第36話 戦場のティータイム:鉄血の将軍と優雅な魔王
いつもお読みいただきありがとうございます!
今回から新章「ハータ帝国編」に突入します。
国境を埋め尽くす三万の帝国軍と、鉄血の将軍バルガス。
絶望に呑まれる王国軍を余所に、魔王軍の面々は優雅なティータイムを楽しんでおります。
雑音を嫌う忠実なる騎士、アステル。
彼がたった一人で戦場へ向かう時、どのような惨劇(掃除)が始まるのか。
どうぞお楽しみください!
乾いた大地が、不規則に、だが確実に悲鳴を上げ始めていた。
それは遠雷のような轟きでありながら、空からではなく、足元の地殻から這い上がってくる振動だった。
国境の平原を埋め尽くすのは、陽光さえも鈍く弾き返す黒鉄の奔流。
ハータ帝国軍、総勢三万。
整然と歩を進めるその軍靴の音は、死神が刻む秒針のように、対峙する者たちの心臓を直接叩いていた。
対する王国軍の陣営には、死臭にも似た疲労が澱んでいた。
先日の敗戦で半数以上を失い、傷ついた身体と砕かれた心を引きずって、彼らはただ立ち尽くしている。
勝敗の行方など、残酷なまでに明白だった。
◇
帝国軍本陣の中枢、ひときわ重厚な空気を纏う場所に、その男はいた。
バルガス将軍。
「鉄血」の二つ名で恐れられる彼は、まるで巌を削り出して作られたかのような巨躯を鎧に包んでいる。
彼の双眸には、慈悲や迷いといった人間的な色彩は一切なく、あるのはただ、眼前の敵を肉片に変えるという冷徹な機能性だけだった。
「軟弱な王国軍ごとき、我が鉄騎兵の蹄にかかれば枯れ枝も同然だ」
バルガスの低い唸り声は、重低音となって周囲の空気を震わせた。
彼は腰の剣に手をかけ、その感触を確かめるように指を這わせる。
「……これは弔いではない。狩りだ。王都の石畳一枚に至るまで焼き尽くし、灰すら残すな!」
将軍の咆哮が弾けた瞬間、三万の兵たちは巨大な一つの殺戮兵器へと変貌した。
彼らが一斉に吐き出した殺気は、物理的な突風となって平原を吹き抜けた。
その風を浴びた王国兵たちは、脂汗で滑る手からカランと乾いた音を立てて剣を取り落とした。
「あ、あぁ……。勝てるわけがない……。あれは軍隊じゃない、化け物の群れだ……」
恐怖は伝染病のように瞬く間に広がり、兵士たちの瞳から光を奪っていく。
戦場を支配していたのは、確定した死への絶望だった。
――ただ一箇所、平然と静まり返った天幕を除いては。
◇
王国軍の後方、なだらかな丘の上に張り渡されたその天幕は、外界の汚濁を拒絶する薄い皮膜のようだった。
中を満たすのは、戦場の鉄錆びた臭いではなく、芳醇な茶葉の湯気と、甘美な焼き菓子の香り。
そこだけが世界から切り離されたように、残酷なほど優雅な時間が流れている。
「エリザ、クッキーはいかが?」
「いただきますわ、ロミナ様。……それにしても、外が騒がしいですわね」
軍装を模した深紅のドレスを纏ったエリザが、白磁のカップを唇に運ぶ。
その瞳には退屈な演劇を眺めるような冷ややかさが宿っていた。
その隣で、参謀のライルが羊皮紙の地図に無感情な視線を落としている。
「前線の兵士たちの震えが、地盤を揺らしているようですね。……まあ、彼らの役割は時間を稼ぐための『肉壁』に過ぎません。物理的にそこに立ってさえいれば、遮蔽物としての機能は果たします」
氷のような合理的思考。
人の命を消耗品としか捉えていないその言葉には、一片の慈悲も混ざらない。
だが、天幕の外から押し寄せる野蛮な咆哮と絶望の悲鳴は、この完璧な調和を乱す不協和音として、一人の男の神経を逆撫でした。
コトッ。
銀のティーポットが、ソーサーの上に置かれる。
その音は小さいが、空間を凍りつかせるほど硬質で、鋭利だった。
アステル。
彫像のように整った彼の美貌が、生理的な嫌悪感で微かに歪んでいる。
「……耳障りです」
彼は吐き捨てるように、低く唸った。
「ロミナ様が優雅にお茶を楽しまれている、この神聖な時間を……あの下等な猿どもが汚らわしい喚き声で汚すとは。……万死に値します」
アステルは純白の手袋の縁を指で弾き、きつく締め直すと、私――ロミナの方へと向き直り、深々と腰を折った。
「ロミナ様。……そろそろ、運動の時間によろしいですか? あの不快な雑音を、消してまいります」
「ええ、行ってらっしゃい。……ただし、アステル」
私は椅子に深く腰掛けたまま、歩み寄った彼の滑らかな顎を、指先でクイと持ち上げた。
至近距離で覗き込んだ彼のアイスブルーの瞳の奥で、蒼い炎が揺らめいているのが見える。
「『美しく』ね? 泥遊びは許さないわよ」
「御意。……貴女様の庭(世界)を、塵一つ残さず掃除してまいります」
アステルは翻った。
優雅な燕尾服の裾を翻し、彼はたった一人、散歩にでも行くような足取りで、修羅と化した戦場の最前線へと歩き出した。
第36話をお読みいただき、ありがとうございました。
帝国軍の威圧感が凄まじいですが、それ以上に「お茶の時間を邪魔されてキレる」アステル様が一番怖いかもしれません(笑)。
ロミナ様の「泥遊びは許さない」という言葉、気品を重んじる彼女らしい注文ですね。
次回、ついにアステルの真価が発揮されます。
一人対三万。常識では計れない戦いの幕開けです。
面白いと感じていただけたら、ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】での応援をお願いします!




