第22話 越えてはいけない一線:指輪の毒と王子の最期
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ついに、越えてはいけない一線を越える時が来ました。 暴走する第一王子ノースと、覚醒するマーガレット。
自ら与えた「死の毒」によって最期を迎える王子の因果応報、そして、返り血を「勲章」へと変えてしまうロミナ様の悪魔的な手腕をお楽しみください。
バンッ!!
静寂を物理的に殴りつけるような轟音が、サロンの空気を引き裂いた。 重厚な扉が、蝶番ごと悲鳴を上げて壁に叩きつけられる。
「エリザァ……ッ! 貴様、よくもこの僕を……コケにしてくれたなァ!」
入り口に立っていたのは、もはや『王子』の皮を被ることすら忘れた、一匹の狂獣だった。 髪は振り乱れ、眼球は毛細血管が破裂しそうなほどに充血している。
殺気。
その瞬発的な害意に反応し、アステルの身体がバネのように動こうとした。 だが、私は音もなく視線を滑らせ、鋭く彼を制した。
――待ちなさい。ここは貴方の舞台ではないわ。
私がアステルを縫い留めている間に、ノースは肩を怒らせてテーブルへと肉薄する。 そして、暴力的な腕の一振りが、優雅なティータイムを蹂躙した。
ガシャンッ!!
耳をつんざく破壊音。 国宝級の白磁のティーセットが宙を舞い、無惨な破片となって床に散らばる。
湯気と破片の中で、しかし、エリザだけは微動だにしなかった。 氷点下の瞳で兄を見上げる。
「あら、お兄様。また癇癪ですか? いい歳をして、欲しい玩具が買ってもらえない幼児のように暴れるなんて……見ていて恥ずかしいですわ」
その冷徹な嘲笑が、ノースの中に残っていた最後の一本の理性の糸を、音を立てて焼き切った。
「黙れ……黙れ黙れ黙れぇッ!!」
ノースが腕を振り上げる。 躊躇いも、手加減もない、純粋な暴力の軌道。
パァンッ!
乾いた、しかし重い炸裂音がサロンに響き渡った。 ノースの掌が、エリザの陶器のような頬を容赦なく打ち抜いたのだ。
衝撃でエリザの顔が横を向く。 雪のように白かったその頬に、一瞬にして鮮血のような赤黒い烙印が浮かび上がった。
時間が、凍りついた。
(あの方が……私の神様を、殴った?)
その事実は、マーガレットの精神構造を根底から揺るがした。 絶対不可侵の聖域への冒涜。信仰の対象への泥塗。
(許さない。許さない許さない許さない許さない)
空白になった心に瞬時に充填されたのは、ドス黒く、煮えたぎるマグマのような**「殺意」**。
マーガレットの指先が、薬指の冷たい金属を探り当てた。 かつてノース自身が、「自害しろ」と言って投げ与えた、猛毒仕込みの指輪。
「死ね」
ノースが更なる暴力を振るおうと再び拳を振り上げた、その瞬間。 マーガレットの身体は、弾かれたように床を蹴っていた。
「……エリザ様に、汚い手で触らないでッ!!」
喉が裂けんばかりの絶叫。
カチリ、と微かな金属音が鳴る。 マーガレットは毒針を、迷いなくノースの手首へと突き立てた。
「いっ……!?」
勢いに負けてマーガレットの身体が床を転がる。 だが、その顔には、愛する神へ生贄を捧げた狂信者のような、恍惚とした達成感が浮かんでいた。
「な、なにを……貴様、何をした……?」
ノースの問いに対する答えは、永遠に返ってこない。 帝国製の猛毒は、血管に侵入した瞬間、全身の神経網を食い荒らし始めた。
「ぐ、あ……ッ!? 息、が……がはっ……!」
彼は自らの喉を爪でかきむしり、無様に床へと倒れ込んだ。 王族としての威厳も、汚れた絨毯の上で涎と共に泥にまみれていく。
「ぼ、くは……王に……なる、んだ……」
急速に塗りつぶされていく視界の端に、三つの影が映り込んだ。
冷徹極まる眼差しのアステル。 喜劇の幕引きを愛でるように微笑むエリザ。 そして、ただ無表情に自分を見下ろす、妻・マーガレット。
(なぜだ……僕が渡した毒で……この僕が……死……?)
皮肉すぎる因果。 ビクリと身体が跳ね、直後、第一王子ノースは二度と動かなくなった。
◇
墓地のような静寂がサロンを支配した。 マーガレットは立ち尽くし、自分の両手を見つめて震えていた。
「あ……あぁ……私……殺して、しまった……」
現実感が遅れて津波のように押し寄せる。 その震える背後から、私は音もなく忍び寄り、彼女を抱きしめた。
「いいえ。……怯えることはないわ、マーガレット。貴女は何も悪くない。貴女は、立派な『騎士』なのよ」
「騎士……? 私が……?」
エリザが歩み寄り、未だ毒の指輪をはめたままのマーガレットの手を、愛おしげに包み込んだ。
「ありがとう、マーガレット。……貴女のおかげで私は助かったわ。愛しているわ、私の可愛い小鳥」
殺人の重荷は、愛する者への献身という勲章へとすり替えられた。 マーガレットは糸が切れたように泣き崩れ、エリザの腰に縋り付いた。
「エリザ様のためなら、私、なんだってします……! 貴女様となら、地獄にだって堕ちてみせます……!」
その時、開け放たれた扉から、ライルが滑るように入室してきた。 足元の死体には、ピクリとも眉を動かさない。
「おやら、綺麗に片付いたようですね」
彼は汚物を避けるように法衣の裾を持ち上げた。
「ライル。この後の筋書き(シナリオ)は?」
「完璧ですとも。『帝国が彼女を手駒として使い、我が国の王位継承者を暗殺した』。――戦争の口実には十分すぎるほど魅力的でしょう?」
ライルは革靴のつま先で、ノースの頬をコツンと小突いた。
「アステル殿。この産業廃棄物の処理をお願いできますか?」
「……はぁ。掃除が面倒ですね。おい、牙。手伝え」
「えー、小生がやるの? 重いし独特の臭いがするんだよねぇ」
一国の王子の死が、まるで生ゴミを出すような会話の中で処理されていく。
私はバルコニーへ足を向け、遥か東の空――帝国を見据えた。
「さあ、人間たち。……愚かなダンス(戦争)の時間よ」
夜の闇に向かって、愉悦と共に囁いた。
第22話をお読みいただき、ありがとうございました。
第一王子ノース、完膚なきまでの退場です。 一国の王子の死を「産業廃棄物」扱いするライルたちの温度差が、魔王軍らしさを引き立てています。
そして、ついに「殺人」を肯定されてしまったマーガレット様。 彼女はもう、光の世界には戻れません。
物語はここから、帝国を巻き込んだ大戦へと一気に加速していきます。 続きをお楽しみに!




