第26話 賢者の誤算:机上の空論と暴走する魔法
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いよいよ物語は戦乱編へと突入します。 「筆頭軍師」に任命され、有頂天の賢者スーラ。 彼の語る「絶対勝利の陣形」は、果たして戦場で通用するのか……。
ロミナ様の使い魔、黒猫の『牙』も戦場へ同行し、ピエロの末路を特等席で見届ける準備は万端です。 傲慢な賢者のメッキが剥がれる瞬間をお楽しみください。
その夜、離宮のバルコニーには、張り詰めた弦のような静寂が満ちていた。 頭上には、冷徹な白い月が架かっている。
私たちは手すりに寄りかかり、嵐の前の最後の静けさを全身で味わっていた。
「……始まったわね」
私は夜風に金髪を遊ばせながら、ポツリと零した。
「賽は投げられた。……これで人間たちは、自らの欲望と恐怖で編み上げたシナリオ通り、自分たちの血で溺れることになるわ」
「帝国の連中も、ナメられたまま黙ってはいないでしょうねぇ」
手すりの上で、黒猫の『牙』が器用に爪を研ぎながら喉を鳴らす。 その不吉な予言に呼応するように、背後で微かな金属音が鳴った。
アステルが、腰の剣の柄に白く美しい指をかけている。
「……ご命令を、ロミナ様。戦場に出ますか? 貴女様が望むなら、私が先陣を切り、敵も味方も区別なく、動くものすべてを斬り伏せて道を作りましょう」
「いいえ、アステル。逸る気持ちは抑えなさい」
私は振り返ることなく、片手を挙げて彼を制した。
「まずは、高みの見物といきましょう。私たちが出るのは、人間どもが互いに傷つき、疲弊し、絶望の淵に立たされてからよ。……彼らが神に救いを求め、泣き叫んだその瞬間に。最高のタイミングで、絶対的な『救世主(魔王)』として降臨してあげるわ」
私の碧眼の奥に、まだ見ぬ戦火の赤が映り込む。 平和なごっこ遊びの幕は下りた。
◇
開戦の刻が迫る王城の軍議室は、まるで通夜のような陰鬱な重圧に押し潰されていた。
国境に迫る帝国軍、総勢三万。 対する王国軍は、先の政変による混乱で、装備も士気も絶望的なまでに不足している。
沈黙が支配するその空間で――場違いなほど軽薄な笑い声が響いた。
「やれやれ。……これだから、筋肉で思考する脳筋の方々は困る」
賢者スーラだ。 彼は一点の汚れもないローブを纏い、優越感に浸りきった表情で自身のモノクルを指先で押し上げた。
「難しく考える必要などありませんよ。全て、この僕の頭脳に任せておけばいいのです」
スーラは細い指で、地図上の駒を滑らせるように配置を変えていく。
「いいですか、エリザ様。……女性の柔らかな脳では理解が難しい、高度な話かもしれませんが」
彼は教師が幼児に言い聞かせるような、粘着質な侮蔑を含んだ声音で語り始めた。
「最新の魔法理論と確率論に基づけば、この『絶対勝利の陣形』こそが最適解なのです。敵の布陣がこう動けば、魔力干渉により必然的にこう崩れる……美しいでしょう?」
彼が語るのは、兵士の疲労や恐怖といった「現場の不確定要素」をすべて排除した、あまりに綺麗すぎる数式。 戦場をチェス盤か何かと勘違いしている、典型的な机上の空論だ。
「僕の指揮通り、一寸の狂いもなく兵が動けば、被害ゼロで勝てますよ。……まあ、僕の崇高な知能に、兵士たちの低い処理能力がついてこられればの話ですがね」
自分以外の人間をNPCとしか思っていない傲慢さが、その全身から漂っている。
エリザは、扇子で口元の表情を完全に隠した。
「頼もしいですわね。……そこまでの自信がおありなら、スーラ、貴方を『筆頭軍師』に任命します」
「ハッ、当然の配役ですね。僕以外の誰に務まると?」
「期待していますわよ? ……決して、失敗は許しませんからね」
エリザの声に混じった、切っ先鋭い刃のような殺気。 だが、自身の才能に溺れる賢者は、その警告に気づかない。
◇
軍議が終わった後の回廊。 重厚な扉が閉ざされた瞬間、私は給仕としての仮面を剥ぎ取り、深い嘆息を漏らした。
「……あれが、この国が誇る『賢者』の最高到達点なの? 八百年前に私が踏み潰した名もなき雑兵の方が、まだマシな脳みそをしていたわ」
「即刻、斬り捨ててきましょうか。ロミナ様と同じ空気を吸っているという事実だけで、空間が汚染されている気がします」
アステルが立ち止まり、その手が腰の剣へと伸びる。
「まあまあ。そう殺気立たないで、アステル。お手並み拝見といこうじゃないですか」
私が苦笑して諌めると、足元の影から黒猫の『牙』が音もなく姿を現した。
「小生が『お目付け役』として、あのピエロの戦場についていきますよ。あいつが自分の描いた絵空事で自滅し、絶望に顔を歪ませる瞬間……特等席で拝みたいですしねぇ」
猫の瞳が、冷酷な黄色に光る。
「性格が悪いわね、牙」
「お褒めにあずかり光栄です」
「……ええ、頼むわ。もし彼が粗相をして――戦場を混乱の渦に叩き込んだら、その時は貴方が『尻拭い』をしてあげなさい」
私の真意を、使い魔は瞬時に理解する。
「了解。……簡単には殺さず、無様に生かして、死ぬより辛い恥をかかせてやりますよ」
牙はニヤリと、獰猛に笑ってみせた。
第26話をお読みいただき、ありがとうございました。
賢者スーラ、清々しいほどのフラグ建築士ですね。 「女性の柔らかな脳では理解が難しい」などという時代錯誤な暴言、ロミナ様が笑って許すはずもありません。
一方で、アステルの忠誠心が重すぎて、不快な奴をすぐ物理的に排除しようとするのが彼らしいところです。
次回、戦場で「机上の空論」がどう打ち砕かれるのか。 面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価での応援をお願いします!




