名前こそ伏せてあるものの、事実の断片が特定可能な形で掲示板に並んでいる。利用者にとって最もプライベートな感情 忘れたかった記憶が、匿名の空間で見世物にされている。


 忘却屋が約束していた「安全」が 崩壊していた。



 放課後。工作室。


 三人が揃った。ホワイトボードには「恋路工作室 ver.2 準備中」の文字。凛花のモニタリングデータがノートに広げられている。


「状況を整理する」


 俺はホワイトボードの前に立った。マーカーを取る。 桐生先輩がいつもやっていたことを、俺がやっている。ルール設計者の代行。 重い。だが、やるしかない。


「忘却屋の利用者情報が外部に漏洩している。確認された漏洩案件は 凛花」


「今朝の時点で四件です。掲示板に二件、SNSに二件。いずれも忘却屋の利用者がDMで送った内容と高い一致率を示す投稿です。利用者の名前は直接出ていませんが 情報の断片から特定可能な状態です」


「漏洩の経路は」


「三つの可能性があります。一、忘却屋本人 影山先輩が意図的に漏らした。二、忘却屋のアカウントがハッキングされた。三、利用者間ネットワークから横漏れした」


 陽太が腕を組んだ。


「影山が自分で漏らしたってことは あるか?」


「考えにくいです。忘却屋の存在意義は匿名性と安全性です。自分で利用者情報を漏らしたら 忘却屋の信用が崩壊する。自分の首を絞めることになる」


「じゃあハッキングか横漏れか」


「より可能性が高いのは 三番目です。忘却屋の利用者は複数います。利用者同士がDMで繋がっている可能性がある。利用者Aが忘却屋に送った情報を、利用者Bが自分のDMで見ることはできません。ですが 利用者同士が直接やり取りしていたら」


「利用者同士が お互いの情報を共有してた?」


「その可能性が高いです。忘却屋は利用者に『棚卸し』をさせます。忘れたい記憶を全てテキスト化させる。 その棚卸しの内容を、利用者が自分のSNSや友人とのDMに転載していた場合 情報は忘却屋の管理外で拡散します」


「つまり 忘却屋が情報を漏らしたんじゃなくて、忘却屋のシステムの外で情報が漏れた」


「はい。 ですが、利用者にとっては同じことです。『忘却屋に預けたから漏れた』と認識される。忘却屋の信用は 崩壊します」


 俺は翻訳した。


 忘却屋のシステムの構造的欠陥。 影山が設計したのは、一対一のDMによる匿名相談だ。忘却屋と利用者の二者間の秘匿性は おそらく保たれている。だが、利用者が忘却屋以外の相手に情報を漏らすことまでは 設計に組み込まれていなかった。


 工作室と同じだ。 俺たちも、志帆の依頼が外部に漏れることを防げなかった。志帆が及川に話し、及川が友人に話し 情報が横に広がった。


 匿名のシステムは 参加者が一人でも裏切れば崩壊する。匿名は全員の合意で成り立つ。一人が口を開けば 全員の匿名性が失われる。


「もう一つ 問題があります」


 凛花が続けた。


「忘却屋の上書きストーリーが デマとして拡散されています」


「デマ?」


「上書きストーリーは、利用者の実際の記憶を『無害なバージョン』に書き換えたものです。事実ではない内容が含まれています。 その上書きストーリーが、利用者のものだと特定される形で拡散されたとき 上書きストーリーの内容が『本人の証言』として扱われる可能性があります」


 つまり 忘却屋が作った「嘘の記憶」が、「本当の出来事」として流通する。上書きストーリーでは「花火に行った。隣にいたのはただの知り合い」と書き換えた。だが本当は「彼氏と手を繋いで花火を見た」が事実だ。 上書きストーリーが拡散されたとき、「ただの知り合いと花火に行った」が事実として認識される。


 嘘と事実の境界が 溶けている。


「忘却屋の上書きストーリーが嘘と区別できなくなった そういうことか」


「はい。 忘却屋の方法論が、デマの製造装置になりかけています」


 陽太が 顔をしかめた。


「最悪じゃん。 忘却屋を信じて情報を預けた利用者が、情報を漏らされて、しかもその中に嘘が混ざってて、嘘のほうが事実として広まってる。 誰も得してない」


 誰も得していない。 その通りだった。忘却屋は利用者を助けようとした。だが結果として、利用者をさらに傷つけている。上書きストーリーは記憶を楽にするはずだった。だが管理の外に漏れた瞬間 凶器に変わった。


 影山が作った「合理的忘却」のシステムが 暴走していた。



 昼休み。旧部室棟の廊下。


 俺は工作室の鍵を閉めて、階段を降りようとしていた。 そのとき。


 影山がいた。


 旧部室棟の一階。廊下の端。 工作室がある建物に、影山が来ていた。


 俺は足を止めた。影山も 立ち止まっていた。


 向き合った。 廊下の両端で。蛍光灯の三本に一本が切れている暗い廊下。窓から九月の光が差し込んでいる。埃が光の中で舞っている。


 影山の顔が 変わっていた。


 校舎裏で対峙したときの あの鋭い目がなかった。知的で挑発的だった表情が 消えていた。代わりにあったのは 憔悴。目の下に影がある。頬が痩けている。唇が乾いている。 眠れていないのだ。何日も。


 服装も 乱れていた。制服のシャツが皺だらけ。ネクタイが緩い。 影山が前に会ったときは、服装は整っていた。三年生として、受験生として 最低限の身なりは保っていた。それが 崩れている。


 翻訳する。


 影山の目を 読んだ。


 怒りじゃない。挑発でもない。 困惑だ。そして もう一つ。


 自分が作ったものに、自分が飲まれている。


 忘却屋を設計した人間が 忘却屋に飲まれている。システムが制御を超えた。影山一人では もう管理できない。利用者は増え、情報は漏れ、模倣犯が現れ、上書きストーリーがデマとして拡散し 全てが影山の手から離れていく。


 俺は 何も言わなかった。


 影山も 何も言わなかった。


 五秒。十秒。 長い沈黙。旧部室棟の古い廊下に、二人の息遣いだけが響いていた。


 影山の目に 初めて 「助け」を求める色が浮かんでいた。口では言わない。言えない。プライドが。 だが目は 嘘がつけない。


 翻訳者は 目を読む。


 影山は 助けを求めている。自分では認めていない。認めたくない。 だが目が、体が、服装の乱れが 全てが叫んでいる。もう一人では無理だと。


 俺は 口を開きかけた。何かを言おうとした。「助けてやる」か「工作室に来い」か「一緒に 」か。


 だが 言わなかった。


 言えなかった のではない。言わなかった。


 影山は 自分で決めなければならない。忘却屋を閉じるか、続けるか。工作室と対話するか、拒否するか。 俺が手を差し伸べるのは簡単だ。だがそれは 影山の選択を奪うことになる。


 工作室の原則。心は操作しない。場を作るだけ。選ぶのは本人。


  ただし。


 場を作ることはできる。


 影山が助けを求めるための場を。 影山が自分で「助けてくれ」と言える場を。押しつけるのではなく、存在させるだけ。ドアを開けておくだけ。


 俺は 影山の横を通り過ぎた。何も言わず。視線を外さないまま 通り過ぎた。


 通り過ぎる瞬間に 一言だけ。


「工作室の鍵は 俺が持ってる」


 それだけ言って 歩き去った。


 振り返らなかった。影山が何をしたか 見なかった。ただ、背中に 視線を感じた。影山が俺の背中を見ている。


 鍵は持っている。ドアは開けられる。 来るかどうかは、影山が決める。



 放課後。工作室。


 三人で報告を共有した。影山と廊下ですれ違ったこと。影山の憔悴した顔。目の中の「助け」の色。 そして、俺が何も言わなかったこと。


「何も言わなかったのか。 お前らしいっていうか、お前らしくないっていうか」


 陽太が首を傾げた。


「言ったら 影山の選択を奪う。俺が手を差し伸べた瞬間に、影山は『差し伸べられた側』になる。 影山のプライドが、それを許さない」


「じゃあ 放っておくのか」


「放っておかない。 場を作った。鍵は俺が持っている、と言った。 来たければ来い、という意味だ」


「それで影山が来ると思う?」


「......分からない。でも 来なくても、ドアが開いていることは伝えた」


 凛花がノートに記録していた。


「影山先輩の状態 憔悴、睡眠不足、服装の乱れ。忘却屋の管理が制御不能になっている。 高瀬先輩の判断:直接介入せず、場の提示のみ」


 凛花のペンが 止まった。


「高瀬先輩。 もう一つ報告があります」


「何だ」


「今日の昼 工作室の前に、メモが貼ってありました」


「メモ?」


 凛花がポケットから 折りたたまれたメモ用紙を取り出した。几帳面でもなく雑でもない、普通の女の子の字だった。 見覚えがある。園田の依頼が来たときと似た いや、別の字だ。もっと 震えている。書いた手が 不安定だった。


 メモを開いた。


『恋路工作室様。活動停止中なのは知っています。でも 他に頼れる場所がなくて。忘却屋に相談しました。上書きストーリーを作ってもらいました。でも もっと辛くなりました。忘れたかったのに、もっと思い出すようになった。上書きと本物が混ざって、自分が何を感じているのか分からなくなった。 助けてください。お願いします』


 名前は 書いてなかった。


 俺はメモを 二度、三度、読み返した。


 忘却屋の利用者が 工作室に助けを求めている。忘却屋のメソッドで傷つけられた人間が 活動停止中の工作室のドアに、メモを貼った。


 忘却屋が救おうとして、救えなかった人間。工作室が取りこぼすことを恐れて影山が作った忘却屋が 取りこぼした人間。


「......どうする。恒一」


 陽太の声が 静かだった。


 工作室は活動停止中だ。依頼は受けられない。メンバーは三人。ルール設計者は不在。再起動していない。 このメモを受けるのは、原則的にはできない。


 だが 目の前に、傷ついた人間がいる。助けを求めている。ドアにメモを貼るほど、追い詰められている。


 工作室の原則。 ver.1の原則は桐生先輩が作った。ver.2の原則は 俺が作る。


 ver.2の原則に 「傷ついた人間を前にして動かない」は、ない。


「凛花」


「はい」


「このメモの主に 連絡を取れるか」


「メモには連絡先が書いてありません。 ですが、忘却屋の利用者であることは確定です。モニタリングデータと照合すれば 候補を絞り込めるかもしれません」


「頼む。 急いでくれ」


「了解です。 高瀬先輩」


「何だ」


 凛花は ノートを閉じた。パタン。 選択者のパタンだった。


「これ 受けましょう」


「......工作室は活動停止中だ」


「停止中でも 人が助けを求めて来たんです。メモをドアに貼って。 活動停止を理由に断ったら、桐生先輩が作った工作室の意味がなくなります」


「凛花 」


「桐生先輩は『完全救済はしない。でも同じ失敗は許されない。方法を更新しろ』と言いました。 更新するためには、動かないといけません。準備中のまま座っていたら いつまでも準備中です」


 陽太が にやっと笑った。


「凛花に正論言われてるぞ、恒一」


「......分かってる」


 俺はメモをもう一度見た。「助けてください」。 その三文字が、工作室の白紙のホワイトボードに 重なった。


「受ける。 ただし、正式な再起動ではない。暫定対応だ。メモの主を見つけて、話を聞く。翻訳する。 それだけだ。設計も実行も 人数が足りない」


「設計は俺がやるよ。 陽太の出番だ」


「撤退線は 俺が引く。翻訳者がルール設計者を兼ねる」


「記録は 私が」


 三人が 顔を見合わせた。


 足りない。人が足りない。ルール設計者がいない。 だが、目の前に助けを求める人間がいる。足りないまま 動く。走りながら形を作る。


 陽太が ホワイトボードに歩み寄った。マーカーを取った。


「恋路工作室 ver.2 準備中」の下に 新しい一行を書き加えた。


「暫定依頼①:忘却屋利用者 受理」


 赤マーカー。 ver.2の最初の依頼だった。


 凛花がノートを開いた。


「 恋路工作室 ver.2。暫定依頼①。依頼者:忘却屋利用者(氏名不明)。依頼内容:忘却屋メソッドの副作用による心理的混乱への対応。ステータス:調査開始」


 ペンが走る。いつもの音。 だが今日のペンには、以前にはなかった力が宿っていた。観測者のペンではなく、当事者のペンだった。


 窓の外は九月の夕暮れ。秋が 深まりつつある。日が短くなって、夕方の光がすぐに消える。海が オレンジから紫に変わっていく。


 工作室は 動き始めた。活動停止中のまま。準備中のまま。 それでも。


 足りないまま 走り始めた。


 影山が作って壊した場所に 工作室が手を伸ばそうとしている。忘却屋が取りこぼした人間を 工作室が拾おうとしている。


 影山がかつて工作室に言った。「工作室が取りこぼした人間を、忘却屋が拾っている」。 今、その関係が逆転しつつある。


 だが これは勝ち負けではない。忘却屋と工作室の対立ではない。 一人の人間が助けを求めている。その一人に 手を差し伸べるために、動く。それだけだ。


 工作室の原則。心は操作しない。場を作るだけ。選ぶのは本人。


  ver.2の原則は、まだ完成していない。だが 動くことでしか、完成しない。走りながら作る。転びながら直す。


 陽太が メロンパンの袋を開けた。


「さて 忙しくなるな」


「ああ」


「恒一。 楽しくなってきたぜ」


 楽しい とは言えなかった。だが 止まっているよりは、走っているほうがいい。たとえ転ぶとしても。


 走り始めた。


 ver.2の最初の一歩が 踏み出された。

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