第20話 崩れる偶像:聖女の化けの皮
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今回はついに王都中を巻き込んだ「世紀の婚約発表」回です。 真紅と漆黒、美しくも禍々しい二人の並び姿は、まさに悪役の完成形。
そして、壊れかけた第一王子妃マーガレットの内に芽生える「ドス黒い何か」。 ロミナ様の筋書き通り、物語は悲劇的な終幕へと加速していきます。
その時、美しい絵画に泥水をぶちまけるような、無遠慮な足音が静寂を粉砕した。
「おいマーガレット! こんな所で油を売っている暇があったら、公務の一つでもこなせ!」
第一王子ノース。 この国の恥部とも言うべき男が、従者たちを従え、ズカズカと庭園に踏み込んでくる。 彼が歩くたびに、穏やかな午後の空気が澱んでいくようだ。
「チッ。これだから帝国から来た田舎娘は。……あろうことかエリザみたいな『無能』とつるんで、僕の評判を下げる気か?」
ノースは躊躇なく距離を詰めると、マーガレットの華奢な二の腕を、万力のように乱暴に鷲掴みにした。 痛みに顔を歪めるほどの強さ。
普段の彼女であれば、身体を小さく丸め、震える声で涙をこぼしていた場面だ。 けれど――今日のマーガレットは違った。
(……あの方は今、なんと言ったの?)
痛みなど、彼女の意識には昇ってこない。 脳内を支配したのは、許しがたい冒涜の響き。
(私の神様を……無能と、言った?)
マーガレットの瞳の奥底で、かつて恐怖に塗りつぶされていた感情が、ドス黒く粘着質な『殺意』の炎へと変質する。
直後、彼女の腕の中にいた黒猫が「おっと、こりゃあ怖いねぇ」とばかりに、全身の毛を逆立てて地面へと飛び降りた。
その殺意が形になる寸前、絹が擦れる涼やかな音が割り込んだ。
「あら、お兄様。嫉妬ですか? みっともない」
エリザが滑るように二人の間へ割って入る。 その立ち姿は、泥だらけの長靴で庭を荒らす兄とは対照的に、冷徹なまでに優美だった。
「なんだと!?」
「近々、わたくしから王家へ向けて『面白い発表』がありますので、どうぞ楽しみにしていてくださいね? ……そう、貴方の退屈な人生が幕を下ろす、とびきり素敵な発表を」
エリザは扇子で口元を隠し、眼光だけで相手を射殺すような鋭さで微笑んだ。 本能的な恐怖に喉を鳴らしたノースは、マーガレットの手を振りほどくように放した。
「お、覚えてろ! 後悔させてやるからな!」
負け犬の典型のような捨て台詞を吐き、ノースは逃げるように踵を返す。 マーガレットは、赤く腫れあがった二の腕など気にも留めず、自身の右手にはめられた指輪を、愛おしそうに左手で撫でていた。
それはかつて、ノースが「自害しろ」と投げ渡した、猛毒仕込みの指輪。
(後悔するのは、どちらでしょう……?)
遠ざかる王子の背中を見つめる彼女の口元には、暗く冷たい笑みが浮かんでいた。
◇
その夜、王城の大広間は、蜜に群がる蟻のような貴族たちのざわめきと、むせ返るような香水の匂いに満ちていた。
突如として招集された緊急の夜会。 重厚な大扉がゆっくりと、その重い口を開いた。
一瞬にして、喧騒が凍りつく。
現れたのは、鮮血をそのまま布地に変えたかのような真紅のドレスを纏うエリザと、闇夜を切り取った漆黒の司祭服に身を包むライル。
赤と黒。 血と闇。
並び立つその姿は、あまりに不吉で、けれど目を焼くほどに美しかった。
「皆様、静粛に願います」
ライルが口を開く。よく通る、甘美なバリトンボイス。
「神の深き導きにより、私、ライル・バートリと、エリザ王女殿下は婚約いたしましたことを、此処に宣言いたします」
一拍の静寂の後、爆発するような歓声と驚嘆がホールを揺らした。
さらに、ライルは白い手袋に包まれた手を、エリザの細い腰へと滑らせた。 彼は聖人のごとき微笑を浮かべて、とびきりの嘘を紡ぐ。
「そして……大いなる喜びと共に報告させていただきます。二人の間にはすでに、神からの授かりもの――新しい命が宿っております」
「きゃあ! まあ!」 「なんと喜ばしい!」
その視線を一身に浴びながら、エリザはそっと自身の下腹部に手を添えた。 その仕草は、初々しい母の喜びそのものに見える、完璧な演目だった。
「な、なんだと……!?」
会場の隅で、第一王子ノースが蝋人形のように蒼白になっていた。
「ふざけるな! 教会と王家の結婚など、父上が認めるはずがない! それに妊娠だと!? ふしだらな!」
ライルはレンズの奥で凍えるような憐れみを浮かべた。
「おやおや、ノース殿下。……教皇猊下も、国王陛下も、すでにこの慶事を心より『ご祝福』下さいましたが?」
ライルが軽く指を鳴らす。 バルコニーに現れた国王の瞳に、光はない。 まるで精巧に作られた自動人形のように、ぎこちなく、ただ機械的に首を縦に振ってみせた。
「そ、そんな……」
ノースの膝から力が抜け、ガクリと床に崩れ落ちた。 盤面は埋まったのだ。
夜会は狂騒の絶頂を極めていたが、カーテンを隔てたバルコニーには、深い闇が広がっていた。
「……不愉快極まりない茶番劇です」
背後で控えるアステルが、押し殺した声で毒を吐く。
「ふふ。いいじゃない、アステル。あれは所詮、舞台を盛り上げるための道化よ」
私は夜風に金髪を遊ばせながら、口元に冷ややかな笑みを刻んだ。
「これでノースは精神的に追い詰められた。焦燥に駆られたあのプライドの高い王子様は、必ずボロを出すわ」
「ええ。その時こそ……この私が、あの愚か者の首を刎ねて差し上げましょう」
アステルの手が、腰の剣に伸びかける。 だが、私はグラスを持った手でそれを制した。
「いいえ、アステル。それは貴方の仕事ではないわ」
私は揺らめく赤い水面越しに、歪んだ月を見つめた。
「首を刎ねるのは、あの子――マーガレットの役目よ」
丹念に育て上げた、私の可愛い操り人形。
「最高の復讐劇には、返り血に濡れた『悲劇のヒロイン』が必要不可欠でしょう?」
私の細い指先が、グラスの縁を軽く弾いた。
カチン。
硬質で澄んだその音は、まるで愚かな王子の命運が尽きるのを告げる、冷徹な弔鐘のように夜闇へ響き渡った。
第20話をお読みいただき、ありがとうございました。
ノース王子の小物感溢れる退場っぷり、いかがでしたでしょうか。 しかし、一番怖いのは「操り人形」として覚醒してしまったマーガレット様かもしれません。
ロミナ様が用意した『返り血に濡れた悲劇のヒロイン』という役割。 彼女がその毒指輪をどう使うのか、今後の展開にご注目ください。
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