第39話 帝国の毒蛇:放蕩皇子ルーカスと戦場のキス
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三万の軍勢を一人で掃除してきたアステルへの、ロミナ様からの「ご褒美」。
最強の騎士が廃人寸前まで加熱する、魔王軍の日常(?)風景です。
一方、敗北に揺れる帝国では、新たな敵が登場します。
第3皇子ルーカス。「毒蛇」と称される彼が狙うのは、武力による制圧ではなく、もっと湿り気を帯びた「侵略」のようで……。
世界が茜色と群青の混ざり合う黄昏に沈む頃、一方的な勝利の儀式は幕を下ろした。
天幕の入り口が静かに開かれる。
戻ってきたアステルは、その漆黒の燕尾服に返り血の一滴すら残していなかった。
漂うのは鉄錆の臭いではなく、夜風の冷たさだけ。
「ただいま戻りました、女王」
彼は私の足元に滑り込むように跪き、恭しく頭を垂れた。
そこにいるのは、主人の賞賛を待ち焦がれる、従順な忠臣だった。
「早かったわね。……いい子よ、アステル」
私はソファからゆっくりと立ち上がり、彼へと歩み寄る。
私は懐からレースのハンカチを取り出した。これは彼を労うための儀式だ。
そっと彼のアゴに手を添え、白い布で頬を撫でる。
そして、ふ、と顔を近づけた。
チュッ。
湿った甘い音が、天幕の中に小さく響いた。
「――ッ!!??」
アステルの時間が、完全に停止した。
呼吸さえ忘れたかのように、肢体が石像のごとく硬直する。
だが次の瞬間、蒼白だった肌が耳の先まで沸騰したように赤く染まった。
心拍が、破裂しそうなほど早鐘を打っている。
「こ、こ、こ……恐悦至極に、ございます……ッ!! こ、この頬は……! この聖なる温もりが残る頬は、生涯、金輪際洗いません!!」
「洗いなさい。汚いわよ」
感極まり、潤んだ瞳で天を仰ぐ最強の騎士。
そのあまりの落差を横目に見ながら、ライルは肩をすくめ、エリザは「はいはい、ご馳走様ですこと」と呆れたように冷めた紅茶を飲み干した。
こうして、帝国軍との初戦は幕を閉じた。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
◇
ハータ帝国中枢、皇帝執務室。
無敵を誇った将軍バルガスの敗走は、帝国の威信に泥を塗るに等しい屈辱だった。
張り詰めた空気が爆発寸前まで膨れ上がった、その時。
重厚な扉が、ノックもなしに無造作に押し開かれた。
「よう、親父殿(皇帝)。随分とご乱心のようだね」
一人の男が足を踏み入れる。
第3皇子、ルーカス。
皇族の正装を着崩し、胸元を大胆に開けた姿からは、むせ返るような野性の色気が立ち昇っていた。
褐色の肌。そして、熔けた黄金を流し込んだような琥珀色の瞳。
「バルガス程の堅物が、『たった一人の化け物』に負けた……か。面白い。それはただ事じゃない」
彼は唇の端を吊り上げ、愉悦を噛み締めるように笑った。
表向きは放蕩皇子。だがその実、人の心の闇を操る「毒蛇」そのもの。
「俺が行くよ。……奴らの首を刎ねる必要はない」
ルーカスは執務机に歩み寄り、指先で地図の上を滑らせた。
「剣など野暮だ。俺が得意とする『愛』と『交渉』……甘い毒で内側から侵し、骨の髄まで喰らい尽くしてやる」
腰に帯びたサーベルを、指先でカチリと鳴らす。
彼の直感が、背筋が粟立つような警鐘を鳴らしていた。
この異常な敗戦の裏には、とびきり極上で、危険な「雌」の匂いがする。
「……ああ、感じるよ。この騒動の裏には、俺好みの『魔女』がいる」
ルーカスは舌なめずりをし、まだ見ぬ敵の姿を幻視して、低く囁いた。
第39話をお読みいただき、ありがとうございました。
アステル様……「生涯洗いません」と言い出すあたり、忠誠心が突き抜けていますね。ロミナ様の「汚いわよ」という一刀両断も流石のキレ味です。
そして新キャラクター、ルーカス皇子。
バルガス将軍とは正反対の「女好きで知略家」という属性は、ロミナ様にとって最も相性の悪い(あるいは最も弄びがいのある)タイプかもしれません。
毒蛇と魔王、化かし合いの幕が上がります。
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