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朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──  作者: Song1
朝凪高校・恋路工作室 ── 恋愛操作団が愛と願いを叶えます ──
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第1話 恋路工作室は依頼を選ぶ

 第1話 恋路工作室は依頼を選ぶ


「恋愛操作団が愛と願いを叶えます」


 校内掲示板にそんな怪文書が貼ってあった。

 転入初日にこれか。


 四月の風が廊下を吹き抜けた。潮の匂いが混ざっている。県立朝凪高校は海の近くにあるらしい。教室の窓からは、春霞に滲んだ水平線がうっすら見えた。


 俺──高瀬恒一は、今日からこの学校の二年生だ。


 帰国子女という肩書きは便利だ。転入の理由を聞かれても「親の仕事で」と言えば大抵の人間は納得する。実際そうなのだから嘘ではない。ただ、本当のことを全部言っているわけでもない。


 人の言葉には必ず翻訳が必要だ。表面に出てくる言葉と、その裏にある本音は、たいてい別の言語で書かれている。本音をそのまま言える人間なんて、この世にほとんどいない。


 だから俺は、言葉を聞くときに二重に聞く癖がある。声に出された言葉と、声にならなかった言葉。その差分に、その人の本音が潜んでいる。


 職業病、と言うには早い。まだ高校生だ。ただの癖。翻訳者気取りの、ただの癖だ。


 掲示板の前で立ち止まっていると、後ろから声がした。


「あ、それ見てんの?」


 振り返ると、クラスメイトの男子がにやにや笑っていた。今朝の自己紹介で名前を聞いたはずだが、もう忘れた。


「恋路工作室って知ってる? この学校にある、秘密組織みたいなやつ」


 秘密組織。掲示板に堂々と貼ってある時点で秘密ではないだろう。そう思ったが、口には出さなかった。


「恋の問題を何でも解決してくれるって噂だよ。告白の手伝いとか、失恋の後始末とか」


「へえ」


「興味ある? 旧部室棟の一番奥にあるらしいけど」


 俺は曖昧に笑って、掲示板のポスターをもう一度見た。


「恋愛操作団が愛と願いを叶えます」の下に、小さな文字で場所と連絡先が書いてある。丁寧なレイアウト。フォントの選び方にセンスがある。作った人間は几帳面だが、少しだけ遊び心がある。


 言葉を読むだけで、書いた人間の性格が透ける。俺の悪い癖だ。


 放課後。

 好奇心には勝てなかった。


 旧部室棟は校舎の裏手にあった。使われなくなった部活の道具が廊下に積まれていて、埃っぽい空気が漂っている。窓から差し込む西日が、廊下の塵を金色に照らしていた。


 一番奥のドア。手書きの紙が貼ってある。


「恋路工作室」


 ノックしようか迷っていると、中から声が聞こえた。


「入れ」


 女の声だ。短い。命令形。迷いがない。


 ドアを開けた。


 部屋は思ったより広かった。元は何かの部室だったのだろう。窓際に古いデスクが並び、壁にはホワイトボードがかかっている。ホワイトボードには「依頼一覧」と書かれた表があり、一件だけ何かが貼ってあった。


 窓からは海が見えた。朝凪の海。波が静かで、光っている。


「何の用?」


 デスクの奥に座っている女子が、俺を見ていた。長い黒髪。制服をきっちり着こなしている。背筋がまっすぐだ。目つきが鋭い。いや、鋭いというより正確だ。相手を測っている目。


 三年生の腕章。名前は──


「桐生玲奈。三年。この工作室の団長だ。お前は?」


「高瀬恒一。今日転入した二年です」


「転入生か。依頼か、見学か」


「見学……というか、興味があって」


 玲奈はわずかに眉を上げた。興味がある、という言葉を吟味しているようだった。


「おー、客? いらっしゃい!」


 横から明るい声が割り込んだ。窓際の椅子にだらしなく座っていた男子が、ぱっと立ち上がる。日に焼けた肌、人懐っこい笑顔。こいつは声を聞いた瞬間に分かる。コミュニケーションの天才だ。言葉の温度が高い。


「天野陽太。二年。実行班長。よろしくな、高瀬」


「よろしく……実行班長って何?」


「潜入とか情報収集とか場の空気操作とか。要するに何でも屋」


 聞けば聞くほど怪しい。だが陽太の笑顔には警戒心を溶かす力がある。意図的ではなく天然。裏表のない人間は珍しい。


「座れ」


 玲奈がデスクの向かいの椅子を指した。俺は素直に座った。


「説明する。恋路工作室は、恋愛に関する問題を支援する組織だ。学校非公認。活動歴は一年」


「支援、というのは?」


「工作室にできるのは三つ」


 玲奈が指を立てた。


「状況の整理。言葉の設計。撤退線の確保」


 三つの指が、順番に折れていく。


「逆に、できないことがある。心を変えること。これは、しない」


 心を変えることは、しない。


 その言い方が引っかかった。「できない」ではなく「しない」。能力の問題ではなく、原則の問題。自ら制約を設けている。


「工作室の原則。心は操作しない。場を作るだけ」


 玲奈の声には一切の揺らぎがなかった。何度も口にしてきた言葉だ。自分自身に言い聞かせるように磨かれた言葉。


 俺はその言葉の裏を読もうとした。なぜ「心は操作しない」をわざわざ原則にするのか。裏を返せば、操作できてしまうからだ。できるけれどしない。その境界線を引く人間には、理由がある。


「高瀬。お前、今なに考えてた?」


 陽太が横から覗き込んできた。


「別に」


「嘘。目が動いてた。何か分析してただろ」


 鋭い。コミュ力お化けは観察力も高い。


「人の癖だ。言葉を聞くと裏を読む」


「裏?」


「本音を探る、みたいなもの。翻訳に近い」


「翻訳?」


 陽太が首をかしげた。玲奈は黙って聞いている。


 そのとき、ドアが開いた。


 小柄な女子が入ってきた。腕にノートを抱えている。一年生の腕章。細いフレームの眼鏡。足音がやけに静かだ。


「遅れました。新聞部の取材が長引いて」


「凛花。来客だ」


「はい。記録しますね。えっと──来訪者、二年男子、名前は」


「高瀬恒一」


 凛花と名乗った一年生が、さっとノートに書き留めた。記録係。校内新聞部と掛け持ちらしい。書くことが好きな人間の手つきだ。ペンの走らせ方が流暢で、迷いがない。


「柊凛花。一年。記録係です。よろしくお願いします、高瀬先輩」


 丁寧な敬語。しかし目は静かに観察している。この子も翻訳者の一種だ。ただし、俺が言葉を翻訳するのに対して、凛花は行動を記録する。視点が違うが、やっていることの根は同じ。


「さて」


 玲奈が腕を組んだ。


「高瀬。お前が興味を持ったのは分かった。だが、見学で終わりか? それとも──」


 そのとき、工作室のドアがもう一度開いた。


 今度の来訪者は、明らかに様子が違った。


 男子生徒。二年。制服の袖を無意識に握っている。目線が泳いでいる。唇が少しだけ動いている。言葉を探している口の動き。


 何かを言いたい。でも言えない。そういう人間の典型的な仕草だった。


「あの。ここが……恋路工作室、ですか」


「そうだ」


 玲奈が応える。声のトーンが微妙に変わった。さっきより低く、ゆっくり。相手を威圧しないための調整。無意識か、意識的か。たぶん後者だ。


「座って。名前は?」


「藤川……藤川隼人です。二年です」


 藤川は椅子に座った。背中が丸い。緊張している。


「依頼か?」


「はい。その。告白の……手伝いを、してほしいんです」


 沈黙が落ちた。


 陽太がちらりと俺を見た。凛花がノートのページを開いた。玲奈は微動だにしない。


「相手は?」


「同じクラスの……三浦さんです。好きなんです。でも、どうしていいか分からなくて」


 藤川の声は震えていた。恥ずかしいのだろう。自分の感情を他人の前で言語化することは、多くの人間にとって苦痛だ。


 俺は藤川の言葉を聞きながら、いつもの癖を働かせていた。表の言葉と、裏の言葉。差分。


 藤川は「告白の手伝いをしてほしい」と言った。表面上はそうだ。しかし、藤川の目線。声のトーン。袖を握る強さ。それらが語っている言葉は、少し違う。


「藤川」


 気がついたら、俺は口を開いていた。


 全員の視線が俺に集まった。玲奈が目を細める。陽太が少し驚いた顔をする。凛花のペンが止まる。


「お前は、告白したいんじゃない」


 藤川が目を見開いた。


「告白して、変わりたいんだ」


 長い沈黙。


 藤川の表情が、ゆっくり変化していった。困惑から、驚きへ。驚きから──理解へ。


「え。あ……そう、かも」


「好きだから告白する、じゃなくて。告白することで何かを変えたい。今の自分が嫌で、一歩踏み出した自分になりたい。三浦さんはそのきっかけだ」


 藤川が俯いた。唇を噛んでいる。


「……すごい。なんで分かるんですか」


 分からない。分かったわけじゃない。ただ、藤川の言葉と態度の差分を読んだだけだ。「告白したい」と言いながら、藤川の目は三浦さんのことより自分自身を見ていた。好きな相手のことを語るとき、人は無意識に視線が上を向く。藤川の視線は下を向いていた。自分の内側を見ていた。


 だから──「変わりたい」のだと翻訳した。


「高瀬」


 玲奈の声。鋭いが、怒ってはいない。むしろ──興味がある声だ。


「お前、今のは何だ」


「翻訳です」


「翻訳?」


「藤川の言葉を、藤川の本音に翻訳した。たぶん」


 玲奈が無表情のまま、俺を見つめた。三秒。五秒。長い。


「使える」


 短い。だが、それが桐生玲奈の最大限の評価なのだと、なぜか分かった。


「藤川。依頼を受ける」


 玲奈が藤川に向き直った。


「告白の支援をする。ただし、成功は保証しない。工作室が作れるのは場だけだ。心は操作しない。結果はお前自身の問題だ。それでいいか」


 藤川は強く頷いた。


「お願いします」


 凛花がノートに書いている。ペンの音がやけに大きく聞こえた。


「依頼受諾。二年、藤川隼人。内容──告白支援。対象──同学年、三浦さん」


 記録される。言葉が、文字になる。誰かの恋が、記録に変わる。


 その光景を見て、俺の中で何かが動いた。理屈では説明できない何か。他人の感情を言葉に変換する行為に、どうしようもなく惹かれている自分がいた。


 藤川が礼を言って帰った後、工作室には四人が残された。西日がホワイトボードを橙色に染めている。依頼一覧の紙が一枚、風に揺れた。


「高瀬」


 玲奈が言った。


「見学は終わりか」


「……いいえ」


 俺は自分の声を聞いた。意外なほど、迷いがなかった。


「参加したいです。工作室に」


 陽太がにっと笑った。凛花が新しいページを開いた。


 玲奈だけが、表情を変えなかった。ただ、ほんの一瞬──口の端がわずかに上がった気がした。翻訳者の目でなければ見逃していたかもしれない。


「明日から来い。朝の打ち合わせは八時。遅刻は許さない」


「了解です」


「敬語はいい。やりづらい」


「……了解」


 帰り道。


 春の夕暮れは長い。海沿いの道を歩きながら、俺は今日の出来事を反芻していた。


 恋路工作室。心は操作しない。場を作るだけ。


 桐生玲奈。合理的で、冷静で、原則に忠実。あの「しない」の一言に、何年分もの覚悟が詰まっている。


 天野陽太。明るくて、鋭い。人の懐に入る天才。あの笑顔の裏に何があるかは、まだ分からない。


 柊凛花。静かで、正確。記録する者。書くことで世界と距離を取る人間。あのノートには、何が書かれていくのだろう。


 そして、藤川隼人。告白を望んだ少年。いや、変化を望んだ少年。


 他人の恋を設計する。面白い。


 翻訳者として、言葉の裏を読み、本音を形にする。それが工作室での俺の役割になるのだろう。


 ただ。


 ひとつだけ、分からないことがある。


 俺自身は、なんであんなにも他人の感情を翻訳することに惹かれるんだ。


 他人の恋は読めるのに、自分の内側はまるで読めない。いや──読もうとしていないのかもしれない。翻訳者は自分自身を翻訳する必要がない。そう思っていた。


 海が光っていた。朝凪の海。波のない、静かな海。


 スマホが震えた。知らない番号──いや、陽太だ。もう連絡先を交換した覚えはないのだが。


『工作室グループに追加したぞ。明日からよろしくな、翻訳者。──天野陽太』


 翻訳者。


 その呼び名が、妙にしっくり来た。


 翌朝。


 俺は約束通り八時に工作室に行った。玲奈はすでにいた。ホワイトボードの前に立ち、藤川の依頼について何かを書き込んでいる。


 凛花がノートを開いて待っていた。


「高瀬先輩。正式メンバーの登録をお願いします」


 差し出されたノートには、メンバー一覧のページがあった。


 桐生玲奈──団長

 天野陽太──実行班長

 柊凛花──記録係


 三人の名前の下に、空白がある。


 俺はペンを取った。


 高瀬恒一──参謀


 書き終えて、ペンを置いた。インクが紙に染みていく。四文字の役職が、少しだけ重く感じた。


 凛花がノートを受け取り、丁寧に閉じた。


「登録完了です。恋路工作室、参謀・高瀬恒一」


 その瞬間、玲奈が振り返った。ホワイトボードには藤川の依頼に関する情報が整理されている。相手の名前。学年。クラス。分かっている情報。分かっていない情報。


「さて」


 玲奈が言った。


「依頼の設計を始める。高瀬、お前の初仕事だ」


 ホワイトボードの一番上に、玲奈の字で書かれていた。


 ──依頼①:藤川隼人。告白支援。


 その下に、赤い字で一行。


 ──好きな人の一日の動線を全部洗え。


 ストーカーと紙一重の指示だと思った。だが、玲奈の目は本気だった。


 工作室の最初の仕事が、始まる。

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